偽りの婚約者
## 第一章 追放の日
「リリアナ・ローゼンベルク、お前を王宮より永久に追放する」
冷たい石造りの謁見の間に、第二王子アレクサンダーの声が響いた。彼の隣には、美しい金髪の少女セレスティアが寄り添っている。私の元婚約者と、彼が選んだ新しい恋人だった。
私は膝をついたまま、感情を殺して彼らを見上げた。十七年間慣れ親しんだこの王宮も、今日で見納めになる。
「理由を聞かせていただけますか、殿下」
私の声は思いのほか冷静だった。アレクサンダーの青い瞳に、一瞬迷いが浮かんだような気がしたが、すぐにセレスティアに囁かれて表情を硬くした。
「お前は魔法の才能もなく、公爵令嬢としての品格も欠いている。そして何より」
彼は言葉を区切り、セレスティアの手を取った。
「真の愛を理解していない。私とセレスティア様の絆を理解せず、婚約者としての立場に固執した。王室には不要な人間だ」
謁見の間にいる貴族たちがざわめいた。私を憐れむ声もあれば、やはりという納得の声もある。確かに私には華やかな魔法の才能はなかった。地味で目立たず、セレスティアのような美しさもない。
「分かりました」
私は静かに立ち上がった。悔しさや悲しみよりも、不思議と解放感が胸に広がっていた。
「では、これまでの恩に感謝いたします。お幸せに」
最後にそれだけ告げて、私は王宮を後にした。振り返ることはしなかった。
## 第二章 異世界への扉
王都を出て三日目の夜、私は森の中で野宿していた。持参した金貨もわずかで、行く当てもない。それでも不思議と絶望感はなかった。
満月の光が木々の間から差し込む中、私は小さな焚き火の前で一人考えていた。これからどうやって生きていこうか。商人にでもなるか、それとも辺境の村で農業でも始めるか。
その時、森の奥から不思議な光が漏れているのに気づいた。青白い光が明滅している。魔物かもしれないと思ったが、なぜか恐怖は感じなかった。
立ち上がって光の方向に歩いていくと、大きな樫の木の根元に、宙に浮かぶ光の輪があった。直径は大人一人がくぐれるほどの大きさで、輪の向こう側は見えない。
「転移魔法…?でも、こんなに巨大なものを維持できる魔術師なんて」
その時、光の輪がより強く光った。そして中から、低く優しい男性の声が聞こえてきた。
『迷える魂よ、新たな世界で生きる意志はあるか』
私は驚いて後ずさりしたが、その声には不思議な魅力があった。
「あなたは誰ですか」
『私は次元の狭間を司る者。お前の魂の叫びを聞いた。この世界に居場所を見つけられぬなら、別の世界で幸せを掴むが良い』
別の世界。つまり、異世界ということだろうか。
「もし行ったら、二度とここには戻れないのですね」
『その通りだ。だが、お前にここに残る理由があるか?』
私は考えた。王宮を追放され、頼る家族もいない。アレクサンダーとの思い出も、今では痛みでしかない。
「分かりました。参ります」
私は迷わず光の輪へと足を踏み出した。
## 第三章 魔法学院の問題児
気がつくと、私は石造りの廊下で倒れていた。周りには同年代の若者たちが心配そうに覗き込んでいる。
「気がついた?大丈夫?」
声をかけてきたのは、栗色の髪をした快活そうな少女だった。
「ここは…?」
「アルカディア魔法学院よ。あなた、転入生のリリアナ・ローゼンベルクでしょ?倒れてるところを見つけたの」
魔法学院。そして私の名前も通じている。あの声の主が手配してくれたのだろうか。
「私はエミリア。よろしくね」
エミリアの案内で、私は学院長室に向かった。学院長は意外にも若い男性で、深緑の瞳が印象的だった。
「君がリリアナですね。私はリオン・アルバート、この学院の学院長です」
「よろしくお願いします。あの、私のことは」
「転移に関する説明は後で個人的にします。今は新しい生活に慣れることを考えてください」
リオン学院長の配慮により、私は特待生として学院で学ぶことになった。だが、問題はすぐに起こった。
「なによ、あの子。魔法の基礎もできないくせに特待生だなんて」
「きっとコネがあるのよ。成績も最下位だし」
クラスメイトたちの視線は冷たかった。確かに私の魔法技能は低く、授業についていくのがやっとだった。元の世界でも、この世界でも私は落ちこぼれのようだ。
そんな私に唯一優しくしてくれたのが、エミリアと、もう一人、ダリウス・ブラックウッドという上級生だった。
## 第四章 ダリウスとの出会い
ダリウスは学院でも有数の実力者で、黒い髪と紫の瞳を持つ美しい青年だった。普段は無愛想で近寄りがたい雰囲気を醸し出しているが、なぜか私には親切にしてくれた。
「また一人で練習しているのか」
夜遅く、中庭で魔法の練習をしていると、ダリウスが現れた。
「はい。皆さんに迷惑をかけないよう、人のいない時に」
「迷惑なものか。努力している者を馬鹿にする奴らの方がよほど愚かだ」
彼は私の隣に座り、夜空を見上げた。
「君の魔法には独特の波動がある。この世界の魔法とは少し違う」
鋭い指摘だった。実際、私が使おうとする魔法は元の世界の理論に基づいていて、この世界の魔法体系とは微妙に異なっていた。
「もし良ければ、私が指導しよう」
「本当ですか?」
「ああ。君には…特別な才能がある気がする」
それから毎晩、ダリウスは私に魔法を教えてくれた。彼の指導は的確で、しかも私の特性を理解してくれていた。
「君の魔法は破壊力ではなく、回復や支援に向いている。だが、それは戦闘において最も重要な能力だ」
確かに、ダリウスの指導のおかげで、私の回復魔法は急速に上達していった。クラスメイトたちも次第に私を認めるようになった。
「リリアナちゃん、すごいじゃない!」
エミリアは私の成長を心から喜んでくれた。
だが、私の心の中では複雑な思いが渦巻いていた。ダリウスへの感謝の気持ちが、いつの間にか恋心に変わっていたのだ。
## 第五章 学院祭の奇跡
学院祭の季節がやってきた。各クラスが出し物を披露する華やかなイベントだ。私たちのクラスは魔法劇を演じることになった。
「リリアナ、あなたがヒロイン役よ」
エミリアの提案に、クラス全員が賛成した。以前なら考えられないことだった。
劇の内容は、邪悪な魔王に囚われた姫を騎士が救い出すという王道の物語だった。騎士役はクラスの男子生徒の中でも人気のあるマルクスが演じることになった。
練習は順調に進んだ。私も少しずつ演技に慣れていった。だが、本番の日に思いもよらないことが起こった。
劇が始まって間もなく、突然学院に魔物が襲撃してきたのだ。観客席がパニックになる中、上級生たちが応戦に向かった。
「みんな、避難して!」
ダリウスも剣を抜いて立ち上がった。だが、魔物の数は多く、生徒たちだけでは対処しきれない。
「リリアナ、君は避難を」
「いえ、私も戦います」
私は杖を握りしめた。この数か月で身につけた回復魔法を、今こそ活かすときだ。
戦いは激しかった。負傷者が次々と運ばれてくる中、私は必死に回復魔法をかけ続けた。気がつくと、私の魔力は底を尽きそうになっていた。
その時、ダリウスが強力な魔物に囲まれているのが見えた。彼は一人で数体相手に戦っていたが、さすがに劣勢だった。
「ダリウス!」
私は最後の魔力を振り絞り、彼に向かって全力の回復魔法を放った。それは今まで使ったことのないほど強力な光となって、ダリウスを包み込んだ。
その瞬間、不思議なことが起こった。私の魔法がダリウスの力を増幅させたのだ。彼の剣が光に包まれ、魔物たちを一掃した。
戦いが終わった後、私は力尽きて倒れた。目を覚ますと、保健室のベッドにいた。隣には心配そうなエミリアとダリウスの顔があった。
「良かった、目を覚ました」
ダリウスの声には、いつもにない安堵の色があった。
「あの時の魔法、君にしかできないものだった。君は特別な才能を持っている」
学院長のリオンも現れ、私を称賛した。
「君の力は他者を強化する稀有な能力だ。これは古代魔法の一種で、現代では失われたとされていた」
## 第六章 過去の真実
学院祭での活躍により、私の評価は一変した。クラスメイトたちは私を英雄のように扱い、下級生からは憧れの眼差しを向けられるようになった。
だが、私が最も気になったのはダリウスの反応だった。あの日以来、彼は私に対してより優しくなったが、同時に何かを隠しているような素振りも見せていた。
ある日の夜、いつものように中庭で練習していると、ダリウスが現れた。だが、今夜の彼はいつもと様子が違った。
「リリアナ、君に話さなければならないことがある」
私は杖を置いて彼の方を向いた。
「実は…私は君のことを知っていた。この世界に来る前のことも」
「えっ?」
「私の本名はダリウス・ブラックウッド。だが、元の世界では違う名前で呼ばれていた」
彼は深く息を吸った。
「元の世界での私の名は…アレクサンダー・ヴァルハイト」
私は言葉を失った。目の前にいるのは、私を追放した第二王子だったのか。
「なぜ…どうして」
「君を追放した翌日、私もこの世界に転移してしまった。理由は分からない。だが、この世界で君を見つけた時、私は自分の過ちを理解した」
ダリウス…いや、アレクサンダーは苦しそうに続けた。
「君を失って初めて分かった。私が愛していたのは君だったということが。セレスティアは美しかったが、私の心を満たしてくれたのは君だった」
「そんな…今更そんなことを言われても」
私は混乱していた。憎むべき相手だったはずなのに、この数か月間で私はダリウスに恋をしていた。
「君を傷つけたことは許されないことだ。だが、もう一度やり直すことはできないだろうか」
## 第七章 選択の時
それから数日間、私は一人で悩み続けた。エミリアは心配してくれたが、この件について話すことはできなかった。
ダリウス(アレクサンダー)の告白は真実のように思えた。この世界での彼の優しさや思いやりは、演技ではなく本物だった。だが、元の世界で受けた傷は簡単には癒えない。
そんな私を見かねて、学院長のリオンが声をかけてきた。
「何か悩みがあるなら、話を聞くよ」
私は躊躇したが、結局すべてを話すことにした。異世界転移のこと、元の世界での出来事、そしてダリウスの正体について。
「なるほど、それは確かに複雑な状況だね」
リオンは静かに聞いてくれた。
「一つ言えることは、人は変わることができるということだ。彼がこの世界で見せた姿が偽りでないなら、それは彼の本当の心なのかもしれない」
「でも、傷つけられたことは事実です」
「その通りだ。だが、君にはその傷を乗り越える強さがある。それは君がこの数か月で証明してくれた」
リオンの言葉は心に響いた。確かに私はこの世界で変わった。以前より強く、自信に満ちた人間になった。
## 第八章 新たな脅威
悩んでいる間に、学院に新たな危機が訪れた。近隣の国が魔法学院に圧力をかけてきたのだ。
「彼らの目的は君たち転移者の確保だ」
学院長会議で、リオンが深刻な表情で説明した。
「転移者の力は強大で、軍事利用を企んでいる。特に君の強化魔法は、軍隊の戦力を飛躍的に向上させる」
私とダリウスは顔を見合わせた。私たちが学院にいることで、他の生徒たちを危険に晒している。
「私たちが出て行けば」
「それは解決にならない」
ダリウスが口を開いた。
「彼らは君を諦めない。むしろ、学院の保護がなくなれば危険が増すだけだ」
数日後、ついに敵軍が学院の近くまで迫ってきた。生徒たちは避難を始めたが、私は残ることを決意した。
「リリアナ、危険すぎる」
エミリアが止めようとしたが、私の決意は固かった。
「みんなを守りたいんです。今度は私が戦います」
## 第九章 最後の戦い
戦いは激烈だった。敵は数百人の兵士と複数の魔術師を送り込んできた。学院の教師たちと上級生が応戦したが、数の差は歴然としていた。
私は学院の中央で、負傷者の治療と味方の強化を同時に行った。私の魔法により、味方の戦力は大幅に向上したが、敵の数はあまりにも多かった。
「リリアナ!」
ダリウスが血まみれになりながら私の元に駆け寄ってきた。
「もう限界だ。君だけでも逃げてくれ」
「いえ、最後まで戦います」
その時、敵の指揮官らしき男が前に出てきた。
「転移者よ、降伏するなら命は保証しよう。我が国のために力を貸せ」
私は立ち上がり、杖を構えた。
「お断りします」
「愚かな娘め。力ずくで連れて行く」
敵の魔術師たちが一斉に魔法を放った。だが、その時奇跡が起こった。
私の体が光に包まれ、放たれた魔法を全て吸収したのだ。そして次の瞬間、その力は何倍にもなって跳ね返された。
「これは…古代の守護魔法か」
敵の指揮官が驚愛の表情を浮かべた。
私自身も驚いていた。これほどの力が自分にあったとは思わなかった。
「リリアナ、君の力は愛する者を守る時に最大になる」
背後からリオンの声がした。
「君が本当に愛しているものは何だ?」
私は周りを見回した。傷ついた仲間たち、必死に戦うダリウス、そして心配そうに見守るエミリア。
「みんなです。みんなを守りたい」
その瞬間、私の魔力が爆発的に増大した。光の波動が学院全体を覆い、敵軍を押し返した。
戦いは私たちの勝利に終わった。敵は撤退し、学院は平和を取り戻した。
## 第十章 愛の告白
戦いから一週間が過ぎた。学院は復旧作業に追われていたが、生徒たちの表情は明るかった。
私は中庭のベンチで夕日を眺めていた。戦いの中で、私は自分の気持ちを整理することができた。
「リリアナ」
振り返ると、ダリウスが立っていた。彼の傷もかなり良くなっている。
「話があるんだ」
彼は私の隣に座った。
「あの戦いで、私は確信した。君を失いたくない。元の世界での過ちを償いたい」
「ダリウス…」
「いや、この世界では私はダリウスだ。アレクサンダーとしての過去は変えられないが、ダリウスとして新しい人生を歩みたい」
彼は私の手を取った。
「リリアナ、君を愛している。今度は君を幸せにしたい」
私は彼の瞳を見つめた。そこには偽りのない愛があった。
「私も…あなたを愛しています」
「本当か?」
「はい。元の世界のことは忘れられませんが、今のあなたを愛しています」
私たちは静かに抱き合った。夕日が二人を優しく照らしていた。
## エピローグ 新しい未来
それから二年が過ぎた。私とダリウスは学院を卒業し、結婚した。現在は学院の教師として、新しい世代の魔術師たちを指導している。
「リリアナ先生、今日の授業お疲れ様でした」
教え子たちが元気よく挨拶してくれる。私は彼らに回復魔法と強化魔法を教えているが、最も大切なことは愛する心だということも伝えている。
「愛する者のために使う魔法が、最も強力になるのです」
家に帰ると、ダリウスが夕食の準備をしてくれていた。
「お疲れ様」
彼は優しく微笑んで私を迎えてくれる。
「今日、エミリアから連絡があったよ。来月結婚するそうだ」
「そうなの?良かった」
エミリアは冒険者として各地を旅していたが、素敵な男性と出会ったようだ。
夜、ベッドに入ってから、私は窓の外の星空を眺めた。元の世界では決して得られなかった幸せを、この世界で見つけることができた。
「何を考えている?」
ダリウスが私の肩を抱いてくれる。
「幸せだなって。追放されて最初は辛かったけれど、結果的にあなたと出会えて良かった」
「私もだ。君を失って初めて、本当の愛を知った」
私たちはお互いを見つめ合い、静かにキスを交わした。
元の世界で受けた傷は完全には消えないかもしれない。だが、新しい世界で見つけた愛は、その傷を癒やし、新しい希望を与えてくれた。
追放されたあの日から始まった物語は、こうして幸せな結末を迎えたのだった。
*「ザマァ」*
時々、私は心の中で元の世界の人々に向かってそう呟く。私を見下し、追放した者たちよ。見てください、私はこんなにも幸せになりました。あなたたちの判断が間違っていたことを、この幸せが証明しています。
だが、その気持ちもすぐに愛の温かさに包まれて消えてしまう。過去への恨みよりも、未来への希望の方がずっと大切だから。
私たちの愛の物語は、まだ始まったばかりなのだから。




