幽霊と呪詛と悪意
そのままイチハについて廊下を移動した。
さっき見たアレは、なんだったんだろう。
気味が悪いって言葉だけじゃ足りない。
冷静になってみれば、Gの集団の方がまだマシなのは分かるし、そもそも比べるモノじゃなさそうだ。
イチハは黙ってるけど、気になる。
ものすごく気になる。
さっきのアレ、何?
なんであそこにいたの?なんであんなのがいるってわかった?
「あまり気にするな。ああいうモノに会ったら、とにかく逃げろ。」
いやあのさ、良くないモノなのはわかってるけど。何で危ないのかとか、知りたいよ。
そこがわかんないと、逃げ方もわからないじゃない。
どこまで逃げたらいいのか、いつまで逃げたらとかそういうとこ。
「なるほどな。そうだなアレは確かに碌なもんじゃない。それに、かなり強い。だが、あの部屋からは動けないだろう。」
動けないの?あ、地縛霊とかそういうの?
「近いが、霊とかいうのはどうかな。アレは幽霊みたいなモノではなくて、人の悪意とか怨念とか、そういう負の感情が凝った存在だ。だから、人格のような個性はないが、それだけに付け入る隙がないし、容赦もないだろう。自動的に作動する罠に近いかもしれない。」
よくわかんないけど、幽霊みたいなモノじゃないんだね。まあ、幽霊もよくわかんないし。見たこともないし。
そう答えながら、私は少し妙な感覚を覚えた。確かに幽霊なんて、今まで私の人生に縁はなかったと思う…けど。
それじゃ、あれは何だったんだろう?
夢?
夏だった。
神社の木は真上からの強い日光を遮るから、家の周りは神社の外の強烈な陽射しとは別世界だ。
木漏れ日は柔らかく、影の濃いところはひんやりして薄暗い。
参道の真上、両側の樹冠が切れるところだけに夏の強烈な日が差し込む。
だから神社の中は、直接の日光と木漏れ日との間に、くっきりした境界ができる。
明るい方を見てから、暗い方を見ると最初は何も見えない。真っ暗な背景に、明るい世界の残像が重なる。
逆も同じだ。
暗い方から明るい方を見ると、最初は眩しすぎて何も見えない。
だから、最初はそれが残像だと思ってた。
それ。
光と影のコントラストが強い時、その狭間に現れるぼんやりした姿。
それは、人の形をしていた。細かいところはよくわからないけど、確かに人間だ。
背の高い男の人のように見える。
太陽が真上に近い場所から強く差し込む夏の季節。
正午ごろ、光と影が参道の辺りでくっきり対峙するわずかな時間だけ、その姿は現れた。
雨の後の虹みたいに。
近寄ることは出来ない。
そこも虹と同じだ。近づけは遠ざかる。
どうしたって辿り着けはしなかった。
幼かっだ私は、何とかその幻のように儚い姿に近付こうとしたけど、駄目だった。
何故か凄く悲しくて、でもそのわけはわからなくて。
今でもあれを思い出すと、胸が締め付けられるみたいになる。
小学校に入った頃から見えなくなってしまったけど。
あれは、何だったんだろう。
私は心のどこかで、あれを〝幽霊さん〟と呼んでた。それが正しい呼び名なのかはわからない。
でもあれが幽霊なら、さっきの〝首〟は幽霊じゃない。
「どうした、ナル?」
ううん、何でもない。で、アレは何故危険なの?
「アレは自動的に発動する罠だが、対象は主として人間だ。だが、誰にでも発動するわけじゃなくて、条件がある。その人間の精神力が弱っていて、更に強く動揺したような場合が危ない。アイツはその隙を狙って入り込む。」
はい?なんかザワッとするんだけど。
アレは、人には見えないんだよね?
「たいていはな。感じる者はいるし、稀には見ることができる者もいるが。さっき、あまりアイツを見るなと言ったのは、見てしまうと干渉を受ける危険があるからなんだ。」
うわっ…やだな、それ。
アニメとか小説でもあるよね、見えちゃうと襲われるみたいな。
で、アレはあそこからは動けないの?
「ああ。ただ、誰かに入り込めばあそこから離れることができる。取り憑く、ともいうかな。」
まんま悪霊じゃない。
「幽霊じゃないが、悪霊とは言えるかもな。アレが生まれたきっかけは、あの部屋で誰かが急死したことなんだろう。病気か、事故か、それ以外の原因かもしれないが、それは突然のことだったはずだ。激しい驚愕と恐怖、理不尽な死の運命を悟った者の無念が、この辺りの悪意などの負の感情を吸い寄せた。そして生まれたのがアレってわけだ。」
だからあんなに気味が悪いんだね。うん、何となくわかってきたよ。
で、何故アレがあそこにいるってわかったの、イチハ先生?
「ああいうものはな、負の感情を引き寄せる。呼吸するみたいにな。」
え?まだ大きくなったりする?
「それはないかな。あの程度なら吸収はするが、同化しないだろう。で、その負の感情って奴だが…うん。こっちにいいサンプルがありそうだ。焦点の合わせ方が分かれば、おまえにも見える。危険を避けるにはその方がいいからな。」
私とイチハはテレビ局の長い廊下を進んだ。殺風景な学校の廊下みたいな場所から突き当たりのドアを通り抜けたら、片側が全部窓になった廊下に出る。
夜景がすっごく綺麗!
床や壁の感じまで違ってて、同じ建物じゃないみたい。
「こっち側のエリアが局の顔なんだろうな。あっちはバックヤードか。」
廊下、広いね。
あ、人がいる。
男の人が2人、何だか疲れた顔で、窓の方を向いて話し合っていた。2人とも首から名札を下げている。局の人かな?
「制作会社の人間みたいだな。」
え?何それ?スポンサーってこと?
「違う。番組を作ることを請け負う会社ってのがあって、あの2人はそこの社員みたいだ。さて、これから見方を教えるから、まずはあの2人をよく見ろ。」
1人はひょろりと背が高くてすこし猫背。
もう1人は中背で、メガネをかけてる。
30代後半くらいかな。お兄さんてより、オジサンに近い感じ。
中背の人はオシャレな感じで、髪型も決まってるし、メガネもなんか変わっててカッコいい。
背の高い人は、あんまり外見には気を使ってない感じ。なんか死んだみたいに生気のない目をしてて、髭がまばらに見えてる。
残業かな?2人ともげっそりと疲れ切った表情は共通してた。
「だけど、オガタ。こりゃ無茶振りもいいとこじゃないか?」
背の高い方がそう言うと、中背の方が力なく頷いた。
「いつもっちゃいつものことだが。」
「しかしあの俳優を使えってゴリ押ししたのは例のプロデューサーだろ?それがスキャンダル発覚で手のひら返しだ!こっちに責任押し付けやがって!1話はオンエア済って、どーすんだよ!ドラマもう半分撮り終えてんだぜ!」
中背の男は深くため息を吐いた。頭を両手でワシワシ引っ掻いて、「禁煙しなきゃよかった…」
とか呟いている。
「事態の収拾を全部押し付けられるわけにはいかん。あのプロダクション、所属タレントの管理もできてないのは前々からだしな。切る前に利用出来るだけ利用させてもらう。」
「ああ。そっちはお前に任せるさ。」
「見えるか?」
イチハにそう聞かれるまでもなく、見えていた。
2人をぼんやり取り巻く、モヤのようなもの。
薄暗く見えるけど、光を遮ってるって言うよりは、なんか黒い光みたいなものを発している感じ。
これって、あの人の首みたいなおぞましい奴の感じに似てるね。
「その通りだ。彼らはいま困ったハメに陥っていて、その元凶となった者を呪詛している。2人ともお互いの顔を見ていないだろう?あれはな、相手の顔に自分と同じ表情を見たくないからなんだ。」
その通り、2人のオジサンは、最初から窓を向いて話してた。ボソボソと、2人だけに聞こえるような、小さな声で。
「さあ、あの黒いモヤをよく見ていろ。」
わかった。
「オガタ、お前の大学の後輩の、サガワって男紹介してくれ。芸能記者の。」
背の高い方が、もう1人に更に寄って耳元で囁いた。
「え?し、しかしアイツは芸能記者なんていいもんじゃなくて、パパラッチというか他人のスキャンダルだけで食ってるゴロつきというか…。」
「ゲスは承知の上だ。このままではすまさん。あのプロデューサーとスポンサー側の部長、それにあのスキャンダル俳優の関係をリークしてやる。局が知らん顔出来ないようにな。証拠もあるし。」
「本気かよ、タニグチ、お前そんなことしたら…」
「このままじゃどうせ俺は終わりさ。なら、道連れは多い方がいいだろう。」
「見えたか、ナル?」
何あれ?
モヤが頭のてっぺんからふわっと離れて。
アレ、何。あ!動き出した。
「多分あの首のところへ行くんだろう。あれは、呪詛が形を得たものだ。怨念とか悪意の塊だな。」
そう、なんだ…。
何があったかは知らないけど、呪詛が形になるなんて、よほどのことなんだろうか。
だけど、その呪詛だか悪意だかが、見も知らない誰かに被害をもたらすかもなんて、誰も思いもしないんだろうね。
ちょっと複雑な気もするな。
ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます♪
次回もよろしくおねがいします。