支倉宗一という男 2
支倉宗一君の青き青春の日々
それから数時間あれよこれよの間に過ぎてゆき、ヴィアンヌとコルアが何とか勇士たちの目を盗んで試験会場―――もっぱらただの飲み会、コンパを抜け出すと、彼女たちはひたすら会場周辺から遠ざかることを意識して走りに走った。
「ひい、ふう、はあ…」
「こ、ここまでくれば…大丈夫だよね…」
酒を飲み、食べ物を食べた後での急な全力疾走に肩で息をしながらも来た道を振り返り、自分たちが取った宿の前で休む。
淡い赤色の石煉瓦、所々に控えめな金細工があしらわれており、見るからにここに泊まる客は上流階級なのだと広く誇示している。
「で、どうする?ここまで来ちゃったけどもう部屋に入る?」
ヴィアンヌがコルアに尋ねる。
二人は同室でこの宿に部屋を予約してあり、いつでも入ることが可能だった。
幸い逃げてきた先がこの宿の眼下だったため、疲れた彼女らには救いの手でもある。
うーん、とコルアはしばらく考えると、首を横に振る。
「どうせ抜け出してきたんだし、それに中央なんてめったに来れないし…しばらく街を見て回りたいかな」
「じゃあ決まりだね、行こうか」
ヴィアンヌは目を輝かせて先ほどとは打って変わり新しく水を得た魚のように元気になってコルアをぐいぐいと引っ張ってゆく。
実はコルアの意思を尊重しているように見えて、本当に街を見て回りたかったのはヴィアンヌなのではないか―――コルアは元気になった盟友の姿にふふんと笑うと、自らもきゃぴきゃぴ駆けていく。
中央で仕事を終え、疲れて帰路を辿る人もいれば、彼女たちのように元気に遊び回る人もいる。
いろんな魔物人の入り混じった中央都市はなんとも魅力的なものが多く、彼女たちの心を釘付けにした。
アクセサリー、宝石を扱う店を覗いたり、魔界獣を取り扱う使い魔斡旋所を見たり、はたまた格闘技の行われている闘技場に足を運んだりと、遊ぶに関してはやることは尽きなかった。
ひとしきり楽しんだ二人が出店で軽い食べ物を買って談笑していると、通り過ぎていく人ごみの中を、見慣れた人物が急ぎ足で通り過ぎてゆくのが見える。
「ぶはっ」
「ちょっとヴィアンヌ、蒸せた?」
「え、いや、違うあれあれ」
急に驚き、咳き込んだヴィアンヌの指差す先にかけていく一人の少年。
そう、他でもない支倉宗一である。
だが、いつもの彼とは様子が違う。緊迫していて、脇目もふらずに一心不乱に駆けていく姿はまるでなにかから追われているみたいに思えて仕方がないのだ。
一人路地裏に駆け込み、誰も好んで入らない日陰の場所に進んでいくではないか。
そして彼の走り去った後から数人、魔物や人が追いかけてゆく。同じように路地裏に入り、過ぎゆく一般人はなんだ?と振り返るだけでそのまま通りすぎる。
二人はそんな普段起こりえないであろう珍事に顔を見合わせるとコルアが口を開く。
「…どうする?あれ」
「どうするって…とりあえず…私たちも行ってみる?」
二人は腰かけていたベンチを立ち上がると、そのまま同じように宗一の後を見ては二人して頷く。
決断は早く、それから一分もしないうちにベンチには誰も座る影などなくなっていた。
走る二人は徐々に過ぎてゆく景色、魔力灯がゆらゆらと揺れて人の波が自分たちを別世界の住人のように過ぎては追いかけてくる、石道を叩く靴底の音に胸を弾ませて一行の後を追いかけてゆく。
その頃、追いかけられ、逃げるようにして人目のつかない路地裏に入って行った宗一は困窮していた。
なぜ、自分は追いかけられているのだろう。他人から恨みでも買うような真似をしただろうか―――いや、恨みを覚えることはされても、買うようなことはしてない筈だ。
人との関係をなるべく断ち、自分を磨いてきた彼には人付き合いの節度という物がはっきりと分別できている。
決して人を選ぶというわけではないが、変な奴には近づかない、むやみに接触しない、関係を持たない。
これを守って今までやってきたのだ。
特に未だに勝手のわからないこの魔界では、自分から手を出すことに彼は億劫になっていた。
ゆえに自分に非は無い。そう判断しての逃走だった。
狐金試験官が部屋に帰ってきて、絡まれそうになったから逃げ出し、そこから部屋を出た先に偶然出くわしてしまった相手が悪かった。
と、なぜ自分がこんな目に遭っているのかを思い起こしていると、ソウイチは自分が行き止まりに走りこんでしまったことに気付く。
「しまった…行き止まりじゃないの」
「とうとう追い詰めたわ…ハセクラ・ソウイチ」
息も絶え絶えに、彼の前に四、五人の男女が立ち塞がり、それぞれ手に得物をもって彼に対して戦闘態勢を取る。
宗一もかろうじて部屋から出る、狐金に絡まれる前になんとか持っていた護身用の短刀を取り出すと、脇構えをして得物を持っていることを隠す。
相対しているのはいずれも魔物で、下半身が大蛇の尾となっている女子もいれば、頭に双角の生えた男子もいる。
手には斧や、棒、双剣など実物とはいかないが刃を潰しただけのもの―――が携帯されている。
「一体俺がなにをしたと」
「お前が若緑杯で行ったことを俺達は忘れはしない!」
この五人の魔物たちはどうやら若緑杯関係の成績加点で不満があったようで、こうして傍から見たら陣営敗北の起点となってしまった宗一に難癖をつけ、いたぶろうという魂胆なのだ。
なんとも浅慮、なんとも邪知なことか。
「そうかい…お前らは確か他の隊の五人の兵としてばらばらに餞別された上位者…で間違いないよな」
「そうだ!あの場、俺達にもすでに敗退、加点が絶望的な状況でも働き次第によっては成績に何らかの加点が付くことを試験官は暗に示していた!だが、あの時お前が敗退、敗走したことによってそれもむちゃくちゃだ!」
「なら、あの時の敗北の要因がなんだったのかわからないのかよ!」
「俺達は押していたんだ、徐々に、地道なものではあったが、前線を押し上げていた!それなのに、ハセクラ隊が敗走したことにより、何の意味もなくなってしまった」
そうさんざんと喚き立てる様は宗一にとっては非常に不快であり、自分でもこれほど”頭にきている”状況は何カ月ぶりだろう。
当の上位五人が反論してこなかったあたり、この話にはすでに決着がついているのだ。
なのに、たかがそのおこぼれを拾うか拾わないかの違いでこれほど言い寄られてくるならば、ではその五人がなぜ何も言えなかったのかを考えなかったのだろうか。
「俺を五人なら痛めつけれるとでも」
「貴様は知力派だろうが。先の戦いでもそうだっただろう!」
そう言い、とうとう耐えかねたのか五人のうち一人、両手に鋭い爪、頭には猫のような耳のついた女子の勇士がとびかかり、自慢の爪で宗一の急所を奇襲する。
それを容易にかわし、適当にあしらうと、女子は怪訝な顔をして距離を取る。
「俺は何もしてないぞ、怖気づいたのか」
これは一見挑発の様で、挑発ではない。すでに宗一自身が激昂しているため、彼は事実を言うとともに自分のことを鼓舞して士気を上げているのだ。
「くっ」
「こいつ」
五人もそれを薄々感じ取っているようで、実は追い詰めたのは自分たちではなく、追い詰めたように振る舞わなければやっていけないところまで来ていることにいやいやながらも実感する。
相手は自分たちとは格が違う、格上の相手である。喧嘩を仕掛けるにも身の程を知って望むべき相手だ。
俊敏な奇襲にも動じず、ならばと今度は鬼男が斧で殴り掛かるが、それもいなされてちょうどモーションの動作前を見切られて鼻っ面を肘で撃たれて派手に転がりこんだ。
話し合いで解決するくらいの知性を宗一も望んでいたのだろう。だが、とうとうそれも適わないと知るや否や、隠していた短刀を抜き、夜の魔力灯の灯りに怪しく照らされる刀身の切っ先を五人の前にかざす。
一同はそれに迫力、貫録のような何かを感じて一歩引き下がる。
既に仲間が二人簡単にあしらわれ、次は向こうから仕掛けて来ようという意思表示までされて、五人は瞬間、すでに戦意喪失している。
「この件は既に決着はついている。あの時の五人が黙してそれを受け止めたんだ、実力であそこにおらず、おこぼれ狙いの点数稼ぎが上手くいかなくて八つ当たりとはいい度胸だよ…!」
声にあからさまな怒号が混じり、今にも斬りかかってきそうな雰囲気。
このまま彼が五人に襲いかかり、そのまま鎮圧―――という流れになるかと思えば、結果としては大分違った。
彼の一メートルくらい先に、何かが空中からひらひらと落ちてきたのだ。
それは、カード。一見何の変哲もないタロットのようにも見えるそれは、宗一からすると見覚えがあった。
「このカード…むっ」
一歩カードから離れるように飛び退ると、瞬間、カードが魔力を帯びて発光、五人の前にカードが浮かび上がったと思うと目に見えない力が働いて彼らを吹っ飛ばした。
見覚えのある魔術だ。カードを媒体として、表、あるいは裏面の範囲放射状に魔力を制限し、範囲を固定して魔力放射量を収束することで、効率的に効果威力を引き上げる。
「…レインズ」
カードがひらひら舞ってきた上方へと視線を向けると、路地裏の倉庫の屋上屋根に人影がある。
宗一自身も殺気に近い怒気をすっかり払ったようで、向ける視線は穏やかなものだった。
「君には似合わないよ、そんな黒赤色の怒気は」
「確かに頭には来てた。でも、脅しに近い警告のつもりだったんだがな」
月光をバックに、屋根からこれまたカードのようにひらりと空中を舞う様は華麗にして流麗、これも彼女がエルフたるからか、非常に身軽で無駄がない。
レインズ・エルフ・クリティア―――エルフにしては珍しく、閉鎖的な”深緑の森”から外界に出て世界を広く渡り歩き見聞を深めているという。
宗一が珍しく”評価して買っている”人物の一人である。
彼のないものを多く持ち、知識、武勇、人格共に優れた人物である。彼からすると内心共に力を磨く中であり、好敵手でもある。…本人が一方的に思っていることだが。
とっ―――軽い音を残して着地すると、魔力を放出したカードが彼女の手の内に戻ってくる。
「もう引き時だと思うけど。それとも、君たちにそうするようにって、あの時の主要人物が吹き込んだりとかしたのかな?」
手には精霊樹で作られた神木弓が握られており、いつでも打つことが出来る―――と。
レインズは柔和な笑みを向けながら忠告すると、五人はしばらくの間立ち尽くすと、それでもなお反骨の意があるのか引き下がろうとはしない。
「もういい、ここまで選択の余地を与えたんだ、充分だろ」
短刀こそ仕舞っているものの、今度は徒手空拳での殴打を始める宗一。
五人の目の前に迫り、一気に距離を縮めて対処をされる前に中央の魔物を一人殴り飛ばし、今度は脅しでも警告でもない。
ひたすら磨いてきた力は得物なしでも十分な脅威となり、それを目の前の五人は痛感するだろう。文字通り。
そうして、五人とも一発ずつ殴打を喰らうと、流れて退却してしまう。
引き際を見誤ることの不明を彼らは教訓として得ただろう。
「これでまた変な噂とか流れるんだろうなぁ…なんだかなぁ」
「いいんじゃないの、別にさ。人は人なんだし」
「君は前向きやね」
ため息をつくとレインズは笑って背中をパンパンと叩く。
このように気さくな性格であるのもエルフにしてみると珍しい。兎にも角にも、レインズとは最初宗一が第三試験の個人科目の時に対戦者として対峙したのが出会いだ―――。
普段他人という存在にあまり興味を示さない彼。そんな彼の瞳に映った彼女の印象は、”風”。
飄々としているようで、その内面には誰にも知られることのない何かが垣間見える性質。
「君が私の相手かな?」
「…始めようか」
試合開始時間としてはまだ早く、数分の猶予のあるこの時、二人は特にやることもないので試合場にてそれぞれの調子の確認などをしていたのだ。
興味深そうに宗一を見るレインズと、一方相手に対して何の反応も示さない宗一。両者の反応は正反対であった。
それは試合に立ち会う試験官も二人を余所から見て不思議に思うくらいに明らかだった。
「まさか、ここまで正反対を強調する試合に立ち会う事に成るなんてな」
「まったくだ、本来なら相手に対する礼だとか、会話だとかで時間を使う受験者も多いのに」
無言ゆえの独特の重圧感、試験官も沈黙に耐えかねたのか、咳払いを一つ、中央の立会台に赴くと、時計を確認して号令をかける。
「多少、試験開始時間より早いが…試験実施時間さえ満たせば問題なかろう。両者、試合場へ」
階段を一つ一つ登り、障害物も何もない石造りのシンプルな造形、文字通り小細工なしの勝負が行われるこの第三試験。
背中に背負った戦太刀に手をかけ、一方レインズは淡い緑の装束の懐へと手を伸ばし、姿勢を低くする。
両者の視線がそこで初めて拮抗し、幾秒かの間をおいて、唐突に試合の号令がかけられる。
張った糸が切れるみたいに状況が一変、両者は前へと駆け出し、二人はすれ違いざまに交差する。
だが、宗一は太刀を収めたまま抜かず、レインズも懐から手を離さない。
試合場の限られた空間、立体での空間も使用しての戦闘。レインズは短く呪文を唱えると、駆け出した勢いそのままに壁を蹴り跳躍、空中へと身を投げる。
対して宗一はそのまま走り続け、円を描くようにレインズを中心として走り回っている。
「なるほど、意外と慎重なのね」
「…」
彼女は宙から見下ろすとようやく懐から勢いよく何かを投擲、投擲された薄い何かは放たれると同時に意思でも持ったみたく宗一へと猛烈な勢いで迫る。
「『廻る炎』」
廻る炎、そう宣言すると投擲されたものが発光、次の瞬間には言の葉通りに回る炎の剣が彼に狙いを定める。
続く流れでレインズの懐から数枚が投擲され、同じようにして試験会場に鮮やかな閃光がいくつも浮かぶ。
まるで曲芸のような面白い攻撃の演出、展開に宗一は感心した。回る炎の剣を抜いた一閃で彼女の元まで打ち返すと、続く氷弾、礫をも同時に処理する。
しかし、打ち返された魔法は彼女の眼前まで迫ると、カードに姿を変えて手のひらに収まる。
「なるほどね、カードを媒体として魔力の伝導範囲を制限、そして注入する魔力を限定的に一定の規則を設けることで回路化、より効率的な…」
「…ネタばらしはやめてくれないかな。なるべくなら知られたくないの」
「癖だから仕方ない」
宗一の分析に戸惑い、慌てて制止するレインズ。この時彼女のペースに自分のペースを強引に割り込ませ、ようやく宗一が自身の攻撃手段を行使するべく駆けてゆく。
「来るか!」
彼女は迎撃のために懐から数枚のカードを取り出すと、同じように投擲、彼の接近を阻まんとする。
込められた魔力が具現化し、壁、落石、突風と行く手を遮るものに変わるが、逆にラッシュをかけられてどんどん斬り裂かれ、効力を失ってその場に媒体に戻って落ちる。
「く…これほどとは」
「どんどんいく!」
そして距離を詰め、自身の得意とする距離に入り一足の間に跳び、宗一の刃がレインズを捉える―――刹那。
彼女は快活な笑みをより濃くして背後から何かを取り出すしぐさを見せる。
「遅い―――」
「…かかったね」
振られる刃、この瞬間が宗一にとっての隙であると決死の覚悟で臨んだレインズ。
この瞬間本能で悟った宗一。
―――自分はこのやりとりで、負けた…と。
予想はしていたが、まさかこのタイミングでかけて来られるとは思ってもいなかった。
その心算、度胸には感服するものがあるだろう。
「『吹き穴』!」
攻撃モーションのせいでがら空きとなった宗一の懐の真下に一枚、カードが表を向いて落ちている。
彼の意気しないところでの、完全な虚を見事に彼女はついて見せたのだ。
体が解放された魔力の直撃を受けて軽鎧を見えない力で穿ち、そのままはるか高みへと打ち上げる。
肺から空気が漏れ、苦悶に顔を歪める好きなく宗一が悟った時には、すでに彼女が隠し持っていた弓を構え、矢をつがえているのが見えた。
「圧す水あれば引き水あり。これは、私が海浜都市を訪れた時に学んだ言葉」
プラズマに似たエフェクトが彼女の腕を通り、指先へ。
指先から今度は番えた矢へ。
集中した高濃度の力が、より効率的に凝縮され、さらなる伝導をもって破壊力を蓄えてゆく。
それには彼女自身も足を踏みとどまる必要があるためか、彼が滞空しているほんの数秒動きが止まる。
「ちっ!」
宗一は懐から短刀を二つ取出し、彼女の方へと投擲する。
姿勢を変えられないということは、つまりは力が緊張した状態なのだ。それを少しでも崩してやれば、力の天秤は容易に傾き、同時に集中を乱すきっかけにもなる。
それを期待しての行動であったが、彼女は自らの一目がけて飛んでくる短刀を見るなり少しでも動きたい衝動に駆られるが、日本の担当は彼女のまばゆい金髪を射抜き、頬を擦ると纏った衣服を縫い付けるだけで留まる。
極度の集中、まるで機械のように使命を全うする様は力強ささえ覚えた。
フィールドがフィールドなら策なりなんなり駆使して惑わしてやるのに、シンプルな障害物一つない広い場所だ。
頼れるのは己の独力のみ。小細工など通用しないのだ。
―――確かに、今回は下手な小細工はできまいと猛攻に走った結果、思いもよらぬ誘い水に引っかかった。
空中でひらりと回転、姿勢をうつ伏せ気味に、地面に向かうように整えると、正面に矢を溜めるレインズと視界が交差する。
徐々に重力に引かれて堕ちてゆくフリーフォールさながらの高所を越えての邂逅である。
ならば、と磨いてきた力のうち、魔力―――彼の魔力性質は属性を持たない属性というなんら矛盾してそうなものであるが、を彼女と同じように行使、意識を集中させて体内で徐々に練る。
既に魔力が臨界し、淡い天使の輪のような波紋と稲妻猛々しく震える”神の矢”がとうとう放たれる。
轟音と共にすさまじい速度で距離を消化する一閃が残像を光の軌跡として残して宗一を喰らわんとする。
この時点でレインズは自分の勝利を確信した。試合序盤から自分の思うとおりに進み、わざわざこのような小細工のしにくい場所での搦め手を取ってやったのだ。
これ以上の理想的な戦いは無いだろう―――。
試験官も十分に納得し、空を見ている。…何?
この時彼女は自分の放った一撃が着弾し、結界を揺るがす衝撃を感じた。だが、それは相手を穿ったものではなく、よく見ると空中を動かずに彼はこちらにめがけて吶喊してくるではないか。
自分の試合運びの末の出来事に唖然とし、いくばくか立ち尽くしていると、脚部に鈍くも重い重力の様なものがかかり、立っていられなくなる。
「な…どうして―――」
見ると短刀が禍々しく黒く淀み、何らかの魔力を放出している。そうか、自分の魔力を込めて投擲した際に、私の集中が乱れずに、攻撃を回避することに成功した場合の手を彼は打っていたのか―――!
しかも、それは偶然か必然か、相手は健在ではないか。
と、そう思った刹那、彼女の頬を何かがぴちゃりと付着してきた。
恐る恐るそれを指で拭うと、赤く鉄臭いにおいが鼻をつく。それは紛れもない血液であり、決して付着してきた事実は自分の物ではないという証拠でもある。
「なるほどな、自身の片腕を魔力で集中的に強化、そして流れを後方へと逸らす伝導を構成してまるで滑らせる様に必殺の一撃を受け流した…というわけか」
試験官の一人が驚愕しながらも着地し、死にもの狂いの顔で力走する宗一に感嘆した。
その試験官の解説を夢でもみているのか、と額を一滴の汗が伝うのを彼女は忘れてすらいた。
「うおおおおおっ!!」
鬼気迫る表情で、とうとう宗一の太刀はレインズを捉え、彼女は逃げる手段も、戦意すら喪失してぼうっとそれを眺める。
一刀のもとに斬り捨て―――るなどということはせず、彼女の胴体を引き裂く寸前で喉元に突き付けるようにして刀を止めると、そのまま試験官がしあ終了の合図をかけ、鐘がこれでもか、というほど鳴らされる。
それは両者の質の高い試合内容に対する評価の裏付けであった。
「くっ…」
すると、宗一は試合が終わったことを鐘の音で判断してその場で立膝を突く。
多量の出血で頭に血が上らず、貧血、ぐわんぐわんと揺れる世界にその場で立膝を突く。
見ると左腕がすさまじい具合にボロボロになっており、真正面から攻撃をダイレクトに逸らした代償は大きかった。
「試合に勝っても…勝負に負けた…このざま…か」
それだけを言いのこして宗一は意識を失い、試合場ではレインズが未だにしゃがみこんでいた。
そして、それから宗一が試験官の手配した治療班が手当てのために運び込む段階でようやく意識を取り戻す。
「先の戦いはなかなか、楽しませてもらったよ。エルフの御嬢さん」
かた、かた、と下駄の音高らかに沈んだレインズの後ろから話しかける者がいた。
金と銀の中間の淡い色合いの狐耳に、六本の尻尾、腰にかけたひょうたん―――狐金 茜 試験官である。
「あやつもとうとう壁にぶつかったか…うんうん」
「え…?」
狐金試験官とも初顔合わせになるレインズは、彼女の言葉に取り戻したばかりに意識を向けた。
「この時まで、実を言うとな。お主が相手をした…宗一は第二試験まではほぼ無傷で実技、戦いという科目を終えていての。この戦いこそが初めての、”苦戦”だったわけな」
ひょうたんを勤務中であるのにも口に運び、酒を飲酒している姿を咎める気にもならない。
「一つ、いいですか」
「ん?」
宗一とは顔馴染みなのか、この妖狐はさぞ壁に突き当たり、苦悩する息子を抱える母親のような温かさを感じた。
「若さは苦難を味わったもん勝ちじゃからの~ギルドからわざわざ引っこ抜いてきたかいがあったわ」
狐金はレインズの真っ直ぐ見上げる純粋な顔ににやりと笑うと彼女の問いを聞くまでもなくどこかへと行ってしまう。
「あ、ちょっと!」
「続きは医務室でするといいぞ、あそこは人が少ない。きっと宗一もねてるじゃろうしな」
そう笑いながら場を後にする狐金に完全にペースを握られ、結局聞きたいことも聴けずに彼女はどこかはっきりとしないもやもやを抱きながら医務室の扉へと向かうのであった。
全然青くなかった