夕立(上)
平日でも休日でも変わらないざわつきと熱気を、アスファルトの地面とコンクリートの山々が反射している。もう当たり前になったいつもの光景だ。車の行き交う大通り、LEDの信号機は文句1つ言わずに交通整理をし続け、枝葉のように別れる道、そこから更に分かれる小道に入れば影の落ちた、物悲しげな小道。
私は今、その濡れたアスファルトの上を歩いている。あてがない訳ではないけれど、なんとなく気分は浮かばない。私の後ろでだんだん小さくなっていく騒音が、今日はやけに気になった。
真っ白い髪は、足のほとんどを隠すスカートに届くかどうかの位置で風と遊んでいる。
私の名前は。
って、最近何回言ったのだろう。言う機会が多かったし、書く機会も同様だった。
だって、雪野々家の人間はみんな死んだから。
地面がアスファルトから砂利に変わる。夕暮れが真正面でぎらついてる中、私は長い影を引きずりながら、軽くはない足取りで歩を進める。
心休まる我が家はあるけれど、けれどもないようなものだった。大きな大きな家、だからこそ独りで細まる心に、静まる空気が刺さる。そんな家。まだ慣れないのだ。
私の名前は。
誰が知っているというのだろう。同じ名字をした人はもういないのに、誰がこの名前を呼んでくれるだろう。機械的でない、温もりを帯びた声でこの鼓膜を揺らしてくれる人が、どこにいるのだろう。
地面が砂利から土に変わる。まだ陽は落ちていない。こんな人工的な町でも、少し歩いただけでこんな自然が、案外転がっているものだ。確か、この道で帰られるはずだった。普段通らない道を1人で歩きながら、特に考える事もないので自分自身に話しかけてみる。
「お腹空いたね。……晩ご飯どうしよ」
呟いて初めて、買い物をし忘れてたなと思ったけれど、冷蔵庫になにかしらが色々と入ってた気がするし大丈夫か、なんて思いながら、そんなに料理が得意じゃない事も思いながら。そうしてまばらに肌をノックする雨粒に、洗濯物の心配をしたり。
「って、雨」
見上げても、相変わらず夕空はえんじ色に染まっていて、無彩色の重い雲は見当たらない。天気雨だ。それなのに、雨はみるみるうちに大きくなり、体を打ち始める。
なんて悠長に思ってる場合じゃない。これじゃすぐにびしょ濡れになってしまう。私はあまり自信のない足で走る。土の道、両脇で木々が水を弾いて光っている。小鳥が地面すれすれ、私の前を横切った。夕陽を乱反射する夕立が眩しくて目を細めてしまう。もう、息が弾みだした。汗がじわりと不快感を呼ぶ。これじゃ雨に濡れようが濡れまいが、帰ったらお風呂に入らなきゃ。木の下にたたずむカラスの横を走り抜け、無造作に乗り捨てられたらしい錆び付いた自転車の横を走り抜け、茂みの中で倒れ込んだ子供の横を走り抜け。
……子供?
目を疑い、通り抜けたそこを振り返る。茂みと雑草の青々とした中でその子は確かに、いた。夕陽が見せた錯覚なんかじゃない。血糊のような模様が付いた、ボロボロの服をかろうじて纏った子供が、そこにいたのだ。
私は、誰も知らない秘密を、見つけてしまったのだった。