わからないことだけが増えてく
答案用紙。
最初に目に入ったのは、それだった。
そして、ずっしりした身体の重さ。
ああ、戻ったんだって実感と共に、喉が詰まるような感覚。
これはなんだろう?
身体が麻痺したみたい。
今すぐ叫び出したい、ここから逃げ出したいのに、私は動けなかった。
声さえあげられない。
イチハ!あなたに何が起こったの?!
どうなっちゃった?マシロサマって、いったい何なの?
あたまの中はもうドロドロぐちゃぐちゃだよ。なのに、シャーペンを持った手は震えもしないんだ。
ひりつく喉から声は出ない。
お父さんが死んだ…殺されたあの時、私は泣き叫んてたって聞いたけど。
黒い手を見たときと同じこの感情が何なのか、私は知ってる。
これは…恐怖。
お父さんがもう帰ってこないって、私にはわかってたんだ。
だからただもうその事実を忘れていたかった。お父さんが大好きだった。
逃げたかったんだ。
もう二度と会えないって現実から。
イチハは…イチハはどうなったんだろう?
今すぐ確認したい。
逃げろって、イチハは言った。
気付かれたら全速力で逃げろ。
あのとき、イチハはすごく真剣だった。
あれはつまり、危険を感じてたってことで、見つかったら逃げるしかないって意味で。
当然私じゃ手も足も出なくて。
ううん、イチハでも、だろう。
イチハは口にしなかってけど、私にはとても見えない遠くまでを見通してたのは確かだろうと思う。
私は一度に1人に焦点を合わせるのが精一杯だけど、イチハは同時に何人かの考えを読んでいた。
そのイチハが、あの女の接近に気付かなかったんだ。
イチハに戦闘能力は期待してなかった。
だけど、隠れることと見つけることは得意そうだったのに。
イチハ!
無事でいて!お願いだから…。
私は本当に無力だ。それなのにイチハを危険なことに巻き込んでしまった。
あの黒い手のこと、お父さんのこと。
私には大事なことだったけど、京都に行きさえしなかったら、こんなことにはならなかっただろう。
ごめんなさいイチハ。
だからお願い。生きていて。
チャイムが鳴るまで、何をしてたか記憶になかった。
今日のテストは終わり。
でも、答案用紙に何を書いたかすら全然覚えていなかった。
いや、なんか書いたのかな?
それどころじゃない。
ただ呆然と立ち上がり、これからどうしたらいのかもわからず立ち尽くしていた時。
「ナル。」
聞き慣れた声と共に、腕にそっと手が添えられだ。
「花梨…。」
「帰ろ。送ってく。」
花梨はただそれだけ言うと、私の荷物をさっさとまとめた。
教科書、ノート、筆記用具。
私はただぼんやりそれを見ていた。
花梨は、何も聞かない。いつものおしゃべりな彼女とはまるで別人。
今はそれがとてもありがたい。
空気読めない、ううん、読まない花梨だけど、こんな風に私がダメダメなときは本当に頼りになるんだよね。
それからどうやって家まで帰ったのか全然覚えていない。
花梨は、「話したくなったら話して。」って、たったそれだけ言って帰って行った。
こういうとこ、凄いなあっていつも思うんだ。私だったら、絶対うるさく質問攻めにしてる場面だけど、花梨はそうしない。
よく出来た友達、だよね。
聞かれても答えられないことだって、何でわかるのかは知らないけど。
とにかく、ジッとしてるのはムリだ。
私は、今できることをしよう。
あの変な家のおじさんは何者なんだろう?
イチハは、あの人がお父さんのお父さんの従兄弟だって言った。
父方のおじいちゃんの従兄弟ってことね。
お父さんは早くに家族を亡くしたから、あのおじさんとは会ったこともなかった可能性が高い。
名前は、くぜなそういちろう、だっけ?
イチハは、政治家なんてこんなもの、そう言ってたよね。
あと、ヨトウだかヤトウだか、それも政治家関係の言葉のはずだ。
なら、まずは検索。
今ならお母さんが帰ってくる心配もないし、パソコンが使える。
お母さん、私がお父さん関係の調べ物をしてるなんて知ったら嫌がると思うんだ。
おじいちゃんも入院中で良かった。
お母さんほどじゃないけど、おじいちゃんもあまりお父さんのこと話したがらないからね。
私はリビングに座って、いつもそこに置いてあるパソコンを開いた。
久世那宗一郎。
漢字はこうだったのか。
写真もある。この人に間違いなかった。
かなり有名な政治家みたい。
それから私は調べ物に没頭した。
けど、わかったのはどうでもいいことばかりだ。
久世那宗一郎の経歴だとか所属政党だとか家族構成だとか、そんなことには全然興味ないよ。
ご本家様って、誰?
マシロサマって?
私の知りたいそれらのことに、手掛かりは一つもなかった。
イチハだったら、不正アクセスでも何でもして、そのご本家様とかに辿り着けたかもしれないけど、私にはムリだった。
悔しくて、悲しくて、おかしくなりそう。
あのマシロサマにたどり着くには、ご本家様だけが突破口なのに。
それにしても、お父さんはなぜあの久世那って人に会いになんか行ったの?
呼ばれたのは確かなんだろうけど、それ以前に何か接点があったわけじゃなさそうなのにね。
ウチのおじいちゃんが言ってたことで、忘れてたこと、いくつか思い出せはしたけど、その点は揺るがない。
お父さん、久世那って人に会ったことはないって言ってたらしい。
それなのに、旅費まで負担して、お父さんとおじいちゃんを京都に呼んだなんて。
そこからしておかしな話だよね。
そこまでしながら、お父さんのお葬式には来なかった…。
まるで、もう用事は済んだと言いたげに。
まさか…いや、でも。
久世那宗一郎は、お父さんが殺されたこと
に何か関係があるんだろうか?
勘繰り過ぎ?私の妄想とか?
ううん、違うと思う。
久世那宗一郎が殺したわけではないかもしれないけれど、あの人は何か知ってるはずだ。
それと。
整理しなきゃいけないことはまだある。
あの政治家のおじさん、
〝本家がまだ存在しているなんておかしい〟みたいに言ってたよね。
本家からの使いがマシロサマ。
久世那宗一郎は、その本家の〝ご当主様〟
に来て欲しかったけど、断られたよね。
あんなに必死に頼み込んでも、相手にもされてなかった。
腹立ち紛れに、本家の存在自体を疑うみたいな言葉を口にしてたってことは、少なくとも頻繁に本家と連絡をとっていたわけじゃないんだろう。
本家って何?
普通に考えて、分家の久世那に対する本家ってこと?
でもそれなら、普段から連絡くらいしてるんじゃないかな?
あるかないかもわからない本家の当主を招待して、その結果マシロサマっていう使者が来たわけだよね。明らかに人外の。
マシロサマが〝あるじさま〟って呼んでた相手も人間じゃないかも。
なら、本家ってば単なる親戚とかじゃなくて、何か別のものかもしれないよね。
何一つ確かになったものなんかなく、1人でまっ暗闇に放り出されたみたいだ。
考えれば考えるほどに私は無力だ。
そんなことはわかってる。
だけど、無力な子供だってことを思い知るのは、いつだって嫌だよ。
それも、こんな時に。
祈ることしかできないなんてね。
お願い。
生きていて、イチハ!
お願いだから。
今回お付き合い頂きありがとうございます。
ナルはイチハと再会できるか?
次回もお楽しみに。