安心
私は音も立てず、静かにドアを開ける。豆電球の薄暗いオレンジが部屋を埋めていた。聴こえるのは、エアコンが涼しい風を送る音と、外から響いてくる鈴虫の鳴き声と、部屋の奥、ベッドの上で穏やかに眠っている女の子の寝息。
絶対に女の子を起こしてしまわないように、私は息を止めながら、抜き足差し足忍び足、女の子の眠るベッドに近づく。そのすぐ横、少ししゃれた電気スタンドの置いてある小さな丸テーブルに、そっ……とすりりんごの入った皿を置いた。音はない。少し気になって女の子の顔を見てみると、薄暗い灯りの下で眠る、まだまだ幼い顔が見えた。思わず、微笑んでしまう。
あ、いつぶりに笑ったっけ。
なんだかとても久しぶりな気がして、なんとなく気分が良くなった。ただ、なんとなく。で、私は慌てて後ろを向いて、
「ぶはぁー……」
息を止め続けられずに、思いっきり音を立てて息を吐いた。危なかった。限界越えてた。もう少しで気絶する所だった、のかは分からないけれど。肩を上下させながら酸素を頂く。おいしい。酸素っておいしい。知らなかった。ああ、だから生き物ってずっと呼吸してるのかな。今ならその理由で納得できる。確信。
と。
背後、ベッドからごそごそと音が聞こえた。まずい、これ以上うるさくしたら起こしてしまう。そう思って、そろりそろりと部屋から出ようとして、最後にもう1度だけベッドの方を振り替えると、女の子が上体を起こして私を見ていた。
十分うるさかったらしい。
と冗談を思ったのもほんの一瞬だけだった。なぜなら女の子は私を、この世の終わりみたいな顔をして見ていたからだった。
あの時の私よりもずっと、怯えた顔をしていたからだった。
「ここ……」
露のような声だった。到底掴めっこない、そんな薄れ掠れた声だった。
「ここ……どこ?」
体にかかっていたタオルケットをわなわな握りしめながら呟く女の子。その恐怖に染まった雰囲気が肌で伝わってくる。
どう、声をかけたらいいのか。何と言えば、正解なのだろう。答えが見つからない。私が勝手に連れ込んだようなものだし、上手い言い訳がすらすら出てくるほど頭の回転も早くないし、まずこんな事考えてる暇があったらかける言葉を探すのが普通のはずなのに。
私は顔だけじゃなく、体もきちんと、女の子と向かい合わせた。とにかく、きちんと向き合わないと失礼な気がした。倒れていた女の子を見つけた事、勝手に連れてきた事、全部言わないといけないと思った。そして口を開けようとして、その時ベッドからすくみあがったような声がする。
「……しろいへやじゃ、ないの?」
すがるような声がする。
「ここ……びょういんじゃ、ないの?」
その声があまりにもかわいそうで、あまりにもかなしそうで、あまりにもこわれそうで、あまりにも儚くて、あまりにもいとおしく思えてしまって。
私はベッドの傍らに行き、腰を下ろして隣の電気スタンドを付けた。灯りに照らされたベッドの上の白い肌。純な瞳は潤んでいた。その表情は絶望しきっていて、そしてその奥には希望にすがるような表情が隠れているように見えた。
だから私は、抱き締めた。
「ええ、ここは病院なんかじゃないわ。だから、安心していいのよ」
できるだけ優しく、女の子を包み込んだ。女の子は私の胸で、たくさん泣いた。