ブレックファースト2
「私は神父ではありません。」
老神父の言葉に、一瞬、ときめきました。
そうです!私達は、こんな風に違う人間に変装している人物の知り合いがいますよね?
胸がドキドキしてきました。
私は、ある人物を思い浮かべ、期待を胸に老神父を見ました。
「それでは…あなたは…」
私は期待でドキドキと心臓が高なるのを聞いていました。ああ、もしも…あの方なら…ジョンはどんなに喜ぶことでしょう?
シャーロック・ホームズ先生!
老神父は、そんな私に戸惑うような、はにかみの笑顔を向けて静かに、こう言ったのです。
「ミセス・ワトソン。可憐な貴女の笑顔を曇らせるのは、心苦しいのですが…私は貴女にそんな風に期待され、待ち焦がれられる存在では無いのです。はっきりと申せば、シャーロック・ホームズ氏ではありません。」
え…( ̄ー ̄;
言葉を失いました。そして、失望と共に、思えばジョンとホームズ先生との共通した不思議な特技を持つ人達が沢山居ることを思い起こしました。
「それでは…先生のお知り合いの方?」
私は勇気を振り絞り聞きました。
随分と時が流れていますが、ジョンが現れる気配はありません。
何か、事件に巻き込まれているのでしょうか?
「知り合い?」と、老神父は自虐的に口角を歪め、軽く鼻で笑ってから、子供でも見るような顔で、こう、話を続けたのです。
「ああ、確かに、彼とは古い知り合いだよ。しかし、友人と言うわけでもない。」
「はい。」
私は何となく相槌を打ってしまいました。
確かに、先生には知り合いが多くおりますが、個性的な方ですから、友人…と名乗る方は、深く付き合うほどに消えて行きます。
大概は、「仲間」と言う単語を使って、先生との関係に少し、距離をおきたがるのです。
「どちらかと言うと、仇敵と、いった関係でしてね。」
少し、気取ったような台詞に、ホームズ先生を懐かしく思い出しました。
本当に、ホームズ先生は、人を見分ける才にたけていらっしゃるのに、人を不快な気持ちにさせる天才でもあるのですから。
そう言えば、ミセス・ハドソンも、万聖節のゲストの為に用意した、立派なマスを先生に切り刻まれた時は怒っていましたね。
本当に…大切なゲストのマスを…凶器の傷の検証に使うなんて、最悪ですわ。あのとき…晩餐のパイ包みの話をする夫人と、決まりの悪そうな先生を思い出すと、つい、笑ってしまうのです。
そんな事を思い出したものですから、つい、朗らかな気持ちになって、老神父を混乱させてしまいましたの。
「聞き間違えたのかな?私は、彼の『仇敵』と言ったのだよ?『旧友』ではなく。」
老神父の狼狽する顔を見たら、益々の楽しくなりました。
「はい。聞き間違えたりしていませんわ。ホームズ先生は、敵が多、ございましたから。」
私の顔を驚きながら見た老神父は、少し、間を置いて、何もかも理解したような、そして、何かのゲームにでも負けたような、少し、寂しそうな顔をして、私に告げたのです。
「彼は…とても愛されていたようだね。奇妙な癖すら受け入れて貰えるのだから。けれど、私の名前を聞いても、貴女の優しげな笑顔は曇らずにいるだろうか?」
老神父の不幸自慢に、少しだけ、不安を感じました。でも、先生の回りには、不幸な境遇から、犯罪に手を染めて、真人間に変わった方もいらっしゃいますし、時には、そんな方々にジョンが助けてもらう事もございましたから、偏見を持たずに彼と向き合う決意をしたのです。ほら、過去をもつ、荒くれさん達は…時には、不幸を自慢されたりするではありませんか。そして、そんな方ほど繊細な心の持ち主なのです。
男の子をあやすような、優しい気持ちで接してあげようと、そう思ったのです。
「努力はしてみますわ。私、ジョンの妻ですから。」
私の返事は、やはり、おかしかったのでしょうか?
老神父は、絶望したような衝撃の表情を浮かべてから、低く、かすれた声で確かに、こう、名乗られたのです。
「ジェームズ…私の名前は、ジェームズ・モリアーティ。大学で数学を学ぶ教授です。」