支倉宗一という男 3
魔王軍入隊試験についての簡単な解説説明
長い長い試験場の建物の廊下を時折人に尋ねるようにして進んでいくと、そこにはつい先ほど彼女に含み笑いをして去って行った狐金の姿があった。
からからと笑い談笑しているのは、おそらく部屋で安静にしているハセクラ・ソウイチなのだろう。
歩きなれない建物の中を何とか攻略し、彼女の姿を見つけるとレインズはおずおずと直線距離を歩く。
窓越しには未だに試合の終了していない受験生もいるようで、各々が殺気立ちながら気を紛らわしている。
宗一とレインズの二人はあれが第三試験の最終試合であるので、これ以降の試験科目の予定はない。
筆記やら実技やらとそれなりに忙しい日程ではあったが、充実していたのは確かだ。
「おや?」
どう切り出すべきか、顔を合わせるべきかを歩きながら悩んでいると、狐金が彼女に気付いたみたいで手招きをしてきた。
「狐金試験官…?お客さんですか?」
「ん?まあの」
宗一の声が部屋から薄くではあるが聞き取れ、彼はまだ何も知らされていないことが分かる。
手招きをされたおりに軽くお辞儀をすると、とうとう個室の前まで来ていた。
「君は…先の試合の」
「はは…一応見舞いに」
いざとなると言葉が見つからず、苦笑いでの二度目の顔合わせになった。
そこでようやく彼はぶらんとだらしなく下がった左腕を見せた。
「これは…気にすることじゃない。あの時そうすることしかできなかった。だからこうなることを覚悟でやった…素直に君を称賛こそすれ、君に非はない」
くるくると包帯のまかれた左腕の調子を確かめながら笑いかけると、彼女はほっと一息ついた。
先ほどの弓術は威力が高すぎたのではないかと内心不安になっていたのだ。
本気でやらなければ展開をひっくり返されるという危惧もあり、確実に相手を仕留める思いでの一撃である。
試合場に張られた結界が破れそうになるくらいの威力、下手したら死に至らしめていたかもしれない。
「それに、受け流すことには成功したから…たぶん次は普通にやれると思う」
「…なんだか複雑な気分だよ、持ち上げてから落とされるのは」
独特な宗一のペースに翻弄されながらも狐金の方を見ると彼女は既に姿を消しており、その場に紙切れ一つが置いてある。
―――試験官としての仕事があるから席を外すの。
短くそう書かれたメモ書きを丸めて捨てると宗一の視線に気づく。
まるで自分の頭に注がれている視線に彼女は気づくと宗一が尋ねてきた。
「そういえば君はエルフ…でいいのかな」
「うん。私はエルフ。”深緑の森”から見聞を広めるために外界でと出てきたんだ。世界を結構な時間渡り歩いたつもりだけど、それでもまだ得るものが多すぎて退屈はしないかな」
「旅人なのか?ならこの試験は受けない方が良かったんじゃないか?」
「いや、私の使命がちょうどこの環境と利点が一致するんだ。だからこうして第一試験からきたんだ」
彼女が同族から帯びている使命など知りもしない宗一はそうかとうなずいた。
この時宗一は大して関心などなかったため深くは話に切り込まなかった。それがレインズにとって救いであり、二人はその後ゆったりとした時間を過ごすと、彼女は宿を取って参加しているようで、そのまま帰路へとついた。
彼女が去った後、宗一は一人ベットに横たわりながら試合に思いを馳せる。
自らチャンスを作り出す独創的な戦い方に、器用な試合運び…強力なまさに”必殺”ともいえる技術…。
これは今の宗一には今一つなもので、レインズとの試合は非常に良い経験値となって彼の意識の向上に一役買った。
「今度対戦する、相手として対峙する時は今回みたいな結果ではなく、絶対に今の死角を克服して、試合にも、勝負にも…勝つ」
世界は広い―――今までのように何事もなく進んできたこと自体が奇跡の様なものだったのだ。
その事実を痛感した宗一。ぼろぼろで治療中の左腕に決意として誓うと、その日は医務室のベットで休息を取り、翌日になって本格的な治療が始まることになる。
今までの成績から彼は十分第三試験の合格資格を有しており、次の試験を見据えての行動だ。
狐金…茜さんも当分忙しいだろうし、独りで単独行動をする分なら問題ないだろう。
「第四試験…今度はこの第三試験を勝ち抜いて合格してきた選りすぐりが集う密度の濃い試験になるのか…」
と、医務室の薄黒い内装をぼーっと眺め、視線をふと外の試合場の外へと移すと、そこでは先ほど帰ったはずのレインズが何やら立ち往生していた。
何事か―――と興味本位で身を乗り出して窓から見ていると、どうやら彼女の周りを他数の受験者が囲んでいるではないか。
見ると、本人は風でも浴びているみたいに受け流した態度で、対する向こうは風で煽られた炎のように怒りを燃やしている。
なんだ…もめごとか、と痛む左腕の調子も気づかってしばらく傍観していると、鬼種らしい少女が彼女に掴みかかってそれを彼女はひらりと躱して相手にしない。
「てめぇーっ!よくも俺たちのことを馬鹿にしたな!?」
「事実を言っただけじゃないか。君みたいのが本気で彼と組めるとでも思ってるの?」
なにやら組む、組まないという単語が聞こえてくる。以後の試験での全日程の終了している輩は”おまけ”ということで試験の行われている各支部が試験会場の一部を解放し、受験生たちが広く経験を積めるように小規模ながらも自由大会を開いていた。
それは第四試験で行われる”若緑杯”なる練兵大会のリハーサル、事前演習の様なもので、参加者を追わねば拒まない、という自由なものであった。
当然、自分が意欲さえあれば参加しても害なく、第四試験に進むことを目標としているほとんどの受験者はこぞって参加するのだ。
宗一は今になってそのことをようやく思いだし、数秒考えたのち自身の左腕を見て参加を断念しようと考えた。
無機質な空間で味気ない日々を送るのは何とも退屈なことだが、それも未来の日程が関わってくる今では大事を取るべきかもしれない。
それに、今彼の病室の眼下で行われている喧噪は、二人の主要人物を以て構成されており、一人は先ほどの実技、試合で彼の相手を務めたレインズ。
もう片方はレインズと戦う前に宗一がバディを務め、好成績を残した鬼種―――オーガの少女、ソルリィである。
彼女は第二試験の時から宗一と面識があり、この第三試験は六つの方角の地域が合同してある程度の数に纏めて東部、西部、南部、北部として分けられて内で試験を行う。
第二試験は十二地域…たとえば北部ならば北東部、北部中央、北西部…と莫大な魔界の人口を物語る大規模な人員を小分けにして行う。
第一試験は半ば試験を受ける際に適性があるかどうかの非常に基礎的なもので、具体的なものではない。適性のないものはそこで落とされるし、新人の練度を高める前置きの様なものである。つまりは第二試験からいわゆる”予選”が行われ、そのうち合格として餞別した者がこの第三試験…”予選上位”に送られる。
それもまた超えて来た者達は第四試験に…つまりは”本戦”に参加する権利を得る。ここまでくれば辞退者など皆無、たとえ第五試験に通らなくとも軍内部でのそれなりのエリートとしての地位が確立される。
そして、集められた新人のうち、ごく一部の一握り…つまりは”奇才”、”鬼才”などに該当する人物が集まる”本戦決勝”…第五試験が最終関門として待ち受けている。
本当ならばエリートなどごくわずかで十分だとは思うが、魔界全土の国土、または他に存在する天界、人界勢力を考えれば優秀な戦力人材は何人いても苦労はしないのである。
と、魔王軍入隊試験のあらかたの説明はここまでにしておき、いがみ合う二人へと注意を戻そう。
「でも、ソウイチと私は北部出身だし!相性だって第二試験からも顔馴染だし!さっきのバディを組む連携能力試験だって!」
ソルリィが今にも炎を吐き出しそうな勢いでうがーっ!と主張すると、それをどこ吹く風か、冷静にレインズが言葉で切り裂いてゆく。
「なら、私は先ほど彼に挑ませてもらったけど、彼の弱点、行動パターンを私は読んだ。負けはしたけど、相性も、互いに能力を高めるならば私の方が有意義だと思うけど」
そう。何を隠そう、この自由大会は誰と組もうが自由の【連携の部】なる試合部門が存在するのだ。
運が良ければこの第三試験で活躍を見た軍関係者がスカウトをかけてくるかもしれない。
大きく四つに分けられたこの第三試験は人材の宝庫、手の付けられていない才能を収穫するにはもってこいだった。
当然、闘技場運営にかかわっているオーナーが視察と称して見学に来ることもあるし、上位者は成績上位者としてある程度の成績情報が掲示されるため、知能が優れた結果を持つ人物を見つければ大規模な商人が弟子として欲しい、と言った形でもスカウトの手がある。
つまりは現代社会でいう就職活動ともいうべき人材市場なのだ。
しかし第三試験を越えれば辞退者が皆無のため、スカウトに来る者はガクッと減るが。
その先には軍でのエリートの地位が待っている。
「おい」
「とにかく!ソウイチは私が誘うの!ほっといてよね!」
「君にそんなことを言われるのは筋違いじゃないかな?彼が決めることだし。先に鍔つけてるわけでもないでしょ」
「おいってば」
二人の白熱する言い合いに周囲の受験者たちはペースを崩され、集中を乱してはたまらない、とそそくさと二人から遠ざかってゆく。
男としてなんら欠陥のない、至極当然なモテ願望のある宗一だが、さすがにこんなモテ方はごめんである。
周りの人が迷惑をしている光景は目を覆いたいものだった。
「おい!」
「あによ!?」
「なんだい?」
宗一が反応しない二人に耐えかねてとうとう怒気を強めて下方へと怒鳴り込むと、二人は案の定ヒートアップしたテンションを抑えきれずに声の響いた方へと顔を向けると、そこにはしかめっ面の宗一の姿があった。
レインズはこの時しまった、と思ったが時すでに遅し、多くの人物に何らかの影響を与えてしまっている今では手遅れである。
苦笑いで場をつくろうのが精いっぱいだった。
「宗一!」
一方ソルリィは笑って宗一の方へと手を振ってくる。それに宗一は若干複雑に手を振りかえす。
「二人とも、周りがどんな状況か解らないわけではないよな」
そう宗一は周囲を指し示すと、そこには遠まわしに二人に注目、自分の本番そっちのけで事の顛末を見ている観衆の姿があった。
いずれも静かにしろ、と言いたげな恨めしそうな表情でじっと睨んでいる。
「あ、あはは…」
「い、今からそっちに行くから…では試験頑張って…」
脱兎のごとく速度で二人は場を逃れると、そのまま宗一のいる医務室へと駆けこんだ。
「レインズさん。また戻ってきちゃいましたね」
「はい…」
「ソルリィさん。むやみに相手に突っかかるのは止めましょう」
「でもぉ…」
中学生並の内容の注意に本人は呆れながらも二人の顔を見る。
「言っておくけど、俺は左腕の治療があるから自由大会には参加しない」
これは既に彼自身が決めていることだ。無茶をしたのも彼自身で、でおよく考えれば魔力で強化していなかったらこの腕は吹き飛んでいたかもしれない。
其れには触れずに申し訳なさそうに肩をすくめる二人を諌めると、続けて言う。
「それに、参加すると言っても自由大会【連携の部】は最低でも三人が条件だから君らがそんな調子じゃあ到底無理だろ」
確かにそうだ、連携の部と銘打ってあるからには三人のチームとしての連携、信頼が最も重要視されるので、こんな調子じゃあ意味がない。三人の個人戦だ。
「よって君らがお互いに仲直りするまでは話には応じない」
「えーーーっ」
こんな時に限って二人は同調して残念そうな、心外そうな声を上げる。
「考えてみれば左腕が使えない程度で参加できないってのは困るし、実際君らは第三試験なんて余裕な口だろ?」
最大限の譲歩、見えてきた可能性に乗じて二人は空気を呼んだのか同調する。
「まぁ、点数全部合わせれば第四試験には行ける」
「私も余裕だね…今のところは」
「でもやっぱり参加は止めよう。俺は見るだけにしとくよ。君らは俺と違ってそれなりに知人と参加してるみたいだし、頑張ってくれ」
と、さっきまで不参加、ようやく参加を示したかと思えばの不参加。軽く裏返る意思表示に二人は結局ため息をつくと今度こそは互いの帰るべき場所へと行ってしまった。
「俺も自由大会自体は気になるから、見物にはいくけど」
と彼しかいない空間で独り言のようにつぶやくと、ごろりとベットに寝っころがってしまった。
「それに、気になる人物も何人か参加するみたいだからな…」
―――それから二日後、全受験者の試験日程を終え、とうとう後はその結果に準じた評価を点数として集計、表示するだけのきっつーい仕事に魔王軍事務どもが奔走している最中、解放された試験会場の内、かなりの広さを誇るドームで自由大会なるものに参加する予定の受験者たちがひしめくようにして集っていた。
それをがらがらの観客席から望む宗一は集う人の海から何人かを探り当てると、満足そうにうなずいた。
「”蒼氷魔術の新星”――エルムディア・マクスタイン」
一階の試合場の中央あたりで悠然と瞑想するようにして集中しているスレンダーな蒼いローブを軽鎧の上にマフラーのようにして纏ったグウレイグが彼の視線を感じたのか、ゆっくりと彼の方を振り返ると驚愕に表情を歪めた。
「”稲妻影”――ドレッド・アン・ドレイド」
全身をベルトとローブで密閉し、顔すらも影で見えないくらいに闇に潜めた人影がしゃがみこんだ。
「”燐光闘士”――エリオット・イスルーマン」
頑丈な生体装甲を兼ね備えた屈強なオアンネスの武人がかちゃりと得物を確かめながらも彼も二階席に一人佇んでいる宗一を見ると、ふむ、と考え込むように黙ってしまう。
いずれも宗一が成績上位者の掲示を見てどういうものなのかを知りたかった豪傑俊英たちである。
なかでも一度エリオットとは試験でやりあってはいるが、彼は本気を出してこなかったので宗一も負けるものかと徹底的に無駄を省略した手抜きの試合を展開し、引き分けに終わる。
「あの三人が北部でダントツな感じか」
痛む左腕を軽く摩りながら会場に目を向けると、がやがやと喧噪沸き立つ中、今度は彼の耳へとさらに上方から黄色い声がたくさん聞こえてくる。
自分のほかに二階の観客席に上がる受験者がいるのか―――と視線を向けると、自分のやや斜め上の席に大勢のうら若き乙女を侍らせて鎮座する者がいた。
ずいぶん場違いなことで―――と