満月が誘う客
地方都市の中にひっそりと建っている居酒屋。
この店は、日本出身の人間が営んでいて、安くてうまい酒が飲めるとの定評がある。
開店と同時に仕事を終えた男たちが入ってきて、5つしかない席がすぐに埋まる。
もっと広い場所で店を構えたらどうだなどと言われるが、店主である奥平龍斗はこの場所にこだわりを持っていた。
その理由については、またの機会に語るとして、この居酒屋もまた、様々なお客さんが来店する。
「兄ちゃん! このおでんってのは何だい?」
どうやら初めて来店したお客らしく、メニューに書いてあるおでんが気になっているようだ。
「へい! こちらはですね、魚を練って作ったちくわに大根、卵などをカツオからとっただしで煮込んだものでございます!」
龍斗が説明すれば、男は興味深げにうなった。
「ほう。面白そうだな! それの五点盛ってやつをくれ!」
「へい! おでんの五点盛入ります!」
龍斗がおでん鍋から具を取り出そうとしている横から、また別の質問が飛んできた。
「店主さんよ。この焼き鳥ってのはなんだい?」
「へい! こちらはですね……」
大輝もそうなのだが、龍斗はこちらに来て店を開くうえで苦労したのが、日本の料理の味を再現することはもちろん、それを正しく理解してもらうことのほうが大変だった。
お酒はあっても日本酒ではないし、卵や大根があってもそれを煮込むという発想がない……そんな具合だったために最初のうちは理解してもらうために四苦八苦したのを覚えている。
「そうか、じゃあその焼き鳥とやらを五本もらおうか」
「かしこまりました! 焼き鳥五本でございますね」
焼き鳥を焼き始めてからおでんを盛り付けて先ほどのお客さんの前に出す。
だが、龍斗が苦労させられるのは何も一見さんばかりではない。
*
この居酒屋は、意外と閉店時間が早い。
それは、この町の生活習慣に合わせたものだ。
しかし……
「聞いてくれよー今日も姫奈がさぁ……」
大輝を始めとした常連の中には、営業時間外になってもやってくるやつがいるのだ。
「なんだ、また動物でも拾ってきたのか?」
「ちげーよ。それはなくなったんだけど、ずっとアシアンにかまってばっかりで、俺と前ほど口を利かないんだよ」
「また、それか」
龍斗はあきれてものも言えないといった心情だった。
以前は、動物を拾う癖をやめてほしいだの、料理がすべて丸焦げの暗黒物質になるのだの文句を言っていたのに、アシアンが来てからというものこればかりの気がする。
確かにアシアンが来てからというもの、兄妹二人で町を歩いているのを見かけなくなった。
その代わり、カグヤと一緒にいるようだが、カグヤの正体を知っている……というか、カグヤに大輝のところに行くようにアドバイスした身としては複雑な気分である。
「そういや、大輝。悪いんだが、今日はそろそろ帰ってくれないか?」
龍斗が提案すれば、大輝は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「珍しいな。お前の方から帰れだなんて」
「まぁな。今日はきれいな満月だからな。特別なお客さんが来るんだ。まぁかなり気紛れだから必ず来るってわけでもないけどな」
「ほう。満月の夜にねぇ。それじゃ、帰らせてもらうか。お勘定は?」
大輝は請求された分の金貨をカウンターに置いて店を出ていく。
そんな彼の背中を見送りながら、これから来るであろうお客さんのために料理を作り始めていた。
*
町の皆が寝静まった真夜中。
その客は、閉店時間を過ぎているというのに平然と扉を開けた。
「そろそろ来るころだと思ってたよ。ほれ、いつもの」
黒い髪に黒い瞳、三日月の髪留めが特徴の少女は、カウンターの一番奥に座る。
「あら、用意がいいわね。まったく、大変だったわよ。店の軒先で寝転がってたら、大輝が中に入れちゃうし、二階からうまく脱出しようとしたらアシアンに見つかっちゃうんだもん。のんびりと人型で月を眺めてる場合じゃなかったわ。せっかくだから、ちょっと遊んできたけど」
「仕方ないんじゃないの? だって、今日の月は美しかったからな。それで、猫としての生活にはなれたの?」
「まぁね。時々、ヒメに抱っこされそうになってひやひやするけど……」
カグヤは最初から猫だったわけではない。
気づいたら猫になっていたのだ。原因はいまだに不明。というより、カグヤ自身がそれで満足しているため、探す気もないようだ。
「不思議なもんだな。満月の夜にしか元の姿に戻れないんだろ?」
「まぁやろうと思えばできるんだけど、10分も維持できないわね……だから、人間として行動するなら満月の夜に限るわ」
「そうか。それはそれで大変だな」
まぁそれも慣れてきたけどね。などといながらカグヤはおでんをほおばる。
基本的に猫であるカグヤからすれば、満月の夜に食べる居酒屋の料理が楽しみだった。その時は、もしものためにと龍斗はほかの客を入れないし、自分が来る前にたいて帰らせてしまう。そもそも、営業時間が過ぎてもこの店にいる客など限られているのだが……
「あんまりふらふらしてると大輝が心配するから、そろそろ帰るわ」
「おう。まぁ御代はいいから、がんばれよ」
「ありがとう」
カグヤが去っていく頃には、東の空が白い光に包まれ始める。
龍斗が一歩外に出れば、一匹の黒猫が軽やかに歩いていた。
読んでいただきありがとうございます。
なぜ、龍斗がカグヤの正体を知っているのかそして、なぜ、喫茶店へ行くようにアドバイスしたのか、そもそも龍斗と人間としてのカグヤはどのような関係なのかという点については、またどこかで出そうと思います。
次回より、第二章に入ります。
これからもよろしくお願いします。