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最終話


  1


「ここで視聴者さんからの特ダネリーク! 一月後に開催されるVtuberの歌の祭典、『Vのうたまつり』にて、たった一枠の出場権を勝ち取ったメスガキVライバー、そめいよしかについて! 中の人の画像を本邦初公開! 何というか、メスガキを謳っていた割にはだいぶしっかり大人の女性というか、大人すぎるというか……。これでメスガキのガワを被るのは正直きつすぎるんじゃって印象ですねぇ」

 自称・暴露系配信者であるマルサワという奴は、配信内でまるで全て掌握しているとでも言わんばかりに身勝手によしかのことを語る。

「画像だけでは本人かどうかの証拠にはならない? とのコメント頂ました。まあ確かにそうですねぇ。ですが今回、視聴者さんからは動画も送られてきたんです。こちらをご覧ください。……そめいよしかさんの配信の声と比較してみますか。ほら、完璧に一致ですねぇ! このおばさんこそがそめいよしかさんの中の人確定ということで、よろしいんじゃないでしょうかっ。もっかい聴きます?」

 不鮮明な音声が再生される。出来るだけ余計な雑音をクリアにしたのか、小春がえなに話しかけえている声がはっきりと配信に乗せられた。続けて、よしかの配信中の音声。小春は外では若干声を変えているものの、同一とは否定できない感じだった。彼女の声は唯一無二なのだ。

 もう一度、小春としての声が晒される。打ち込まれるコメントの礫は目も当てられないものばかりだ。

『うわ、これマジじゃん。ガキの振りしてるババアだったんか』

『ガキのムーブするおばさんとか痛すぎ』

『ライブ出演勝ち取った瞬間晒しとかこいつカワイソー。Vとか知らねえけど』

 見るに耐えない、増幅する人間の悪意。それがネットの澱とうねりになってよしかを、小春を呑み込もうとしている気がした。配信のアーカイブだが、既に再生数は五十万を超えている。普段よしかを観ていない連中も暇つぶしの如くコメントを書き殴っていた。一枠のライブ出場権を勝ち取ったことが裏目に出て、そういう奴らにも注目されてしまったようだ。SNSのトレンドワードにまで祀り上げられてしまっている。最悪だ。

(こいつら……。よしかのこと何も知らないくせに好き勝手言いやがって……っ)

 スマホを握る手に力が入って震える。ネットに蔓延るこういう人の無責任な身勝手さは知っているつもりだった。だがそれが自分たちに降りかかるとなるとまるで話が違う。罵詈雑言の雨風嵐の中に突然放り込まれた気分だ。

 よしかは、小春は何も悪くないのに。どうして叩かれているような立場に追い込まれているのだ。努力からライブ出演権という栄光を掴んだ者の、転落する様をみんな見たくてたまらないのかもしれない。冗談じゃない。そんな人間ばかりなら、こんな世界などぶっ壊れてしまえばいい。怒りが燃える。燃えて燃えて、この身体ごと全てを豪華で焼き尽くしてしまいそうなほどだ。

 ふと、浴室の脱衣所の方から音がした。どうやらシャワーを浴びていた小春が上がったようだ。えなは慌ててスマホで見ていた配信アーカイブを消し、ワイヤレスイヤホンを外した。

 今えながいるのは、小春の家だった。ライブ出演権獲得の発表のすぐ後のあの暴露系配信者のよしかに対するポストを見て、小春はその場にうずくまってしまうほど憔悴してしまった。大丈夫、とうわ言のように繰り返す彼女は目線も定まらず顔も真っ青で震えていて、どう考えても放っておけなかった。

「空似さん、そめいさんに付いていてあげていただけますか……? 私たちは早急にこの事態に対応します。絶対何とかしますから、大丈夫ですからね」

 茜がそう言い切ってくれたので、えなも小春に付き添うことをすぐ決心できた。茜も不安そうに顔を顰めていたが、切り替えの速さはさすがだった。とりあえず茜に任せることにして、早く小春のことを休ませるためにふらふらしている彼女を家に送っていくことにした。

 事務所に集まってオーディションの結果をみんなで見ていたのは夜になってからだったので、外に出ると夜の暗さと街の灯りの無機質さ、やけに遠巻きに聴こえる雑踏が時間が更けているのを物語っていた。気丈に振舞っているけれど、唇を震わせて押し黙っている小春に寄り添うようにしてえなは駅へ行き彼女と一緒に電車に揺られた。

 まさかこんな形で、彼女の家に来ることになるとは思わなかった。全然嬉しくない。けれども。

 彼女の傍にいてあげられることだけは、せめてもの慰めかもしれない。今の彼女はどう見ても、誰かの助けを必要としているはずだから。

「……センパイ、ごめんね……迷惑、かけちゃって……」

 脱衣場からそろそろと出てきた小春は、まだおぼつかない様子だった。乾かす気力もないのか髪は濡れたままで、表情もぼんやりとしている。部屋着のTシャツにしっとりと湿った黒髪の無防備さに一瞬どきりとさせられるが、そんな場合じゃないとえなは引っ込める。今にも彼女は消えてしまいそうなほど薄まってしまっているように見える。不安で仕方ないのだろう。なら、少しでも元気づけてあげたい。

「お疲れさま。髪、乾かさないと風邪引いちゃうよ。そこ座ってて。あたしやってあげるから」

「で、でも……」

「でもじゃないの。こういう時頼ってほしくて、あたしは先輩やってるんだから。ほら、ドライヤー持ってこっち来て」

 ためらっていた小春だったが、えなに座椅子をぽんぽんとされて誘われるとドライヤーを持っておずおずとそこに座った。ドライヤーを受け取ったえなは、熱風の温度を確認してから指ですくい上げた彼女の長い髪を乾かし始める。

 しっとりと湿った感触も、乾いてさらさらと零れ落ちる感触も、ほんのりと香る芳しい花の香のようなシャンプーの気配も。彼女の髪につい夢中になってしまいそうなる。今はそれどころじゃないとわかっていながら。結局あたしは、浅ましい。

 されるがまま座椅子に座ってえなに髪に触れることを許している小春は、やはりいつもより一回りも縮こまって所在なさげに見える。あの晒し上げが堪えてしまったのだ。無理もない。ただでさえ彼女はリアルの姿を知られるのを怖がっていたし、えなにさえずっと隠してきたのだ。

 それを意図せずタイミングでネットで公開された。彼女の不安と絶望は計り知れない。えなもリアルの姿を晒されたが、身勝手な矛先を向けられている小春に比べたら屁でもない。

 今はただ、彼女に元気になってほしい。安心して眠ってほしい。それだけは、えなの本心だった。

「……終わったよ。よしか、大丈夫……?」

 ドライヤーの温風を止めると、静まり返った空気がその場を満たす。耳に痛いほどの沈黙。

 ふと前にいる小春がおもむろにこちらを振り向いたかと思えば。彼女が腕を伸ばして、ぎゅっとえなの体に抱き着いてきた。一瞬えなは何がどうなっているのかわからない。ただしなやかでほんのりと温かな体温に包み込まれているのだけが伝わって来ていた。

「よし、か……?」

「……センパイ、ごめん。今夜は、一人でいたくなくて。一緒に、いてくれる……?」

「いい、けど……」

「ありがと……」

 しばらくえなを包んだままじっとしていた小春は、ゆっくりと離れるとそこで初めて笑ってみせた。力なく、まだ顔色は悪かったが、それでも少しは気を紛れたということだ。それだけで、ひとまずはよかった。

 えなもシャワーを借りてから、小春と一緒に寝室に向かう。当然のことながらベッドは一つしかない。来客用の敷布団などもないようだった。

「……えと。あたし全然床で寝られるけど……」

「だめだよ。センパイが体壊しちゃう。狭くて申し訳ないけれど、一緒に寝よ……?」

「よ、よしかがいいなら……」

 幸いダブルのベッドなので、二人分の枕とクッションを並べてもそれなりのスペースがあって寝苦しいということはない。けれど当然、間近にいる彼女のことを意識はしてしまうわけで。

(寝れねぇ……っ。寝れるわけがねぇ……っ)

 まさかこのタイミングで、こんな状況になってしまうとは。鼓動が就寝前とは思えないほど騒がしく、目を閉じても眠りの気配は微塵もやってこない。

 こうなることに、期待していたわけじゃない。でもひどく落ち着かない気持ちになっているのをひた隠しにしている自分は、やっぱり浅ましいのだろう。

 あの配信を見ていた奴らは、ポストを拡散させていた奴らは小春のことを散々貶していた。年齢のことで、よしかのアバターと小春の姿のギャップのことで騒ぎ立てていた。

(それなら小春さんのことを見てからずっとこんな想いを隠しているあたしも。そいつらとおんなじなんじゃないの……?)

 そんな奴らのことを心から軽蔑すると同時に、自分は同じ見方を小春にしてしまっているのではないか。現に小春とあの時、事務所でバッティングしなければ。きっと自分はよしかのことをちょっと生意気な可愛い後輩としか捉えていなかったはずなのだ。

 それはつまり、やっぱり自分も小春の姿とよしかの姿のギャップを見てしまっていることにならないのか。そんな迷いが凝り固まって、少しずつ自分の内側から蝕んでいくようだった。

「あっ……よしか……?」

 向けていた背中に、ぎゅっと寄り添ってくる感触。小春だ。彼女は腕をえなの腰の方に回して再び密着してくる。

「……ごめんねセンパイ。ちょっとだけ、こうしててくれる……?」

 切実そうな声でそう乞われたら、断ることなど出来なくて。

 えなはその手をぎゅっと体の前で握りしめて返事をする。薄闇と何もかもが眠り込んだ静寂の中、家具も少ない寂し気な寝室の中で。えなと小春はお互いだけに寄り添いながら眠りに落ちた。温もりと小春から伝わってくる呼吸の気配に身を委ねていると、少しずつ自然な眠りがえなの元を訪れるのだった。


  2


「は……? あたしたちのライブ出場権取り消しですか……⁉」

 朝になり、小春と共に事務所を訪れたえなは、茜の口からとんでもないことを聞かされた。

 おそらくずっと事務所で事実確認などに奔走していたのだろう。事務所のスタッフの人達も全員残って作業をしていて、茜も目の下に隈を作って疲労した様子で申し訳なさそうに顔を歪めていた。

「まだ公式からの発表はまだですが、ライブ運営の先方からそう一方的に伝えられました。今回のことでいたずらな問い合わせが殺到していて、このままではライブ開催に支障が出るからと。……ですが、こんなのは明らかに不当です。空似さんとそめいさんは誠心誠意、正面から出演権を勝ち取ったんですから。何とか取り消しできないか今交渉しています」

 茜が珍しく怒りの感情を向こう側に滲ませながら言った。えなも同じ気持ちだ。こっちは不正もなく全力でライブに出る権利を勝ち取った。凄まじい倍率の中で狭き門を潜り抜けたのだ。それをいきなり閉ざして門前払いは話が違う。こちらは何も悪くないのだ。あまりにも腹立たしい。

 不意に茜が、立ったままえなと小春に頭を下げた。戸惑っていると彼女は絞り出すように言う。

「本当に、本当に申し訳ありません。そめいさんにも、空似さんにも。こんな思いをさせてしまって。今回の事態は、我々事務所側の不手際です。全力で事態の収拾に当たらせていただきます」

「いや、茜さんたちは悪くないよ……。悪いのはこんなことリークしたあの配信者だし。向こう側はVの禁忌に踏み込んで来たわけだからね。本当に最悪だよ」

「あの配信者についても法的に対処させていただきます。すぐこちらからも声明を出しますね。絶対にこの状況を乗り越えてみせます。少し時間が掛かってしまうかもしれませんが……信じて待っていてください」

 真摯な茜の言葉は頼りになる。自分も何か出来ないだろうかと提案しようとした時だった。

「……あの、茜さん。お話があります。私、そめいよしかを卒業させていただこうと思っています」

 顔を上げた小春が、茜をまっすぐに見ながらそう宣言した。えなはその言葉の意味が理解できない。時間が止まったように静まり返った空気。ようやく小春がとんでもないことを言いだしたと感じとったえなは慌てて割って入った。

「ちょっ、ちょっと何言ってんのよしか! よしかは何も悪くないんだよ? いきなり引退とか、早まらないで……」

「早まってないよ、センパイ。昨日の夜からずっと考えてた。みんなが騒いでるのは私のことだけなんだよ。だから私がやめちゃえば、センパイだけはライブに出られるかもしれない」

「でも、二人で勝ち取ったライブだよ? それに、よしかが卒業しちゃうことないじゃん!」

「……ごめんね、センパイ。私もう疲れちゃった。こんな大事になっちゃったのも元々普段から私のVの自覚が足りないからバレたっていうのもあると思う。なら、私がやめちゃえば、全部丸く収まるよね」

 小春はぎこちなく笑う。いいわけない。いいわけがないが、彼女の目はもう決めてしまったとばかりに仄暗い光を宿していた。本気なのだ。本気でよしかを引退しようとしている。

「茜さん。ライブにはセンパイだけが出る方向で先方にもお伝えしていただいてよろしいですか? 今はライブのことに注力していただいて、私の引退のことは後日よろしくお願いします」

「よしか……! 小春さん、待って!」

 小春はそれだけ言うとえなのことを見もせずに事務所から足早に出ていってしまう。もちろんえなはすぐに追いかけた。

 エレベーターの前。階段に向かう小春の手を掴んで止める。

「どこ行くの! ねえ、小春さん。さっきの話本気じゃないよね? 二人でライブ出るって約束したでしょ。ずっと一緒に頑張ってきたのに」

「ごめん、センパイ。私もうムリなんだ」

「謝んなくていいから! こっち向いてよ小春さん」

 必死に呼びかけると、俯いていた小春は顔を上げる。彼女はあくまで笑みを崩さない。泣いてもいいのに、それを悟らせまいと取り繕っている。

 こんな時ばかり、大人にならないでほしい。泣くよりも辛い表情で、堪えないでほしい。こっちまで震えてしまう。

「センパイ。私、やっぱり臆病者のままだったんだよ。センパイのおかげでありのまま振る舞っても大丈夫だって思えた。私は私らしく、よしかとして居てもいいんだって。でも思ったより、世界って広かった。私は私でいちゃダメなんだ。センパイにも迷惑かけちゃって、ごめん」

 ――私は私じゃいられないし、もういたくないんだ。胸がぎゅっとなるような笑みを繕って彼女は言う。それが唯一吐き出せた、彼女の弱音の本心だったのかもしれない。

 なら、尚更放っておけない。一人にしない、出来ない。

 えなは彼女を抱きしめている。逃さないようにとか考えるより先に体が動く。追いつかぬままに心が走る。

「やだ。傍にいてよ、小春さん。一緒にいたい。お願い、小春さんのこと、好きなんだよ――!」

 つかえの外れた言葉が、そのまま喉から迸ってしまう。はっとなってももう遅い。伝えてしまった。伝わってしまった。

「センパイ……それって……」

「あ、違う、今のは……っ」

 彼女を余計なことで惑わせてしまう。慌てて誤魔化そうとするも、思考が空回って上手く言葉が出てこない。

 固まってしまうえなの手を、小春がそっと掴んできた。びくっとして咄嗟に引っ込めようとしたが、彼女は指を絡めてきて逃がしてくれない。

「……センパイ、逃げないで。私にも、逃げてほしくないん、でしょ」

 彼女の声。戸惑いのない、まっすぐな響きを帯びていた。てっきり拒絶されるとばかりに怯えていたえなは、逸らしていた目を小春の方へと向けた。

「ごめん。本当は気づいてた。センパイ、私と直接会ってからちょっと様子変だったし、もしかしたらって。違うかもって、知らないふりしてたけど、やっぱりそうだったんだね」

「……気持ち悪いとか、思わないの?」

「……思わないよ。思うわけない。それもセンパイの大事な気持ちだもん。私のありのままをちゃんと受け止めてくれたって証。私だって、大事にしてあげたいよ。……私の捉え方が間違ってないなら、だけど」

 小春が一歩踏み出してくれた。だからえなも、臆さず彼女に歩み寄るべきだと決心できた。怖いけれど、彼女が受け止めてくれる。仮にそうじゃなくとも、言うべきだと思い切る。

「迷惑かもしれないけど、言うね、小春さん。あたし、君のことが好き。小春さんとしての姿とよしかとしての姿も、どっちもあるから君に惹かれた。だから、そのままで、あたしの傍にいてほしいよ。よしかも小春さんも、どっちもあたしには隣にいなくちゃならない大切な存在で、最高の相棒だよ」

 自分に芽吹いた気持ちを、聞かざることなくそのまま彼女へと届けた。

 言葉にしたことでようやく気付いた。よしかを想う気持ち、小春を想う気持ち。どちらもないと、この気持ちは成り立たなかった。

 よしかを面白半分で貶すネットの奴らと自分の捉え方は違うとは否定しない。でも、だからなんだ。こっちは純粋な想いだ。彼女にずっと一緒にいてほしいと願う、それだけの気持ちだ。そう願って、望んで何が悪い。開き直ってやる。

 そして、えなは思いついた。この状況を利用して、ひっくり返してやる作戦だ。

「……小春さん、もう一回あたしのこと信じてくれない? やりたいことがあるの。その後でももしよしかをやめたいんなら、あたしはもう君のこと止められないと思う」

「……センパイ? 何かするつもりなの?」

 どこか期待するような眼差しでこちらを見る小春に、えなは不敵に微笑んで親指を立てる。

「3D姿のお披露目! あたしたちを必要としないライブなんてこっちから蹴っ飛ばして、あたしたちだけのライブをぶつけてやんの!」


  3


「もうすぐ開演だね。よしか、心の準備いい?」

 モーションアクタースーツのポインターが外れてないか確認しつつ、えなは隣にいる小春に声を掛ける。

「じゅ、準備なんて、とっくに万端なんですけどっ。でももうちょっとだけ、心の状態だけ整えさせてくれたら嬉しいな」

 えなと同じアクタースーツに身を包んだ小春は、えな以上に緊張している様子だった。何度もキャプチャー用のグローブを付けた掌に「人」の字を書いて呑み込んだり、深呼吸を繰り返している。彼女にとっては初めてのライブだから、それも当然だった。

 本当は、もう少し大規模で煌びやかなステージを彼女に体験させてあげたかったけれど、仕方ない。

 えなたちは今、事務所で用意してもらったスタジオにいた。やや手狭で、3D配信用のカメラや機材があるので更に圧迫感はあるものの踊り、動くには十分なスペースが確保されている。

 本来なら、もっと大きな場所で大規模なイベントで。見上げるほど立派な人たちと肩を並べて歌えるはずだった。でも、構わない。ここが、あたしの立って歌うステージ。世界の中心だ。

「……ねえセンパイ、本当に良かったの? 私と、一緒で」

 ふと俯きがちな小春が、そう尋ねてきた。彼女はえな一人でも勝ち取ったライブに出てほしいと望んでいたから、負い目があるかもしれない。

 そんなもの、わざわざ背負わなくてもいいのに。えなは少し背伸びをして、彼女の頭を髪が崩れないようにそっと撫でる。

「いいに決まってるでしょ? よしかがいないステージじゃ、あたしは歌えない。ねえ、まだ気づかない? よしかがあたしを連れてきてくれたんだよ。ここまで。だからあたしは、君と歌いたいの」

 ――胸張って立ってやろうぜ、相棒。小春に握りしめた拳の先を差し出すと、彼女はおずおずとだが自分の拳を合わせてくれる。それだけでえなの気持ちも定まった気がする。一人じゃない。それも小春に伝わっていてくれたならいい。

「空似さん、そめいさん。準備終わりました! いつでも始められます」

 機材を担当していたスタッフたちと打ち合わせ中だった茜が手を上げてこちらに叫ぶ。彼女も以前オーディション用の映像を3Dで撮った時よりも強張った様子だった。

 周りの人たちも、隣に立つ小春も緊張して不安になっているのがよくわかる。彼、彼女たちがそれを一緒に担ってくれている分だけ、えなは冷静になれた。大丈夫だ、行ける。この瞬間だけ、偏見とか上っ面の常識なんかで汚れた世界を、全部ぶっ壊してやる。

「待機視聴者人数も五万以上超えてる……。上手いこと注目されてるみたいだね。よしか、行ける?」

「い、いつでもどうぞ……!」

 きゅっと唇を引き締めた小春はまだ不安と恐怖を払しょくできていなさそうだ。それでいい。君に注がれる火の粉は全部払う。だから。

 お互いポジションについて構える。

「初めてのステージ、目一杯楽しむよ」

 隣に立つ彼女にだけ聴こえるように、えなは呟いた。心なしか、それで小春の肩から微かに力が緩んだ気がした。

「待機画面抜けます! すぐ音楽入ります!」

 茜の号令で、配信が始まった。今視聴者たちには、えなたちの前にあるモニターに映っている景色、空似ライメイとそめいよしかが果てしなく広がる宇宙空間に立つ姿が見えているのだろう。バーチャルのライブに、外側にいる者たち全員、引きずりこむ。

 開幕に反応するコメントが流れる前に、音楽が始まる。ディストーションで歪みまくったギターとベースが先行し、ドラムがフィルインしキーボードが滑り込んでくるハードロック調。

 曲のテンポに合わせてキレよくえなは舞う。えなも、練習してきたタイミングからやや遅れて一緒に踊り始めた。大丈夫、出来てる。そのまま突っ切ろう。

 一曲目は『bitter world distortion』。傲慢と先入観で満ち足りた世界に切り込む攻撃的な曲。今回のライブは配信サイトで無料で公開されていて、その全部の曲をえなは書き下ろしてきた。

 時間はなかったが気合で押し切った。どうしても、自分たちが出られなかったライブに被せてやりたかったのだ。

 えなは力強くがなりながら怒りとやるせなさを含んだ歌詞を吐き捨てていく。

 対照的に、小春の声は強張り気味で、練習の時よりも針がない。やっぱりどうしても、見られていることを意識してしまうようだ。当然だった。誰にでも無料で見られるライブ。それなら、よしかと小春のことを面白半分でこきおろしてきた奴らも興味本位で覗いてきているかもしれない。コメントはモニターに映らないようにしているけれど、余計に配信内がそういう心無いコメントで溢れているかもしれない。

 知るか。向き合った小春に歌詞を投げかけながら、えなは笑いかけてやる。大丈夫、ここにいる。

 目を丸くした彼女も、ぎこちなく微笑んだ。届いた。伝わった。ここは外側からいくら石や罵詈雑言を投げつけられようが、誰にも邪魔できない二人だけのステージなのだ。

 曲が終われば、すぐに繋げて二曲目、三曲目。休憩もMCもなしに、怒涛の勢いで駆けていく。歌う、舞う、ぶつける。ロックサウンド、ダンサンブルな曲調、打ち込み重視のデジタルミュージック。えなの全身全霊を振り絞って作った曲。そこに傷だらけでぼろぼろのままに綴った言葉をありったけ乗せた。

 これが今のあたしたち。みんな聞け、見ろ、感じろ、噛み締めろ。空似ライメイとそめいよしかの存在を、その脳髄に叩き込んでやる。

 ライブは滞りなく順調に進んだ。もっとも、MCもなく突っ走るのだから多少の水分補給を挟んでもまだ一時間という制限にも余裕があるくらいだ。

 小春も調子を取り戻したらしく、ステップや腕の振りにも迷いがなくなり、歌声もぶれなくなった。普段のちょっと生意気だけれど可愛げのある声とは打って変わり歌うと透明感のある彼女の声は、激しい曲調でも違和感なくはまりこみ、より曲の雰囲気を強化していた。当然だ。彼女のことを知り尽くしている自分が作った曲なのだから。それを歌いこなしてくれていることが、何よりも嬉しかった。

 ラストの曲が近づいてくる。全力で歌った、がなった、踊り、曲の全てを全身で表現した。

 3Dの体もえなたちの動きをしっかり再現してくれて、この上ないパフォーマンスを発揮できた気がする。

 それなのに。

(足りない……なんか……)

 順風満帆、それ故なのか。パーツが揃わないような違和感を、えなは今の状況に覚えずにはいられない。

 漠然としたそれは次第に強くなる。次で最後の曲、とっておきの曲だ。えなは曲の間、画面がブラックアウトしているうちに水分補給しながら考える。

 同接人数は、今や十万人に届こうとしている。観られている。観衆は確実にいる。冷やかしやずっと自分たちを応援してくれている人達もごちゃまぜになって。ライブハウスならえらい騒ぎどころか半数以上が定員オーバーだ。

 歓声は届かないかもだけど。少なくとも自分やよしかに浴びせられる聞くに耐えない罵詈雑言が目に入らなくてよかったと思う。そんなもの、自分たちのペースを乱すだけだ。小春を。よしかを守りたい。

 ――でも。本当にそれでいいのだろうか。今更、気づいた。そう、足りないのは。

「よし――」

「センパイ、ごめんね」

 声をかけようと振り返った瞬間。そう先に言った小春が、ステージの前、陣取ったカメラたちの目の当たりに佇むように一歩踏み出した。

「茜さん。今のコメント欄を私たちにも見えるようにモニターに出してください。画面上にコメントが流れるように」

「い、いいんですかそめいさん……っ」

「いいんです、茜さん。ようやく、決心がつきました」

 小春の声は、震えていない。どこまでも澄んでいる。モニターと向かい合っている彼女の表情はえなからは見えないけれど、その背中は。ライトの煌びやかな光を受けて、格好良かった。

 小春の合図で、切られていたマイク、カメラがオンになる。モニター上にはカメラの正面に立つ3Dのよしかの姿と、後ろに立つライメイの姿が映し出された。

 そして画面に右から左に流れていく、コメントの文字列。この同接人数がずっといたのだ。その流れは絶えることなく、画面全体を埋め尽くすように表示されては消えていく。

 応援や感動してくれている言葉ももちろんいてくれたが、流れはやや乱れていた。煽るような言葉、悪口、罵倒。無料で観覧できるライブだけにそういう人たちも集まってしまっているのは当たり前だ。茜たちスタッフも対処してくれはいるみたいだが、次から次へ書き込まれる事態と元からそういう目的の人達が集まってきているのもあって難しい現状のようだった。

 だからこそ、コメントは演者である自分たちに見えないようにしていたのだが。それを可視化した小春も、えなと同じことに気づいたのだろうか。

 小春は大きく息を吸って、吐いて。それからまた口を開いた。

「皆さん、こんばんは。今夜はこの配信に来てくれてありがとうございます。このような場に立てるのも、普段から応援してくださる方々、そして私たちの活動を見てくださる方々のおかげです」

「……よしか」

 小春はカメラに向かって、視聴者に向かって頭を下げると、よしからしからぬ丁寧な口調と柔らかな声色でそう述べる。

『お、中のおばさんついに本性現したー?』

『声はロリっぽくて可愛いけど、おばさんなんだよなぁ』

『応援してねーぞ。早く消えろよ二人とも』

 迎え入れてくれる温かい言葉もあるはずなのに、そんな投げ入れられる礫のようなコメントばかりが目に入ってえなは少し怯んでしまう。

 だが小春は、その文字の羅列から目を逸らさない。えなは彼女の隣に行く。その目は仄かに潤み、揺れながらも。はっと魅入られるほどの強い光を煌めかせていた。

「また先日は私の不注意が原因でみなさまをお騒がせさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。……ですが」

 深々と頭を垂れた後、小春は立ち上がり、そしてまたまっすぐカメラを見た。見据えた。そこに弱々しさは、もう面影もない。

「私は私。そめいよしかです。それは誰にも変えられないし、変えさせない。これからもセンパイの隣は誰にも譲らない。ギャーギャー言ってる奴も、黙ってよしかたちの歌に酔いしれなぁ? 有象無象くぅん?」

 凛としていた彼女の声が、あっという間によしかの不敵で生意気なメスガキボイスに戻る。にやりと笑いかけてきた彼女に、えなもいたずらっぽく笑い返す。それから二人で手を挙げて、茜に合図を送った。

 音楽が、丁度いいタイミングで流れ出す。前奏、オーソドックスなバンドサウンドが流れ、その軽快な音に合わせて自由にノる。この曲は決まったダンスのパートがあるわけじゃなく、バンドのボーカルのような感じで即興で動くに任せることにした。

 曲は『純潔に、鳴れ』。本当は今日よしかと出るはずだった大規模なライブイベントで披露するはずだった曲。

 小春への、秘めた想いを綴った初めて書いた純粋なラブソング。けど秘める必要はなくなった今、皮肉にも歌うにはこの上ないタイミング。なら存分に歌い上げてやろうじゃないか。

『この声が 轟くうちに 歌にしたいよ 届かなくていいよ 伝わらないでいいよ 咲き誇ったこの想いをただ ありったけの言葉の嵐で満たすよ』

 改めて歌いながら歌詞を咀嚼すると、隠したつもりが結構直球過ぎて自分でも笑ってしまう。でもその青臭さも美器用さも、それも含めて自分、空似ライメイの一部なのだ。恥ずかしがる必要なんて微塵もない。今という瞬間を、刻み込む。見ている人たちにも、自分たちを築く歴史としても。

『歌って欲しい 聞かせてほしいよ 僕に届くように 空に響くように どこまでも伝うように その歌を二人で歌い続けよう』

 小春が歌った歌詞にはっとなる。それはえなが書き綴っていない、彼女からのアンサー。

 二人で見つめ合って笑い合って。それからカメラの方に同時に手を差し伸べて歌い上げる。モニター上を流れて行く言葉も、急に全てが肯定的に変わったりなどするわけがないけれど。構わない。結局この歌をここまで聴いている時点で、否定的なコメントを打ち込んでいる奴だって自分たちに惹かれた一人だ。

(ああやっぱり、この子はすごいなぁ)

 敵意でいっぱいになっているかもしれないと怯えていた視聴者たちも、コメントたちも。今は全て自分たちの背を押してくれているようにさえ思える。

 彼女が、小春がそのきっかけをくれた。彼女の言葉が、生き様が勇気をくれた。だから。

(あたしの隣にいるのは、この子じゃないといけない。この人の隣に、いたいんだ)

 カメラに向かって歌い続ける小春の手を、ぎゅっと握る。彼女もちらりとこちらを見て、握り返してくれた。その様子が3Dのライメイとよしかにも反映されている。見せつけてやろうぜ、あたしたちの絆を。

 曲が終わる。えなたちは肩で息をしながら無音の余韻に浸っていた。それから再び見つめ合い、「せーのっ」と声を合わせて叫ぶ。

「ありがとうございましたッ!!」


  4


「……で、何。また何かあったの? この前のことは何とか丸く収まったんじゃなかったっけ。っていうか、あんた今日でかいライブ当日なんじゃないの? 私と通話してる場合じゃなくない?」

「じ、実はそのライブのリハ終わって、今楽屋で出演待機中……。こんな大舞台初めてだからさ、めちゃくちゃ上がっちゃってて茉子の声聞かないともうやばくてぇ……」

「何それ大丈夫なの? ……ったく、あんたは。十万近く集めたライブやりきったのにそういうとこは相変わらずなんだから」

 イベント会場の、やけに広い楽屋にて。えなは座り心地のいいソファの端で縮こまりながら茉子にスマホで通話を掛けていた。

 ライメイとよしかの3Dお披露目ライブから数ヶ月経って。改めて、前にオーディションを受けたイベントとは別の運営会社が立ち上げたライブに誘われてえなたちは出演することになっていた。大手の事務所に所属するVの人たちも集う大規模なイベントだ。お披露目ライブの件がかなりバズり、相当話題になったようでこういうお誘いもたびたび招待してもらえるようになった。そういう意味でも、あのライブは大成功だったのだろう。

 確実にネットの頂上の景色は、近づいてきている。小春と一緒に見ると約束した。まだまだ、道のりは長いけれども。

「てか、そめいさんは? 一緒に出るんだよね?」

「今、お手洗いに行ってる。実はあの子のことで相談したくてさ。あたし、このライブの後に改めて、あの子の気持ち聞きたくて」

「ああ、勢いで告っちゃったんだっけ。てか、私に相談するまでもないでしょ。この前なあなあになっちゃったことの答え聞きたいって言えばいいんじゃないの?」

「それがさ……もうだいぶ時間もあれから空いちゃってるし、どんな感じで切り出すのが自然かなぁって思ってさ……」

「あんたさぁ……。大事なライブ控えてるのに、そっちに緊張しちゃっててどうすんのさ」

「もちろんそっちもちゃんとやるよ! やるけどぉ……」

 めそめそとスマホ越しの茉子に泣きついていたら、不意に楽屋の入り口がノックされて開いた。

「センパイお待たせー。ここの会場めっちゃ広くてちょっと迷っちゃったよぉ」

「のわぁっ! よしかお疲れ!」

 愉快そうな小春が現れて、慌ててえなはスマホを隠す。「えな、流れで頑張んな」と茉子からのぼそっとしたアドバイスが微かに聞こえてきて、どうやら通話は切られてしまったようだ。オーマイガー。だが彼女のおかげで、ちょっと踏ん切りがついたような気がする。

「さてと、そろそろよしかたちの出番だよねぇ。センパイ、準備は万端? 歌詞忘れちゃったりダンスのフリ忘れても、よしかが何とかカバーしてあげるから大船に乗ったつもりでどうぞぉ?」

 小春はすっかり吹っ切れたようで、よしからしいメスガキ然とした態度もよりキレが増してきている。えなにとってはむしろ心地いいくらいだ。よしかとしても、小春としても。彼女が生き生きと出来るなら、それが一番いい。それにこうやって接してもらえるのも、何ていうか嬉しいし。やっぱこの子はこうじゃないと。

「準備は万端だけど……あのさ、よしか。……小春さん」

 ソファから立ち上がったえなは、小春の前におもむろに歩み寄ると、口を開こうとする。が、いざとなると本当に勇気が出ず口ごもってしまう。

「ん? どしたの?」

「えと、あのさ……この前の……あの、その……。きょ、今日のライブ、頑張ろうか……っ」

 自分の思い切りのなさに、心の中でずっこけてしまう。「うん! 当たり前でしょ?」と笑いかけてくる小春が眩しかった。まあ、まだライブの後でも時間はあるしそこで勇気を出せば……と切り替える。

「……ねえ、センパイ?」

「ほぇ? どしたの?」

「このライブが終わったらさ、伝えたいことがあるんだ。……この前、うやむやになっちゃってたセンパイのアレ。ちゃんと、答えたいの。いい?」

 まさかの彼女の言葉に、えなの方が目を丸くした。そして恥じらいを浮かべて上目遣いでこちらを窺う彼女の眼差しに、一気に頬が火照るのがわかった。

 彼女はちゃんと真剣にあれから考えていてくれていたのだ。そして今のこの様子だと、彼女の出した答えは、つまり。

 やばい。やばいやばいやばいやばい。心の準備とかまだ全然してないんですけどぉ! えなは心の中で見悶える。

「空似ライメイさん、そめいよしかさん! そろそろ出演の準備お願いしまーす!」

 運営のスタッフがノックをして呼びに来てくれた。「は、はいぃ……!」と驚いて返事をするえなに、小春は可笑しそうにくすくすと笑いだす。

「センパイ、出番だってさ。しっかりしてよ。よしかにネットの頂点見せてくれるんでしょ?」

「……もちろん。そっちこそ準備いい? センパイの背中、ちゃんと追っかけてきてよ?」

 先輩後輩として。相棒として。そして、お互いに大事な存在として。

 えなと小春はぎゅっと手を握り合いながら、楽屋を出て沸き上がったステージへと向かうのだった。

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