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遊び木のリトマス紙 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ぷは〜、生き返るう! 喉が渇くと、本当になんでもおいしいですな。できればキンキンに冷えたもの、といいたいが、最近ちょっと冷たいだけでも頭が痛くなるんだよ。噂の「アイスクリーム頭痛」って奴か? 俺の場合だとどうも過敏に反応しちまうらしくてな。水道水くらいの生ぬるさがちょうどいい。

 お前も聞いたことがあると思うが、日本の浄水設備というのは、世界でも屈指のクオリティの高さらしい。同じアジアの中でも、水道水がそのまま飲める国は日本だけだとも。

 ただでさえ水に囲まれた島国なんだ。ある意味で水の加護を受けやすかったからこそ、感覚も鋭く研ぎ澄まされることが可能だったのかも知れん。だからかなあ、俺の育った場所ではちょっと変わった風習と言い伝えが残っているんだ。

 まだ休憩時間はあるだろ? ちょっと退屈しのぎだと思って、聞いてみないか?


 俺の地元は山間やまあいにある小さな村だった。はっきし言うと過疎化が進んでいる「準限界集落」らしい。確かにジジババの数は多かったが、現役で働く人も大勢いたから、外からの評価を受けるまで、俺はまったく自覚がなかったんだけどな。

 そんな俺の村にある、ひとつの風習。それは水に関することだった。

 今でこそ水道の普及率は全国で9割を占めるようになっているが、親父ががきんちょだった数十年前には、まだあの村に水道は通っていなかったらしい。そのため、昔ながらの井戸水に頼っていたようだ。

 ご多分に漏れず、農作業用水確保としての浅井戸水と、飲料水として使えるほどの深井戸水の二種類が扱われていた。山で雨が降ると、雨水が入らないよう井戸にふたをした上で、各家庭のくみ置きされている水たちに、ある試験めいたことが行われる。


 その試験に使われる道具を、親父は「リトマス紙」と呼んでいた。学校の授業で扱う赤と青のふせんのような形状をした試験紙に、そっくりの色と形をしていたからだ。

 だが祖父母に尋ねると、違うという。この紙にしみこませているのはリトマスではなく、この山に生えている、「遊び木」という木の樹脂らしい。

「遊び木」とは、特定の樹木を指す呼び名ではないという。昨年の間、山野の中で雨を浴び続けた樹木のうち、最も遅くに葉っぱが落ちたもののことを指す。その木は山の神様に気に入られた、その年における選ばれしものという扱いだ。

 俺の地元において樹木の葉っぱというのは、そのひとつひとつが山の神様にとっての遊び場なんだそうだ。彼らは天気のいい日は、葉っぱの上でのんびりと日なたぼっこをし、雨の日になるとそれを喜ぶかのように、葉脈の上を跳ね回るのだという。

 雨上がりの時に、葉っぱの上に水滴が残っていたりすると「山神様の落とし物」として、竹筒に入れて持ち歩くこともしていた。その水がすっかり乾いてしまうまでの間、持ち主を厄災から遠ざける力を持つ、と一種のお守りのような形で伝わっていたようだ。

 

「遊び木」の樹脂に浸した紙は、やがて鮮やかな青色に染まる。他の木で同じことをしたところで、同じような色にはならない。この不思議な現象こそ、「遊び木」の実在を裏付けるものでもあるんだが、まだ続きがある。

 その浸した紙を、リトマス試験紙と同じような短冊の形に切り、束にして各家庭に配る。そして雨の日になると、理科の実験をする時のように、くみ置きした水をリトマス紙に垂らすんだ。

 少し時間を置き、ただ湿るだけだったなら問題がないんだが、もしも赤色になる場合はそのくみ置きの水は、一切使ってはいけない。なぜなら今、その水は山の神様の遊び場になっているから、存分に遊ばせておくべきである、といわれている。

 そのため、俺たちの地元では他村から常に非常用の水を買い入れるなどして、山神様が飽きて去るのを待つ必要があるんだ。

 たいていの場合は、雨があがると同時に姿を消すらしいんだけど、人がそれを確かめる手段は件のリトマス試験紙しかないんだ。あれが反応を示さなくなるのを、その目で見るまで、くみ置きの水を使ってはいけない。

 それを破ったケースはどうなるのか……まことしやかにささやかれている、一つの話がある。

 

 とても暑い夏の日。

 台風一過の晴天で、太陽の下にいる者たちはひとしくその身を、じりじりと焦がされた。外で遊んでいた子供たちの中にも体調を崩して、家で休まざるを得ない子も出てくる。

 そのうち、子供と母親しかいないある家で、温度変化のせいか、はたまた経年劣化のせいか、非常用に蓄えていた水のかめが、とつじょ割れるという事件が起きた。折しも子供が「水が飲みたい」と希望した矢先のことで、居合わせた母親は不吉なものを感じざるを得なかったという。

 子供にじっとしているように言いつけて、村の端の深井戸まで急ぎ足で向かう。けれども数十メートルという深さから桶いっぱいの水をくみ上げ、家に戻った時にはすでに、我が子の姿はなかったという。

 土間に置かれた、くみ置きの水瓶。そのふたがわずかにずれて、ふちが湿っており、木のひしゃくがそのそばの床に転がっている。そして、ひしゃくの脇には底さえ見えない深い穴が開いていた。ちょうど人ひとりがすっぽり入ってしまうほどの。

 集まって来た村人によって穴の深さが調べられたところ、村の井戸以上に深いところまで穴が伸びていることが分かった。母親の必死の頼みもあって、村を取り巻くあらゆる水の出所が調べられたが、とうとう子供が見つかることはなかったという。

 ただ、それから十数年の間。浅井戸と深井戸のどちらからも、かすかに血や脂に臭いが混じることがあったとか。


 今や水道が行き届き、井戸水に頼る機会は以前よりもぐっと減った。けれども、件のリトマス紙に関しては、現代でも扱う人がひっそりと残っているんだ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] そうゆう風習があったんですね。 知らなかったです。 それにしても、穴に落ちて、地下水脈を流れていく子供、 もし、自分だったらと考えるだけで、怖い…… (# ; o ; #)
[良い点] 「遊び木」の選ばれ方や風習も含めて、とても興味を惹かれました。 「遊び場」や「山神様の落し物」といった童話の世界のようなほんわかした雰囲気を漂わせていたので、そのぶん余計に最後ゾクリとさせ…
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