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死んだはずの俺

ヴァルヘルム王国――そこは、異世界から来た冒険者たちと、様々な種族が共存する賑やかな王都を中心に、強大な“神皇”によって支配されていた。


妹を王に攫われた**ライム・レヴィアス(20歳)**は、その行方を追い、王都へと足を踏み入れる。しかし、王の兵士に妹のことを尋ねた瞬間、逆に「不審者」として捕らえられ、理不尽に殺されてしまう――。


……そのはずだった。


目覚めた彼は、**「その日をやり直せる」**謎の能力を手にしていた。


一度死んだ恐怖、妹を奪われた怒り。

その全てが、彼の中で静かに燃える復讐の炎を育てていく。


何度も死を経験しながら、リトライを繰り返し、独学で身につけたのは、誰にも真似できない短剣術と隠密戦闘技術。


昼はひとりの青年。

だが夜は、王の兵士を密かに狩る復讐者――。


そんなある夜、返り討ちに遭いかけたライムは、正体不明の暗殺チームに救われる。

その戦いぶりに、自分と同じ「闇を生きる者たち」を感じたライムは、彼らを追うことを決意する。


妹の行方、“神皇”の支配

すべてを暴くため、ライムは“暗殺者としての道を歩み始める――。


今より少し先の話。

ライム・レヴィアスが「死事人」として仲間たちと任務に当たっていた頃。


「あ〜あ、死事人ってさぁ、思ったより弱いんだね。がっかりだな〜」

細身の天パの男が、髪をぐしゃっとかき乱しながらため息をつく。

ペン型の何かの先端から煙が立ち昇り、淡い硝煙の香りが夜に溶けていく。


「もっと手応えあるかと思ったけど……ま、いっか。そろそろ終わりにしようか」

男は懐から銀の銃をゆっくりと引き抜き、躊躇なくライムに向ける。


ライムの周囲には、すでに動かなくなった仲間たちの姿が転がっていた。

地面に広がる赤黒い血、嗄れた呼吸音、震える拳。


最後の一人として立つライムは、静かに目を伏せた。

(どうして、こうなった……)


「いい加減、諦めな」


──パンッ。


銃声が夜を切り裂く。


……物語は、そこから少しだけ時間を遡る。


ヴァルヘルム王国王都、その中心にある賑やかな酒場街から少し離れた路地の奥。深夜の闇に溶け込むように、一人の男が身を潜めていた。

冷たい石壁の感触が背中に伝わり、湿った空気が肺を満たす。男の耳には、遠くから聞こえる酒場の喧騒と、通りを吹き抜ける風の音が届いていた。


(俺はただ、妹の居場所を聞きたかっただけなのに……)


心の中で繰り返される独白が、男の胸を締め付ける。必死に情報を求めただけだ。

それなのに、あの兵士たちは彼を嘲笑し、命を奪った。

あの時の絶望と怒りが、今も彼の心に深く刻まれている。

(あの野郎どもが許せない……俺は、お前たちに復讐するため、この場所に戻って来たんだ……早く出てこい!)

男は、全身の神経を研ぎ澄まし、獲物を待つ獣のようにじっと息を潜める。

長い時間をそうしていただろうか。

やがて、酒場の重い扉が軋む音とともに、一人の兵士がよろめきながら現れた。

夜の闇に浮かび上がるその姿は、すでに酒に溺れ、完全に出来上がっているようだった。

千鳥足でふらつきながら、兵士は酒場の建物の影へと向かう。

そして、物陰で尿をしようと体勢を崩した、その時。


男は、好機と見て素早く背後から忍び寄り、手に握りしめた短剣を兵士の首元へと突き立てた。

何度も、何度も、死んではやり直し、ひたすらに練習を重ねたはずの動作。

だが、思ったよりも刃は深く食い込まず、命を奪うにはさらに力が必要なことに、男はわずかな驚きを覚えた。

鈍い手応えと、生暖かい液体が指先に滲む感触。それでも、彼は力を込め続けた。


兵士の体が痙攣し、やがてぐったりと地面に崩れ落ちる。その瞬間、男の全身を恐怖が支配した。

「本当に殺したんだ」──その事実が、彼の現実感を奪う。しかし、脳裏に浮かんだのは、愛しい妹の顔だった。

その顔が、彼の震える体を無理やり押さえつけた。妹のためならば、どんなことも乗り越えられる。

その時、背後から突然、硬質な声が響いた。

「貴様!何をしている!」

振り返る間もなく、顔面を襲う衝撃。男の体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。

倒れた兵士の横に、血の匂いが漂う土埃の中で横たわる。朦朧とする意識の中、なんとか起き上がろうとするが、追撃の蹴りが顔を容赦なく襲う。

視界が歪み、口の中に鉄の味が広がった。

「貴様がやったのか?重罪だぞ、兵士殺しは!覚悟はできているだろうな?牢にぶち込むなど生やさしいことはしないぞ、この場で重罪人は処刑だ!」

冷酷な声と共に、目の前の兵士の剣が鞘から引き抜かれる。

月明かりに鈍く光る刃が、男の死を宣告しているかのようだった。

その様子を、酩酊した二人の兵士が、薄汚れた笑みを浮かべて見下ろしていた。絶体絶命。もう駄目だ。男は心の中でそう叫んだ。

だが、その時、何事かと騒ぎを聞きつけた他の住民たちが、広場に集まって来た。「なんだ、なんだ?」というざわめきが広がる。兵士たちは、その混乱を鎮めるように声を荒げた。

「鎮まれ!重罪人を処刑する所だ!邪魔をするなら仲間と見なし、貴様らも処刑するぞ!」

兵士たちが住民たちに威嚇の言葉を投げかけている、その一瞬の隙。男は、迷わずその場から飛び出した。

足がもつれそうになりながらも、彼はただひたすらに走った。どこへ向かっているのか、場所など分からない。ただ、この場から逃げられれば、それで良かった。

人通りの多い繁華街を抜け、人気のない薄暗い路地へと、彼の足は吸い込まれるように向かっていく。

なぜ、こんなことになったのか。

物語は少し遡る。俺の名前はライム・レヴィアス。

特別な才能があるわけではない。

ただ、小さな農家の手伝いをしながら、愛しい妹と一緒に慎ましく暮らしていた。

手先は人一倍器用で、その才能を買ってくれた親方からは、様々な道具を与えられていた。貧しいながらも、リタと一緒の何気ない日常は、俺にとってかけがえのない幸せだった。

しかし、その平穏な日々は、突然、残酷な音を立てて崩れ去った。

ある日、俺が農家の手伝いに出ている間に、妹は王の命令によって攫われた。

それ以来、俺はずっと――独り、妹を探して、この王都を彷徨っていた。

王都に着いた初日から、俺は必死に妹の情報を求めて人々に声をかけ、助けを求めた。

しかし、理不尽にも兵士に突き飛ばされ、罵倒され、そして命を奪われた。

その時、意識が途絶える寸前、俺の体に“その日をやり直す力”が発動したのだ。

俺は、その力を**「リトライ」**と呼んでいる。

この力を使って、俺は何度も死を経験し、その度に、独学で短剣術を磨き上げてきた。

その結果、自分は強くなった“つもり”だった。

だが、現実は違った。

一人は背後からの不意打ちでようやく殺せた。だが、結局、正面からでは、訓練された兵士一人すら倒せないのか……。

「はぁ……はぁ……嘘だろ……」

呼吸が乱れ、肺が焼け付くように熱い。必死に走った路地の先は、冷たい壁がそびえる行き止まりだった。逃げ場はない。

来た道を戻ろうと振り向くと、そこにはすでに、あの兵士たちが立ちはだかっていた。

「自分から追い詰められるなんて、馬鹿な奴だ。ははは……だが、おかげで誰にも見られず処刑ができる!」

兵士の一人が、下卑た笑みを浮かべる。

「ここまで俺たちの手を煩わせたんだ、楽に死ねると思うなよ。一本ずつ指を切断しながら、じわじわとなぶり殺してやる!」

別の兵士が、粘着質な声で告げた。

「おい、待て!弱い者いじめは止めないか!あはは……殺さず、そのまま生かして見世物にするのも面白くないか?」

嘲笑が響く。

「うん、それもいいな。手足も切って見世物にするか。あはは……覚悟しろよ、重罪人」

屈辱的な言葉を浴びせられながら、じりじりと兵士たちが近づいてくる。絶望が、再びライムを支配する。

(もう、やるしかない……!)

ライムは、震える手で懐から短剣を抜き放ち、抵抗の構えを取った。しかし、兵士の一人が振り下ろした長剣は、あっけなくライムのボロボロの短剣をへし折り、そのまま彼を殴り飛ばした。

「逃げられても面倒だ。まずは足から切っとくか」

嘲りの言葉と共に、剣が振りかざされた、その時。

乾いた破裂音にも似た音と同時に、何かがライムの横を、風を切るようにすり抜けた。

それは、正確に兵士の首元に命中する。次の瞬間、兵士は手にしていた剣を落とし、その場でぴくりとも動かなくなった。

そして、信じられない光景が目の前に広がった。

兵士の体の中で、「ゴキゴキ」と、まるで骨が軋むような恐ろしい音が響き渡る。

兵士の顔がゆっくりと上を向き、口から異様なものが伸び出てくるのが見えた。

それは、しなやかな茎だった。

茎はみるみるうちに伸び、その先端に、鮮血のように真っ赤な、しかし息をのむほど美しい薔薇の花が咲き誇った。

その赤さは、闇夜に生々しく浮かび上がり、ライムの心臓を鷲掴みにした。

(何だこれは……!)

ライムが驚きに固まっていると、残りの兵士たちから恐怖の悲鳴が上がった。

「ヒィッ!何が起きてるんだ!?」「うわあああ!な、なんだ今の音は!?あいつ、どうなっちまったんだ!?まさか呪いか!?」

彼らがその場から逃げ出そうとした、次の瞬間。

突然、一人の兵士の鎧を、まるで豆腐のように容易く貫き、背中から鋭い刃の先端が見えた。

その光景を見た兵士は「何だ、貴様……ぐはっ」と何かを言いかけたが、言葉は途中で途切れる。

横から素早く切り裂かれたのだ。

二人の兵士が同時に倒れ伏した、その時。

ライムの視界に映ったのは、闇に溶け込むように去っていく、誰かの後ろ姿だけであった。

そして、その人影が完全に闇に消える直前、地面に「チャリン」と何かが落ちる音がした。

ライムは驚きと混乱の中、その音がした方へと、ゆっくりと歩み寄る。そこには、月明かりの下、キラリと光を放つ六枚の銅貨が置かれていた……。

地面に落ちた、たった六枚の銅貨。

月明かりを反射して鈍く光るそれを、ライムは震える指で拾い上げた。

ひんやりとした金属の重みが、手のひらにじわりと伝わる。

これが、あの恐ろしい状況から自分を救い出してくれた、謎の人物からの唯一の手がかりだった。

(あの人は……一体誰なんだ?)

ライムは、その銅貨を強く握りしめた。

ただただ、お礼を言いたかった。

顔に受けた蹴りの痛み、全身に走る鈍い打撲痛。血の匂いが鼻腔に残っているが、そんな痛みも怖さも今はどうでもよかった。

彼は、恩人を探すため、来た道を戻ろうと駆け出した。

倒れた兵士たちの死体が転がる路地を、息を潜めて走り抜ける。

耳の奥には、兵士たちの断末魔の叫びと、あの悍ましい薔薇が咲いた時の「ゴキゴキ」という音がこびりついている。

それでも、彼は必死に視線を動かし、物陰という物陰、角という角を丹念に見て回った。

しかし、そこにあの人物の姿はどこにもない。闇はただ、彼の焦燥と不安を深くするばかりだった。

いくら探しても見つからない。

焦りだけが募る中、ライムの足は自然と、音がする方へと向かっていた。そして、だんだんと遠くから聞こえていた喧騒が、熱気を帯びたざわめきとなって、肌で感じられるほどに近づいてくる。

冷たい路地の空気から、急に暖かく、生ぬるい風に変わるのを感じた。

光が、闇に慣れたライムの目に、まぶしく差し込んでくる。

そうして、薄暗い通りから一歩足を踏み入れると、目に飛び込んできたのは、まるで万華鏡をひっくり返したかのような鮮やかな色彩だった。

色とりどりの奇抜な衣装を身につけた人々がひしめき合い、獣の耳や尻尾を持つ者、肌の色が鮮やかな青や緑の者、中には夜空に浮かぶ星々を思わせるような輝く体を持つ者までいる。

彼らは皆、この世界では見たこともない顔立ちで、興奮した面持ちで言葉を交わしていた。

酒場の木枠の窓からは、暖かなオレンジ色の光が通りにこぼれ、それぞれの顔を照らしている。

皆が笑顔で談笑し、高らかな笑い声が夜空に吸い込まれていく。

その声が何を意味するのかは、ライムにも不思議と理解できた。

異世界を繋ぐ冒険者ギルドのシステムによる「共通言語」の恩恵だろうか。

言葉の壁がないからこそ、彼らの熱狂や喜びが、よりダイレクトに伝わってくる。

道の両脇には、仮設の屋台が軒を連ね、宝石のように輝く鉱石が並べられた店や、空に浮かぶ奇妙な飛行船の模型を売る店など、珍しい品々が人々の目を惹きつけていた。

どこからか、弦楽器と打楽器が複雑に絡み合う、この国では馴染みのない陽気な旋律が響き渡る。

グラスが打ち鳴らされる乾杯の音が、まるで祝福の歌のように、夜の闇に溶けていった。

空気には、この国では嗅いだことのないような、甘く香ばしい香辛料の匂いが混じり合っている。

異国の果実が発酵した独特の酒の匂いや、熱気を帯びた人々の体温、どこか遠い場所から来た埃の匂い。

そのすべてが混ざり合い、ライムの鼻腔をくすぐる。

必死に逃げてきたライムの目には、この異常なまでの賑わいが、まるで別の次元の光景のように映った。

俺が生きるこの世界とは、全く違う場所だ……。

疲弊した体と心に、この華やかすぎるほどの活気が、容赦なく孤独と絶望を突きつける。

妹が囚われている場所と、この笑顔に満ちた世界の対比が、彼の胸を締め付けた。

ライムは、先ほどまで死体が転がり、兵士が剣を抜いていた酒場付近へと足を進めた。

街灯の光が届かない場所は、まだ夜の闇に沈んでいる。

しかし、彼の目に映ったのは、信じられない光景だった。死んだはずの兵士たちの体は、まるで最初から存在しなかったかのように消え失せ、騒ぎを見物していた野次馬たちも、どこかへと姿を消していた。残されたのは、ひんやりとしたアスファルトの匂いと、遠くから聞こえる酒場の喧騒だけ。

まるで、全てが幻だったかのように。

(一体、何が起きたんだ……?)

消えた死体に、一抹の不気味さを感じながらも、ライムの心には、わずかな希望と焦りが同居していた。

あの人物は、どこへ行ったのか。

何か手掛かりはないものか。

彼は、藁にもすがる思いで、目の前の酒場の重い扉を押した。

扉は軋んだ音を立てて開き、中から熱気と香ばしい匂いがどっと押し寄せる。

中に入ると、そこはまさに異世界だった。

先ほど外から見た以上に、様々な種族がひしめき合い、けたたましい笑い声と、熱気あふれる話し声がライムの耳を包んだ。

肌の色が鮮やかな青や緑の者、獣の耳を持つ者、空に浮かぶ星々を思わせる輝く体を持つ者……。

見たことのない顔ぶれが、当たり前のようにグラスを傾けている。

(さっき助けてくれたのも、見たことがない能力だったし……もしかして、異世界の冒険者が俺を助けたのか?)

ライムは、銅貨を握りしめたまま、周囲を見渡した。脳裏に、あの光景が蘇る。

兵士の口から咲いた血のような赤い薔薇、そして瞬時に兵士を切り裂いた謎の刃。

(いや、そんなわけないか……)

彼は、思考を巡らせる。

今まで聞いてきた話では、異世界から来た者たちは、この世界の独自のルールで動いていて、基本的に住民に関心はないはずだった。

彼らの目的は、この世界の異変の調査や、稀に現れる特殊なアイテムの探索だと聞いている。

(人助けをするなんて、思えない……しかも、名も名乗らないのも、もし冒険者ならおかしい。

普通は、恩を売って何か引き換えに要求したり、情報を集めたりするはずだ……)

ライムは、口の中でぶつぶつと独り言をこぼしていた。周りの喧騒の中、誰にも聞こえないだろうと思って。

「兄ちゃん、注文しないのか?」

不意に、目の前に声がした。

顔を上げると、カウンターの中から、がっしりとした体格のマスターが、呆れたような、しかし少しだけ心配そうな顔でライムを見ていた。

酒場の熱気に当てられて、ライムの頬は少し紅潮していた。

「あ、すみません……ちょっと聞きたいことがあって……」

ライムは、手のひらで強く握りしめていた六枚の銅貨を、マスターに見せた。

ひんやりとした銅貨は、まだ手のひらの熱を吸い取っていない。

マスターは、その銅貨を一瞥すると、ふっと鼻で笑った。

「悪いが、そんな金じゃ何も飲めないぞ。水ぐらいなら飲ませてやるが?」

マスターの言葉に、周囲の客たちがドッと笑い出した。彼らの視線が、一斉にライムに集まる。

侮蔑と嘲りが入り混じった笑い声が、ライムの耳に突き刺さる。

「兄ちゃん、金ないのか?ちゃんと稼いでから来るんだな!」

「そういじめてやるなよ、大人への階段が昇りたくて勇気を出して来たんだろうしさ!」

彼らの言葉は、まるで鋭い針のように、ライムの心をチクチクと刺した。

屈辱と、慣れない場所での居心地の悪さが、彼の全身を覆う。

だが、マスターは、そんな騒ぎを意に介さず、冷静な目でライムを見つめ直した。

「……六銅貨って、まさか、何か恨みとかあるか?」

マスターの声には、一転して神妙な響きがあった。

顔つきも、さっきまでの軽薄なものから、真剣なものに変わっている。

ライムは、その問いに間髪入れず、即答した。

「あります!」

その言葉に、酒場のざわめきが、一瞬だけ静まり返ったように感じられた。

マスターは、ゆっくりとカウンターに身を乗り出すと、声を落として語り始めた。

「これは酒場でよく聞く噂話だがな……六銅貨を持って、王都の中にある『月下の花屋』に行くと、恨みを晴らしてくれる裏稼業をやってる連中に会えるって話だ……」

マスターの言葉は、まるで秘密を打ち明けるかのように、重々しく響いた。

ライムの耳に、その言葉がはっきりと届く。

「……ただし、会えば最後、二度と帰って来れないらしい。それでも、晴らしたい怨みがあるなら、行くがいいさ……」

マスターは、そう言い終えると、カウンターの上に、グラスに注がれた透明な果物のジュースを置いた。

グラスの縁には、水滴が光を反射してきらめいている。甘酸っぱい果実の香りが、微かにライムの鼻をくすぐった。

「ほら、これはサービスだ。悪いな、ちゃんと金があったら美味い酒を飲ませてやるよ」

その言葉に、ライムは一瞬、戸惑いを見せたが、すぐに深く頭を下げた。

「ありがとうございます……!」

ライムは、そのジュースを一気に飲み干した。

喉を潤す冷たい液体が、疲れた体にじんわりと染み渡る。そして、彼はマスターに一礼すると、酒場を後にした。

ライムが去った後、酒場の客たちは、それを見て、どっと大笑いを始めた。

「マスターが早く消えろって言ってるのが分からなかったのかな?馬鹿にされてるのに、真剣な顔で『ありがとうございます』だってよ!」

「本当、世間知らずのガキは面白いわ!マスター、ナイスジョーク!あはははは!」

陽気な笑い声が飛び交う中、カウンターの片隅で、一人静かに酒を飲んでいた別の客が、ふと口を開いた。彼の声は、他の喧騒に比べればずっと静かだったが、どこか深い響きを持っていた。

「……さて、本当にジョークならいいけどな。現に兵士や貴族が謎に殺されてる現象が、最近よく起きている。裏稼業をやってる者がいても、不思議じゃないけどな〜」

彼は、グラスを傾けながら、少しだけ口元に微笑みを浮かべた。

その表情は、どこか遠い目をして、誰もいない虚空を見ているようだった。

「……そういう存在がいた方が、希望が持てるけどな。私は……」

その言葉は、客たちの笑い声にかき消され、誰の耳にも届くことなく、ボソリと闇に溶けていった。

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