夫婦の願い3
目覚め、そして繰り返される朝
目が覚めた瞬間、全身を焼くような炎の熱さよりも、胸を抉るような激痛だけが鮮明に残っていた。昨夜の悪夢が、まるで現実のように胸に焼き付いている。しかし、その痛みと同じくらいはっきりと、ここはあの**「朝」**に戻っているのだと理解した。
軋む体を叱咤し、痛みで息を詰まらせながらも、上へと続く階段を一歩ずつ慎重に登っていく。古びた石の階段は、ライムの一歩ごとにギシギシと音を立てる。やがて、わずかに開いたドアの隙間から漏れる朝日が目に飛び込んできた。
ドアを開けると、そこにはやはりアカリがいた。
「おはよう」
ライムはそれだけを告げると、目の前に並べられた食事に手を伸ばし、無言で食べ始めた。湯気を立てる温かいスープの匂いが鼻腔をくすぐる。一口食べると、じんわりと体の奥から温かさが広がる。
「あ〜ライムくん、おはよう〜!すぐに食べるなんて、よっぽどお腹空いてたんだね〜」
アカリの呑気な声が聞こえるが、ライムは気にも留めない。彼女の視線を感じながらも、黙々と食事を進める。
朝食を終えると、ライムは席を立ち、アカリに告げた。
「今日は昼過ぎまで武器の使い方とかの練習したいから、着けて行くね」
ライムの言葉に、アカリは目を丸くする。
「えっ?どうしたの?確かに普段から身につけてた方がいいけどさ、なんかプロになった気分?」
アカリはそう言って、くすくすと笑った。ライムは感情の読めない表情で返す。
「まあ、そんな感じだよ」
そう言うと、ライムは慣れた手つきで装備を身につけ始めた。革のキュラッサが擦れる音、金属のバックルがカチリと鳴る音。それら一つ一つの音が、ライムの決意を固めるようだった。
その姿をじっと見ていたアカリは、驚きと感心の入り混じった声を上げた。
「一回しか装備してないのになんか慣れた手つきだね!」
アカリの言葉が耳に届いたが、ライムは返事をせず、工房を急いで飛び出した。
目指すは、エルの元。間に合わせなければ、という焦りがライムの背中を押していた。
「行ってらっしゃい〜!なんか慌ててたな〜?」
アカリはライムの後ろ姿に声をかけるが、すぐに気にするのをやめ、いつもの作業に戻っていった。工房には、朝の光と、道具がぶつかる規則的な音が響いている。
⸻
小道での再会、そして別れ
夫婦の家の近くにある、ひっそりとした小道。草木が生い茂り、湿った土の匂いがするその脇に、ライムはボロボロになって倒れている娘、エルを見つけた。彼女の服は破れ、顔には擦り傷がいくつも刻まれている。ライムの胸が締め付けられる。
「両親にエルさんを探すように頼まれて来たんだ。一緒に行こう」
ライムはそう言って、エルをそっと背中に背負い上げた。エルの細い体が、ライムの背中でか細く震えている。土と血の匂いが混じり合った、独特の匂いがした。
「えっ…?いきなりだけど、なんか嘘…言ってる気がしないし…。お願いします…」
エルの弱々しい声が、ライムの耳に届く。
ライムはゆっくりと息を整え、決意を込めて答えた。
「エルさんには言うけど、絶対君に酷いことした連中とルドルフ・サンクレーンは生かしておかないから安心して。恨みは晴らすからね!」
その言葉に、エルは小さくうなずき、目を閉じた。
ライムはそれだけを伝え、駆け足で夫婦の家へと向かった。
古びた木のドアを力強く叩くと、中から慌てた様子でジェラルドとソフィアが出てきた。三人が再会した瞬間、彼らの間には言葉にならない感情が渦巻いた。
そして、ライム達に見守られる中、エルは静かに息を引き取った…。
⸻
偽りのない別れ
ライムは二人に、偽りのない素直な気持ちを伝えることにした。冷たい風が頬を撫で、ライムの目に溜まった涙を乾かしていく。
「本当は今すぐにでも兵士達を倒して、両親だけでも助けたいって思ってた…」
ライムの声は震え、言葉の端々から悔しさが滲む。
「でも、二人は多分だけど…娘が酷い目に遭って死んでいくのに、自分達だけ生き続けても意味がない。一緒に死にたいって覚悟を…してるんだろ?」
ライムの目から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。
ジェラルドは震える手でライムの手を握り返した。
その手の温もりに、ライムの心が一瞬だけ安らいだ。
ジェラルドとソフィアは、静かに決意を示すように互いの目を見つめ合った。
「ありがとう…察してくれて…」
ジェラルドの声は絞り出すようで、その瞳には深い悲しみが宿っていた。
「そうよ…私たちも一緒に行かないと、娘は冥土に行けないかもしれないし…」
ソフィアもまた、涙をこぼしながら、その切ない気持ちを伝えた。彼女の声は途切れ途切れで、言葉にならない痛みが伝わってくる。
窓の外からは、かすかな風の音と遠くで鳴く鳥の声が聞こえた。部屋の中は重苦しい沈黙に包まれている。
「綺麗事は言わないけど、恨みは必ず晴らすよ…」
ライムはそう告げると、ポケットに手を入れて、ひんやりとした六銅貨を取り出した。古い金属の匂いが指先に残る。
「意味違うかもしれないけど、これで迷わず行けるよ!」
ライムは少しだけ、悲しげに笑った。その顔には、決意と、ほんの少しの諦めが混じり合っていた。
差し出された六銅貨を、ジェラルドとソフィアは静かに受け取る。
ジェラルドは、震える手で依頼料を差し出した。
「本当にありがとう…よろしくお願いします…」
二人は揃って、深く頭を下げた。その姿は、ライムの目に焼き付く。
ライムは、目から涙を流しながらも、二度と振り返らなかった。
背後からは、別れを告げるかのような、重い沈黙が広がっている。
「さようなら…」
ライムはそれだけを告げ、二人の家を後にした。足音が遠ざかるにつれて、背後の家が、そしてそこにいる二人の存在が、徐々に過去のものとなっていくような気がした。
鍛冶屋に集う仲間たち
鍛冶屋に戻ると、すでに店の中には、レンド、フィオラ、アカリ、みんなが揃っていた。店内の鉄を叩く音は止み、静寂が広がっている。彼らがここに集まっているのが不思議で、ライムは(暇なのかな?)と一瞬思った。
ライムは、革製のポーチから取り出した金貨五枚を、テーブルの上にカチャリと音を立てて置いた。金貨の鈍い輝きが、店内の薄暗がりにわずかな光を添える。
「ちゃんと依頼を受けて来た…。別れも済ませた…」
ライムの声は、どこか沈んでいて、微かに震えていた。その言葉に、レンドはハッと目を見開いた。
「何?別れとはどういう意味だ?」
レンドの問いに、ライムは深く息を吐き、静かに答える。
「夫婦も言っていたけど、口封じに来るのを覚悟していた…。いや、あの様子だと、口封じされなくても自害しただろう…」
ライムは、ギュッと拳を強く握りしめた。手のひらに爪が食い込み、痛みが走る。その表情には、やるせない怒りと悲しみがにじんでいた。
レンドはそれ以上追求せず、「そうか…」とだけ呟いた。その声には、深い理解と、わずかな諦めが混じっていた。
「決行は今夜だ。それまで皆、準備しといてくれ…。ただアカリはな、ロンリーベアは使わずに、せめて背負うだけにしてくれよ…目立つから」
レンドの言葉に、アカリは元気よく答える。
「はい!使わずに、ハンマーで頑張るよ!」
アカリの明るい声に、レンドは安堵したのか、スーッと音もなく鍛冶屋を出て行った。彼の足音が遠ざかるにつれて、再び店内に静寂が訪れる。
フィオラは、ライムの顔をじっと見つめ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ねぇ?どうして地図も見ずに夫婦の家に行けたの?そのカラクリ、今度教えてね?」
そう言うと、彼女はガラガラと荷台を引いて、昼過ぎの眩い光の中街に向かって帰って行った。
荷台の車輪が石畳を擦る音が、遠くで聞こえる。
アカリは、急に慌てたように言った。
「ほら、私たちも仕事仕事っと!でも、そんなに人は来ないけどね」
彼女はクスッと笑いながら、作業台に向かい、小さな火花が散り始めた。
衝撃の連絡、そして夜への準備
アカリたちが仕事を始めてしばらく経った頃、アカリが持っている通信機に連絡が入る。フィオラのからで、いつもよりずっと緊迫していた。
「依頼者の夫婦の家で火災が起きたって…。レンドさんが、ライムが口封じのこととか言ってて気になって様子を見に行ったら、もう火の手が上がってたって。急いで家に入ったけど…3人は重なるように亡くなってたって。遺体には斬られた後もあったし、口封じで間違いないって言ってたわ…。今夜、決着をつけましょうね…」
フィオラの言葉が終わるやいなや、通信はブツリと切れた。アカリの手から通信機が滑り落ちそうになる。ライムの言っていたことが、現実になってしまった。
(ライムくんが言ってたことが起きたってこと?でも口封じは起きてもおかしくはない?とにかく準備しとこ)
アカリの脳裏に、様々な思考が駆け巡る。鼻腔には、焦げ付いたような鉄と、わずかな煙の匂いが残っているような気がした。不安と焦燥感を胸に抱きながらも、アカリはいつもの仕事をこなしつつ、来る夜のための準備も進めるのだった。
焼け落ちた家と歪んだ真実
一方、夫婦の家の前では、すでに家は焼け落ちて崩れかけていた。焦げた木の匂いが辺り一面に立ち込め、地面には黒い灰が舞っている。まだ煙がくすぶる中、レンドがタカオ達と共に、淡々と調査を進めていた。
にやけた顔でタカオは声高らかに調査打ち切りを宣言をする。
「うん、不注意による火災ね、これで決まり!はい!調書は私が作成しますから、皆さんも引き上げましょう!」
役人の言葉に、レンドは驚きを隠せない。焦げた煙の臭いが鼻につく。
「えっ?いいんですか?遺体の様子とか見なくて?」
レンドの問いに、タカオは鼻で笑いながら答えた。
「ああ、いいのいいの…。まさかのムラサメさんが第一発見者でしょ?何をしてたのかは知らないけど管轄外だし…?それに本部からも細かく調査はしなくていいと圧をかけられましたしね。無難な報告書でこの事件は完了よ!さあ帰りましょ!ムラサメさんも普段から今みたいな積極性が見たいですけどね!」
タカオは、そんな嫌味を吐き捨てると、部下を引き連れて足早に去っていった。
レンドは、遺体を確認した時にジェラルドが力強く握っていた六銅貨を拾い上げた。
熱を帯びたコインは、まだ少し温かい。それを自分の懐から出すと、レンドは怒りを露わにして、その銅貨を力強く握りしめた。金属の冷たさと、手のひらの熱が混じり合う。彼の顔には、隠しきれない憤慨の表情が浮かんでいた。
そして、その場を後にし、そのまま鍛冶屋へと向かった。
夕刻鍛冶屋にて
鍛冶屋の薄暗い店内には、すでにレンド、フィオラ、アカリ、そしてライムが集まっていた。昼間の賑やかさは影を潜め、静寂が張り詰めている。わずかに残る鉄の匂いが、彼らの緊張感を物語っていた。
フィオラが、フッと笑みを浮かべ、その声が店内に響いた。
「いよいよ初陣ね。あなたの実力、しっかり見せてね」
ライムは、その言葉を受けて、改めて覚悟を決めた。
「大丈夫…でもないけど、いろんな死を見たことで、試したいこともできたんだ…。でも、まだ正解がわからないけど…頑張ってみるよ!」
ライムの声には、不安と決意が入り混じっていた。固く握りしめた拳には、力がこもっている。
その時、アカリがゴソゴソと何かを探す音がした。彼女は、唐突に切り出す。
「ライムくん、決意したところで急なんだけど、この武器を使ってくれない?」
そう言って差し出されたのは、見慣れないダガーだった。ライムはそれを受け取り、手に取ってみる。ずっしりとした重みが、手のひらに伝わってきた。
「えっ?ダガー?にしては重いし、なんか銃身もあるし、何これ?」
ライムが訝しげに見つめると、アカリはニコッと笑い、説明を始めた。
「ほら、前に異世界人の武器を直したことあるじゃん?それで参考にして、ダガーで作ってみたの!普通のダガーの機能も損なわないように、刃の上部分はちょっと膨らみあるけど、刺す時に邪魔したら駄目だから上部に銃身をつけて、グリップの下部に弾倉付いてて、使い切ったら捨てて新しい弾倉を瞬時に装着するって感じね!もちろん練習は必要だろうけどね。それでグリップを回転させたら装填されて、トリガー引けば弾が出る。一応50メートルを想定してる。何か質問は?」
ライムは武器を見回し、戸惑いつつ尋ねた。
「照準は?」
アカリは屈託なく笑う。
「ダガーの先を見て?その先に敵がいれば当たるよ!簡単でしょ?」
その言葉に、ライムは半信半疑の表情を浮かべた。
「そうなのか?じゃあ使えるかな?」
アカリは、やや呆れたように言い放った。
「使えるかな?じゃないよ、使うんだよ!非力なんだから、できることをしないと」
フィオラも、そんな二人のやり取りを見て、面白そうに笑う。
「理にかなってる銃だし、良いんじゃない?」
それぞれの覚悟と出発
そこに、レンドが静かに現れた。彼の足音はほとんどせず、いつの間にかそこに立っているような錯覚を覚える。
「ずいぶんと賑やかじゃないか?準備はできたか?じゃあ作戦を言うぞ…。メインはルドルフ・サンクレーンだが、護衛や見張りや兵士が結構な数配置されてるはずだ」
レンドの声は低く、どこか張り詰めている。
「まあ、この人数で周りから崩していけば楽だろう。ただ…単独行動はするな? 特に小僧、お前は初陣だからな。俺と一緒にいろ。いいな?」
レンドはライムを見て。
「大丈夫だって、死なせはしねぇよ!そのおもちゃも役に立ちそうだしな」
レンドはダガーを見ながら皮肉っぽく笑った。アカリはムッとしながら反論する。
「レンドさん?これは立派な武器だよ!異世界の技術も詰まってるんだから!」
「バカだな〜。おめえが技術使ったわけじゃないだろ?それはつまり、おめえの技術ってことだ」
レンドの言葉に、アカリは困惑する。
「う〜ん、妙な言い方で褒めてんのか馬鹿にしてんのかわからない…」
レンドはそれ以上構うことなく、視線を長剣へと向けた。
「まあいいや、アカリ、とりあえず刀をくれ」
アカリは剣を渡し、怪訝な顔で尋ねる。
「はいはい。この刀と錆びた刀も持って行くの?いつも思うけど、なんのために?」
レンドは手に取った錆びた刀をじっと見つめ、答えた。
「こいつはな、自分への戒めだ。気が引き締まるんだよ…」
そう言って、彼は顔にマフラーを巻きつけ、その表情を隠した。レンドの目が、月明かりを反射して鋭く光る。
「じゃあ、先に行くぜ。一緒に歩くと目立つからな!」
レンドは、店の外へと足を踏み出した。すっかり夜になり、空には満月がぽっかりと浮かんでいる。彼は夜空を見上げ、フッと笑みをこぼした。
「おっ、月が笑ってら。今日は行けるぞ!」
一瞬の笑顔は、すぐに真剣な表情へと変わった。レンドは迷いなく、闇の中へと歩いて行く。彼の足音が、静かな夜の闇に吸い込まれていくようだった。
フィオラもまた、店の外に停めていた荷台をガタゴトと音を立てながら引き、レンドの後を追うように歩き出した。荷台の車輪が石畳を擦る音が、遠くで響く。
その様子を見たライムは、アカリに問いかけた。
「アカリさん、フィオラさんって、どうやって戦うの?」
アカリは肩をすくめて笑った。
「あ〜、説明しても理解できないよ。実際に見た方が早いよ。ロンリーベアからバズーカ砲出すよって言っても理解できないでしょ?それと一緒」
ライムは思わず「そっか〜」と納得しかけたが、すぐに驚きの声を上げた。
「えっ?!バズーカ砲出るの?!」
アカリは楽しそうに笑い、ライムが手に持つダガーに目を向けた。
「それで、その武器の名前、どうする?」
問われたライムは、咄嗟に口にした。
「リヴォルダガーで」
「へ〜、悪くないじゃん!」
アカリはにっこり笑うと、ライムと共に、闇に包まれたサンクレーン邸へと歩き出した。
それぞれの思いを乗せて、遂に裏稼業メンバーが出陣した。依頼者家族の恨みを晴らすために。