あなたも猫になりませんか?
猫になりたい。
猫になりたい。そう誰しも一度は思ったことがあるのではないだろうか。
そういう私も今日そう思った。仕事やら恋やら生活……要するに人生に疲れていた。困ったことにこれらの感情は現代人にはよくあることだ。多分。
「あなたもどうやら猫になりたいようですね」
そう言って音も無く忍び寄って来たのは人型の猫。最初は驚いたけれども、疲れていて幻覚でも見ているのでは無いかと思った。
「ええ、そうです。あなた"も"ということは以前はあなたは人間だったのですか?」
「そうです。もしよろしければ、猫になるサポートをして差し上げようかと考えているのですが」
「そうですか。では、お言葉に甘えて……」
「ええ、ではよろしくお願いします。明日の同じ時間にここへ来てください」
そう人型の猫は言うと人型の猫からただの猫の姿へと変わり、そこらにいる野良猫と変わらぬ見た目になった。そして、去っていった。
夢かと思っていたが、どうやら現実だったらしい。
昨日と同じ時刻に待ち合わせ場所へと行くと昨日と同じ猫が待っていた。
「では、参りましょう」
「ここは猫になりたい人たちがテストを受ける試験場になっています」
「テスト、なんてものがあるんですか……?」
「誰でも猫になれると思っていたのですか? それはお気の毒に。様々なテストを潜り抜けた者のみが猫になれます。もしよろしければ、テストの様子を見ていかれますか?」
「えぇ、まぁせっかくなので……見て行きます」
ジャンプ力を見る走り幅跳び・棒高跳びの審査、狭い所で平均台を歩く審査、匂いを嗅ぎ分ける嗅覚の審査、瞬発力を確かめる審査、噛む力を調べる審査……などなど。多種多様な審査があった。
「ひぇ……こんなにあるんですね」
「えぇ、まぁそうですね。テストを潜り抜けるのは難しいですが、不可能ではありません……やってみますか?」
「少し考えさせてください」
「回答お待ちしております」
猫になる方法はあるけれども、自分がテストを潜り抜けられるのか、もっと別な有意義なことに時間を使った方がいいのでは無いだろうか。でも、このまま何にもなれないまま死ぬのも、癪だったのでテストを受けることにした。
そこから今までの貯金を生活費に充て切り崩しながら、猫になるためだけの特訓をひたすらしていた。今まで疲れていたはずなのに目標を見つけた途端にやる気が出てくることを不思議に思った。
そうして、特訓すること1年弱、テストに受かった。
「おめでとうございます。あなたも今日から猫になれます」
「ありがとうございます。そういえば、気になっていたのですが、私自身の記憶は猫になることによって消えるのでしょうか」
「ご安心ください。消えません。あなた自身の人格が消えるということはあなたの人生も消えてしまうということになります。今まで人間として生きてきた年数を猫の寿命にあてはめて、猫と人間、生きている時間が同じような年数にします。猫としての人生、にゃん生とでも言うのでしょうか、どうか真っ当してください」
「これから猫以外になることは可能なんですか?」
「人間の記憶と猫の記憶、それからまた別の生物としての記憶、それらを保持して引き継ぐことは難しいとされていますので私は猫のままを推奨しています」
「わかりました」
私は野良猫になるか飼い猫になるかを選び、野良猫は生きるのが大変そうなので飼い猫になることにした。ペットショップで数日間過ごし、ようやく引き取り手が見つかった。
「ほら、これから一緒に暮らす、××ちゃんよ。挨拶して」
飼い主が私とは別の猫を家の部屋で引き合わせた。
「どうもー」
と顔を合わせたのは会社の先輩の△△さんだった。何故△△さんだと気づいたのかというと、一応猫としてニャーとかウニャウニャという擬音で話しているのだけれども、テレパシーとして心の声みたいなのが聞こえてくるようになっていてその声が完全に先輩のものだったからだ。
「まさか、こんなところで会うなんてね」
「そうですね」
「敬語辞めない?」
「……ソウ、ダネ」
「片言過ぎない……?」
先輩が笑った。
「最近さー、少子化で人口が減ってるとかいうニュースあるじゃん」
「ありますね」
「あれってさ、まぁ子どもが産まれてないっていうのもあるんだけど。私たちみたいに猫になってる人が多いからなのかなって思ってるんだよね。そんなのメディアはバカバカしい話だから取り上げないだろうけど……。そりゃあ、毎日働いてたら生きるのがバカらしくなるよね……猫になった方が楽だって」
「こうして、先輩と話せるようになったのも猫になれたおかげですしね」
「結局、会社の同僚って完全な友達にはなれないしね」
先輩と私たちって友達だったらどうなっていたのかと話をしたことがあった。でも、猫になれたおかげでそれを達成することが出来た。
あぁ、猫になるってなんて素晴らしいことなんだろう。そう思っていた。
しかし、幸せな日々はそう長くは続かなかった。あれだけ優しげに見えていた飼い主がキャットフードに毒を盛ったからだ。意識が朦朧とする中、あぁ、やっぱり私は野良猫になるべきだった……選択を間違えたと思った。野良猫になっても、交通事故に遭ったりする可能性はあるけれども、それにしても私のにゃん生、短過ぎたなと……。元会社の先輩にこのキャットフードは食べてはダメだ、早くここから逃げろと伝えられたことだけが唯一の救いだった。
飼い主に生殺与奪の権利を握られていた私はあまりにも呆気なく死んだ。
「さぁ、あなたも猫になりませんか……? まぁ猫になれたところで幸せになれる保証はどこにもありませんが」
人型の猫の案内人がそう不気味に笑った。
やっぱり猫になりたくない。