バットエンド5
それから、私はモリアーティさんから私のこれからを聞きました。
それはとても驚くべきものでした。
何しろ、私、これから伯爵令嬢なのだそうです。
「貴女の名前は知られているからね、変えてもらうよ。」
モリアーティさんは事務的にそう言いました。
「変えるって、どのような名前になるのでしょう?」
不安でした。ミセス・ハドソン、あなただって、明日からルーシーとか、サラに名前を変えろと言われたら動揺しますでしょ?
告白すると、確かに、ジョンやホームズさんの冒険を思い出してワクワクしなかったとは、いいませんわ。
女学校時代は、これでも演技派で、2年のクリスマス会では三賢人の一人の役を貰って、イエスさまを探す旅を演じましたの。
でも、悪人の組織に名前を変えて潜入なんて…うまく行くのでしょうか?
「心配かな?そうだね、メアリーはよくある名前ですからね。苗字だけを変えて養女にしようか。」
モリアーティさんは物語の設定をするようにサクサクと勝手に決めて行きます。
「はい。」
とりあえず、頷くしかありません。
「貴女は、インドで採掘事業で成功した、メイフラワー家の令嬢。メアリー・メイフラワー。」
「令嬢!」
思わず、大声が飛び出しました。モリアーティさんはそんな私を冷静に見つめて言いました。
「驚くことかな?私の組織を改変する、君は私の代理人なのだよ?これでも、随分と控えたつもりなのだからね。」
犯罪組織の…ホームズ先生が、命をかけても滅ぼしたいと、そう言わしめた男の作り出した組織…ふいに、その言葉に現実味を感じて震えてきました。
「でも…私は普通の家の娘ですわ、伯爵令嬢なんて出来ません。ミセスですし。」
思わず口をついて出た言葉に、モリアーティさんは少し考えて、小さな少女に語りかけるように言いました。
「たしか、君の入学したエディンバラの寄宿学校は、淑女として恥ずかしくない教育をモットーとしているはずでは無かったかな?」
「確かに、そうですわ。」
「その中には、貴族出身の生徒、平民とはいえ、海外からの貴族の家柄の娘もいたはずではないかね?」
モリアーティさんは、理論的に言いますが、それとこれとは別なのですわ。
私は地味に、乙女小説を手に、『ジゼル』のようなロマンチックなバレエに憧れる…普通の少女でしたもの。
確かに、貴族のお姉様方も観覧はされますけれど、あちらは特別席で、ドレスも…エスコートの男性も…私たちとは違うのですもの。
友人のお兄さんにクラスメート5人で連れていって貰った経験しかない私に、あの、ひときわ高い…ビロード張りの特別室で観覧する度胸も作法も身に付いてなんておりませんもの!
(時には、バレエをそっちのけで、特別席の王子やお姫様を観察して、一晩中語り合った…あの逆の立場なんて、とても出来そうもありませんでしょ?)
「確かに、でも…すむ世界は違いましたわ。」
私の言葉をモリアーティさんは驚いたような顔で聞いていました。
「なんと!馬鹿馬鹿しい。20世紀もあと少しでやって来るというのに、なんと古い考えをしているのかね?
20世紀になれば、貴族なんてものは消えてなくなるに違いない。我々は、その行いの評価において、平等なのだよ。
貴女が、伯爵令嬢の気品を忘れなければ、同じように礼を返してもらえる。そんな時代が、すぐそこに来ていると言うのに。」
その気品が大変なのですわ。
と、叫びたいのを押さえましたわ。
私の学生時代の代々の生徒会長を思い返しました。
2年の冬、会長はストーブの壊れた凍えるような寒さの聖堂で二時間、震えることもなく座って要らしたのですわ。
背筋を曲げることもなく、体調不良者が続出するなかです。
あれは…本当に神々しいまでに美しく気高い姿でしたわ。
一瞬、寒さを忘れて見とれてしまいましたもの。
それで、酷いパニックになることもなく、儀式を終わらせる事が出来たのですわ。
気品とは…あのような方が持つもので、私が急に手に出来るものでは無いのです。




