バットエンド6
「それほど心配なら、ナイトをつけよう。いつでも貴女を守る屈強な紳士を。」
グダグダと心が定まらない私に、モリアーティさんはこう提案してきました。
「騎士…ですか?」
もう、気恥ずかしくなってきました。
騎士、騎士ですよ!アーサー王の芝居ではなく、本物のっ。
プリンセスでもないのに、ナイトがつくなんて!
「ナイト…がお気にならないなら、執事と言い直しましょう。」
モリアーティさんの言葉にハッとしました。
私ったら、女学生でもないのに、顔が熱いです。
「すいません、ええと、ありがとうございます。」
慌ててそれだけ申しました。
そうでした。ナイトと言う称号は、特別、珍しいものではありませんでした。フォレスター家のご親戚の立派なお髭のお爺様も…確か、歴史の本を出版されてこの称号をいただいたと言ってましたわ。
「はい、とても優秀な男です。彼に任せておけば心配はいらないでしょう。さて、ここからが重要です。」モリアーティさんが真剣な顔になりました。
緊張しながら頷く私。
「運命の分岐になるのは、1894年ロナルド・アデア卿が殺された時点で決定します。
犯人はモラン。普通なら、私が用意した年金を運用し、質素な彼らしくのんびりと暮らせるのです。
が、それをホームズ君の影と、その手下がことごとく邪魔をします。
そして、生活の糧をギャンブルに頼らざるおえなくなったモランは、カード賭博て問題をおこし、アデア卿の殺害に至るのです。」
モリアーティさんは、淡々と恐ろしげな話をしていました。
私は雲の上にでもいるように上の空で聞いていました。
人殺しを…平気でするような男を、私が本当に改心させることなどできるのでしょうか?
「ミセス・ワトソン、そんな不安げな顔をしなくても大丈夫。何も、貴女にモランと闘ってくれと頼んでいるわけではないからね。」
「でも…では、私、どうしたらよいのでしょう?」
不安になる私の手を、モリアーティさんは優しく握って励ましてくださいました。
「ミセス・ワトソン、貴女の手は、私の手で包み込めるほど、小さくて柔らかい。しかし、使い方によっては、ホームズ君を滝に沈めた私の、この手より、強く、人を動かす力があるのですよ。」
モリアーティさんの手の固さを感じました。
それは、幼い頃、私の手を握りしめてくれた父の手のように、固く、大きく感じました。
「どう言うことでしょうか?」
心配になる私に、モリアーティさんは励ますように笑いかけて話を続けました。
「私は、生来、器用で何でも欲しいものを手にすることが出来ましたが、貴女には私に決して作ることの出来ないものを作り上げる力があるのです。」
「それはなんでしょう?」
一瞬、ラブロマンスの話がプレイバックして不安になりました。
私、ジョンが大好きですし、例え、他の方と結ばれる運命だとしても、ホームズ先生と、ジョンを悲しませる人間とロマンスなんて、死んでも出来ません。
「クリスマスプディング…温かな食卓。掃除がされ、清潔で快適な屋敷…思わず、守りたくなる…家庭の温もり、と、言うものです。」
モリアーティさんの言葉に…私はなぜか、胸をつかれました。
犯罪界のナポレオンと呼ばれて、想像も出来ないほどの財力があったとしても、クリスマスプディングを食べることが出来ないなんて!
「あの…生徒さんの家庭に呼ばれたりはしなかったのですか?」
ふと、モリアーティさんが数学の先生である事を思い出しました。
大体、独身の先生…特に、数学や幾何の先生は、成績をなんとかして欲しいお金持ちの生徒がクリスマスに誘おうと必死になるイメージが、ありますよね。
それを聞いて、モリアーティさんは、ふっ、と、鼻で笑われました。
「確かに、始めは誘われましたがね、そういう生徒は、バッサリと評価点を落としたので、今では誰も誘ったりしてきませんよ。」
モリアーティさんのしっかりとした言葉に、教師としての誠実さが見えるような気がしました。
「まあ、そうですの。」
ああ、ミセス・ハドソン。私は、どうも、こう言った、家庭に飢えている男性には弱いのですわ。
母を早くに亡くして、一人、私を育ててくれた父を思い出すからでしょうか、そんな私にモリアーティさんは言葉を続けました。
「ホームズ君にしても、私にしても…男と言うのは、どこか、人寂しさを抱えて生きているものなのですよ。
そして、それを埋める暖かい何かを探し求めているものです。
家庭環境が代わり、貴女の思う、真人間の生活を心がけるなら、モランも道をはずすこともなく、ホームズ君も彼に手を出せないはずです。」
モリアーティさんの心が胸をつきましたわ。
そして、どこかにいらっしゃるホームズ先生も、今ごろ、ミセス・ハドソンの心尽くしを思い返して下さればいいのに、と、思いました。
クリスマスプディングにかける、特製の洋酒をすり替えて、毒の感知の実験とか、子供のようなイタズラをした事を反省すべきなのです。
まさか、無花果のドライフルーツの中にアイラ島のウイスキーを注射して仕込むなんて!
あのお酒は、磯の香りがして、1ヶ月をかけて作る…ミセス・ハドソンの苦労を不意にしてしまう破壊力がありますもの。
ええ、アメジストのブローチと女王陛下のクリスマスカードくらいで許されるものではありません!
そう、料理は心。その通りです。




