地球絶体絶命最低最悪最凶の日
☆しいな ここみ様が主催する『宇宙人企画』に参加させていただいております。
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ここはとある大国の大統領執務室。大理石の宮殿内部を思わせる、荘厳にして静謐なこの場所は、地球でトップクラスの指導者が辣腕をふるうにふさわしい空間であった。
しかし現在、部屋の中心にあるテーブルには大統領がひとり、大きなモニターの前で頭を抱えてうつむいていた。その様子は、もはや宮殿ではなく、鈍色をした石の監獄に閉じ込められているかのよう。
すべての原因は、モニターに映し出された人間――によく似た、宇宙からの訪問者によるものである。
「さて、そろそろ約束の時刻が近づいてきましたよ。提示した条約には目を通していただけましたか。それとも、まだ延長が必要でしょうか。別にかまいませんよ、我々には時間もエネルギーもたっぷりとありますからね」
大統領の返事を待たずに喋り続けるモニターの人物は、青色の歯をチラチラと見せながら、厚ぼったい緑色の頬をグイッと吊り上げさせている。余裕の笑みだ。たとえ相手が宇宙人であっても大統領にはそれが痛いほどわかっていた。
「トムソン大統領、例のものが届きました」
執務室の重い扉を開けて、スーツ姿の若い女性が入ってきた。彼女は大統領の秘書である。没個性的ななりをしているが、前髪だけは特徴的で、目が隠れそうなぐらいの位置で切り揃えられていた。
「む、失礼。少し席を外させてもらいます」
「どうぞお構いなく。何かを配達されたようですが、もしかして核ミサイルのスイッチか何かで?」
明らかに嘲笑の目を向けながら、宇宙人は言う。
「……こちらから攻撃する意思はないと伝えたはずです。国立研究所から、未知の言語を翻訳するための最新AIを積んだコンピューターを届けてもらいました」
「おやまあ、私どもはわざわざ地球の言語を学習しているというのに、律儀なことだ。ゲオッゲオッ」
「念のためですよ。我々としても、あなた方の言語も知らずに交友関係を築くのは忍びないと思いましてね」
ゲップのような気味の悪い笑い声をあげる宇宙人を尻目に、大統領は秘書の元へと駆け寄り、声を潜めて話し始めた。
「送られてきたのは翻訳機だけか?」
「はい、こちらの翻訳機とコントロール用のノートパソコンだけですが」
「他に何かないのか、やつらの宇宙船をいっぺんに機能停止させるようなパルスウェーブ照射機とか」
「そんなものあるわけないじゃないですか。仮にあったとしても、奴らの監視をかいくぐって配備するのは不可能です」
「くそっ……。じゃあ、今まで通りに時間稼ぎを続けろというのか」
「今のところ、それが最善の策だと思われます」
「時間稼ぎが何になるというのだ! 宇宙人たちのテクノロジーは我々を遥かに超える水準だと、宇宙研究所の連中は言ってるんだぞ。数時間だろうが数日だろうが、数年かかったってどうにかなるわけが――」
「大統領」
秘書は唇の前で人差し指を立てた。前髪の隙間から見える青く揺るぎない瞳が、大統領の心を徐々に落ち着かせる。
「う、む。すまない、取り乱してしまった。それでその翻訳機は、宇宙船内部で捕虜になっているジュリアス少佐の無線とも繋がっているのだな?」
「はい、話によればジュリアス隊の隊長以下15名、全員生存しているようです」
空の彼方からラグビーボールのような楕円形の宇宙船が群れを成してやってきたのは、今から10日前のことである。彼らは無線を通じてガスミヤ銀河系のケドラス第三惑星からやってきた使者だと名乗り、その直後に奇妙な色合いの光線を各地の主要発電所へ照射して、機能停止させた。それにより、国の生活基盤や経済は大混乱におちいってしまった。
緊急事態により、空軍からジュリアス少佐率いる先遣隊が出撃したのだが、未知のテクノロジーにはなすすべもなく、磁石に引っ張られた金属製の玩具のような具合で機体ごと捕獲されてしまったのだ。撃墜ではなく、捕獲である。殺すまでもなく生け捕りにされたということは、それだけでお互いの力量に大きな差があることを明白にするものだった。
そして3日前、宇宙人たちは悪びれる様子もなく大統領との一対一の対談を要求してきた。最初こそ地球とビジネス上の交友関係を結びたいと言ってきたものの、後に提示してきた友好条約の内容は地球側が圧倒的に不利、属国同然の扱いを強制するひどいものであった。
すなわち、地球は今、圧倒的な力を持つ地球外勢力に、体のいい侵略行為を受けているのだ。まさに絶体絶命である。
「……では、奴らの声を拾うことさえできれば、翻訳ができるのか」
「そうです。これまで入手した宇宙人の音声などを学習して、少なくとも要約はできるようになっています。相手は未知の存在、情報が多いに越したことはありません。そのうち奴らの弱点が判明する可能性だってあります」
「なるほど、わかった。私も時間稼ぎにベストを尽くそう。とりあえず、条約の第31条がどういう意図かわからないとウソの質問でもしてみるか……」
大統領は少し気を持ち直した様子で、再びテーブルのモニターへと相対した。
しかし、先ほどまでモニターに映し出されていた、憎らしい宇宙人の姿がない。
「む、どうしたことだ。奴らでも会議中トイレ休憩を挟んだりするのか?」
「トムソン大統領、宇宙研究所からの直通電話が来ています!」
秘書はそういいながら、電話機ごとトレイに乗せて大統領のもとへ持ってきた。大統領は不穏なものを感じながらも、おごそかに受話器を取った。
「私だ。トムソンだ」
「だっ、大統領……緊急事態です!」
「緊急事態だと? 今この状況より緊急な事態があるのかね」
「首都から100キロ離れた工業地帯の上空で、新たな飛行物体が観測されたのです!」
「な、なにぃ!?」
「数は50から60、円盤状の機体をしていて、一部はテーマパーク並みの大きさがあります。飛行速度は推定マッハ2以上、一直線に首都へ向かって――」
「ええいわかった! その飛行物体の監視を続けるように!」
「か、かしこまりました!」
大統領はこめかみを指で押さえながら、受話器を置く。
「いったい何なんだ。奴らは援軍を呼んだのか?」
「いえ、大統領。あちらの戦力は地球を制圧するだけなら、現時点で十分すぎるほどあります。わざわざ援軍を呼ぶ意味は――あっ、翻訳機から信号が出ています。ジュリアス少佐からです!」
「少佐からか! よし、私が対応しよう。繋いでくれ」
「かしこまりました」
接続されているノートパソコンを操作しながら、秘書は翻訳機に接続されている小型マイクを大統領に手渡した。モニターにはまだ宇宙人の姿は現れていないが、大統領は用心して小声で通信を開始する。
「応答せよ。こちらは大統領執務室、私はトムソン大統領だ。応答せよ」
「こちら宇宙船内部、ジュリアス隊隊長のジュリアス・キーン少佐であります。トムソン大統領閣下」
「ジュリアス少佐、ご無事で何より。未知の相手に対して勇気ある出撃、恐れ入りました」
「いえ、我々は何もできず捕虜になってしまったのです。皆、歯噛みをして日々を過ごしております。それよりも大統領、先ほどから宇宙人たちの間に妙な動きがありまして」
「妙な動き?」
「はい、我々は透明なカプセルのようなものに閉じ込められているんですが、こちらから見る限り、奴らは何故か焦っているようです。大きな声で喚き散らし、複数の指示があちらこちらに飛び交っております」
「して、その指示の内容は」
「申し訳ありません、そこまでは。おそらく母星の言葉で指示を出しておりまして……」
「そこでこの翻訳機が役に立つんですよ!」
通信の間に、秘書が割り込んできた。大統領が口元に近づけているマイクへ、彼女も顔を寄せて言う。
「ジュリアス少佐、無線通信機をできる限り外に近付けてもらえませんか、奴らの声を拾うことができれば、AIで翻訳することができるはずです」
「なるほど! 奴らは慌てているだろうし、都合がいい。ジュリアス少佐、秘書の指示に従ってもらえるか」
「了解しました」
それからしばらくして、スピーカーから泥水を泡立てているような聞き苦しい音声が出てくるようになった。これが宇宙人たちの言葉に間違いないだろう。そして翻訳機が稼働音を鳴らしながら解析をはじめ、ついに翻訳された言語がノートパソコンに表示されるようになった。
「どうだ? 奴らは何と言っているのだ」
「えー……『何故あいつらもこの星に来ている』、『下手に刺激をするなと各宇宙船に伝えろ』、『将軍はまだ話し合いをしているのか』、『くそっ、事あるごとに我々の邪魔をしてくれる。スミング星人どもめ!』……大統領、どうやら援軍かと思われたあの宇宙船団には、まったく別の宇宙人が搭乗しているようです!」
「な、なんだって!?」
大統領はたまらずテーブルに突っ伏した。こんな状況はまったくの想定外である。もう一種類の宇宙人が、この地球にわざわざやってくるなんて。悪夢だ。どう対応すればいい。どうすれば――。
「大統領! 大統領はいるか!」
突然、執務室に大声が響く。大統領が驚いて顔を上げると、あの宇宙人がモニターの前に戻っていた。しかし、その様子はこれまでと違って、明らかに余裕を無くしている。
「は、私はここですが。いったい何事ですか」
「あなた方には関係のないことだ。それよりも先ほどの条約に対する回答、こちら側で問題が発生したため、しばらく延長していただきたい。よいですな」
詳細も言わない一方的な延長の申し出であったが、地球にとっては好都合であった。
「こ、こちらとしては願ってもないことですが……」
「ゴボ、ゴガブブゴ」
「むっ、ちょっと失礼! ゴガポポ、タパタトコポコボボベス!」
モニターの画面に別の宇宙人が何人か割り込んできて、二人の会話は中断された。そして、向こうでは大統領が聞き取れない言葉で何やら騒がしく言い合っている。
「大統領、チャンスです! この会話も翻訳機にかけましょう」
「う、む。わかった!」
ほどなくして、解析結果がノートパソコンに表示される。
『将軍、やはりスミング星人は交渉権利はこちらにあると主張しています。そもそも、我々が銀河連邦に交渉許可申請を行ったのかとイチャモンをつけてくる始末です』
『何が交渉権利だ! あいつらもどうせ不利な条件を突きつけて違法な取引をするつもりだろう。許可申請なんか通してるはずがないわ!』
『将軍! 新たな情報です。こちらの小型偵察機がスミング星人のレーザー砲で数機撃墜されたようです!』
『ぐぬぬ、田舎惑星の野蛮人どもめ! いいだろう、この小さな星を手籠めにする前に、この場で決着をつけてくれるわ!』
大統領と秘書の頬に、冷や汗がゆっくりと流れ落ちていく。それから間もなくして――。
とてつもない爆音が、外から鳴り響きはじめた。
大統領が肩を震わせながらライブカメラの映像を確認してみると……首都の上空で、宇宙戦争が始まっていた。カラフルな色の光線がふたつの宇宙船団の間で飛び交い、艦載機と思われる小型の飛行体が蝿のような機動力で縦横無尽に飛び回っている。次第に墜落する機体が出てきて、地上の首都から火の手が上がり始めた。
「な……なんで宇宙人たちで戦争をおっ始めてるんだ! 地球上空で宇宙戦争だなんてやめてくれ!」
モニターに向かって必死に訴えた大統領であったが、画面の向こうの宇宙人たちは皆どこ吹く風で、タブレットのような端末を眺めながら一喜一憂していた。
「くそ、ふざけおって! 首都に住む人々はとっくに避難しているものの、このままじゃ奴らのとばっちりで壊滅してしまう!」
「しかし大統領、これはチャンスかもしれません」
「なに?」
「このまま宇宙人同士で潰し合いをしてくれれば、我々は窮地を脱することができるかもしれないのです!」
「おお、そうか!」
一転して、大統領の顔は脂ぎった笑顔に変わった。もともと地球全体が支配されるところだったのだ。首都が壊滅状態になったとしても、背に腹は変えられない。
そう思い始めた矢先、トレイの上に放置されていた電話が鳴った。宇宙研究所からだった。
「うむ、私だ。どうやらあの宇宙船団は我々にとって救いの使者に――」
「だ、だ、大統領。それどころじゃないんです! 大気圏内に新たな飛行物体が確認されましたー!」
「え?」
「ほとんど白で統一された超大型の機体です! 町一つぐらいの大きさがあって、まっすぐ首都上空のほうへ――」
「ごきげんよう。地球人の皆様方」
突然、機械音声のような抑揚のない声が大統領の耳に入ってきた。
「だ、誰なのだ、あなたは」
「失礼ながら、緊急の事態ですので、地球の電話回線をジャックさせていただきました。我々は宇宙粛清委員会といいます。宇宙連邦に代わり、正当な手続きなしで他惑星と交渉を行おうとした違反者を処罰しに参りました」
「う、宇宙粛清委員会? あなた方は……我々地球人を助けに来てくれたのか?」
「これより粛清に入ります。手出しは無用です。我々にお任せください」
あまり会話をする気は無さそうである。粛清だの処罰だの、穏やかでない言葉を並べる第三の訪問者に対し、大統領は今までと気色の異なる厄介ごとが増えたとしか思えなかった。
「大統領、ライブカメラの映像をご覧ください!」
その言葉で、大統領はモニターへ視線を移動させた。そこにはふたつの船団と並ぶ、巨大な宇宙戦艦のような機体が存在している。そして次の瞬間には、戦艦の先端から極太の青い光線が発射され、船団の宇宙船を何機か吹き飛ばしていく。
放たれた光線はそのまま一直線に飛び、国で2番目に高い山に直撃して――キノコ雲とともに跡形も無く消し去ってしまった。少し遅れて、大統領執務室にも大きな振動が伝わってくる。
「ちょっ、ちょっとこれは……威力が強すぎるんじゃないんですかね!?」
耳に押し当てたままの受話器に、大統領は必死の思いで呼びかける。
「多少の二次被害は発生しますが、これも円滑に粛清を進めるための仕方ない犠牲なのです。ご了承くださいませ」
「多少の被害、だとぉ!?」
「大統領、どうやら我々とは価値観の大きく異なる団体のようですね……」
「ぐおーっ、こんな威力の兵器を何度もぶっ放されたら……首都どころか国全体、いや地球そのものに甚大な被害が出かねんぞ! ありがたいどころか、これじゃいい迷惑だ!」
「緊急事態、緊急事態、通信を終了します」
唐突な警告音とともに、受話器からの通信は一方的に途絶えてしまった。
「もしもし、もしもし! くっ、もう何も聞こえん。緊急事態、と言っていたようだが」
「ライブカメラにも特に異常があるようには……えっ?」
「あの大量の流れ星は何だ!?」
ふたりが注視するライブカメラの映像は、まだ明るい空の彼方から流れ星の大群が降り注ぐ様子をとらえていた。流れ星はまるで生きているかのように軌道を変え、宇宙船団の機体や粛清委員会の戦艦に次々と直撃していく。
大統領はわけもわからず映像を見つめていたが、どうも流れ星がやってきてから、三者の攻撃は止まっているようだった。
「どうしたのだ。いったい奴らの内部では何が起きているのだ」
「大統領、ジュリアス少佐から通信が入りましたー!」
「おお、ナイスタイミングだ!」
大統領は存在を忘れかけていた翻訳機の小型マイクへと飛びついた。
「こちらトムソンだ。ジュリアス少佐、よくぞご無事で! 今そちらの宇宙船内部はどうなっている!?」
「と、トムソン大統領閣下、緊急事態です! 我々がとらわれている場所の近くに隕石らしきものが直撃して、中からおぞましい外見の宇宙生物が現れました!」
「宇宙生物!?」
「船内の宇宙人たちは武器を持ってその宇宙生物と交戦していたのですが、やがて一人の宇宙人が我々の元へきて、拘束を解いてくれました。現在、我々の部隊も宇宙人たちの武器を使って宇宙生物と交戦中であります!」
「交戦中ぅー!?」
「大統領ー! モニターから宇宙人の方が応答を呼びかけてまーす!」
秘書から悲痛さのこもった声が届いてきて、大統領は休む間もなくモニターへ顔を向ける。そこにはより深い緑の顔色になった宇宙人が、重苦しい表情で座っていた。
「地球人の方々……申し訳ないが、残存する兵力をもって、我々に協力してもらえないだろうか……」
なんと、宇宙人の提案は加勢の申し出であった。
「協力、だとぉーっ!? こっちは侵略されているほうなんだぞ! なんで侵略者のキサマらに我々が加勢せにゃならんのだ!」
大統領が一連の交渉の中ではじめて強気に出た瞬間である。
「大統領、お前はあやつらの恐ろしさを知らんのだ。あの宇宙生物は人並みの知能を持ちながらも、自分たち以外の生命体を種の繁栄に利用することしか考えない、指定特級害悪生命体なのだ!」
「し、してい、とっきゅ……?」
「やつらはああやって隕石のように惑星へやってきては、手当たり次第に蹂躙した挙句、用済みとなったらまた次の惑星に飛び立つのだ。少しでも倒し損ねたらあっという間に繁殖するぞ! 地球全土をめちゃくちゃにされたくなければ協力したまえ!」
「まっ、待ってくれ! あの生物は、宇宙人の戦力をもってしても対処しきれないのか?」
「我々は他の惑星からここまで移動しているんでね。無事に帰るための戦力、エネルギーだけは確保させてもらう。いざとなったらここを放棄して逃げるまでよ! 他のやつらも同じ考えだと思うぞ」
「そ、そんな馬鹿な……」
とうとう大統領は、椅子から転げ落ちてしまった。
「大統領、大丈夫ですか!?」
駆け寄る秘書の手を取りながら、大統領は力なくつぶやきはじめる。
「無理だ……宇宙人たちですら敵わないかもしれない宇宙生物に、どうしたら対抗できるというのだ。ああ、もう、どうにもこうにもならない。こんな時、宇宙からやってきたスーパーヒーローみたいなのが欲しいなあ……」
そのとき、大統領執務室が爆発のような激しい音とともに、大きく揺れた。
大統領と秘書のふたりは、しばし無言のまま顔を見合わせる。
やがて、地面をこするような地響きの音が、断続的に響きはじめた。
「なんだよぉー……もうやめてくれよぉー……」
「だ、大統領。宇宙研究所から電話が」
「あーはいはい」
大統領はもはや憔悴しきった様子だ。床に頭をつけたまま、面倒臭そうに受話器を取る。
「大統領、申し訳ございません……」
「今度は何だ。地獄の底から魔王でも復活したのかぁ」
「我々宇宙研究所が秘密裏に保護して育てていた宇宙人が……脱走いたしました!」
「はぇえ?」
何とか頭だけ起こした大統領の背中に、地面からの不規則な振動が次々と伝わってくる。
「う、宇宙人を育ててたって……私は初耳だぞ、そんなの」
「弁解のしようもございません。発見した当初はヒヨコ程度の大きさで、体も弱ってたんです。ですからある程度成長するまで極秘にしてたのですが……この騒動中の一週間で急激に成長し、とうとう我々の施設を破壊して脱走するほどに! 今もなお成長中で、巨大化に歯止めがかから――」
「そ、それで、その宇宙人は今どこへ!」
「GPSのデータでは、もうすでに――」
「大統領、大統領! ちょっと、ライブカメラ見てください!」
大統領は残る気力を振り絞り、上体を起こしてモニターのライブカメラを見た。
「なんだ、アレは」
首都近郊に存在していたそれは、周りの建物よりも頭一つ抜けた巨体を有していた。そして、エイを思わせる三角形を寝かせたような平べったい頭部を持ち、その下には、数えきれないほどの無数の触手があった。ノズル状に穴の開いている触手、槍先のような鋭い先端を持つ触手、体を支えていると見られる数本の太い触手など、その形態も実に様々。ちょうどひと昔前に広く知られていた火星人のキャラクター、あのタコのような容貌をした宇宙人を、より現代的に、鋭角的に、そして凶悪にリメイクしたかのような姿だった。
「かっ、かわいい!」
「え、かわいい……?」
秘書の唐突な一言に、大統領は美的感覚の違いを感じざるをえなかった。
脱走した巨大な宇宙人がどんどん首都の中心部へ近づいていくうちに、空の方からも動きがみられた。今まで宇宙船に激突してそのままだった流れ星のいくつかが、再び宙へと躍り出て、巨大宇宙人に接近してきたのだ。
ある程度まで近づいた流れ星は空中でピタリと静止し、そして表面のいたる所から次々と穴が開き、そこから黒い羽虫のようなものが何体も出てきた。
「うげっ! あいつらがあの、指定と、と……とんでもなくヤバい生命体なのか!」
ジュリアス少佐の報告通り、その地球外生命体はおぞましい姿をしていた。何種類もの虫をかけ合わせて創り出したような、非人間的な顔と体躯、そして触覚と羽。手と足はそれぞれ一対ずつあるが、お世辞にも人間的なコミュニケーションはとれそうもない。
「あいつら、地上にいるあの子を攻撃するつもりですよ!」
秘書がそう言った直後、地球外生命体の一体が口から火球を発射し、それは『あの子』の頭に当たってしまった。
『キャオオオオオオオオッ!』
けたたましい咆哮が、大統領執務室のあらゆる家具を揺らした。少し遅れて、モニターのスピーカーからも同じ咆哮が発せられた。大統領は二度、その咆哮に心臓を震わせた。
そして、『あの子』は火球をぶつけた地球外生命体を、一瞬のうちに尖った触手で串刺しにしてしまった。
「ひえ……」
大統領が次の言葉を発する間もなく、他の地球外生命体たちは流れ星の表面から飛び出し、『あの子』に一斉攻撃を開始した。
『あの子』はそれに応じるかのように、多数の触手をそれぞれ別の生き物のように動かし始めた。それから『あの子』の無双が始まった。攪乱するように飛び回る地球外生命体を事もなげに突き殺し、距離をとって火球を発射してくるものには、穴の開いた触手から出る光線のようなもので跡形も無く消し飛ばしてしまった。何体かの地球外生命体は攻撃をかいくぐって『あの子』の頭部に飛びついたりしたが、これも触手であっという間に絡め捕り、地面に思いきり叩きつけてしまう。
「す、すごぉい!」
秘書はまるでヒーローショーを見ている子どものようなはしゃぎっぷりで、モニターの前にかじりついていた。
ほとんどの地球外生命体を倒すと、『あの子』は次に、大量の宇宙船が占拠する空を見始めた。4本の大きな触手が体から出てきて、それを地面に向けたかと思うと、先端から巨大な炎が噴き出し、大量の噴煙とともに『あの子』は宙に舞った。
「と……飛んだぁ!?」
大統領が呆気にとられたのも束の間、次の瞬間には、触手を次々と操って宇宙船を撃墜させる『あの子』の様子がモニターに写し出されていた。さらに口……と思われる部分から、先の宇宙粛清委員会が放ったものと同じような極太の赤い光線を発射して、船団ごと一気に吹き飛ばす強力無比な攻撃まで隠し持っていた。
「うほほっ! 強い! めっちゃ強いですよあの子!」
「ちょ、ちょっと待て、あの子は本当に大丈夫なのか。私の眼には、目につくものを手当たり次第に攻撃している凶悪な宇宙人にしか見えぬが!?」
「いいじゃないですか。あそこにいるのは我々の敵ばかりなんだし」
「ま、まあ、そう言われるとそうなんだが……」
それから、異なるふたつの惑星から来た宇宙人の船団と、宇宙粛清委員会の巨大母艦、流れ星とともにやってきた地球外生命体、そして宇宙研究所で育てられた『あの子』が入り乱れる壮絶な空中戦は、丸一日の間続いた。
「えー、それでは、我々宇宙粛清委員会が、代理で宇宙連邦からの通達を発表します。ケドラス星人とスミング星人の両名は、これ以降の惑星間渡航を無期限停止とする。地球への損害賠償は折半とし、後日宇宙連邦より賠償額の通達をするので、地球時間の72時間以内に手続きを終えるようにとのことです。よろしいですか」
「はい……」
「はい……」
モニターには、文章を読み上げるストローのような細長い体をした銀色の宇宙人と、疲弊しきった様子の2人の宇宙人が写し出されていた。魚の顔半分を切り取ったような赤っぽい頭部をしている者が、スミング星人の代表なのだろう。
「地球の代表の方も、それで異論はありませんね」
「もちろんですとも! このまま何もしないで帰っていただけるなら、言うことはありません」
あの空中戦によって、侵略を行おうとしたケドラス星人とスミング星人は、ギリギリ母星に帰れるかというところまで消耗してしまっていた。宇宙粛清委員会も予定外に母艦のエネルギーを消費したため粛清することが困難となり、結局は停戦と罰則、および損害賠償という形で三者の決着がつくこととなった。捕虜となっていたジュリアス隊の隊員たちも、奇跡的に全員生存し、その日のうちに地上へと帰還を果たした。
かの指定特級害悪生命体と呼ばれる地球外生命体は、宇宙粛清委員会より、戦いの中で地球上から殲滅されたことが大統領へ通達された。
そしてこの戦いの最大の功労者であった『あの子』は、体内エネルギーのほとんどを使い果たしてしまったようで、今は別の宇宙研究所で休眠状態にあるとのことだった。後に、『あの子』は研究所内で飼育を担当していた女性職員にとてもなついているようなので、当分の間は地球の脅威にならないと、宇宙研究所から公式に発表された。
すべての取り決めが終わり、モニター越しに宇宙人たちが地球から去っていく様子を見て、大統領は笑いをこらえることができなかった。
「やりましたね、大統領。これで地球に降りかかった未曽有の危機は回避できましたよ」
「うふっふっふっふっふ。そうだろう、そうだろう! いっぺんに五つもやってきた宇宙からの脅威を、全てが丸く収まる形で収束できたのだ! 全世界から称賛の声が上がっているし、国民の支持率も任期が終わるまで100パーセント間違いなし! 次期大統領継続も待ったなしだ! うわっはっはっはっ……は」
椅子から立ち上がって高笑いをはじめた大統領であったが、すぐに体勢を崩してまた椅子にもたれかかってしまった。
「大統領、徹夜明けでそんなに興奮なされては体に毒です。ここは一刻も早くお休みになるべきかと」
「う、む、そうだな。ここ一週間寝ようにも寝られなかったし、最後の一日は終始興奮しっぱなしだった。このままベッドに入って休むことにするよ。申し訳ないが、後始末をしておいてくれないか」
「かしこまりました。執務室は私が整理しておきます。大統領はお先にお休みください」
大統領はふらふらとした足取りながら、夢見心地の気分で大統領執務室を後にした。
執務室に残された秘書は大きく息を吐き、体を伸ばしながら腰のあたりをトントンと叩いた。
そして、顔をうつむかせ、左手を額に置くと、静かな声で喋りはじめた。
「報告します。地球の損害、一部地形が変化するほど地理的な被害が発生しましたが、人類への被害は軽微、経済的損失も半年もすれば修復できる見込みです。ガスミヤ銀河系の言語データ提供も助かりました。おかげで翻訳機の完成も間に合いましたよ。ええ、地球には少々オーバーテクノロジーだったようですが。それと、違反報告と救援を要請した宇宙粛清委員会ですが、評判以上に粗雑な代行業者でした。はい、今後は利用されない方が賢明かと思われます。はい、はい。かしこまりました、引き続き地球の監視を続行します」
喋り終わると、秘書はモニターの前へと歩き出し、先ほどまで大統領が座っていた椅子に腰かけた。
「それにしても……今どき宇宙から侵略するだなんて、ガスミヤ銀河系の方々はそうとう遅れてらっしゃるようですね」
秘書が前髪を掻き上げると、その眉間には、宝石のような赤い輝きを放つ、もう一つの瞳があった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。