青春的恋愛事情 Ⅲ
おわりの見えないはじまり
大舞台を前にした高校球児の話。
甲子園球場
ここに自分が立っているなんて、あの頃は考えもしなかった。
あの日はもうすぐ来る冬を感じされる冷たい風が吹いていた。
一緒に帰ろうと俺を呼び止めた藤園凛子は寒そうに手をこすり合わせながら、後ろをついて歩いていた。
家が近所で、小さい頃は一緒に帰り道を歩いていたが、中学生になると流石にそうはいかなくなり、呼び方も名前で呼んでいたのが、いつの頃からかお互いを苗字で呼ぶようになっていた。
「甲斐野君は、高校は野球の強い学校に行くの?」
「いや。地元の高校に行くし、たぶんもう野球はしない。」
「どうして?甲子園に行きたいって言ってたじゃん!」
「それは昔の話。俺には甲子園なんて夢のまた夢だよ。」
「どうして…」
「あのなぁ、」
後ろを歩いていた気配が止まったので、振り向いて、そして驚いた。
「お前、なんで泣いて…」
「あそこに立つ資格と力があるのに…私がいくら欲しても手に入れられないものを圭ちゃんは持ってるのに、どうして…」
そう言って走って行ってしまった。
凛子と俺は幼馴染でもあり少年野球チームの仲間でもあった。俺がショートで、あいつがセカンド。
小さい頃から一緒に育ってきたからか、妙に息が合った。でもそれは小学校までの話。
「え、私もう野球出来ないの?」
中学校の野球部に女子は入部出来ない。それを初めて知ったときのあいつの顔は今でも覚えている。
うちの中学校にはソフトボール部も無いため、陸上部という野球とは縁遠い部活に入ったと聞いたので、てっきりもう野球なんて忘れたのかと思っていた。
しかし、俺の横を走り去ったときに見た顔は、昔野球が出来ないと知って涙を流していた顔と全く同じだった。
あれからあいつの泣いた顔は1度も見ていない。
「圭ちゃん、こんなところでどうしたの?」
高校生になった今、こうして時々昔の呼び名で俺を呼ぶ。
「おい、やめろよ、それ。」
「良いじゃない、誰も居ないんだし。」
そう言って隣に腰掛ける。
中3の秋になって志望校を変えるのも、いざ高校に入学して強豪と名高い野球部でレギュラーを獲るのも、決して簡単ではなかった。それでもなんとかここまでたどり着いた。
驚いたことに、この幼馴染も同じ高校に入学し、野球部のマネージャーをしている。
聞けばもともと俺が進路を変える前からこの学校に入ってマネージャーをするつもりだったらしい。
「ねぇ、圭ちゃん。」
「なんだよ、」
「ありがとう。」
突然どうしたのかと驚いて横を見ると、日焼けした顔は昔と全然変わらないが、短かった髪は肩まで伸びて、すっかり女らしくなった顔でこちらを見て笑う幼馴染。
見慣れているとは言え、ドキリとするものがある。
「ただありがとうって言いたくなったの。」
「俺も今言っとく。ありがとな、凛子。」
「圭ちゃん…」
高校に入って、野球部に入部して、心底自分は野球が好きなんだと知った。そして野球がこんなにも楽しいものでワクワクするものだと知った。もちろん楽しいことばかりではなかったが、それに勝るものを得ることが出来たと思っている。全てはあの時の言葉のおかげだ。
「もうすぐ試合はじまるね。」
「ああ」
「勝てるかな?」
「さぁな。」
「そこはちょっと頼もしいこと言っても良いんじゃない。」
「いつも通りやることをやるだけだ。」
茶化す凛子の声に涙が混じっていたのには知らないふりをして、先に控え室を出た。
ベンチに戻るとチームメイトたちが準備万端の様子で、試合開始を待っていた。
もうすぐはじまる。
俺たちの夏がはじまる。
夏の開幕を告げる音。
そのエンディングは誰にも分からない。
青春的のⅡとⅢは繋がりはありませんが、どちらも高校野球の話。
詳細は二つまとめて活動報告にて候ふ。