死んだはずの俺2
ライムは、酒場を出てすぐ、マスターに教えられた「月下の花屋」へと向かっていた。王都の中心部から離れた、薄暗い裏通り。古びた木造の建物がひしめく一角に、ひっそりと佇むその花屋は、周囲の喧騒から隔絶されたように静まり返っていた。
店先に並べられた花々は、夜闇に溶け込むように深い色合いを帯び、甘く、しかしどこか生々しい香りをあたりに漂わせている。ガラス窓の奥には、ランプの柔らかな光が漏れ、人影がちらりと見えた。ライムは、胸の高鳴りを抑えながら、重い扉をゆっくりと開けた。扉が軋む音が、店内に響き渡る。
店の中は、外見からは想像もつかないほど広々としていた。所狭しと並べられた鉢植えや切り花が、部屋全体を埋め尽くしている。様々な種類の花が放つ複雑な香りが、ライムの鼻腔をくすぐった。奥には、作業台のようなものが見え、何かの作業をしているらしき人物がいた。
ライムが中へ足を踏み入れると、作業台の陰から、一人の女性が顔を上げた。彼女は、腰まで届く豊かな桜色の髪を揺らし、その瞳は夜空の星々を映したようにキラキラと輝いている。ピンクのロングスカート姿で白いエプロンには土の汚れが少しついていたが、それが彼女の清楚な印象を際立たせていた。彼女は手に持っていたじょうろを軽く持ち上げ、ライムに向かってにこりと微笑んだ。
「いらっしゃいませ。あら、珍しいお客様ですね。夜分にどのようなご用件で?」
その声は、花の香りのように甘く、しかしどこか芯の強さを感じさせた。ライムは、マスターに言われた通り、握りしめていた六枚の銅貨を差し出した。
「あの……初めてまして夜分にすみません俺はライムっていいますそれでマスターから言われて…その、これを……」
「あら?六銅貨?」と驚き「私はフィオラって言いますしがない花屋だけどよろしくね」と微笑むフィオラはライムの手のひらに乗せられた銅貨をじっと見つめた。そして、ふわりと微笑んだかと思うと、手に持っていたじょうろを、シャワーヘッドの部分をライムの顔に突きつけるように構えた。その動作は流れるように自然で、一切の迷いがなかった。
「ふふ、ねえ、あなた……その六銅貨って、どういう意味か、わかってる?」
フィオラの声は、まるで子供に問いかけるように無邪気だったが、その瞳の奥には、底知れない冷たさが宿っているように見えた。そして彼女は、可愛らしく、しかしどこかゾッとするような笑顔で、こう告げた。
「これはね……冥土への通行料よふふふふふ…!」
フィオラの楽しそうな笑い声が、店内に満ちた花の香りと混じり合って響き渡る。ライムは、シャワーヘッドが向けられた自分の顔を前に、内心で困惑していた。
(なんで、シャワーヘッドを突きつけて笑ってるんだ……?)
フィオラは、じょうろをゆっくりと下ろすと、柔らかな微笑みを浮かべた。その表情は、先ほどのぞっとするような冷たさを微塵も感じさせず、ただの優しい花屋の店主に見えた。
「今からだと、まだ夜中だもの。明日の朝に、またここにきてくれる? その時に、きちんと案内するからね」
フィオラの声は、甘く響き、ライムを入口まで見送った。彼女の視線が、去りゆくライムの背中を静かに追っているのを、ライムは感じた。
(なんか、裏稼業に通じてる感じがしない人だったな……)
店を出て、再び夜の闇に包まれた路地を歩きながら、ライムは内心で首を傾げた。あんなに物騒な言葉を口にしたにもかかわらず、その立ち居振る舞いはあまりにも穏やかで、裏社会の人間特有の殺伐とした雰囲気は一切なかった。
(受付とか、事務の人なのかな? 可愛いし……とりあえず、朝までどこかで過ごさないとな)
ライムは、痛む体をいたわりながら、思考を巡らせる。懐に残った僅かな金で泊まれる場所は限られている。確か、王都の外れに簡易な宿があったはずだ。彼は、その宿を目指して歩き出した。
夜中だというのに、先ほど通り過ぎた酒場街は、依然としてキラキラと輝き、煌々と光を放っていた。様々な種族が入り混じった賑やかな声が、遠くから波のように押し寄せてくる。甘く香ばしい異国の料理の匂いや、発酵した酒の匂いが、風に乗ってライムの鼻をかすめる。だが、彼はそれらには目もくれず、ただ静かな王都の外れに向かって足を速めた。
やがて、賑やかな中心部を抜け、石畳の道が土の道に変わる頃、空気は一変してひんやりとした。遠くで街の喧騒が薄れ、虫の音が微かに聞こえてくる。王都の大きな門をくぐり、さらにしばらく進んだ所に、簡素な建物が見えてきた。一階が粗末な木製のテーブルと椅子が並ぶ食堂で、二階部分が宿屋になっているようだ。
宿の扉を開けると、油と古い木材が混じったような独特の匂いがした。奥から、疲れた顔の宿の主人が現れる。
「今晩、泊まれますか?」
ライムが問いかけると、宿の主人は静かな口調で答えた。
「前金になりますが、よろしいですか?」
ライムは、なけなしの二枚の銀貨を震える手で差し出した。銀貨の冷たい感触が、彼の決意を再確認させる。主人はそれを受け取ると、無言で古びた鍵をスッと差し出した。ずっしりとした金属の重みが、ライムの指先に伝わる。
鍵を受け取ったライムは、静かに二階へと続く木製の階段を上がった。階段は軋む音を立て、彼の足取りに合わせて微かに揺れる。廊下は薄暗く、埃っぽい空気が漂っていた。指定された部屋の扉の鍵穴に、受け取った鍵を差し込む。カチリと鈍い音がして、扉が開いた。
部屋の中は、予想通りの簡素さだった。窓はなく、壁は素朴な漆喰塗り。部屋の中央には、薄いマットレスが敷かれたシンプルな木製のベッドが一つ。その横に、小さな木製のテーブルが置かれているだけだ。テーブルの上には、茶色く変色した古い皿が置いてあり、そこにサービスなのか、真っ赤な林檎が一つ、ころりと置かれていた。かすかに甘酸っぱい香りが漂っている。
しかし、ライムは林檎に手を伸ばすことはなかった。連日の疲労と、兵士との死闘、そして妹の行方への焦燥。様々な感情が、彼の心と体を蝕んでいたのだろう。彼は、そのまま力尽きたようにベッドに横になると、すぐに深い眠りに落ちていった。まるで、死んだかのように、ぴくりとも動かない。
ライムは、目覚めると部屋いっぱいに朝日が差し込んでいることに気づいた。窓がない部屋のはずなのに、壁の隙間からか、わずかに漏れる光が部屋を明るく照らしていた。疲労困憊で眠りについたはずなのに、思いのほか寝過ごしてしまったようだ。時間は分からないが、空腹が全身を支配している。昨日サービスで置かれていた林檎を手に取ると、シャリ、と小気味良い音を立てて齧り付いた。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がり、乾いた喉を潤していく。
林檎を片手に二階から降りると、一階の食堂には数人の客がまばらに座っていた。朝食を終えたのだろうか、食器の触れる音が微かに響く。カウンターの中では、宿の主人が不機嫌そうな顔をして、何かをぶつぶつと呟いているのが見えた。
(何だ?)
ライムは、訝しげに思いながらも、カウンターに鍵を置いた。鍵が、カチャリと小さな音を立てる。主人はライムに視線を向けるなり、静かな、しかし有無を言わせぬ口調で言った。
「昼前には出て行ってもらえると助かるんですけどね?」
その言葉に、ライムはハッと息を呑んだ。窓がない部屋だったため、時間の感覚が全くなかった。まさか、もう昼を過ぎていたとは。太陽の位置を確かめようと外に目をやれば、眩しい光が目に突き刺さる。
「あ、すみません……」
ライムは素直に謝罪の言葉を口にすると、足早に宿を出ようとした。
その時だった。
食堂の奥から、「お〜い!」と、朗らかな声が響き、同時に大きく手が振られているのが見えた。振り返ると、そこにいたのは一人の男。黒髪を後ろで結んでいるが、全体的にくたびれた印象で、目元には細かな皺が刻まれている。しかし、その表情には優しげな笑顔が浮かんでいた。だが、その男が身につけているのは、間違いなく兵士の制服だった。
(やばい!)
ライムの背筋を、ひやりとした悪寒が駆け上がった。昨夜の悪夢が脳裏をよぎる。彼は、即座にその場を立ち去ろうと、わずかに体をずらした。
「ちょっと待てよ、兄ちゃん!違うって、頼みがあってよ〜」
その兵士は、ライムの意図を察したのか、わざわざ彼に近づいてきて呼び止めた。その動作は、意外なほどに素早い。間近で見ると、兵士は意外と背が高く、ライム(175センチ)よりも、頭一つ分とまではいかないが、少しだけ高いのが分かった。
(俺が175センチだから、少し高いぐらいか……?)
ライムは内心ビクビクしながらも、この切羽詰まった状況から気を逸らすかのように、どうでもいいことを考えていた。心臓がドクドクと警鐘を鳴らす。
「急に呼び止めてすまない……いや、ほら、今日って安い日なんだよ。ついつい嬉しくなって、いっぱい頼み過ぎちまってな……もし腹が減ってるなら、一緒に食べてくれねえか?もちろん、奢りだ」
兵士は、そんなライムの内心など知る由もなく、にこにこと人の良い笑顔で言った。兵士なのに、こんなに優しい人なのだろうか。
(なんで兵士と……)
警戒心はあった。しかし、空腹がそれを上回る。腹の虫が「ぐぅ」と情けない音を立てた。そして、「奢り」という言葉に、ライムの心はすっかり嬉しさで満たされた。昨夜からの疲労と空腹が、兵士への警戒心を鈍らせていく。ライムは、兵士に促されるまま、食堂の奥の席に座った。木のテーブルと椅子が、彼の体重を受けてわずかに軋む。
ライムの様子を察したのか、兵士は苦笑いをしながら言った。
「あ〜、兵士だからって気構える必要はねえよ。俺はここの常連で、たまに頼み過ぎちまうんだ。だいぶ歳だけど、若いつもりでついついいっぱい頼んじゃってな……はは」
目の前には、湯気を立てる焼きたてのパンと、肉と野菜がたっぷりのシチュー。香ばしい匂いが食欲をそそる。ライムは、我慢できずにフォークを手に取り、夢中で食べ始めた。温かい食事が、冷え切った体に染み渡る。
「どうだ、美味えだろ?ここは異世界の連中も来ないから、落ち着いて食えるしさ。おっ、この前なんてな、異世界の冒険者が来てよ。『ラピは使えますか?』とか聞いててな。使えないって言うと、『じゃ〜いいです〜』って帰って行ったんだよ。その光景が滑稽でよ、ついつい笑っちまったよ」
兵士は、初対面のライムを相手に、本当に楽しそうに話していた。屈託のない笑顔が、ライムの警戒心をさらに溶かしていく。ライムも「面白いですね〜」と言いながら、つられて笑顔になった。温かい食事が、昨夜からの張り詰めた心を少しずつ解きほぐしていくようだった。
だが、その和やかな空気は、次の兵士の言葉で一変する。
「そういえば、知ってるか?夜中に酒場近くと路地裏で、兵士が4人殺されたみたいでな……」
さっきまでの陽気な雰囲気から一転、重い空気が彼らの間に流れた。兵士の瞳から、それまでの温かさが消え、鋭い光が宿る。ライムの全身から血の気が引いた。喉がカラカラに乾き、唾を飲み込む音が大きく響く。
「酒場付近のは、どうも素人の犯行でな、よく倒せたなって感じなんだが……路地裏の三人は、異能者がやったんじゃないかっていうぐらい、綺麗な薔薇を咲かせて死んでた者とな……見事に心臓を一突きされた死体と、横切りをされてた死体でな……おそらくプロの犯行だが……」
兵士の言葉が、ゆっくりと、しかし確実にライムの心臓を締め付けていく。彼は、まるで喉元を掴まれたかのように身動きが取れなかった。そして、兵士はふいに、笑顔のまま尋ねた。
「……何か、知らねえか?」
その瞬間、ライムの腹部、シャツの下に、ひやりと冷たい金属の刃が押し当てられた。焦りが、全身を駆け巡る。冷や汗が背中を伝うのを感じたが、ライムは必死に顔色を変えまいと努め、落ち着いた声で答えた。
「何も、見てません……」
ライムがそう答えると、腹部にあったは、刃はスッと消えた。兵士は、再びにこやかな笑顔に戻り、「そうか!」と明るく返事をすると、何事もなかったかのように食事を再開した。
「いや〜、すまねえ。酒場でお前さんの姿を見かけたもんで、何か知らないかと思ってな?気にしないでくれ、こっちも疑うのが仕事でな……よし、食った食った!おう、悪かったな、小僧。名前は?」
ライムは、兵士の言葉に安心しつつも、内心の動揺は隠しきれなかった。
「いえ、大丈夫です……大変ですね。ライムです……でも、びっくりですね、口から赤い薔薇が咲くなんて……」
ライムの言葉に、兵士の笑顔がわずかに、しかし明確に硬直したのを、ライムは見逃さなかった。
「……おう、本当にそうだな。兄ちゃんも、予定があるんじゃないのか?早く行ったほうがいいぞ。じゃあな」
兵士は、どこか急かすようにそう言うと、立ち上がって食堂の奥へ向かって歩き出した。「女将、ご馳走様!美味かったよ!」と声をかけ、慣れた様子で金を置いて去っていった。
(あの兵士、なんで俺が待ち合わせしてること知ってるんだ……?)
兵士の言葉に引っかかるものを感じたが、今はそれよりも花屋へ行くことが優先だった。ライムは、目の前の料理を急いで口に押し込むと、ガタリと音を立てて席を立ち、「ご馳走様でした」と食堂を後にした。
宿の扉を出ると、先ほど自分を呼び止めた兵士が、上司らしき別の兵士に頭をペコペコと下げながら、嫌味を言われているのが聞こえてきた。
「まあ、ムラサメさんたら、お昼休みがとっくの昔に終わっているのに、食事とはいいご身分ですね〜」
上司らしき兵士の声は、ねっとりと嫌味ったらしかった。
「すみません、タカオさん。食事をしつつ、聞き込みをしてまして〜」
「まあ!ムラサメさんは、食事をしながらじゃないと聞き込みもできないんですか?まあ、情けない!」
ネチネチと続く嫌味を尻目に、ライムは早足で「月下の花屋」へと向かった。
ライムは、急ぎ足で「月下の花屋」へと向かった。夜中の薄暗い中で見た姿とは打って変わって、朝日に照らされた花屋は、まるで別の店のようだった。古びた木造の建物は、昨夜の怪しさを微塵も感じさせず、真っ白な壁が清々しく輝き、屋根の鮮やかな赤色が青い空に映えていた。店先に並べられた色とりどりの花々は、朝露に濡れてキラキラと光り、甘く爽やかな香りをあたりに漂わせている。
店の入り口の前では、フィオラが花壇に水をやっていた。彼女の豊かな桜色の髪が朝日に透けて輝き、白いエプロン姿でにこにこと水やりをする姿は、まさに絵になるようだった。
だが、ライムの姿を捉えるやいなや、フィオラの表情はわずかにムッとしたものに変わった。眉間にうっすらと皺が寄り、口元が引き締められた。
「遅いですよ!」
その声には、はっきりと不満の色が滲んでいた。ライムは、内心で焦りを感じながら、慌てて頭を下げた。
「すみません……!」
ライムの謝罪に、フィオラは「まあ、いいけど」と短く答えると、手際よく水やりをやめた。じょうろを傍らに置くと、慣れた手つきで店先にあった真紅の薔薇の花束を手に取った。その薔薇は、早朝の光を吸い込んで、ベルベットのような深い赤色をしていた。
「じゃあ、早速行きますか?」
フィオラはそう言うと、ライムに背を向け、迷いなく歩き始めた。ライムは、思わず尋ねた。
「あの、どこへ……?」
フィオラは、言葉には答えず、ただ後ろをわずかに振り向いた。その瞳は、朝の光の中でも夜空のように輝いて見え、ライムを射抜くような強い意志が宿っていた。
「黙ってついてきて」
短く、しかし有無を言わせぬその言葉に、ライムはそれ以上何も言えなかった。彼は、一歩後ろからフィオラの後に続いた。
(どこに行くんだろ?……)
ライムの心には、わずかな不安と、これから何が起こるのかという期待が入り混じっていた。前を歩くフィオラの背中を見つめながら、彼はふと別のことに意識が向いた。
(昼間に見ると、さらに綺麗な感じだな……)
朝日に照らされたフィオラの柔らかな髪や、花の香りに包まれた彼女の姿に、ライムはしばし見惚れていた。昨夜の恐ろしげな裏稼業の印象とはかけ離れた、その清楚な美しさに、彼の心はわずかに和らぐ。
すると、フィオラは不意に足を止めた。彼女が指差した先は、煤けた壁の、大きな建物だった。そこは、明らかに鍛冶屋だと分かる場所。入り口からは、かまどの真っ赤な炎がゆらめき、黒い煙がもうもうと立ち上っているのが見えた。そして、ゴツン、ゴツン、というリズミカルで力強いハンマーの音が、あたりに響き渡っていた。熱と鉄の匂いが、風に乗ってライムの鼻をくすぐる。
「こんにちは〜」
フィオラの明るい声が、鍛冶屋の中に響いた。すると、奥の方で鉄を叩いていた人物が、ハンマーを置いた。そこにいたのは、小柄な少女。彼女の背中には、使い込まれた青いクマのぬいぐるみがちょこんと背負われていた。少女は、フィオラの声に気づくと、勢いよくこちらに振り返り、不満げな表情で近づいてきた。
「遅いよ!」
その声には、はっきりと怒りの感情が込められている。
少女はフィオラの元へ駆け寄るように歩いてきたが、その身につけている真っ赤な髪が、ポニーテールに結ばれて元気よく揺れる。ライムよりも頭一つ以上は低いだろう、その小柄な体格からは想像もつかないほど、彼女の手には、先ほどまで鉄を叩いていたであろう、ライムの体ほどもあるような巨大なハンマーが軽々と握られているのが見えた。まるで、それが羽のように軽いかのように。
彼女は、油と煤で汚れたぶかぶかのつなぎを着ていたが、その隙間から覗く肌は、幼さを残しながらも鍛え上げられているのが分かった。しかし、怒った表情と、口の端についたわずかな煤を除けば、まるで人形のような愛らしい顔立ちをしている。
フィオラの隣に立つと、少女は大きなハンマーをトン、と音を立てて地面に置いた。その音は、まるで地響きのように重く、床がわずかに揺れたような気がした。そして、ライムにまっすぐ視線を向けた。その瞳は、怒りの中に、わずかな好奇心と、そして底知れない強さを宿しているように見えた。
アカリは、ライムの全身をじっくりと品定めするように見つめた。その視線は鋭く、まるで骨の髄まで見透かされているような錯覚に陥る。彼女は、ぶつぶつと独り言のように話し始めた。
「ふ〜ん、この人ね〜。中肉中背って感じで、困り顔はしょうがないとして……髪は金髪、目は赤いんだね〜。農家だった? そんな感じがする。それにしても、見た目がボロボロ。お金ないの? ちゃんとお風呂に入ってる?」
遠慮のない言葉の数々が、ライムの心をチクチクと刺した。彼女の瞳は、ライムの全てを見透かしているかのように真っ直ぐで、誤魔化しようがない。
「大体わかった。得意な武器はダガー系ね。素早く動けそうだし、防具は軽めで……」
アカリが、まるで鑑定でもしているかのようにぶつぶつと言い続けていると、フィオラがやれやれといった顔で、小さな花束を差し出した。
「ちょっと、お客さんを連れて来たわけじゃないわよ。ほら、六銅貨」
フィオラの声に、アカリははっと我に返ったように、そちらへ目を向けた。ライムへの興味が薄れたように、分かりやすくガッカリした様子を見せる。
「なんだ、そっちか〜」
アカリは、背中に背負っている青いクマのぬいぐるみを、ポンポンと軽く叩いた。そのぬいぐるみは、使い込まれて毛並みが少し擦り切れているが、アカリにとっては本当に大切なもののようだった。
「この背中に背負ってる子はロンリーベア。私の大切な友達よ。言っとくけど、あんたより強いからね!」
アカリは、挑戦的な視線でライムを見つめた。
「あと、私はアカリ。多分あんたよりは年下かな? 18歳よ。よろしくね」
「ライムです。20歳ですよろしくお願いします」
ライムは、反射的に自分の年齢を答えていた。アカリの真っ直ぐな瞳に、少し気圧されたような感覚を覚える。
「なんだ、そんなに変わらないね〜。どうぞ中へ〜」
アカリはそう言うと、鍛冶屋の入り口の重そうな金属製のドアを、**ギィィィ……**という鈍い音を立てて開けた。そこから熱気を帯びた鉄の匂いと、微かな煤の匂いが漏れ出す。アカリはライムを中に誘導し、その重いドアを背後でピタリと閉めた。
カチャリ、と金属が噛み合う音が響いた。
暗くなった鍛冶屋の床を、アカリは軽く叩いた。すると、床の一部がゴゴゴゴ……と重々しい音を立てて開き、その奥に、どこまでも続くかのような薄暗い地下への階段が現れた。空気は一気にひんやりとしたものに変わり、土と湿った石の匂いが漂ってくる。
「どうぞ」
フィオラが、柔らかな声でライムを促した。アカリは、既にその階段を軽やかに降り始めている。ライムは、目の前の暗い階段と、その奥から来るであろう未知の気配に、ごくりと唾を飲み込んだ。
(一体、何が始まるんだ……)
胸に広がる不安な感情を抱えながら、ライムは一歩、また一歩と、薄暗い地下へと足を踏み入れていった。階段を踏みしめる度に、石の冷たい感触が足の裏に伝わる。