追放された侯爵令嬢は死にました
三年前、ルミティス王国の王立学園の卒業パーティーで起きた事件。
王太子の婚約者が聖女殺人未遂の罪で逮捕投獄された。
聖女は平民ではあったがこの国を魔物から守護する結界を張った最重要人物である。
そんな人物を殺害しようとしたのが美しいと評判の高いバルムント侯爵令嬢であった。
それだけでも大事件であったが、更に王太子はその場で聖女との新たな婚約発表まで宣言したのだ。
混乱を極める状況であったにもかかわらずまるで申し合わせたかのように次々と侯爵令嬢の罪状の証拠と証人が現れ否認を続ける元婚約者の侯爵令嬢の罪はその場で確定した。
裁判すら行われぬままだ。
高位貴族の令嬢としては異例尽くしの公開での鞭打ち刑の後に貴族位を剥奪の上国外追放と決まる。
高位貴族が公開で鞭打ちなどこの国ではあり得ない刑罰であるにもかかわらず王妃以外誰一人反対の声を上げなかった異常な事態であった。
実家であるバルムント侯爵家も王家の決定に素直に従った。
王太子の側近だった弟はもちろん両親ですら娘を見捨てたのだ。
公開刑は中央広場で速やかに行われた。
高潔な貴族の娘が罪人として鞭打たれ苦しむ様が見られるという事で広場には貴族に対し不満を持つ民衆がその鬱憤を晴らすかの様に多く集まった。
美しい乙女の白い柔肌が衆目に晒され彼女の貴族としての自尊心を打ち砕き、純潔のまま女性としての尊厳を奪われ、鞭で打たれる度に泣き叫びながら遂には罪を認めた。
雪のように白い肌が鞭打たれる度に青黒く腫れ、裂けた傷から真っ赤な血が白い柔肌を濡らすと見物人達に異様な興奮と熱狂をもたらした。
全てを奪われ意識を失った元侯爵令嬢は簡単な治療を施され質素な貫頭衣を着せられそのまま追放された。
被害者であった聖女が慈愛の精神を以て侯爵令嬢の刑を少しでも軽くと嘆願した故に処刑を免れたという逸話は聖女の美談として民衆に親しまれた。
しかし普通に考えれば侯爵令嬢に本当に罪があったのか解明されていない。
真実は高位貴族の娘が金銭も持たず貫頭衣一枚のみ一人で放逐されたという事実のみ。
人知れず餓死しろという遠回しの死刑宣告だ。
それをおかしいと最後まで声を上げていたのは実の娘の様に侯爵令嬢を可愛がっていた王妃のみであった。
令嬢の追放後、王妃は心労で倒れ一年後に儚くなった。
王妃の喪が明けた翌年王太子と聖女は婚姻した。
その式は国を挙げた大きなものであったが招待を受けた近隣諸国の王家は誰一人参加せず代理人だけが参加した。
そうして一見平和な月日は唐突に終わる。
王妃を喪ってから体調を崩し殆ど寝たきりになった国王に代わり政務を預かった王太子に隣国の英雄と名高い魔導師が謁見を求めたのだ。
近年諸外国との外交は上手くいっておらずルミティス王国は微妙な立ち位置だった。
英雄の所属する隣国イグシオン王国は魔法の文化が進んだ頭一つ抜きん出た大陸一の大国である。
もし戦争にでもなればこの国はあっという間に滅ぶのは目に見えている。
ここ数年他国との外交も芳しくない所で大国との結び付きが欲しい王太子は喜んで謁見を受け入れた。
謁見の間に国王代理としてアドニス王太子が入ると異様な気配に気付いた。
中央で立つ真っ黒なローブの男が不遜な態度で居るのにも拘わらず誰一人注意せず全員真っ青な顔で震えていた。
この場にいるのは宰相ジーグ侯爵とその息子で王太子の側近ティグアン、騎士団長エザイル公爵と同じく息子で側近のローラン、外交大臣バルムント侯爵と同じく息子で側近のレオンの六名。
全員が脂汗を垂らし青い顔で項垂れていた。
黒ずくめの男だけがニヤニヤしながら頭も垂れず王太子を見ていた。
不敬だと思ったが彼は隣国の英雄で竜すら屠る実力者と聞く。
不満を押し殺して声をかけた。
「貴方がイグシオン王国の英雄殿かな」
「これはこれは王太子殿下。レイジ・ニノミヤと申します。異界の落とし子、女神の愛し子、竜殺し、殲滅者、破壊の権化、不死殺し、真眼、果てには英雄などと呼ばれますが全て真実故否定も出来ません」
ふてぶてしい態度のまま黒ずくめの男レイジがペラペラと大袈裟に話す様は胡散臭さ一杯であった。
「そ、そうか。して英雄殿が何故この国に?大事な用件があると聴いたが?」
アドニスの言葉にレイジはニヤリと口を三日月の形に歪め嗤った。
「えぇ、そうですとも。とても大切なお話ですよ」
何とも勿体ぶった言い草と余りに軽い態度に王太子の仮面が剥がれそうになるのを必死に抑える。
何故誰もレイジを注意しないのかと不満も沸き起こる。
「どんな話でしょう。それは我が国にとっても有益であれば嬉しいものですな」
「有益、かどうかは計りかねますがとても重大な話ですよ。これは貴方達は絶対に聴かなくてはいけないのです」
レイジの言葉にバルムント侯爵がぶるりと震えた。
それに気付いたアドニスがバルムント侯爵に声をかけた。
「バルムント侯爵。そなたはもしや知っておるのか?」
ぶるぶると震えながら顔を向けたバルムント侯爵の表情は怒りに震えていた。
眼は充血し噛み締めた唇からは血が流れていた。
あまりの表情にアドニスも怯んだ。
「...っ恐れながら、申し上げます。私と妻、そして愚息は昨日ニノミヤ殿より既に聴いて、おりますっ...殿下も、ここに居る皆もニノミヤ殿の話を聴いていただきたいっ...私はこれ以上言えませぬっ」
なんと言う感情なのだろうか。
怒りや悲しみが入り交じったようなバルムント侯爵の顔と声にアドニスは圧倒されゴクリと唾をのんだ。
「よろしいかな?」
レイジの声はまるで死刑宣告のように聴こえた。
舐めるように見回して懐からみすぼらしい一本の短剣を取り出した。
アドニスが身構えるとレイジはその短剣を彼の足元へ放り投げた。
絨毯の上に落ちた短剣は赤黒い汚れがあった。
それが血だと直ぐに気付いた。
「これ、は...?」
「三年前、この国から追放されたリティシア・バルムント元侯爵令嬢の心臓に突き刺された短剣です」
アドニス達がその意味を理解するまで時間がかかった。
バルムント侯爵は悔しそうに短剣を睨み付けた。
その息子レオンは両手で顔を被い涙を流していた。
他の者達も額や胸に手を当てて衝撃を受けている様子だった。
「リティ、の心臓を...?」
「そうですよ、一週間前の事です。冤罪で追放されたリティシア嬢は娼婦として身体を売り心も身体も汚され最後は暴漢に路上で強姦されその短剣で心臓を一突きにされました。
そして彼女は死にました...」
リティが...死んだ?
嘘、だ...。
アドニスは胸を押さえた。
動悸が激しくなり呼吸が苦しい。
リティシアの死を受け入れられない。
「何故そんな表情をするんですか?貴方達が望んだ事でしょう?」
「...っリティの死など望んでは、いないっ」
「おかしいなぁ。貴族の令嬢が金銭も持たされず見知らぬ土地に一人で放置されれば生きていける訳ないでしょうに。分かっててやったんですよねぇ」
「っ違う!そんなつもり、は...っ」
アドニスの脳裏にリティシアとの思い出が走馬燈の如く駆け巡った。
七歳で結んだ婚約だった。
白金に輝く絹糸のような髪とオニキスの瞳を持った美しい少女にアドニスが一目惚れしたのだ。
コロコロと笑う可愛い人だった。
甘いものが好きで紅茶には必ず蜂蜜をひと匙入れる。
淡いピンクが好きでいつもワンポイントでその色を身に付けていた。
こっそりとアドニスの瞳の色である金も入れている事も知っている。
小動物が好きで侯爵家の裏庭で猫の世話をしていた。
人の悪口が嫌い。
大人しいのに頑固な一面もあった。
努力の人であった。
貴族にしては少ない魔力だったが工夫して学園の成績は常に上位。
筆記も王妃教育も優秀だった。
細く華奢で折れてしまいそうな腰も豊かな胸も魅力的だった。
その可憐な笑顔が好きだった。
―――――愛していた。
―――――愛して...?
ガンガンと頭痛がした。
リティシアの事を思うと激しい頭痛がする。
「貴方達がリティシア嬢を殺したのだ」
低いレイジの声が冷たい刃となって胸に突き刺さった。
実際には何も刺さってなどいない。
しかしその言葉は冷酷に己達の罪を自覚させた。
「ぐぅっ」
「な、何故だ」
「うぅ」
罪の意識に青ざめる面々を余所にレイジは飄々と告げた。
「さてさて、己の罪に漸く気付けましたねぇ。良かった良かった」
「良かった、だと」
アドニスが怒りを顕に睨み付けた。
「ふふふ。俺を睨んでも貴方達の罪は軽くなりませんよ。さて、先程俺は彼女を冤罪であると言った事にお気付きですかぁ?」
「え、んざい...?」
アドニス達は頭がクラクラしていた。
目の前がぼやけてふわふわする。
なのに激しい頭痛で息苦しい。
「それに気付けなかったのはこの国、いやこの王都を囲む結界もどきのせいです」
「結界のせい、だと?」
「えぇ、正確には結界に似せた魅了の檻と言うべきでしょう」
「みりょうのおり...?何だそれは...結界はこの国の聖女...我が妻リリーナが魔物から民を護る為、に...」
アドニスは自分の言葉に自信が持てなくなっていた。
愛する妻である聖女リリーナ。
優しくて可愛い愛しいひと。
なのに何故嫌悪を感じているのか。
「そんな優しい結界ではありませんよ。これは呪いだ。作った者の自己愛に満ちた呪いの檻です」
「呪いだと?」
恐ろしい言葉に息をのんだ。
レイジの言う事は滅茶苦茶だと思いながら何故だか信じられる。
まるでレイジの言葉が真実であるかの様に。
「えぇ、そうです。俺は女神より授かった【真実の瞳】というスキルを持っています。【鑑定】スキルの最上位だと思ってもらえれば早いでしょう」
「そのっスキルが、なんだと言うのだっ!」
アドニスは激しい頭痛と息苦しさに耐えきれず叫んだ。
もう理解出来ない。
理解しようとすると頭痛と目眩が激しくなる。
この苦しみから逃れたい。
動悸が激しい。
「苦しいでしょう?痛いでしょう?それこそが呪いの証です。【真実の瞳】には貴方達、いや王都に生きる全ての人々が呪いの魅了に掛かっているのが見えています。この檻に閉じ込められた人々は作成者である自称聖女の都合の良い嘘と真実しか信じられなくなるのですよ。勿論俺には通用しません。それとバルムント侯爵家の方々は昨日よりこの呪いを個別に解呪しています」
「っ!」
アドニス達はバルムント侯爵とその息子レオンに視線を向けるとバルムント侯爵は握りしめた拳に爪が食い込み血を流し悔しさと怒りで震え、レオンは膝から崩れ落ち涙と鼻水で端正な顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「では特別サービスでこの檻を破壊してあげましょう」
パチン
レイジが指を鳴らすと膨大な魔力の波が身体を突き抜けた。
魔力の波は大きく波紋の様に拡がり王都中を駆け抜けていく。
パリィン...
何かが砕け散る音がした。
その瞬間に王都に居た人々は三年振りに目を覚ました。
ずっと夢の中に居るようだった。
ふわふわとした感覚が無くなり現実に帰って来た。
そんな気分だった。
アドニス達も先程までの頭痛と息苦しさが消えふわふわとした夢から目覚めた感覚に茫然としていた。
「さあ、ここからが本番。貴方達の断罪といきましょう」
レイジの厳しい口調で意識が覚醒する。
「三年前、リティシア・バルムント元侯爵令嬢は聖女殺害未遂の罪で公開での鞭打ち刑と国外追放処分となりました」
「そ、そうだ。彼女は聖女リリーナを殺そうと...」
アドニスは最後まで言い淀んだ。
「殺そうと...実際にはどのように殺そうとしたのですか?」
レイジに睨まれアドニスは肩を震わせた。
助けを求める様に宰相の息子ティグアンに視線を向けた。
アドニスに応えるためティグアンはグッと唇を噛んでからレイジに強い視線を向ける。
「リティシア嬢は俺達に愛されるリリーナ様に嫉妬してドレスにお茶をかけたり態とぶつかって転ばせたり、挙句の果てには俺達の目の前で階段から突き落としたのだっ!」
真っ青な顔で捲し立てるティグアンに意地の悪い笑みを浮かべたレイジが問い掛ける。
「階段とはそこの様な段差の事ですか?」
レイジが指差すのは王座まで三段の階段。
そう、リティシアが突き落としたとされる階段の段差も卒業パーティーの会場にあった三段程であった。
その事を思い出したティグアンは言葉を失った。
そんな段差で殺害未遂と言える筈が無い。
「っ!」
「思い出したようですねぇ。死ぬわけないよね、こんな段差で。あとお茶かけたとか転ばせたとか罪に問えるものじゃないよね。子供の言い分みたいなことを次期宰相の期待が高いティグアン殿が言うなんて馬鹿らしくて笑っちゃうねぇ」
ティグアンは馬鹿馬鹿しい理由しか言えない自分が信じられなかった。
有り得ない。
何故そんな理由でリティシア嬢を断罪したのか自分でも分からない。
己を殺し国の為に身を捧げる覚悟はあった。
なのに断罪した理由が子供の言い分とは正しくその通りだ。
何も見えていなかった。
冷静に物事を判断すべき自分は何も見えていなかった。
何故リティシア嬢をこじつけみたいな理由で断罪したのだろうか。
幼い頃から共にアドニスを支えると約束した親友とも言えるリティシア嬢を...。
ティグアンは後悔と罪悪感で天を仰いで膝から崩れ落ちた。
「さて、次にリティシア嬢が突き落としたと言いましたがそれはどのように?」
レイジが見つめる先には項垂れたレオンが居た。
昨日から魅了の呪いが解けているレオンは全て知っているからこそ言葉に出来ない。いや、したくなかった。
しかしレイジはそれを許そうとはしない。
「さあ実の弟であるレオン君。教えてください。貴方のお姉様は自称聖女をどのように突き落としたのですか?」
「...っ!」
絶望に震えるレオンは震える肩を自ら抱き視線を落としたまま口を開いた。
「...ていない」
「何ですか?」
「あ、姉上はっ、リ、リーナ様を...突き落としたりなど...して、いない...」
「へぇ〜。そうなんですねぇ。おかしいなぁ君は当時率先して実の姉であるリティシア嬢を糾弾したのに...どういう事です?突き落としていないのに何故そうなったんですか?」
「ぅうっ...リリーナ様がそう言ったから...」
「何ですか?はっきり教えてください」
レオンは顔を上げると憎々しげにレイジを睨んだ。
リティシアへの思いがレオンの胸を締め付ける。
レオンは姉が大好きだった。
いつも優しくて可愛がってくれた。
いつでも甘えさせてくれた。
レオンの事を信じていてくれた。
愛してくれていた。
だからあの時、レオンが断罪した時のリティシアの絶望に染まる表情が頭から離れない。
何故あんな事をしてしまったのか。
姉上にあんな顔をさせた自分が許せなくて八つ当たりの様にレオンは叫んだ。
「姉上は何もしていない!本当はリリーナ様が姉上を突き飛ばそうとして姉上は避けただけだっ!それでっリリーナ様が転びそうになってっ...姉上に殺されると言ったからっ!ああああああぁぁぁっ!!僕は何でっ!姉上をおぉ!うわあぁぁあぁぁっ!」
声を上げたレオンはそのまま蹲って泣いていた。
レオンの悲痛な告白は全員が今リティシアが冤罪であったと確信した瞬間であった。
各々が己の愚かさと犯した罪の重さに潰れそうだった。
「それでリティシア嬢に何をした?」
レイジの視線が捉えたのは大きな身体を震わせる騎士団長の息子ローラン。
「騎士殿。清廉潔白なリティシア嬢に対して正義の騎士様はどうしたのかな?」
「...」
曲がった事が嫌いなローランは騎士として人として正義を貫く事を誓って居た。
そんな彼はリティシア嬢にした事を口に出せなかった。
己の矜恃が崩れていくのが怖かった。
「さあ、教えてくれよ騎士様」
「...っ」
レイジは俯いたローランの目の前まで来て、背の高いローランの下からその血の気の無い顔を覗き込んだ。
「何をしたんだい?」
「...っ」
「ちゃんと言ってくれなきゃ分からんよ」
「...」
「言いなよ」
「...っくぅ」
「言えよっ!!!」
突然声を張り上げたレイジに全員が肩を揺らした。
思わず顔を上げてしまったローランは怒りに染まるレイジの顔を見て腰砕けになって膝を床に突けポロポロと涙を流した。
「っ俺は...リティシア嬢の、細腕を力任せにっ掴んでっ...頭を床、に押さえ、付けたんだ...」
「騎士が!その馬鹿力でか弱い令嬢を床に押さえ付けたと言う訳だな!何故だ!彼女が抵抗してもあんたなら力任せにする事無く拘束する事は可能だった!何故だ!」
上から押さえ付ける様に顔を近付け威圧するレイジにローランの心が折れていくのが目に見える様だった。
「ぁあぁ...リリーナ様の邪魔になる...リティシア嬢が憎かった...から...愛していた...んだ...例え俺のモノにならなくても...護ると、決めた...んだ、リリーナ...いや、違う...リリーナじゃない...俺は、リティシア嬢を...愛していたのに、何故...何故だ...?」
頭を抱え己に問い掛けるローランの告白は爆弾だった。
彼は本当はアドニスの婚約者であったリティシアを愛していた。
許されぬ秘めた想いまで告白する羽目になったローランは完全に心が折れ騎士として終わっただろう。
父である騎士団長エザイル公爵はある意味才能豊かであった嫡男の最期を看取った様な気分だった。
「では結果としてはリティシア・バルムント元侯爵令嬢は冤罪。という事でよろしいですかな?」
わざと戯けて見せるレイジを恐ろしい別のナニカに感じていた。
知らぬ振りをしていた真実が次々と暴かれていく。
断罪はまだ終わらない。
レイジは呆けたままのアドニスに近付き耳元で囁いた。
「冤罪だったリティシア嬢は公開刑で鞭打ちの後、国外追放となりましたね。この国の法にそんな刑罰はあったのでしょうか」
ビクッと肩を揺らしたアドニスはレイジの言葉をブツブツと反芻した。
「あ、有り得ない...そんな刑は有り得ない...」
有り得ないと言いながら刑を決めたのはアドニスであった。
頭をカクカクと横に振って否定する。
「わ、我が国でそんな、刑罰は無い...リティは侯爵令嬢だ...。高位貴族の令嬢を公開で鞭打つなど...有り得ない...。
ましてや、民衆に肌を晒し辱める、など...あってはいけない...。
人として...尊厳を、踏み躙る行為、だ...。
その、まま...国外追放?...有り、得ない...」
己の行為を振り返りみるみる血の気を失うアドニス。
レイジは追い打ちを耳打ちする。
「全て貴方が命じた事だ」
かつてアドニスは優秀な王子だった。
いや今も能力だけなら優秀である。
そんな男があろう事か無実の罪で愛していた筈の婚約者を鬼畜の所業と言える刑罰を以て断罪したのだ。
何故?
側近のティグアンもレオンもローランも優秀だった。
たった一人の少女への恋慕が全てを狂わせた。
「何故だ...私はリティを今も愛している...何故、私は...」
アドニスは頭を抱えて涙を零した。
リティシアへの愛情は本物だった。
なのに自分のせいで失ったのだ。
心臓を鷲掴みにされたかのような胸の痛みに耐え切れず両膝を突いて脳裏に思い出したくない光景を思い出してしまった。
柔肌を晒され、鞭打たれ、泣き叫び、冤罪であった罪を認め、
涙と血に濡れて震えながら謝罪し、意識を失ったリティシアの姿を。
―――――私がそうさせたのだ。
アドニスは「すまない」と力無く呟き崩れ落ちた。
頭を床に突け髪を掻き毟り何度も、何度も、「すまないリティ」とリティシアへの謝罪の言葉を壊れたおもちゃのように繰り返した。
そんなアドニスを虫けらを見る目で見下ろしたレイジは宰相ジーグ侯爵と騎士団長エザイル公爵、バルムント侯爵へと順に鋭い視線を向けた。
「魅了のせいだけじゃない。
貴方達の愚かさがこの事態を招いたのだ」
胡散臭い笑顔を捨てたレイジは英雄の二つ名の通り若い見た目以上の威圧感があった。
「聖女と名乗った少女をこの王宮にまんまと招き入れ、王太子のみならず自分の息子に近付く事も防げなかった貴方達は間抜けとしか言い様が無いな」
いくら歴戦の英雄とはいえ他国の人間にここまで言われれば宰相も黙っていられない。
「ニノミヤ殿、いくら貴方が英雄であろうとそれ以上踏み込むのは政治干渉となりかねませんぞ」
「あはは、左様ですか。貴方達が気付けなかった国を囲む呪いを何故俺が態々ここまで出向いて解呪したのか分かっていらっしゃらないようですね」
レイジは不敵な笑みを浮かべた。
「どういう意味...」
「復讐ですよ」
「復讐っ!?」
不穏な言葉と共にレイジは強烈な殺気を辺り一面に解き放つ。
歴戦の勇士である騎士団長エザイル公爵は咄嗟に腰の剣に手を掛けたがレイジの放つ殺気に全身が震え上がり柄を掴むことすら出来ず片膝を折った。
騎士団長ですらそうなったからには文官である宰相ジーグ侯爵と外交大臣バルムント侯爵は腰が抜けてしまった。
レイジの顔は憎しみで歪み鬼の形相で殺気を撒き散らし声を上げた。
「俺はリティシア嬢の最後を看取ったんだっ!
初めて会った時、その美しい魂に一目惚れして!
直ぐに娼館から救い出して!
将来を誓い合ったっ!
彼女はずっと俺と自分は見合わないと嘆いていた!
理由も聞けずに俺は彼女の心が癒されるのを待った!
俺がこの国との国境で湧いた魔物の討伐遠征に行く前に彼女は言ってくれたんだ!
俺が帰ったら過去の事も全て話して一緒になってくれると!
そんな時に彼女は暴漢に襲われ刺されたんだ!
彼女の治療をした時、彼女の魂に触れて過去の事を俺は知ってしまったんだ!
許せるかよ!
あんなに綺麗な魂を持った人を!
あんなに優しくて美しい人を!
あんたらは寄って集って一方的に傷付けたんだ!
魅了の呪いが王都全体に掛けられて気付きもせず!
小娘に振り回されて!
諸外国から敬遠されても気付けないクソ間抜けばかりなのに!
彼女はっ!
最後までこの国を嫌いになれずにいたんだ!
そんな彼女の思いも知らずにのうのうと生きてるあんたらに復讐するために俺は来たんだ!」
「あぁぁぁリティ...リティ...」
「うぅっすまない」
「あねう、えぇ...」
「うぐぅぅぅ」
既に心折れたアドニスと側近達は両手を着いて項垂れ顔面を濡らし、宰相達はレイジの殺気に大人気なくガタガタ震え上がった。
「私達は...どうすれば...」
唯一リティシア嬢の父であるバルムント侯爵がレイジに顔を向けた。
レイジはほんの少し殺気を緩めた。
「先ずはリティシア嬢の名誉回復の為に真実を国内外に伝えろ」
「も、勿論だっ」
バルムント侯爵は力強く頷き声を張った。
「自称聖女とかいう女の処罰は厳格にしろ。王太子妃だろうが関係無い。魅了の事実を明確にし然るべき処分をするんだ」
「それは...」
宰相ジーグ侯爵は返答を言い淀む。
王太子妃の処罰は王太子が王位を継ぐタイミングでもあり中々に難しい。
「出来ないのなら俺は個人的にその女を殺しこの城の門に晒してやるぞ。因みにうちの王からは俺の好きなようにして良いと言われているからお望みならあんたらと戦争したって良いんだ」
「なっ!」
「分かった。あの女はその罪を償わせる。死刑は決定だがどのような刑になるかは任せて頂けるだろうか」
「お、おい!」
バルムント侯爵はレイジの言い分を全て汲むつもりだった。
竜を殺せる英雄が居る国と敵対するなど自殺行為だ。
しかも彼の望みは決して出来ない事では無い。
寧ろもっと早くにやらねばならない事だったのだ。
「最後にリティシア嬢を最後まで心配してくれた王妃様に聖女の称号と墓参りの許可を頂きたい。彼女は多分聖女の資質を持っていたんだろう。だから魅了の呪いに抵抗出来ていた唯一まともな人だった」
「...そうか...分かった。どちらも問題無い」
悲痛な面持ちのバルムント侯爵の返答にレイジは気持ちを抑えるように唇を噛み締めてからゆっくりと口を開いた。
「あんたらは愚かにもリティシア嬢と王妃様と美しい魂を持った二人を殺したんだ。あんたらの罪は重い...」
「...そうだな」
レイジは冷めた目で見下ろしパチンと指を鳴らした。
「きゃぁぁあぁぁっ!グベェッ!!」
何も無い空中からドサリと太い鎖でグルグル巻きにされた自称聖女リリーナが落ちて来た。
「痛ぁいっ!何なのよぉ!」
ピンクの髪をした可愛らしい少女で誰からも愛されていた筈だが、彼女を見たアドニス達は嫌悪感しか生まれなかった。
何故ならばピンク色の髪色など気色悪く有り得ないし、庇護欲を掻き立てる可愛らしい顔には魔力封じの紋が大きく刻まれ、運動もせず好きな物を食べ酒を飲む生活でぶよぶよに太っていた。
アドニスを始めティグアンもレオンとローランもほんの数十分前まで聖女リリーナを好ましく思っていたのが嘘のようだ。
こんなのが好きだなんて言っていた自分を殴ってやりたいと本気で後悔した。
同時にこの女のためにリティシアを喪った事に怒りが沸き起こる。
「あ!アドニスさまぁ!ちょっとこれ解いてぇ」
アドニスを見つけたリリーナが甘い声で助けを求めた。
アドニスは吐き気を催した。
「ねェ〜ちょっとぉー!あ、ティグアンもいるじゃない!レオンでもいいわ!早く外してよぉ!ローラン!ねぇ!」
甘ったるい喋り方に全員嫌悪感しか抱けない。
一番我慢できなかったのはレイジだった。
レイジは容赦無くリリーナの股間を蹴り飛ばした。
リリーナは放物線を描きながら王座に頭から突き刺さりピクピクと痙攣して静かになった。
「...」
「...」
「...」
「...ついやっちまったけど多分生きてるから後はよろしく」
レイジは回れ右をして謁見の間の扉へ向かった。
扉から出る間際レイジは立ち止まった。
「あんたらが自分達の罪をどうするかは自分達で決めると良い」
そう言い残しレイジは立ち去った。
残された四人の若者達と三名の国の重鎮達は重苦しい空気のままその場から動けなかった。
バルムント侯爵は消し去りたいあの日の記憶を思い出して吐き出す様に零した。
「あの日...娘が鞭を打たれ、傷付き、泣き叫ぶ姿を見て......。
私達は笑っていたんだ...。無実の娘が...在らぬ罪を認め、謝罪する姿を見て...笑ったんだよ......。こんな残酷で醜悪な私達が、国の中枢に居座るなど...あってはいけない...いけないんだよ」
翌日、王家より三年前の事件の真相が誤魔化すこと無く明かされリティシア・バルムント侯爵令嬢は無実であった事と王家から謝罪の言葉が国内外に発表された。
自称聖女で王太子妃リリーナと王太子アドニスの離婚発表、公開でリリーナの裁判を行う事が同時に発表された。
宰相ジーグ侯爵、騎士団長エザイル公爵、外務大臣バルムント侯爵は役職を辞任しそれぞれ伯爵位へ降格した。
バルムント侯爵の妻ラーナはレイジに魅了を解かれたその夜、娘にした仕打ちに心が壊れ数ヶ月後自ら命を断ったという。
王太子アドニスは王太子の座を異母弟に譲り、王族から抜け平民となり規律の厳しい修道院に入った。
アドニスはいつまでも亡き元婚約者の冥福を祈り続け離婚後は独身を貫いた。
ティグアン、レオン、ローランは廃嫡され平民となった。
ティグアンは酒に溺れ酔っ払いの喧嘩に巻き込まれ呆気なくこの世を去った。
レオンは平民になり切れず生活苦から借金を重ね奴隷に身を落とした。
ローランは傭兵となって隣国に渡り利き腕を失いその後消息を絶った。
病で伏せていた国王は真実を知りショックのあまりその場で心臓発作を起こして亡くなった。
後の世まで無能の小心王として名を残す事となった。
そして聖女リリーナは魅了の呪いを否定し無実であったリティシア・バルムント侯爵令嬢に対しても「私は悪くないわ」と一切謝罪の声は無かった。
リリーナは聖女の認定を取り消され国民だけでなく王族をも騙した稀代の魔女として公開での処刑が決まる。
見物に集まった民衆の前でも「私はこの世界のヒロインなのよ!」「私を助けなさいよ!」と傲慢に喚くその姿を見た人々はあの様な女を聖女として崇めさせた魅了という呪いの力に恐ろしさと怒りを覚えた。
罵声を浴びせられ怒号が飛び交う中リリーナは両手足の骨を鉄の棒で砕かれると泣き叫び火刑台に縛られた。
死なさぬ様に弱い炎でじわじわと肌を炙り肉を焼き悪臭を漂わせると泣き喚くリリーナはついに魅了を認め全て謝罪をした。
罪を認めた事で死ぬ事が許され魔法の炎が追加されると炎は業火となって燃え上がりリリーナは焼き尽くされ灰も残さずこの世界から消え去った。
たった一人の少女が巻き起こしたこの事件は世界中で話題となり、この事件を元にした舞台や小説が飛ぶように売れた。
そして事件の被害者である悲劇の少女リティシア・バルムント侯爵令嬢と死後聖女とされた王妃マリアリス・ラ・ルミティスの墓にはその冥福をお祈りする者が多く訪れ花が絶えることがなかった。
レイジ・ニノミヤは日本からこの世界に来た転移者だ。
転移する時この世界の神から様々なチート能力を授かり若気の至りで魔物を狩りまくって色んな二つ名を持っている。
今はだいぶ落ち着いて大国イグシオン王国の国王と偶然にも親友となり相談役兼筆頭宮廷魔導士をしている。
この日レイジは魔竜退治の任を終えて三日振りに自宅へと帰って来た。
「シア、ただいまー」
「お帰りなさいレイジ」
出迎えたのは新妻のシア。
彼女は輝く白金の髪とオニキスの瞳を持ち美しい容姿をしていた。
かつてリティシア・バルムント侯爵令嬢だった女性だ。
レイジはシアを優しく抱き寄せ薔薇色の唇にキスを落とした。
「愛しいシア、俺達の宝物は元気かな」
「レイジに似てとても元気よ。今日もお腹を蹴ったわ」
シアのお腹はふっくらと膨らみ傍目からも妊娠しているのが分かる。
愛おしそうにお腹をさするシアの表情は幸せそのものだ。
レイジはその手の上に自分の手を重ねお腹の中の赤ちゃんに話し掛けた。
「おーい。早く生まれてきておくれー。パパもママも君に早く会いたいよー」
生まれる前から溺愛しそうなレイジにシアは目を細めて幸せそうに微笑んだ。
「ねえ、私とても幸せよ。過去の記憶が無くてもレイジとこの子が居る未来が楽しみで仕方ないの。こんなにも幸せで良いのかしら」
「何言ってるんだ。これからシアをもっともっと幸せにするつもりなんだから心配なんていらないさ」
優しくシアを抱き寄せレイジは何度もキスを落とした。
レイジの胸に顔を埋めたシアはその背中へ腕を回してギュっと力を込めた。
シアはリティシアと呼ばれていた時の記憶を失っている。
ある日暴漢に襲われ心臓を刺されてリティシア・バルムント侯爵令嬢はレイジの事を想いながらその短い生涯を閉じた。
レイジが駆け付け暴漢を八つ裂きした時、リティシアの魂は身体から離れ息を引き取っていた。
しかしチートなレイジはこの世界には存在しない蘇生魔法を強引に創り出しリティシアの魂を呼び戻し生き返らせたのだ。
その後遺症なのか、リティシアは過去の記憶を全て失いレイジに対するほのかな想いだけが残っていた。
だがレイジはその時【真実の瞳】でリティシアの魂から過去の記憶を知ってしまった。
レイジは思った。
過去の辛い記憶など忘れてしまっても良い。
自分の過去が分からないのは寂しくて悲しい事もあるかもしれない。
ならばそれ以上にリティシアを幸せにしてみせると心に決めた。
ただそれでもリティシアを苦しめた罪は許せない。
必ず晴らしてみせるとレイジは誓った。
それからレイジはリティシア改めシアを身体の細部に至る古傷すら完璧に治療した。
辛い過去に触れる全てを排除するために。
そうして生活を共にしながら再び愛を育み結婚したのだ。
シアは過去を失った事は少し寂しいと感じていたが、レイジと共に紡ぐ未来は幸せに満ち溢れていると確信があった。
愛するレイジと子供と共に歩む未来は失った過去よりも素晴らしいものだろう。
「愛しているわレイジ。私は今本当に幸せよ」
最後までお読みいただきありがとうございます♪
現在作者は入院中のため連載作品の更新が出来ないので過去に書き溜めた作品を放出してみました。
こちらは半年くらい前にざまぁが書きたくて勢いで書いたので適当な部分が多々あるかと思います。
感想のお返事は直ぐには出来ませんが必ず読ませていただきます。
9/17
誤字報告ありがとうございました。
また、ジャンル別日間1位となって作者はびっくりして大声をだしてしまい看護師さんに叱られてしまいましたが、それ以上にめちゃくちゃ嬉しいと同時にこんなにもたくさん評価していただいた事に感謝しております。
感想もたくさんいただきご指摘などもとてもありがたく思いました。
調子が良い時に作品のご指摘いただいた部分や疑問点を改善出来ればと思っております。
この作品をお読みいただいた皆様に改めて心より感謝申し上げます。