黒い魔女と緑の魔王と赤い痴女
時は一週間前、ナナオ達が遠征を行った最の時間に巻き戻る。
「ハイディ、お茶頂戴」
着古したローブの中に着込んだ水晶交じりの鎧の男がつまらなさそうに落下していく礼拝堂の鐘を見つめる。
「はい、タルヴォ様」
その言葉を待ってましたとばかりにティーセットを取り出し、鼻歌交じりで魔術で水を作り湯を沸かすハーブティーを用意する少女。
長い銀髪に、非常に……非常に豊満な胸の、表情にどこか影のあるその少女は、体のラインをむっちりと映し出すピッチリしたローブにより非常に引き立てられている。
町中を歩けば、容姿との相乗効果で2人に1人は振り返る事であろう。
彼女の名はハイディ、美しさと巨乳とは裏腹に古き神に名を連ねる始まりの魔如の一人である。
そして不遜にも神に茶を要求した男の名は『人魔王タルヴォ』
かの魔都フーリエの事実上の統治者であり、現最強の魔王。
性格は温厚だが人の善悪を楽しみ慈しむ……ぶっちゃけ狂人である。
話は逸れるがタルヴォが着ている鎧、龍狩りの国家予算30回近く使い切ってようやく購入できるレベルの品であり、神の手で作られた神器に匹敵する疑似神器とまで謳われた一品物だったりする。
しかしながら、彼の領土では疑似神器レベルの装備は珍しくなく本物の神器ですら店売りされている。
流石元魔族の領土というべきか、でも神の啓示物売るってどうなのよと思わないでもない。
「ナナオちゃん所やっぱ強いなー、あそこまでアッサリ殺せる手腕は見事見事」
「ええ、しかも一般兵であの練度、中々です」
二人でコクコクと頷く。
気の抜けたそれは強者の余裕であろうか?
「ま、今は敵じゃなくてお客様だ、そろそろ私兵返すみたいだから蜘蛛呼んでおいておくれ。今回の依頼は兵の護送かつ往復の道のりだからね?」
ゆっくりと立ち上がりながらタルヴォが魔如に言い聞かせ、胸から取り出した水晶飾りの小瓶を開ける。
その中から指先程の小さな小さな蜘蛛が入っており、恐る恐るといった様子で魔王の手の平に収まった。
「承知しました、タルヴォ様は何処へ?」
クスリと意味深な笑みを浮かべると掌の蜘蛛に刻み魔術を施す。
すると指先程の小さな小さな蜘蛛はあっと言う間に5m程のサイズに変貌した。
刻み魔術は唯一あらゆる障壁や呪詛の制限を受けない『祝福』だ。
それは遥か彼方、古き神すら忘れた『何か』による力である。
「少しばかり火事場泥棒をしてくるよ、面白い事が始まる予感がするからね」
ハイディが少しばかり眉を顰める。
「よろしいので?場合によっては攻め入らせる口実を与える事になるやも……」
「ハイディ?」
魔王が魔如に挙動無く近寄ると、軽くその唇に指を添える。
「負けると思うか?」
少し驚いた顔をした後クスリと魔如が微笑む。
そうだ、今目の前に居るのは魔を統べる我らが王なのだ。
「……守りにおいて我らは最強、たとえ3強一手に相手取ろうと500年は守り通せます」
「負けやしないのさ、犠牲も出るだろう、金も使うだろう、だが……今ついて来ている奴等は全員それを許容してる」
そっと、足場の悪いチャペルの屋根で魔如が跪いた。
「王よ、お早いお帰りを」
「此方はパッケージを回収した後大将を迎えに行く」
「大将は争い以外で呼ぶなと言っておりましたが……戦争でも起きるのですか?」
魔王の慧眼は何処までも広い。
少なくとも現状戦争という戦争が起こりうる可能性は此処を除き無いのだが……あるいは、その目には魔如の見えない何かがあるのだろうか?
「少々世が乱れ、面白い物が見れるぞォ……争いか何かは分からんが……だが……アレが居ないと拗ねるような面白い事が起きる、それは間違いないな」
ニチャリとした笑顔を浮かべる、まるで生娘を見た悪代官のような、
生贄を見つめる悪魔のような、そんな笑顔に似合いの魔に染まった瞳が赤く揺れる。
「では、行って来る、後は万事任せたぞ」
そう、言うが早いか遅いか蜘蛛に飛び乗り、魔王は疾駆する。
風の如くという言葉があるが、事実今の彼は風であろう。
体に感じる時速300kmオーバーの世界を駆け抜けていくその男は、
いつものように薄ら笑いを浮かべた狂った男の顔ではなく、
言い様の無い無念を浮かべた顔だった。
「マルコ、城壁に穴を開けるから横付けしてくれぃ」
その言葉に大蜘蛛はキィと声を上げ、大きく3度の飛翔で、
遥か遠くに見えていた城の壁に重量を感じさせぬ軽やかさで張り付いた。
「いい子だ!」
腰に添えた空っぽの鞘に手を当てると、僅かな発光と共に小さな短刀が手のひらに収まる。
この鞘は魔法具の一つで、自らの所有する装備から現在もっとも必要な装備を割り出し、召喚するという魔法具である。
今回引っ張って来たのは、穿ちの短刀、文字通り穿つ事に特化した短刀であり…
「フッ!!」
カツンと、乾いた音が連続で響くと同時に刃を円形状に動かすと、分厚い城壁にぽっかりと大穴が開いた。
短刀の効果は突いた相手を貫通する魔力の細い針を作り出し、貫通しきってから対象の後方6mまで魔力の刃を伸ばすという妙な制限の付いた魔装具である。
使用者曰く、無意味に扱いづらいらしい。
せいぜいマインゴーシュ代わりに使えるぐらいだが、強度的に普通のマインゴーシュを使った方が良いとの事。
「マルコ、しばらく上で待機、野暮用と火事場泥棒してくる」
そう蜘蛛に言い聞かせると城内へとその身を踊らせた。
同時に、それを見送った蜘蛛がキィと声を上げながら垂直に壁を駆け上がっていく。
5mもあろう巨体が壁をスイスイと上がっていく様は、なかなか筆舌に尽くし難い物があった。
「っと、念の為確認しとくか」
胸の前で軽くクロスを描くと小さな炎が指先に灯る。
やがて火は小さな地図を描き、2つの大きな反応を捉えた。
「ふむ……魔力の高まりが2つ、デカ過ぎる1つはアイツで確定で……
もう一つは複数魔術行使による召喚陣か?」
ブツブツと呟きながらシルドが再度空の鞘を軽く叩くと、今度は大振りの鎌がその顔をのぞかせた。
短刀と同じく魔装具であろうその禍々しい雰囲気は隠して隠せる物でもない。
鎧の厳つさと合わせて魔王っぽささらにドンである。
「貴様!何者だ!」
壁を切り崩した際の音で気づかれたのだろうか?
数人の衛兵が異変に気づきシルドを取り囲む。
もっとも、その行為に一切の意味は無いのだが。
「ふむ、12人か、少ないな?即席共が暴走する可能性を考えなかったのか?」
威風堂々と、兵達を歯牙にも掛けぬ風に歩み問いかける。
まさに王たる歩みと言っていいだろう。
「止まれ!貴様……は……」
ゾクリと、世界の気配が変わると同時に全員が息を飲む。
目の前の男が何者かは理解できないが、理外に居るのだという事は理解できたのだろう。
「お前ら小国が即席英雄の召喚方法なんざ知れる筈ねェんだよなァ?何処から知識引っ張りだしたか答えりゃ命助けるだけとは言わねェ、今後の人生遊んで暮らせるだけの金ぐらいくれてやるらァな?」
シルドの口調が変わり、同時に瞳の色彩がより濃い魔の赤に変わる。
「……だ、誰が」
声を上げた瞬間だった、目に辛うじて映るか映らぬかの一閃。
兵もかなりのやり手なのだろう、避けようと体を逸らすも圧倒的に速度が足りぬが故の……
「真っ二つだ、ほれ、死ぬか金か選べ?」
言い終わると同時に縦に裂けた元人間の肉塊君が血しぶきも上げずドサリと音を立てて崩れた。
兵達に戦慄が走る、その剣戟の鋭さでもなく、男の異様さでもなく、切られた男が音にならぬ声をあげながら、即死せずに何秒ものたうち回る様にだ。
「ああ、言い忘れてたがこの鎌で切られたら治らず死ねず痛みだけが永遠に繰り返される、っとォ……忘れてたのは不公平だよなァ?ほれ、一度直してやる」
そう言い放ちパキンと鎌の刃をへし折ると、真っ二つの肉塊君が再度人間へ転生した。
「あ、ああ……!?ああああああああっっっ!!」
続いて走る恐慌、恐怖は伝達し、その波を広げ、あっという間に12人が逃げ出そうとする。
「いや、だから答えろってのォ!!」
魔王が魔術の行使を行う、とは言っても攻撃を目的とした魔術では無い。
短剣の先端に球体状の小型の魔力球体を生じさせるだけの簡単な魔術。
されどソレを刃に触れさせる事に意味がある。
短刀が薄く光り、球体を貫通、本命である6mの重量の無い悍ましい切れ味の魔力刃が現れた。
初動は遅く、振り抜きは目に見えぬ挙動でその刃を振るうと、
逃げ惑う兵達の足をまるで紙でも引き裂くかのように切断して見せる、
「あっガァァァァ!!」
ドチャリと、血にまみれた兵達が崩れるのを確認すると、
威圧感を込めてゆっくりと、ゆっくりと歩み寄る魔王。
歩む姿は先程の威風堂々とした空気ではなく、ゆるやかに、されど確実に処刑を執行する断罪者の歩みだ。
だが、その歩みは同じく緩やかな歩みの少女にて止められた。
「……やっぱりお前か、ルーフス」
鎌を一度クルリと回すと先程へし折った刃が巻き戻されたかのように再生した。
これからの戦闘に備えての準備だ。
目の前に立つ何処からどう見てもお姫様と言わんばかりの少女、シルドはその存在に最大限の注意を払う。
それを知ってか知らずか……長いブロンドの髪に整った顔立ち、やや痩せ形の小柄な体系。
少女趣味の人ならばかなり喜びそうな少女が兵達を守るように立ちふさがった。
「姫様!お逃げください!!」
兵が我に帰り叫ぶ。
彼女こそが自分達が守らねばならぬ対象なのだと、失った足で立ち上がろうとする。
「いいえ、逃げませんよ?そして貴方達も救います」
「ひ、姫様……」
その言葉に思わず涙する兵達……しかし、その感動的シーンは一瞬で切り崩された。
「ルーフスゥゥ!!茶番は良いイイィィ!!さっさとその薄ら寒い皮脱げアアアァァ!!」
今度こそ、目に留まらぬ一閃が放たれる。
移動も回避も許されず、その一撃で真っ二つになる少女。
だが、真っ二つになったのはその表面にある姫の『皮』だけであった。
「クスクス、義兄様は相変わらずイライラするとすぐ我を忘れますね?」
ぐしゃ、と、生々しい音を立て、今まで姫を象っていた少女の姿が崩れ落ちる。
それが何を示しているのか、兵達は未だ理解できていなかった。
かつて姫であった物から生まれ出たのは……赤い、赤い少女だった。
その瞳と髪は魔の色で赤く染まり、小悪魔のような不敵な笑みが映える少女。
その少女の顔は、まるで魔如ハイディを鏡に写したかのような顔であった。
「何時から入れ替わったァ!?理由はァ!?」
シルドが吼える。
「4ヶ月前従者の皮をもらった後、お姫様に近寄って皮を頂きました。中身の処理に困ったので兵に料理として振る舞ったのですが、中々皆様喜んでくれましたよ?」
目に映らぬ2回目の鎌撃が走るも、その刃は少女の影より生まれ出た純白の鎧に阻まれる。
しかし、シルドはそれを気に止める様子もなくただ、ただ吼える。
「俺は理由を問うた!過程や工程などどうでも良いのだ!!」
「あン……せっかちな義兄様、私は義兄様の為を思っての事なのに酷い。
あのクソ姉が動かないから、義兄様が知ってて動かないから……だから私が動いているのに」
「お前の行為はソレに油を注いでるッてんだよォ!」
短刀を自らの鞘に叩きつけ、新たな武器をその手に握る。
手に収まったのはショーテル…………なのだろうか?そう呼ぶ事も微妙な装備が収まっていた。
湾曲部はあるものの、曲部の終わりにはトゲのような刃が取り付けられ、
さらにトゲとは別に、持ち手と直角になるように長い刃があった。
サイズとしては大剣に匹敵するだろうが、まともに大剣として使うのは強度的にも重量的にも難しいであろう装備だ。
脆さを補強する為に大型化してはいるものの、重量のある鈍器や大剣相手に打ち合える物でもない、
お世辞にも使いやすいとは言えないだろう、というよりもはやオブジェを武器として使ってると言っても過言ではないその造形……多分普通に大剣使ったほうが良い。
「義兄様……確かに短期的に見れば私はただイタズラに世界を乱しているように見えますが、もっと長期的に見て下さい」
言葉に答えず刃を振るう魔王、されどどの一撃は再び白き鎧に弾かれる。
「私を見て下さい……あんな姉よりもずっと貴方を思っていますし、世界の事をずっとずっと愛しています……だから待って下さい」
言葉を無視し、寄り添うかのような距離でそのオブジェの剣を振る魔王。
その攻撃を鎧が受けようと動く、しかしその行為は致命的だった。
白い鎧の兜が跳ね飛ばされる、シルドが曲部で相手の刃を受け、
そのまま相手の剣を起点にテコのように刃を振るったからだ。
シルドが振るったオブジェ剣は先端部が重く調整されている、
相手は曲部を打ち据えればそのままトゲの部位、
あるいは先端に伸びた直剣部位に動脈を切断される仕組みだ。
故に、守るとなると先端に近い部分を受けなければならないのだが、
先端部が重く調整されている点と長いその剣の先端を受ける為に防御は上段になり、中段と下段がおろそかになる。
そしてシルドはその好機を逃すような男でもない、瞬時に別の武器で腹部を裂かれる事だろう。
仮に追撃が来ないとしても、上にある直剣部位を受ければ今度はかなりの衝撃になる。タタラを踏ませて次の攻撃を抑制する為だ。
その重量の乗った一撃で、一瞬でも足を止めれば一歩踏み込まれた後、
曲部にその刃を吸い込まれ首を跳ねられる。
受け流しも同様だ、一歩そのまま踏み込まれれば首が落ちる。
相手が取るべき行為は3つ、打ち合わない事、回避する事、距離を取る事。
しかしながら今回の場合守るべき赤がいる為それも難しく、シルドもそれを理解した上で剣を振るったのだ。
「クソ姉じゃなくておねえちゃんだろうがァァ!!」
素早く二撃目を加えるシルド、されど赤の少女は動かない。
動かぬ少女とは相対的に少女の代わりに影がゆらめき、今度は異形の手がその刃と対峙した。
目線でその異形を確認する魔王、動じた様子もなく的確な処理を行う。
『火よ、導を焼け』
古き言葉で即座に原始の魔術を行使するシルド、この剣は対人戦を前提として構築されている。
即ち装備相性の不利を察しての行動だ。
既に次の一撃に入る為に全力で振るった剣の速度は殺せない、故にそのまま振り切るのは選択肢の一つであろう。
されど相性は最悪……で、あるならば他の要因で威力を増しその一撃を凌ぐ他無いと考えた。
一つ一つアドバンテージを重ねて強敵を破る戦い、
それは針を積み重ねるかのような所業ではあるがシルドはそれを是としている。
焼かれる異形の手、動かぬ赤、攻める魔王。
全てが能動的に動く中、魔王の頭にふと一つの疑念が生じる。
(……何故動かない?)
一つの疑念はその刹那的な時間の中、奔流の如く頭をめぐり、その男を一つの行動に刈りたてさせた。
その刃から手を離す魔王。
同時に魔装具である鞘の効果でこつ然と刃が消失した
この鞘により呼びだされた装備は、敵に武器が奪われると判断した際に、その装備を元あった場所へと転送する能力を持ち合わせている。
いざ、その刃をつかもうと動いていた異形が空振りする。
一瞬の判断だ、異形の手の動きの先読み、少女の殺意の無さ、動かない理由、それらから導き出された仮設を元に魔王は動く。
拳を握りしめ、少女の顔面に目掛け拳を飛来……させるフェイントの後、魔如の小脇を全力で駆け抜けた。
「……へ……あっ!?」
一瞬あっけに取られるも即座に魔王の意図を掴む少女は魔王を追いかけようとする。
と、同時に魔王がわずかに微笑むのが見えた。
(カマかけられた?!)
少女の動揺がより大きい物になる、魔王に完全にしてやられた。
露骨すぎる挑発が祟ったのだろうか?いや、それよりも今はあの魔王の足止めが先決だと判断する魔如、その顔に浮かんでいたのは焦りの混じった僅かな笑みだった。




