第一話 ブループロム
ゴールデンウィークもそろそろといった頃、一年生の間ではブループロムの話題で持ちきりになっていた。
関係ない、そんな面持ちで壱波 一朗は鞄に教科書を入れている。
「おやおや~? イチロー君はずいぶん淡白なご様子で」
楽しそうにからかう口調で声をかけてきたのは小麦色の髪をポニーテールでまとめ、ピンッとした犬の様な耳が特徴的な青い瞳の女の子でクラスメイトのウィルウィン・ゴールドだ。
「何か御用かな?」
思わず、あてつけのような台詞で答えるとウィンは髪と同じ色をした毛並みの良い尻尾を振りながら謝る。
「ごめんごめん。怒んないでよ、ね?」
怒ったわけではないがそういった態度だったのは違いない。
「大丈夫、怒ってないよ。ただ、たきつけるような口ぶりだったのはウィンだろ?」
「それはごめん! でも、イチロー君はブループロム出ないの?」
ブループロム、この学園で行われる入学最初の学校行事である。
もっとも、参加するもしないも本人の自由が尊重されるイベントで、実態は二年後にある本番のプロムに向けた予行練習でもあり、社交界のデビューの準備と言う側面もある。
「今のところはそのつもりだよ。なんてったって俺は庶民だからね」
一朗が入学したのは日本の千葉から北太平洋側へ二百キロほど行った所に浮かぶ、直径八十キロの大きさを誇る、海上空中都市の【大和】にある、私立海星学園高等学校。
そして、そこは日本だけではなく世界中から貴族や政治家、一流企業の御曹司などが集まる名門学校である。
「まーたそれじゃん。別に誰も気にしてないってそんなの。それに寧ろこのチャンスでコネを広げてこれからの人生に一発逆転玉の輿みたいなのってどう?」
「どう? って話を広げた本人が問いかけるなよ。玉の輿だとかは置いておいてもコネを作るってもなぁ。打算で友達作るのは嫌だな」
「なら、僕は君の御目にかなったって訳だね」
会話に割り込んできたのは華々頼 総司、しなやかな金髪で男にしては長い髪は横髪が頬を沿うほど、少し釣り目の瞳はエメラルドの様な緑色で左目尻には涙黒子。
スタイルも整っており手足が長くモデルのような雰囲気を感じる。
「嫌な言い方するなよ」
呆れた様子でそう返された総司は微笑んで答えた。
「冗談だよ。それはそうと聞こえてたけど、一朗もブループロムは参加しないんだ」
「そのつもりだ。って、も?」
「ソージ君も出ないの?」
「出ないつもりだよ。色々と事情があってね、良くも悪くも来年だよ」
そう言ってネックレスにした指輪をちらつかせる。
「そういえばソージ君って婚約者が居たんだっけ」
「そうだよ。彼女が来年ここに入学する予定だからその時にね」
照れくさそうでも困った様でも嬉しそうでもある表情を総司は見せた。
「ブループロムって上級生も出れるのか?」
「婚約者だとか、そう言う特別な場合だけだね。教師には確認してあるよ」
「総司も大変だな。まだ高一なのに婚約者ってさ」
「そうかな? 生まれた時からそう言う家系だってのは理解してたから気にしたことないな」
白い手袋をした右手で指輪を弄る総司はやはりどこか嬉しそうな顔をしていた。
「あーやだやだ、学び舎で惚気かい? 空気が悪くなるから外で頼みたいね」
さも当然のように会話に混ざってきたのは黒髪に狐耳、長い横髪が胸元に垂れ、琥珀色の瞳をした黒い三つ尾が特徴的な少女、秋乃 姫々。
「君か、相変わらず挑戦的な台詞が好きだね」
総司は慣れた様子で答える。
「おや、どうやら面白い反応は返って来そうにないね。もう少し擦れるネタかと思ったけど」
残念そうにしながらも笑みを崩さず手に持った青い薔薇を弄ぶ。
「姫々ちゃん。それってもしかして!」
目を輝かせてウィンが姫々に詰め寄る。
「おっと、残念ながら違うよ。これはあっちで行われている、かぐや姫への貢物のおこぼれさ」
今度は本当に愉快そうにそう言って薔薇で教室の出入口のほうを指す。
そこでは出入口で代わる代わる男子生徒が一人の少女に青い薔薇を差し出しては断られて押し出されていた。
「まぁさっきから気になってたけど、あれって」
「ブループロムのお誘いさ。あんたも知ってるだろう?」
そう言って姫々は一朗の傍に近寄り逃げられないように腕に腕を絡めて手に持った薔薇を一朗の目の前に差し出す。
「ブループロムに一人で参加するのは自由だけど、異性と一緒に入る場合はこの青い薔薇受け取った女子と手渡した男子一緒に入る必要がある。つまりあれは竜宮寺 乙女を誰が引き連れてブループロムに行くかの争奪戦みたいなものさ」
絡めた腕で一朗の手を掴み自らの太ももに手を触れさせる姫々。
普通制服は男女共に上はブレザー、下は女子はスカートで男子はズボン。年度ごとでネクタイとスカート、それにズボンのサイドラインの色が変わり学年を示す。そして、一朗たちは赤。
多種族を許容している学園故に制服の改造が許可されており、姫々は色を変えたりはしていないがスカートは太ももの付け根まで深く切り込まれたスリットを入れており艶やかな太ももが黒のニーハイソックスと相まって男子達の視線を独占している。
そんな太ももを平気な顔で……。訂正、心底楽しそうな表情で触れさせている。
「これで俺に何させたいのさ」
ハニートラップに対して一朗は動揺する事無くため息混じりに問いで返した。
「おや、自分の体には自信があったんだけれどね。まぁ、も一つおまけでもしてやろうかね」
不意に腕を抱き寄せてわざと制服に収まらないと開ききった胸元を見せる胸部を当ててくる。
「わぁっ! 姫々ちゃん大胆!」
きゃいきゃいと楽しそうなウィン。
「品性を疑うよ」
やれやれと肩をすくませて呆れる総司。
そんな暇があるなら助けてくれ、そんな心中の一朗だが姫々の目的が全然理解できない。
「ちょっとした前払いさ。遠慮なく楽しんでくれて構わないよ」
「楽しめる様な余地がどこにあるんだよ」
そう返すとあははと笑う姫々。
「意外と初心なのかい? まあ良いさ。なにちょっとあそこのかぐや姫にこいつを手渡してきて欲しいだけさ」
口にした言葉は一朗の目の前で揺らされる青い薔薇を指していた。
「これを? 俺が? 何で?」
意味がわからなさ過ぎて喋り口が変になる。
「これを、あんたが、乙女に渡す。理由は面白そうだから」
「それのどこが面白いのさ」
「一般市民代表、庶民のあんたがこの学園でも五本の指に入る名家の竜宮寺家の跡取りにして一人娘の竜宮寺 乙女をブループロムに誘う。これが面白くないわけないだろう?」
白い歯を見せて笑みを浮かべ、姫々はそう言う。
「どこが面白いんだよ」
「わかってないねぇ。別に断られて一蹴されてもそれはそれで面白いし、万が一、いいや、兆が一……。京くらい入るかね? まぁなんにせよ。この薔薇を受け取ったらそりゃあもう最高に楽しいだろう?」
呆れるほど享楽的な理由だった。
「そんな理由で体を触らせたりして、貞操概念とかプライドとかそう言うのは無いのか?」
「はんっ! あたしは金と面白いことが大好きでね。そのどっちかが手に入るなら体を触らせるくらいなんてこと無いのさ」
その台詞に総司はなんて女だ、そんな顔をしている。
「まぁ、もっともあたしがそこまでカードを切ることは中々ないよ。なんてったってあたしの体は黄金より価値があるからね」
「つまり、今回の楽しみは黄金より価値があるって判断したってことか?」
「もちろん。黄金はその気になれば金で買えるけど、この瞬間しかあんたが乙女にこいつを渡すことは無いんだからね。理解してないアホばかりだからしっかり言ってやるけど今日は今しかないし昨日は過去にしかないんだよ。だから、その瞬間しかないものは黄金より価値があることが稀にある。で、今がその稀さ。ほれ、ここまで女に恥かかせるようなやり取りしたんだ、やってくれるだろう?」
どこに恥をかいているのだろう、そんな疑問は置いておいて一朗は目の前に薔薇を見て考える。
姫々の言うことには一理ある。
そんな表情を姫々は見逃さなかった。
「なに、今そこらで掃き溜めになってる屍の山には放り込まないよ。駄目だったらあたしが一緒にブループロムに出てやるからさ」
「いや、それは頼んでないけど」
「そうかい? でも、あんたに楽しませてもらう礼さ。それくらいさせておくれよ。じゃなきゃ女が廃るってね」
そこまで言われてこれだけカードを切らせて断るのもどうか、なんて思考ではなく受け入れなければ姫々が絶対に傍から離れない。
そう理解して一朗は薔薇を受け取った。
「骨は拾う、これで契約成立でいいか?」
「もちろんさ。じゃあ頼むよ」
受け取った薔薇を見て一朗は鞄に入れられていなかった筆箱からカッターを取り出す。
「ちょっ、カッターなんて物騒だねぇ。なんのつもりだい?」
「薔薇の棘があるだろ? 女の子に渡すんだから指を怪我させる訳には行かないだろ」
ちまちまと薔薇の棘を切り落としていく。
「まめだねぇ」
つまらなさそうに呟く姫々に総司が笑みを浮かべて言う。
「だろ? でもそういうところが僕は気に入ってるのさ」
「聞こえてんぞ」
「聞こえる様に言ってるさ」
「左様ですか。じゃあ行くか」
一朗が向かおうとする所をウィンが引き止める。
「イチロー君、ちょいまち」
振り向いた所にウィンの手が伸びてきて襟とタイを正される。
「うん、これでよし。じゃあ頑張ってね」
ひらひらと楽しそうに手を振るウィン。
「ありがと、じゃあ」
そう言って向かおうとしたら次に引き止めた姫々だった。
「あいや。後もう一つ。声をかける時は思いっきり気障に頼むよ」
「はいはい。後でそんな気障男と踊るのは嫌だといっても許さんからな」
「もちろん。喜んでステップを踏ませてもらうさ」
まだ知り合って一ヶ月もたってないが約束を違えるようなタイプじゃないことを一朗は知っているからこそ、そこまでやらせたいのかと思ったが口にはしなかった。。