復讐者3
前回のあらすじ
アリシアは体に違和感を覚えながらも鍛冶屋に向かいライムに決闘を申し込み自分の屋敷の庭へと連れて行く。一方変死体の事件を調査していたレンドとタカオの元に本部から来たというスパークが合流する、飄々と親しげに距離を縮めていき独自の推理力でミイラ化した死体の違和感を告げていた。
「回復している」という言葉に、レンドとタカオは妙な引っかかりを感じて顔を見合わせた。不自然な沈黙が流れる中、レンドが口を開く。
「ちょっと待ってくれ。どこを見れば回復してるってわかるんだ?ただのミイラにしか見えないんだが」
レンドは、乾燥して赤黒くなった死体を指差しながら言った。腐敗臭はすでに薄れているが、代わりに焦げ付いたような独特の匂いが鼻をつく。スパークは頭をかき、その場にしゃがみ込むと、死体に触れないようにしながら指先で示す。
「レンドさん、よく見てください。ミイラの全体的な色だけで見ると赤黒いんです。でも、所々が紫色に変色していて、そこは溶けている。これって、回復しつつも強力な毒を浴びせた結果、急激に水分が失われて細胞も一気に消滅したってことです。ここまではわかりますか?」
スパークの言葉に、タカオが動揺した様子で口を開く。
「じゃあ、複数人で回復させつつ毒も与えたってことなの?でも何のために?生殺し?じわじわと殺すため?」
タカオの声はわずかに震え、この異常な死体の前で、彼の理性は恐怖に揺らいでいるようだった。
「ええ。でも、複数でそれをする理由が思いつかない。一人は生かそうとした?だったら毒を出している仲間を止めるのを優先するし、その時点で仲間割れを起こしているはずだ。でもそれもない。じゃあ、立場が上の人が毒役だった?だったら『回復するな』で終わる。それだけじゃなくて、少しでも長く生かしつつ毒を浴びせる。それなら交互に回復と毒をしたことになるが、それもない…。毒が強すぎる、回復魔法を上回る速度で組織を破壊してる。普通ならせめて数分はもつ。でも、この死体は数十秒で沈黙してる。つまり、制御された毒と回復を“同時に”行える能力……これは確実に一人の犯行です。ただ、異世界人ですら回復と毒を切り替えるなんて存在はそうそういませんね…」
スパークは淡々と、しかしどこか諦めたように自分の考えを述べた。レンドは煮え切らない表情で、拳を握りしめる。
「じゃあ犯人の目的は?まさか、生かすも殺すも自分次第って言う神気取りな奴か?だったらそれっぽい奴を捕まえればいいんだな?」
レンドの言葉に、スパークは曇天を見上げてため息をつく。
「そうだったらいいですよ。目的が単純でいい…。でももしそうじゃなかったら、心底怖いですよ。自分じゃ理解できない思考の相手っていうのは、本当に怖いですよ」
空からは、今にも雨が降り出しそうな湿った空気が漂っていた。スパークは、重苦しい空気を振り払うかのように、大きく息を吸い込む。
「ああ、ちょっと鎧があった場所に行ってみます。もう少し調べたいんで!タカオさん、報告書期待してますよ!じゃあ失礼します」
そう言って彼は、ポケットからペン型の禁煙飴を取り出し口に咥えた。しかし、煙を出す前に、その飴は砕け散って折れたペン先が地面に落ちた。
「…あれ?おかしいな、まだ出したばかりなのに…」
スパークの胸に、拭いきれない胸騒ぎが広がる。彼はそれを紛らわすようにイヤホンを着け、流れてくるジャズを鼻歌にしながら、調査現場に向かって歩き出した。彼の足元から、ザッ、ザッ、と砂利を踏みしめる音が響いていた。
一方同時刻、商業区は、活気に満ちた喧騒に包まれていた。露店の威勢のいい掛け声、行き交う人々の話し声、そしてどこからともなく漂ってくる様々な食べ物の香りが混ざり合い、独特の賑わいを生み出している。そんな雑踏の中、子供を抱えた女性が、白衣を着た医者の姿を見つけた。彼女は顔面蒼白で、今にも泣き出しそうな表情で、必死に声をかけた。
「すみません、お医者さんですか!うちの子が具合悪くて、ぐったりとしてしまって……どうか、見て頂けないでしょうか!」
女性は、縋るように頭を深く下げた。群衆のざわめきが一瞬途切れたように感じられた。ラグナは、その声に笑顔で振り返った。彼女の白い衣は、周囲の喧騒とは対照的に、どこか清廉な印象を与える。
「はい、どうされましたか~?具合悪いですか?見てみますね」
穏やかな声でそう言うと、ラグナはすぐに子供の診察を始めた。小さな体はぐったりと力なく、顔色は青白い。ラグナは優しく子供の額に触れ、脈を取り、瞳孔の開きを確認した。
「ああ、お子さんはかなり弱っていますね~。あなたもずっと看病をして、大変だったんでしょう~?すぐに回復しますね」
労わるような言葉をかけながら、ラグナは二人に両手をかざした。彼女の掌から、柔らかな緑色の光が溢れ出し、子供と母親を優しく包み込む。光が消えると、みるみるうちに子供の顔色が戻り、小さく咳き込んだ。そして、ゆっくりと意識を取り戻し、母親の腕の中で身じろぎ始めた。
「……ありがとう」
掠れた小さな声で子供が言うと、母親の目には溢れんばかりの涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……!なんてお礼を言っていいか……!」
彼女は慌てて財布を取り出し、中に入っているであろう、なけなしのお金を出そうとした。しかし、ラグナはそれを制するように、にこやかに手を振った。
「もう大丈夫みたいですね~。お礼は結構ですよ。医者として当然のことをしたまでです」
その時、曇天からポツリポツリと雨が降り始めた。最初は小さな雫だった雨は、あっという間に勢いを増してきた。人々は慌てて雨宿りを始め、商業区の喧騒は、雨音と人々のざわつきに変わっていく。
そんな中、ラグナは笑顔で二人に向かって手を振った。
「あなた達にも祝福あれ」
彼女の優しい笑顔のままその場を去ろうとした時、紫色の光が二人から一瞬放たれると、子供の体が痙攣し、口から鮮血が噴き出した。子供は苦悶の表情を浮かべ、その場に倒れ込んだ。
母親は悲鳴を上げ、駆け寄ろうとしたが、まるで足が地面に縫い付けられたように動けない。喉は締め付けられ、声も発することができない。彼女の目は虚ろになり、膝から崩れ落ちると、心臓の鼓動はゆっくりと、しかし確実に停止していき、最後に口から赤い血を溢して、動かなくなった。
周囲は一瞬の静寂の後、悲鳴や叫び声で大騒ぎになった。「何が起こったんだ!」「誰か救急を!」「さっきの医者はどこに行った!」人々は我先にとエコーリンクを取り出し、現場の様子を撮影し始め、通報する者も現れた。雨脚はさらに強まり、地面を叩きつける音だけが響いている。
そんな混乱の中、ラグナは一切振り返らず、雨に濡れることも気にせず、静かに微笑んでいた。
「やはり、生きる価値が見出せませんでした。さようなら。魂の救済は完了しました」
彼女の言葉が終わると同時に、嘘のように雨は止み、厚い雲の切れ間から、一筋の光が差し込んだ。
「これからは輝けますよ~」
ラグナはそう呟くと、まるで水に溶けるように、その場から姿を消した。残されたのは、雨上がりの濡れた地面と、騒然とした群衆、そして二つの冷たい遺体だけだった。
空は鉛色に染まり、庭には重い雨が降り始めていた。雨粒が石畳を叩く音が、静まり返った庭に響く。ライムとアリシアの決闘が始まろうとしている。決闘には参加しないアカリは、少し離れた屋根のあるテラスから、ただその様子を見守っていた。彼女の視線の先、庭の中央で、アリシアがゴホッ、ゴホッと小さく咳をしながらも、レイピアを構えライムを睨みつけている。その表情は、苦痛に歪んでいるにもかかわらず、その構えは崩れない。
「具合が悪いなら、また今度でいいけど?」
ライムは、アリシアの様子に戸惑いながらもそう告げた。しかし、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、アリシアのレイピアが稲妻のように伸びてくる。
「ふざけないで……!ゴホッ……!大丈夫だから……決闘を汚さないでくださいな……!」
アリシアは息も絶え絶えに、しかし鋭い声で言った。彼女の心臓は、ドクンドクンと激しく脈打ち、視界がかすみ始めていた。(でも、本当に妙ですわね……急に目が霞むし、動悸もある……。短期で決めないと、まずいですわね……)アリシアはそう心の中で考えながら、一歩前に出ようとする。しかし、手足は徐々に痺れ始め、自分の身体ではないような感覚に襲われる。それでも、彼女は気迫だけでライムに近づき、目にも留まらぬ速さで攻撃を仕掛けていった。
突き出されるレイピアは、素早く、何度も、何度も。ライムはリヴォルダガーで、辛うじてそれを防ぎながら後方へと下がっていく。カン、カン、と金属がぶつかる高い音が、雨音に混ざって響いた。ライムは、その隙にポケットから煙玉を落とし、白い煙を発生させて視界を遮る。その間に素早く回り込もうとしたが、アリシアのレイピアは、まるで生きているかのように鞭のようにしなり、無防備に移動しているライムの背中を正確に打ち据えた。
「……ふんっ。どうしましたの?煙で欺けると思いましたの?ゴホッ、ゴホッ……!甘いですわよ!そんなんで、よくお父様を倒せましたわね!驚きですわ……」
アリシアは咳き込みながらも、不敵な笑みを浮かべた。しかし、その体は一瞬ふらつき、バランスを崩す。そのわずかな隙を、ライムは見逃さなかった。彼はすぐさま肩に銃を構え、一発を撃ち込む。パァン、と乾いた音が響き、アリシアはレイピアで弾こうとするが腕が上手く動かず銃弾はアリシアの左肩に命中し、鮮血が雨に濡れた白いシャツに滲んでいく。
銃弾が命中したのを見て、ライムは確信した。(体が動かないぐらい本気で体調が悪いのに、意地とプライドだけで戦ってるんだ……)ライムの胸に、激しい戸惑いが押し寄せる。(どうにか止めたいけど……でも、負けるわけにはいかないし、どうすればいい?)
「大丈夫か?一応聞くけど、辞めるって選択肢はないの?」
ライムは、アリシアの痛々しい姿に心を痛めながらも問いかける。だが、アリシアは首を横に振った。
「くどいですわよ!一度やるって決めたこと……決闘は、どちらかが倒れるまでやるって決まっていますの!それを辞めるって言うなら、死んだ方がマシですわ……ゴホッ、ゴホッ……」
彼女は気迫だけでどうにか立っているが、動悸はどんどん激しくなり、呼吸は乱れていく。手足の痺れは全身に広がり、筋肉が硬直し始めていた。
そんな様子を、サンクレーン邸近くの建物の屋根から、スパークが見下ろしていた。雨は彼のコートを濡らすが、彼は気にも留めない。
「まったく、面白い世界だな……。誰かが行動すればすぐに情報が出る。おかげでこういう大事な場面にも来れるんだけどさ……。にしてもあの子は調子が悪そうだな。それでも戦いをやめられない理由があるのか?そんなもんプライドなんかじゃねぇよ。ただのバカだ……」
スパークはそう呟きながらも、決闘の行方から目を離せないでいた。(はぁ、はぁ……もう無理かもしれませんわ……。どうしてお父様はそんなにいい笑顔で微笑んでいますの?娘が負けてもいいとおっしゃるのですか?それとも……迎えに来たんですの……?)アリシアの意識は朦朧とし、心の中の言葉が、徐々に声に出ていく。
「わたくしが死ねば、サンクレーン家は終わりですわよ……?わかっていますの?」
「黙って見ていなさい。お父様。死人に口なしですわ……!」
アリシアは心の中でそう叫びながら、気迫だけで体を素早く動かした。先ほどとは比べ物にならない速さで、ライムに乱舞のような突きを何度も繰り出す。カキン、カキンと、刃がぶつかる鋭い音が鳴り響く。ライムは必死に食らいつくが、すべてを防ぎきることはできず、何発も体に命中した。服に鮮血が滲み、雨水と混ざり合って地面に落ちていく。
「くっ……!まだ、こんな力が……!」
ライムの言葉を聞き終える前に、アリシアはレイピアを鞭のように変化させ、ライムを後方へ大きく吹き飛ばす。さらにレイピアに魔導力を込め、一気にライムとの距離を詰めた。とどめを刺そうとした、その瞬間――。
アリシアの口から、大量の鮮血が噴き出した。まるで糸が切れた人形のように、彼女はライムの上に崩れ落ちる。勢いよく地面に落ちたレイピアが、甲高い音を立てた。アリシアはゴホッ、ゴホッと何度も咳を繰り返し、とめどなく鮮血を吐き続ける。
「ちょっと、大丈夫か……?もう、やめよう!医者に診てもらえば、まだ大丈夫だよ、きっと。だから!」
ライムは、アリシアの弱々しい体に呼びかけるが、何の返事もない。アリシアをそっと地面に寝かせると、彼女の顔色は、雨に濡れた石のように白く、冷たくなっていた。
その様子を、裏門から微笑んで見つめている者がいた。白い医者の服を着たラグナだ。雨は彼女の髪を濡らすが、彼女はそれを気にする様子もなく、静かに呟く。
「あなたにも祝福あれ。魂の救済は、もう少しですよ」
アリシアは何かを言おうとするが、もう声も出せない。体も動かず、視界はほとんど見えなくなっていた。激しかった動悸も治まり、心臓の鼓動がゆっくりと、しかし確実に小さくなっていく。
(決闘、ちゃんとできなかった……。名家の最後の当主が、これじゃ……不甲斐ないですわ……)
朦朧とする意識の中で、アリシアの目の前に父親の幻が現れた。
「お前はよくやったよ。すまなかったな。これからは、一緒にいよう……」
その言葉は、アリシアの耳にはっきりと届いた。泣きたくても泣けない、声も出せない。そんな彼女の視線は、近くに落ちているレイピアに注がれていた。最後の力を振り絞って、その柄に触れようとするが、指一本動かせない。
その様子に何かを感じ取ったアカリは、地面に落ちていたレイピアを拾い上げ、アリシアの手に握らせた。アリシアは最後の魔導力を使い、レイピアを鞭のように伸ばしてライムへと向ける。(殺して……!)その思いは、言葉にならない叫びとなって、ライムの心に幻聴のように響いた。
「殺して……」
ライムは、その幻聴に涙を流し、腹でレイピアを受け止めた。鋭い刃先が、服を突き破り、温かい血が滲み出す。
「さようなら……」
そう呟くと、ライムはリヴォルダガーを構えた。その瞬間、アリシアの脳裏に走馬灯のように様々な記憶が駆け巡る。常に自分に優しく、レイピアの使い方や貴族のあり方を説いてくれた父の姿。父が隠し持っていた魔導具を使って、初めて魔導力を覚醒させたこと。その時、初めて父に殴られ、二人で抱き合って泣いたこと。そして、信じたかったけれど知ってしまった、父の裏の顔……。優しくも、どこか悲しげな父の笑顔が、彼女の脳裏に焼き付く。
「クライ・死す……ブレイド……!」
ライムはトリガーを引き、アリシアにとどめを刺した。乾いた銃声が響き渡る。
決闘の一部始終を見届けたスパークは、静かに呟く。
「まったく、少年……辛いだろうが、すべて背負え……。それができないなら、俺が捕らえてやるよ。死事人ライム、ついでにアカリか……。もう少し、お前たちの行動を見させてもらうぜ……」
スパークは、ポケットから禁煙飴を取り出し、口に含んだ。ほんのりと甘い香りが、彼の口の中に広がる。彼は煙を出すと、屋根から降りようとしたがふと裏門を見ると医者の姿が見えた。
(ん?あそこにいるのは、俺を治した……確か、ラグナって医者じゃないか?なんで決闘を見てたんだ……まさか……な……)
不審に思いながらもスパークは、イヤホンを装着し、その場を後にした。
ラグナは、アリシアの動かなくなった体を見つめていた。
「あなたの祝福は、残念ですが失敗に終わりました。魂の救済はできませんでした。あの者のせいで……。ふふふ、あの者も裁断しないとね……」
彼女はそう言うと、口に含んだ禁煙飴を笑顔で噛み砕き、その場から姿を消した。雨は嘘のように一気に止んでいた。




