六杯目 元勇者は逃亡中
西の山から差し込んできている夕日は、街を赤く照らし、美しい風景を作り上げていた。
そんな風景を一人の青年が眺めている。
彼は、どこか遠い目をして、黒いその瞳には生気がなく、光がないように感じた。
「ここにいたのか?」
「まぁな。この風景はおろかこの町、いやこの世界自体がもう見納めだからな」
声で相手を判別できたため、少年は振り向かずに返事をする。
「まぁそうだな。まったく、こんな紙切れ一枚でなぁ」
あとから来た少年がポケットから一枚の紙切れを取り出した。
最初にいた少年は、街の方を眺めたまま大きくため息をつく。
「本当だ。中には喜んでいるようなやつもいるが、俺はどうもそんな気は起きない」
最初の少年がそういえば、あとから来た少年は笑い声をあげた。
「俺もだ。さすが、親友と言ったところだな」
「みたいだな。ったく誰がこんな神様の遊びみたいなこと」
「文句言ったって仕方ないだろう? もしかしたら、本当に神様の暇つぶしかもしれないからな」
あとから来た少年の物言いに文句を言う気が起きず、最初の少年は大きくため息をついた。
*
大輝は、自宅のベットで目を覚ます。
日はすでに上っているが、まだ早い時間らしく、街は閑散としていた。
横を見れば、姫奈がすやすやと眠っていて、布団をめくれば、自分と姫奈の間でカグヤが丸くなっているのも確認できた。
「なんで今更、あんな夢を……」
大輝自身、元の世界に帰るなどということはとっくの昔に諦めて、喫茶店を営んでいるのだ。
姫奈や龍斗もそうだし、最近ではあっていないのだが、あの時一緒に異世界へ渡った十人のうち、元の世界へ帰ろうと模索しているのは二人だけで、大輝や姫奈、龍斗を含めた八人は、何かしらの形でこの世界に定住していると聞く。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
突如として、かけられた声に体がビクッとはんのうする。
後ろを振り向けば、姫奈が眠そうにまぶたをこすりながら上体を起こしていた。
「何でもない」
大輝がそう答えれば、姫奈は心配そうな表情を浮かべつつも再び寝転がる。
*
地方都市でひっそりと営業している「喫茶 異世界」。この店には、今日も様々な客が訪れる。
「大輝君はいないのか?」
コーヒーを持ってきたアシアンに話しかけたのは、丁寧に手入れされている金色の髪がまぶしい、顔の整った青年で、残念そうな表情を浮かべていた。
「いえ。奥にいますので、呼んでまいりますね。お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
アシアンの言葉を来た青年の顔が明るくなる。
どうやら、この人も話がしたくてやってきたのだろうと推測しながら、相手の名前を確認する。
「そうか。それでは、アッシュが来たと伝えてくれ」
「はい。かしこまりました」
アシアンは、もう一度、アッシュの顔を見てから頭を下げて奥で休憩している大輝がいるであろう休憩室へと向かった。
*
アシアンからアッシュの名を聞いた大輝は感慨深そうな表情を浮かべた。
「アッシュか……久しぶりだな」
大輝を呼ぶようにと言われた時点で大体察していたが、やはり知り合いだったようだ。
あのアッシュという青年と大輝の関係は気になるところだが、アシアンとしては、それをいちいち聞くというような考えは持ち合わせていなかったため、無言で彼の背中を見送った。
「あれ、こんなところで何してるの? もしかして、ヒナが遅いから呼びに来たの?」
そんな彼女に話しかけてきたのは、姫奈だった。
そこで、ふと新たな疑問が浮かんだ。そういえば、姫奈の呼び名はいくつほどあるのだろうかと。今のところ、同じように姫奈のことを呼んでいる人がいない気がする。
「どうしたの? 考え事?」
押し黙っているのを見かねたのか、姫奈がアシアンの顔を覗き込む。
「その……特には……」
「そう? 悩みがあったら相談してね」
そう言い残した彼女は、アシアンが自分のことを考えていたなどとはつゆ知らず、店の方へと歩いて行った。
*
アシアンが店の方に戻れば、カウンターで先ほどの青年と大輝が会話していた。
仕事をしながらなのだが、意外と二人の声が通るためとぎれとぎれながら、その内容が聞こえてきた。
「……は、絶対そうだって」
「といわれても、自信がないというか……」
「アッシュは……なんだから、もっと自信を持とうぜ……らしく……な振る舞いしてりゃいいだろう」
盗み聞きする気もないのだが、聞こえてきた声から察するにアッシュは、大輝に人生相談でも持ちかけているらしい。
そして、先ほどからアシアンの頭の中を駆け巡っているもう一つの疑問。
なぜか、自分はアッシュの姿をどこかで見たことある気がするのだ。
おそらく、気のせいではないだろう。
ただし、直接会ったわけでもなく遠くから眺めていた気もする。
「どうしたのアシアン? あの人が気になる?」
「えっと……はい、まぁ……」
これまた突然話しかけてきた姫奈にアシアンはしどろもどろになりながら答える。
「あの人はね、身分でいうと貴族ね。詳細を言えば、数年前に世界の危機を救った勇者様よ。まぁ勇者になる前はごく普通の農夫の跡取り息子だったらしいから、貴族としての生活が嫌になってすぐに逃げだすらしいけど」
この話を聞いて、アシアンの中ですべてがつながって行った。
見たことあるというのは、当然だ。勇者が魔王を討伐して帰ってきたとき、国中を凱旋し幼き日のアシアンも遠くからその光景を見ていたのを思い出した。
「なるほど……それで」
「見たことがあるってこと?」
「はい」
まさか、あの英雄が目の前に……というよりも少しながら会話ができていたとは……
アシアンは、これまでにないほどの幸せが体中を駆け巡っていくのを感じていた。
読んでいただきありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。