異世界の無法者2
月下の花屋へ向かっていたアリスの足は、途中でぴたりと止まった。脳裏に焼き付いたリコの血塗れの遺体が、行く手を阻む。どうしても、あのままにはしておけない。
くるりと踵を返したアリスは、今来た道を急ぐ。ギルドへの道中、ひんやりとした夜風が、剥き出しの腕に鳥肌を立たせた。
ギルドの扉を勢いよく押し開けると、カランカランと乾いた鈴の音が辺りに響いた。中には、酒を片手に談笑する冒険者たちのざわめきと、香ばしい肉の匂いが満ちている。だが、アリスの胸を満たしているのは、たった一つの想いだった。
まっすぐに受付へと向かい、息を切らしながら問いかける。
「今日、殺されたリコの友人なんですけど……あの子の遺体、今どうなってますか?」
受付の男は、顔色ひとつ変えず、まるでマニュアルを読み上げるように淡々と答える。
「既に一時保管室へ移送済みです。登録されていた“元の世界”への自動転送手続きに入っております。引き取り手が現れなければ、こちらで処理されます」
「……処理、って」
アリスの眉がピクリと動く。言葉の冷たさに、心臓がぎゅっと締めつけられる。
「まるでゴミみたいな扱いじゃない……!」
感情が高ぶり、思わずカウンターを強く叩いた。周囲のざわめきが一瞬だけ止まり、空気が重く張り詰める。
「殺されたのに、放っておくんですか!? 犯人がわかってるんですよ!」
「犯人は当ギルド所属ではありません。対応は致しかねます。現在、管理局に報告済みですので、そちらで対応がなされるかと」
どこまでも他人事のような言葉に、アリスは奥歯を噛みしめた。――このままでは、何も変わらない。
「転送、止められますか? 私が、責任を持って送ってあげたいんです。リコを、こんな風に扱わせたくない」
受付は小さく息をつくと、無言でカウンターの奥から転送申請書を差し出した。アリスはその紙に震える手で名前を書き入れ、強く押印する。
「これで、私が引き取り手です」
静かに、それでもはっきりと宣言するその声に、彼女の決意が宿っていた。
受付の男は、無言でカウンターの下から端末を取り出すと、アリスに見せた。そこには『転送登録先:アリス=(IDナンバー)/引取先:一時保管庫→転送ステーション』と表示されている。
「このコードで、一時保管庫にある遺体を個別転送ステーションに引き出せます。貴女が“登録済みの帰還地点”を設定していれば、遺体も一緒に転送可能です」
「つまり、私と一緒に送れるってこと……?」
「はい。ただし、遺体の転送には安定シールが必要です。魔力流や衝撃で崩壊を防ぐ処理になります。**お支払いはラピ(Rapi)で1万、共通通貨での精算となりますが?」
男は淡々と、あくまで事務的に説明を続けた。
アリスは一瞬、息を呑んだ。金額は安くない。けれど――
「払います。ラピで」
懐から細長いカード状の小型端末を取り出し、スキャナにかざす。確認音が鳴ると、男は頷いてシールと転送処理の準備に移った。
数分後、黒く光る転送パッドの上に、黒布で丁寧に包まれたリコの遺体が静かに置かれた。足元には、安定シールが張られ、魔法陣のように淡く光を放っている。
アリスはその隣に立ち、深呼吸を一つ。胸の内に込み上げるものを押し殺して、転送係に頷いた。
「行き先は、“あの場所”で間違いありませんか?」
「はい。私の登録地に」
「では、転送開始」
青白い光が部屋を満たす。アリスは最後にもう一度、布に包まれた小さな身体を見つめた。
「絶対、無駄にしないから。絶対に――」
次の瞬間、光に包まれてアリスとリコは、静かにその場から消えた。
一方クロード邸では犯人の男と父親が話をしていた。
「どういうことか説明しろ、ルシアン。今度は何をやらかした?」
クロード卿は、座り心地の良さそうな革張りの椅子に深く身を沈めながら、低い声で問い詰めた。その声には、怒りを抑えきれない微かな震えが混じっていた。テーブルには飲みかけのブランデーが置かれ、琥珀色の液体が照明を鈍く反射している。
ソファに深く寄りかかったルシアンは、一切の悪びれる様子もなく、気だるげに煙草の煙を吐き出した。煙草の独特な匂いが、書斎の重い空気に混ざる。
「あ〜? どうでもいいじゃんそんなこと。それより、いつもみたいに圧かけて揉み消してよ。出頭させられたら何もできないじゃん?」
心底面倒くさそうに吐き捨てる息子に、クロード卿の眉間の皺が一段と深くなる。
「お前はそれでいいかもしれないが、私にも立場というものがあるんだ……。それに、管理局からも事情を聞きたいと出頭要請が出ている。お前だけじゃなく、私にもだ……。訳を聞いて正直驚いたよ。女の子を轢き殺したんだと? おまけに街中でホバーバイクを乗り回して、マシンガンも乱射していたらしいな? これについては反省はしているのか? 反省しても、命を奪った時点でどうすることもできないがな」
クロード卿の言葉は、まるで重い石が転がるような響きがあった。しかしルシアンは、その声に耳を傾けることもなく、つまらなそうに天井を仰ぐ。
「さっきからめんどくせぇ〜な〜。それぐらい揉み消せるだろ? 管理局と向こうの国のお偉いさんに、ちょっと寄付したら一発だろ? なんせ自分らに直接関係があることじゃないんだ、もらうもん貰ったら、それではいおしまいだよ。簡単だろ? 大事な息子を殺人犯にしたいの〜? 大事なんでしょ? 地位も名誉もさ。じゃあ頼んだよ〜」
そう言い放つと、ルシアンはソファから軽やかに立ち上がり、書斎の重い扉へ向かおうとする。その背中には、一切の罪悪感が感じられなかった。
「とりあえず落ち着くまで外出禁止だ! いいな。さすがに殺害はやりすぎだ!」
クロード卿の強い声が響くも、ルシアンは扉に手をかけたまま、振り返りもせず鼻で笑うような声を漏らした。
「はいはい、外出禁止ね〜。行ってきま〜す」
ドアが閉まる鈍い音が響き、書斎には再び、重苦しい沈黙が降りた。クロード卿は、深々とため息をつくと、冷たくなったブランデーグラスを手に取った。
「どうしてこんなことに……」
独りごちながら、彼は机上の通信デバイスへと手を伸ばす。既に顔色の悪い秘書が、小刻みに震えながら待機しているのが目に浮かぶようだ。
「とりあえず賄賂は渡してあるし、圧をかければ大丈夫だろう……ついでに、遺族にも払っておくか……」
クロード卿の声は、もはや怒りではなく、諦めと疲弊の色を帯びていた。彼は次々と各方面に連絡を入れ始める。
一方、鍛冶屋では、金槌の軽快な音が途絶え、熱気を帯びた空気がいつもより静かに流れていた。作業台の横に置かれた使い込まれた木製の椅子に、アカリとライムが並んで座っている。二人は、目の前でパチパチと燃える炉の火を、ただぼんやりと見つめていた。炉から立ち上る鉄と石炭の匂いが、二人の静かな時間を包み込んでいる。
鍛冶屋の中には、作業の手を止めた静けさが広がっていた。炉のくすぶる炭の匂いが微かに鼻をくすぐる。アカリは使い古された木製の椅子に座り、手元のエコーリンクをポチポチと無意味に叩いていた。その指先からは、小さなカチカチという軽い音が聞こえる。
「暇ね〜。ミリアさんに言われてすぐにエコーリンク買いに行った私が言うのもなんだけど……みんなエコーリンクやりすぎだよね?」
アカリは、デバイスの画面をじっと見つめながら、どこか不満げな声で呟いた。炉の火が、彼女の顔にぼんやりと赤みを差している。
「全然鍛冶屋に来ないし、あの子も依頼に来ないね? すぐに来ると思ったのにさ?」
隣で同じようにぼんやりと炉を眺めていたライムが、ふっと小さく笑う。
「依頼ない方がいいけど、あれはすぐ依頼してくるって思ったけどな〜。もしかして、生き返ったからもういいです、みたいなことかな?」
アカリは、その言葉にピクリと反応し、ライムを睨みつけた。
「そんな夢みたいなことはないよ! あるんなら私たちって必要ないじゃん……」
と、怒ったように言いかけていたアカリの目の色が、突然、ギラリと変わった。まるで獲物を見つけたかのような、鋭い光。彼女の指が、エコーリンクの画面を慌ただしく操作する。
「ちょっと黙ってて! ミリアさんの配信始まった! 初だよ、エコーリンクで見るのは!」
アカリの興奮した声が、静かだった鍛冶屋に響き渡る。彼女の視線がエコーリンクの画面に釘付けになった、その瞬間──キラキラとしたエフェクトと共に、画面の向こうにミリアの姿が現れた。
シスターアイドルの光と影
「みんな〜こんにちは〜♡ あなたのハートをキャッチ&ドレイン⭐︎ シスターミリアエリザベートで〜す」
ミリアの弾むような明るい声が、エコーリンクから響き渡る。画面いっぱいに広がる彼女の笑顔は、まるで教会のステンドグラスから差し込む光のように輝いていた。コメント欄には、次々とカラフルな文字が流れ始める。
「はい、こんにちは〜! ありがとう〜! まだそんなに配信してないよ」
ミリアは、溢れるコメントを指で器用にスクロールしながら、一人ひとりに語りかけるように返していく。そのプロフェッショナルな対応に、アカリは画面に釘付けになっていた。
すると、あるコメントが彼女の目に留まったのか、ミリアは少し顔を曇らせた。
「この前は凄かったね、ミリアの後ろを浮いてるバイクが数台で女の子達追いかけててさ〜。おまけに銃も使ってたんだよ〜」
そのコメントを読み上げた途端、コメント欄には**「そんなに近くで怖くなかった?」「無事で良かった〜」「どうして見に行かなかったの?」**と、心配や疑問の声が嵐のように押し寄せた。ミリアは、困ったように眉を八の字にする。
「なんとか無事だよ〜。行かなかった理由? 怖かったから〜! だって街の中で武器の使用も乗り物に乗るのも違反なのに、気にせずやったんだよ〜。怖いよね〜」
わざとらしく震えるような声でそう言うと、ミリアはハッと気を取り直したようにパンと手を叩いた。その仕草一つ一つが、計算されたアイドルの動きだ。
「じゃあここで質問を読みますね〜。バターサンドくんからです。『いつもグッズを買ったり配信の時はミリチャンもしてるのになんで僕はセミナーオフに呼ばれないんでしょうか? こんなことならもう辞めようと思います』……か〜。気持ちはわかるけど、一言言わせて〜? 逃げられないよ、バターサンドくん。逃げれない……うん!」
ミリアの声色が、一瞬だけ、獲物を追い詰めるような冷たさを帯びた。アカリはゴクリと唾を飲む。画面の中のミリアは、再び満面の笑みを浮かべる。
「だって、私に愛情を注いでくれてるのに、私はまだ応えてないわけじゃない? ここで逃げるのはずるいよ〜。ちゃんと言わせてよ、直接バターサンドくんに会って気持ちを言いたいな……♡ だから逃げずに今夜のサロンオフに参加してね……待ってるよ♡」
そう言って、ミリアは画面越しに投げキスを送るような仕草をした。アカリの頬が、微かに紅潮する。しかし、次の瞬間、ミリアの笑顔の裏に、再び小悪魔めいた表情が垣間見えた。
「なんであいつだけ!? じゃあ俺もやめる〜!……とか言わないの! バターサンドくんは結構なお金を累計で使ってたんだし、私への愛が本物ってわかったから招待したの! みんなも私への愛情をちゃんと伝えてくれたら招待するよ〜! あ! 早速スーパーミリチャンありがとう〜! タカタノタカさん! あなたもサロンオフに来てね〜♡ 後でミリチャンとスーパーミリチャンしてくれた人は、個別にお礼言うので待っててね〜!」
ミリアは手をひらひらと振りながら、畳みかけるように捲し立てる。その言葉の端々からは、したたかな計算が透けて見えた。
「今後はエコーリンクを中心に配信していくから、みんなもエコーリンクをちゃんと手に入れてね〜! 私の配信を見たって言えば、さらに安く買えるからね〜! それじゃあ時間だし、また雑談コーナーでお会いしましょう〜! ではみなさん、おやすミリア➖♡」
ミリアの弾むような声と共に、画面はキラキラとしたエフェクトと共にフェードアウトしていく。鍛冶屋の静けさが戻り、炉の火が再びパチパチと音を立て始めた。
呆れと新兵器
ライムは、エコーリンクの画面が真っ暗になったのを呆れたように見つめながら、小さく息を吐いた。
「結局、最後まで見ちゃった……」
その言葉に、アカリはピシャン!と音を立てて自分のエコーリンクを閉じると、ムッとした表情でライムを睨んだ。
「何? その見たくなかった的な言い方〜! 良かったでしょ? 私も今後はエコーリンクからコメントを送って読んでもらうんだから邪魔しないでよ!」
彼女はそう言い放つと、ふと何かを思い出したように、ライムの手元に視線を落とした。そして、突然、ガッカリしたような、しかしどこか得意げな声で続けた。
「ああ、そうそうライムくんのリヴォルダガー、機能を追加して二本目も作成したから使ってね! 暇なのが悪いんだよ、おかげでカスタマイズできるしいいけどさ〜」
アカリはそう言うと、再び炉の火を見つめてぼんやりと座り込んだ。炉から立ち上る鉄と石炭の匂いが、二人の静かな時間を再び包み込んでいる。
リコの遺体を家族のもとへ転送して数日後。アリスは、元の世界に戻ってからも、心臓の奥に重い石を抱えているような気持ちで日々を過ごしていた。その日も、ぼんやりと窓の外を眺めていた彼女の目に飛び込んできたのは、街の通りをけたたましいエンジン音を響かせながら、ギラギラと太陽の光を反射するホバーバイクに乗ったルシアンと、その取り巻きが走り回る姿だった。彼の下品な笑い声が、遠くからでも聞こえてくるような気がした。
その瞬間、アリスの胸に冷たい炎が燃え上がった。居ても立っても居られず、彼女は再び、冒険者ギルドの扉を潜った。
ギルドへの道は、数日前よりも長く、重く感じられた。ギルドの古びた木製の扉を勢いよく押し開けると、カランカランとけたたましい鈴の音が響き渡る。中には、酒と汗と、そして微かに漂う血の匂いが混じり合った、独特の空気が充満していた。
アリスは、迷いなく受付カウンターへ向かうと、震える手で強くカウンターを叩いた。その衝撃で、カウンターの上の小銭がチャリンと音を立てて跳ねる。
「一体どういうことですか! 犯人は全然捕まってないし、今も街を走り回ってましたよ!」
アリスの声は、怒りに震え、目尻には熱い涙が滲んでいた。真っ赤になった目で、受付の若い女性をまっすぐに見つめる。しかし、女性は申し訳なさそうに眉を下げただけだった。
「すみません、報告が遅くなってしまい……。やはり、犯人は冒険者ギルドに所属ではございませんので、私たちでは何もできないんです。それに、管理局からも『調査中』と、それだけでして……」
その言葉に、アリスの理性はぷつりと切れた。呼吸が荒くなるのを感じる。
「ちょっと待って! 冒険者ギルドなのに討伐クエストも出せないの!? 犯人分かってて調査中って何!? おかしいんじゃないの!?」
アリスの声は、怒りと悔しさで上擦っていた。喉の奥がカラカラに乾き、心臓はドクドクと不規則に脈打つ。ただただ、このどうしようもない理不尽さが、彼女の心を鉛のように重くする。
「もういい……わかった」
アリスは、そう呟くと、踵を返して立ち去ろうとした。その背中に、受付の女性のか細い声が届く。
「すみません……こういうケースの場合、権力が関わっている可能性が高いので……。相当影響力を持っている存在が、犯人の家族とかにいるのではないでしょうか……」
その言葉は、アリスの心に冷たい氷を突き刺した。つまり、そういうこと。関わるな、と。
「つまり、これ以上関わるなってことね。わかった……もういいの」
アリスの表情から、すべての感情が抜け落ちたように見えた。彼女はポケットから、あの時の六銅貨をぎゅっと握りしめる。冷たい金属の感触が、掌にじんわりと伝わってきた。
彼女は、何も言わずにギルドを後にし、あの日のリコが命を奪われた世界に再び足を踏み入れていった。
失った命の意味を、取り戻すために。