絶体絶命?
それが誰なのか、というより、何なのかよくわからなかった。
最初はね。
だけど、この感じには覚えがある。
ウツロ。
アイツがまとっていた気配と同じものが、花梨の姿をしたそれから立ち上っていたんだ。
ううん、それはもう花梨には見えなかった。
これは、人形みたいなものなんだろうか?
にんぎょう、と読むより、ひとがたって読むほうが相応しい何かだ。
荒く粘土をこねて作った、等身大の人形。
全体は黒に近い濃緑色で、他に色はない。
目の部分には2つの穴。口の部分には1つの穴があいてるけど、鼻らしきものはないし、耳もない。髪の毛も。
そいつは、手招きした。
一度、二度、三度…
その度に辺りは暗くなる。
もうこれ以上ないほど暗くなってたはずなのに、そいつの手の動きにつれ暗さは確実に増していった。
光を吸収する暗幕が周囲を覆っていくみたいに。
気がつくと私は、息がつまるほど重い重い闇に囲まれてた。
自分が立ってる地面すら見えない。
それなのに、自分の体は見えてた。それと、手招きする人形の姿も。
周囲が完全に黒く沈んだとき、ぞっとすることに気付いた。
引き寄せられてる?!
気のせいじゃない。ほんのわずかずつなんだけど、私はアイツの方へと引き寄せられていた。
1センチ、また1センチみたいなペースで、全速力のカタツムリみたいな速さなんだけど、確実に進んでくんだ。
足にグッと力を入れて止まろうとしたんだけど、どうにもならない。
パニックの予感がする。
どうしよう!このままじゃ…
手招きを続けるアイツの口が、丸い穴から三日月みたいな形に変わった。
横倒しの細い三日月。両端が上に吊り上がっていく。
笑ってるんだ、コイツ!
ゾクっとするのと同時に、なぜかすっごく腹が立ってきた。
何なの、なんなのよっ!
怒りのせいか、足にもう少し力が入る。
進むのをやめられるほどじゃないんだけど、ほんの少しスピードが落ちた。
っても、全速力のカタツムリが、速歩のカタツムリになる程度だけど。
ちょっと嬉しかったのは、土人形の三日月口の両端がグイッて下がったことね。
一文字の亀裂みたいな線は、まるでグッと引き結んだ口みたいだ。
コイツ、怒ってる。そして、苛立ってもいるみたい。
ザマみろ、って言ってやりたいけど、そんな余裕は1ミリもなかった。
必死で逆らってみても、引き寄せられるからだが止まんない。
振り向いて逃げ出したいけど、身体の向きを変えることができない。だって、足の裏を少しでも浮かそうもんなら、そのまま引き寄せられてしまうから。
脚の筋肉がプルプルしてきた。膝の関節がガクガクする。限界が近いんだ。
前に走り込みをやり過ぎて、あと急に冷やしたりしたらこうなったことがある。
これ、まずいよね。
うん絶対マズいでしょ。脚が攣ったりしてこのまま力が抜けたら、アイツに引き寄せられてしまう。
そしたらどうなる?わかんないけど、ロクなことにならないのは確かだ。
絶対絶命。嫌な熟語が浮かぶ。
逃げ道ないとか、勘弁して!シャレんなんないでしょっ!
またジリっと足が進む。
嫌な汗が一気に吹き出す。
一文字だったアイツの口の両端が吊り上がって三日月になった。ほんとに腹が立つ。
だけど、どうしようもなかった。
このまま…
その時だった。
「おい、鷹塔!」
聞き覚えのある声。
肩に手が置かれ、軽く揺すられる。
ハッとすると同時に視界が広がった。
「さ、佐久間先輩…?」
目の前に立ってたのは、誰あろうあの佐久間先輩だ。
辺りは夕暮れのオレンジがかった光が斜めに差し込んでいる。暗闇は嘘みたいに消えていた。
先輩は何か強張った顔で、でもちょっとだけほっとしたように頷く。
「よかった。随分呼んだんだ。様子が変だったから。それと…いや、見間違いだよなあの…黒い…」
ハッとした。黒い?
「黒い手、ですか、先輩?」
思わず先輩の胸倉を掴んでた。見たんだろうか、まさかあの黒い手を?!
佐久間先輩はビクッとのけぞった。
「いや、あの…。」
「教えてください、先輩。何を見たんですか?他に見たものは?」
必死だった。
盗撮動画に関する犯罪行為だとか、とんでもないクソ野郎だとかって、もう完全に頭から飛んじゃってたんだ。
佐久間先輩が見たことを知りたい、今はそれだけしか考えられない。
私は随分怖い顔をしてだんだろうと思う。
先輩は顔を引き攣らせてた。明らかに引きまくりの逃げ腰だったけど、私の剣幕に押される形で腹を括ったみたい。
「落ち着けって。僕の見間違いかもしれない。だけど、あまりにハッキリと見えたんだ。」
私は頷く。先輩の顔は真剣だった。
佐久間先輩にどんな欠点、てか、許し難いシュミがあろうとも、この人は部活ではエースだし、生徒会でも大勢から信頼され慕われてるのはまちがいない。
実際、デキるひとだし、努力家でもある。
密かにウォッチングしてたから、そこはよくわかってる。
「僕が最初に見たのは、立ち止まってた鷹塔だった。永見沢に届けるものがあって、丁度永見沢んちから帰るところだった。」
私は頷いた。
永見沢先輩は、佐久間先輩の親友ポジションで、かなり人気のある先輩。
家は神社の外側にあるけど、佐久間先輩の家に帰るなら神社を横切った方が近道なんだ。
「鷹塔の様子が妙だったから、少し気になって、声を掛けようとして、ソレに気付いた。」
「黒い…手ですね?」
先輩は真剣な顔で頷く。
「見間違いかと思った。目か頭がどうにかしたんじゃないかと、すこし心配だったが、それにしても鷹塔の様子が普通じゃなかった。まるで、何かに引き寄せられているのを必死に堪えてるみたいな。おかしいな、前には何もなかったが。ただ、後ろに、その手が…黒くて影みたいな、2本の手だけがすうっと鷹塔の背中に近づいていたんだ。それで…。」
そんな状況で声をかけるのは、難しかっただろうって思う。
あの黒い手を見たならば誰でも自分の目と頭を疑ってしまう。尚更大変だよね。
私は、素直に先輩に頭を下げた。
「ありがとうございました。助かりました、佐久間先輩。」
「あ、ああ。」
ちょっと照れたみたいに引き攣った笑顔を浮かべ、先輩の目は全然笑ってない。
「それで、アレは何だったんだ?」
うん、そうだよね。それが1番気になる筈だけど、本当のところは私にもわからないんだ。だから、正直に話した。
お父さんの事故の時、その手を見たこととそれが何なのかわからないってことはね。
それ以上は言わなかったよ。
言えなかった。
先輩を巻き込む気はないし、説明は難しすぎるから。
全部夢みたいなことと思われるだろうし、危険があるのは絶対確かなんだ。
先輩は真剣な顔で考え込んでた。
私が全部話してないことに気付いていただろうけど、危ない気配は充分感じてるみたいだった。それでも。
「鷹塔、もし何か僕に出来ることがあれば、遠慮なく声をかけて欲しい。」
私は、虚を突かれたって感じ。
な、何このオトコマエ対応!?
あのことを知らなければ、惚れてしまうじゃない?
あー、でも残念だけど、私、知ってしまったんだよねー、先輩。
ほんと、残念。
「ありがとうございます、佐久間先輩。あの、でも一つだけ、いいですか?」
「うん?」
私は、正面から先輩の目を見た。
わー、至近距離。こんな場合でなきゃ、告白シチュだよね。
「先輩。動画の拡散は、絶対やめて下さい。それから、あの共有サイトも。」
「…!!」
「先輩がそんな趣味の人だなんて、悲しかったです。すっごくショックでした。」
うん。これは100パーセントの本心。
助けてくれた人にこれってどうなの?!
とか騒いでるもう1人の私もいるけど、でもこれが私の精一杯。
感謝を込めて、先輩に言える言葉はこれだけなんだ。
やめてほしい。あれは、絶対。
呆然としてる佐久間先輩にもう一回深くお辞儀して、私は家に引き返した。
これで、佐久間先輩はこれ以上私に関わろうとは思わないだろう。
それでいいんだ。
私は、独りぼっちだ。
イチハの消息は分からず、誰にも頼れない中、危険は今後も続くんだろう。
転移だか転換だかをしない限り、クロハヌシとは意思の疎通ができないし、いつ転移が起きるか私にはわからない。
二度と起こらないこともあり得るんだ。
孤立無援。四面楚歌。
すっかり忘れてたそんな四字熟語ばかりが頭に浮かんだ。あー、これダメなパターンだよね。
おじいちゃんが好きな漢字クロスワードにでてくるやつ。
なんかため息が出た。
いつもと同じ夕暮れ時だけど。
どうしよう、これから…。
何も浮かばないよ。
お読みいただきありがとうございます。
次回もよろしく。