寝不足でも朝は来ます
翌日は、私の気分とは裏腹な快晴だった。
昨日の出来事がまるで夢だったと思いたいくらいだけど、そうじゃない。
あの後、また枝が落ちた。
それも、1本じゃなかった。だけど、枝が落ちるような物音は、実際に落ちた枝の数より多かった。
それと。
風の音とは違う、何かの音がした。
ザワザワと樹上の枝葉を揺らす不気味な音だった。
何か大きなものが、樹冠を這い回ってでもいるような。
あいつ。虚空の獣、ウツロ。
それから、一瞬ではあったけど、窓越しにピカっと光が閃き、やがて這い回る音が止んだ。
雷鳴のない稲光?
たまたま窓の正面から射し込んだ車のヘッドライト?
まあそんなふうに、適当に理由をつけたらすぐ忘れてしまうんだろうね、みんな。
でも、あの光はクロハヌシがウツロの目を破壊した時のものだ。
ウツロはどこかへ飛んで行ったけど、死んだわけじゃないし、大して弱ってさえいない。
クロハヌシとイチハの会話からして、追い払うのが精一杯ってことらしい。
そして、もしアイツが杜の結界を破って入り込んだら…
「神社が消える。」
そう呟いてみる。
イチハの声にはあまり感情が入ってなかったんだけど、それでも神社が消えたら、それ以上に良くないことが起きるんだろうって、不吉な予感がした。
それと、クロハヌシ。
あの人、まあ人じゃないんだろうけど、姿かたちは人間みたいだし、言葉だって普通に通じた。
だから、ワタシ的には〝人〟なんだけどさ。
『例の娘か』って、どういう意味?
私のこと、何か知ってるのかな?
イチハは、詮索無用ってあの人に言ったよね。何だか、ちょっと強い口調で。
そんなことをあれこれ考えてて、いつの間にか寝ちゃってたみたい。
夢を見たと思ったけど、内容は全然覚えていなかった。
ただ、何だかすごく疲れた気分だけが残ってたから、あんまりいい夢じゃなかったみたいだね。
お母さんに起こされた時、全然寝た気がしなかったの、そのせいかな。
それでも朝で、いい天気で。
テスト週間だから、朝練はなくて、そこは助かったよ。
だ・け・ど。
どうすんだ、テスト!?
しっかりしろ、私!
ったってさあ、後の祭り、だよね。
仕方ないじゃない、あんなことがあって、勉強なんかできるはずないもんね。
あー、まあ、終わったことは仕方ない。
慌しく起きて着替えて、トーストと卵とサラダを食べて、とにかく学校に行かなきゃだよ。
「行って来ます!」
「行ってらっしゃい、ナル。ご飯は適当に食べてね。」
「はーい。」
お母さんは、駅の向こうの歯医者さんで受付をしてる。
私はお昼は給食だけど、テストのある時は自分で作ることになってる。
面倒だとシリアルとかで済ますことも多かったりするけどね。
家から出てみたら、昨夜落ちてきて参道を横切ってた枝が脇に寄せられてて、壊れた石灯籠も参道脇に片付けられていた。
昨夜おじさんたちが頑張ったみたいね。
青い葉っぱがたくさん落ちてたらしく、掃き集めた葉がこんもりと山になってた。
葉っぱと言えば、イチハはあれからどうなったのかな?
普通の状態の私は、イチハを見ることができないような気がする。
だからさ、ひょっとしたら今も側にいるのかも知れない。
それはないかな?
イチハだって、忙しいかも。
何かちょっと…寂しい、のかな、私。
変なの。
そんなことを考えながら通学路を歩く。
中学は徒歩圏内だ。駅よりも近い。
腹が立つくらい晴れた空を見上げたら、思わずため息が出た。
「おはよっ!ナル!」
たたたっと軽い足音がして、横に並んだのが誰か、確かめるまでもなかった。
来島花梨。幼稚園からの友達で、今は同じクラス。小柄で可愛らしい感じの子。
幼馴染ってのかな。
「あー、うん。」
花梨をチラッと見て、またため息をつきたくなったのには、いくつかワケがある。
どれ一つとっても、花梨が悪いわけじゃない。
でも。
「えー?どしたのさ、ナル?ひょっとして勉強、範囲かなんかミスったとか?」
「あー、まあ。」
そう言えば前回そんなことをやらかしたような気はする。
今回は範囲ミスどころか、全く出来てないんだけどさ。
まあ落ち込んだって仕方ない。成績に命賭けてるわけじゃないし。
「それより、ねえ聞いた?佐久間先輩のこと。」
どキリとした。
ま、まさか、あの動画共有の件?
花梨たら、ちょっと深刻な感じで、ヒソヒソ声で続けた。
「ウワサだけど、彼女がいるんだって。それがさ、歳上で、すっごい美人なんだってさ。ちょっと鳥羽りお似の。」
何か、とっさにリアクションし損ねた。
だって、あんまり聞きたくない固有名詞が二つ、リンクしたんだもん。
花梨は、まあまあ性格は悪くないんだけど、なんていうか妙に間が悪いところがあるんだ。
盗撮動画の佐久間先輩と、枕営業の鳥羽りおって、どうしたらこうも見事なツーショットが来るのかな。
花梨は、いつもそう。
本人には全然、全く悪気はないんだけど。
「ねえ、やっぱちょっとショックだよね、ナル。」
と、花梨は私の顔を覗き込んだ。
ショック、っていうのとはちょっと違うんだけど、説明のしようがないね。
昨夜は私もかなりショックだったけどさ。
今はうんざりってか、もうお腹いっぱいで吐きそうっていうか。
私の表情をどう解釈したか知らないけど、花梨は俯いてため息をついた。
「うん。そうだよね、ナル。わかる。歳上がタイプだってことは、私達じゃ圏外だしさ。それに、りおちゃんみたいなキレイめのアイドル顔が好きなんじゃ、私たちもっとアウェイだしね。」
いや、アウェイなのはあんたのアタマの中身だよ、花梨。
どっから突っ込んだらいいか、ぜんぜんわかんない。
それで思わずため息を吐いたら、逆に突っ込まれた。
「ナル!そんなに好きだったんだ、佐久間先輩のこと。」
ってさ。
ちょっと!やめなよ花梨。
え!おかしいな?あんた涙ぐんでない?
「どうしたの、花梨?あんたまさか、そんなに佐久間先輩のことが?」
花梨は黙って頷いた。
「ウソ…マジ?」
他に言葉が出てこない。
あのヘンタイ男のために泣けるなんて、あんた奇特な人だね、花梨。
呆れ返ったけど、まあ、昨夜のあの件がなきゃ私だって似たような感じだったのかな、と思い直す。
知らぬが花だって?
いやいや、佐久間先輩はさ、もう既に私にとっての黒歴史だよ。
「人生って、無常だね。」
思わず呟いたら花梨に抱きつかれた。
「わかる〜、そうだよね、ナル〜。」
「ちょっと!通学路だよ、ここ。」
勘弁してくれ。
寝不足の上、あれやこれやで大変なんだから、こっちは!
花梨のポケットからハンカチを引っ張り出して、泣き顔に押しつける。
「ホラ!さっさと拭きなよ。遅刻したくないでしょ、花梨。」
「だってぇ…。」
ほんと、いつものこととはいえ何なんだろうね、この子。
花梨に構ってられるだけのキャパが、今の私にあるはずもない。
そういうとこも含め、花梨の間の悪さって、ある意味天才的。
すぐに泣いてすぐ笑う、変わり身の速さってのも才能かも。
いつまでも相手してらんなくて、私は1人さっさと横断歩道を渡った。
薄情者って?
ううん、花梨なら大丈夫。
あれで無遅刻無欠席、見かけはボーッとしてるけど、ちゃっかりしてて、要領がいいんだ。成績もね。
明日になる前に、佐久間先輩のことなんか忘れてケロっとしてるに違いない。
それより、疲れた。
なんか、私の災難って、まだまだ終わらない不吉な予感がする。
自分でこういうフラグ立てちゃうとこが、私の悪いとこなんだ。