エピソード1 七海
一番好きな人は誰?
小さい頃なら迷わずお母さんと言いました
でも、そう誰かに言うのが少し恥ずかしくなって来た頃、私はある男の子に出会います
その男の子は乱暴で、面倒臭さがりやで、いい加減。
いい所なんて一つも無くて、大っ嫌いな男の子でした
ですがお母さんは、その男の子のお父さんの事が大好きだと私に伝え、私は二人と会う機会が増えてしまいます
それが嫌で嫌で、仕方なくて仮病を使ったり泣きわめいたりし、お母さんを沢山困らせました
そんなある日の事、お母さんと一緒にお風呂へ入っている時、とお母さんは私へ再婚したいと言いだします
相手は男の子のお父さん
半分予想していましたが、実際に聞かされるとショックで、私は絶対に嫌だとお母さんに告げます
お母さんは一瞬悲しそうな顔をして『七海が嫌なら止めようね』と微笑みました
その顔を見てとても悲しくなり、私は暫く考えさせてほしいとお母さんに言います。お母さんは『ゆっくりで良いよ』と言い、また微笑みました
それから数カ月。その間も男の子や、そのお父さんと何度か会う機会がありました
何度も会う内に、私は男の子のお父さんの優しさを知り、もしこの人がお父さんになってくれるのなら再婚も悪くない。そう考える様になります
だけれど、やっぱり男の子の方は嫌いで、私は会う度に彼を避けました
そんなある冬の日、ひょんな事から私は男の子の家で、男の子と二人っきりで留守番をする事になってしまいます
留守番の間、男の子はずっとムスッとしていて私に一切話し掛けてきませんし、私も私で一切喋りません
そんな気まずい時間に耐え切れず、私は男の子に内緒で家を飛び出しました
ジャケットのポケットには、お年玉の残りが入ったお財布。いつもより多いお金と、余り知らない町を出掛ける興奮は私を大胆にさせ、一人では乗った事がないバスに乗って、一番終点まで行きました
周りは見たことが無い町並み。途中動物が放し飼いになっている公園を覗いてみたり、漫画喫茶で漫画を読んだりと、とても楽しかった事を覚えています
そうやって遊んでいる内に辺りはすっかり暗くなり、気温も大分低くなりました
遊び過ぎてしまった私は慌てて近くのバス停へと行き、直ぐに帰ろうと思ったのですが、その時になって私はお財布が無い事に気付きます
落としたのかな……お金が無いと帰れない。もう家に帰れないんだ
私はバス停を離れ、泣きながら来た道を戻ります
途中どうしてもお腹が減ってしまい、必死にポケットを探すと、スカートのポケットの奥に50円玉がありました。それでキャラメルを買って食べると、それは今まで買ったキャラメルよりもずっと甘くて美味しくて……なぜだか私は尚更泣いてしまいました
暫くめそめそと歩いていますと、パン屋さんのお婆さんに声をかけられます
『どうしたんだい? 迷子かい?』
『ん……』
『あらあら、こんなに目を腫らせちゃって。近くに交番あるから一緒に行こうねぇ』
私は、お婆さんに近くの交番まで連れていってもらいます。交番では警察の方が三人いまして、私を慰めながら家へ連絡し『直ぐに来てもらおうな』とアメを下さいました
それから40分後。私を迎えに来たのは、あの男の子でした
自転車で来た男の子は、耳を真っ赤にさせ、鼻水をたらし、額に汗を大量に流していて、とても酷い有様です
そんな酷い有様の男の子は私の顔を見るなり無言で近付いて、私の頬をおもいっきりひっぱたきます
初めて誰かに叩かれたショックと、痛さで泣き出す私を男の子は無視し、警察の方々へ頭を下げました。それから少しお話をした後に、男の子は私の手を取り外へと連れ出します
私はまだ泣いていましたけれど、男の子は無言で自転車を押し、そして警察の方から聞いたのか、パン屋さんのお婆さんの所へ行きました
男の子はそこでお婆さんにお礼を言い、あんパンとココアを買って私に渡します。そして怒った様に
『食ったら帰るぞ』
と言って、自分のしていたマフラーと帽子を私に被せてくれました
帰りの自転車は家まで一時間以上も掛かり、私は男の子がどれほど急いで来てくれたのかを知ります
『ご、ごめ……ごめんなさい』
『……無事ならいいよ』
家に帰るとお母さんに酷く怒られましたが、男の子は『俺が意地悪して、家出ろって言ったから』と言い、お母さんと私にごめんなさいと謝りました
それを聞いて私は何だか凄く悲しくなり、お母さんや男の子のお父さんが慌ててしまう程、泣いてしまいます
そんな私の頭を男の子は困った顔をしながら、泣き止むまでずっと撫でてくれました
それから私達は打ち解け合い、嫌いだった男の子は、いつしか私の大切な家族へと変わっていきます
乱暴で、面倒臭さがりやで適当な男の子
でもとっても優しくて、いつも、どんな時でも私を守ってくれた人
強くて、優しくて、暖かい、私の大切な――
大好きな人
一番好きな人は誰ですか?
今、誰かにそう問われたら、私はきっとハッキリ答える事が出来ます
私の一番好きな人は……
「……兄さん、起きてますか?」
そう声を掛け、私は兄さんの部屋をノックする
この瞬間、この瞬間だけはいつも緊張してしまう
今、私はどんな顔をしているだろう?
笑顔?
呆顔? それとも泣きそうな顔?
今日もまた一番最初に兄さんと会える
今日もまた兄さんを起こしてあげられる
いつか必ず失われる権利だけれど、もう少しだけこの権利を独り占めしたい
この時間だけは兄さんを独り占めしたい……
「兄さん、朝ですよ。お部屋……入りますよ?」
『返事がない時は部屋に入って起こしてくれ』
そんな兄さんの言葉を言い訳に、私は兄さんの部屋へ静かに入ります
「兄さん? ……あ」
まだ寝てる
「兄さん、朝ですよ。起きて下さい」
兄さんの側で声を掛けて、ちょっとだけ揺すってみます
「ん、む…………」
兄さんは嫌そうな顔をして枕を抱き、また寝息を立ててしまう
眠いのかな、兄さん
起こしたくない。寝かせあげたい
寝顔……ずっと見ていたい
「…………はっ!?」
駄目です! 遅刻してしまいます!
私は頭を振り、強く兄さんを揺さ振る
「兄さん、朝です! 起きて下さ、きゃ!?」
兄さんの大きな手が、私の小さな体を捕えて引っ張っぱる
力強い兄さんの腕に敵う筈も無く、私は抵抗すら出来ず兄さんの胸に抱かれてしまう
「に、兄さん……」
困った振りをして、実際に出たのは甘え声
自分でも恥ずかしくて、呆れます……
「ん…………む」
「…………ふぅ」
激しく高鳴る鼓動を、熱くなってしまう呼吸で無理矢理整え、体に力を入れて兄さんから強引に離れる
「……いい加減にして下さい! 兄さん!!」
多分赤くなっている顔をごまかす為に、怒鳴る様に起こす
「うわ!? な、なんだ?」
兄さんは慌てて跳び起きてしまった。……ごめんなさい兄さん
「なんだ、じゃありませんよ。いつまで寝てる気ですか?」
私がそう言うと、兄さんは目を擦り伸びをしながら
「……何時だ今?」
と尋ねた
「もうすぐ8時になりますよ」
兄さんの寝顔見ていて起こすのが遅くなったなんて絶対に言えない
「な!? 朝ズバが!」
「もうとっくに終わっています! 早く起きて顔を洗って、着替えて下さい!!」
「わ、分かったよ……。今日の生電話はみそ汁にタワシを入れる嫁の話しだったのに……」
残念そうに言う兄さん。明日は絶対に早く起こしてあげよう
「……ほら兄さん、早くしないと」
「分かった、分かった。とにかく着替えるからリビングで待ってろ」
「はい、分かりました」
コーヒーの用意しなくちゃ
「……あ、そうだ」
部屋を出ようとする私を兄さんが呼び止める
「はい?」
そして振り向いた私に、兄さんは優しい笑顔で
「おはよう、七海」
「…………はい!」
おはようございます。大好きな兄さん!