男たちの交流
屋敷に戻る途中、裏庭の方から、木と木がぶつかり合う音が聞こえてきた。
「なんの音でしょうか?」
「おや、まだ続いていたのかい」
シズネさんは、音の原因に心当たりがあるようだ。
オレとシズネさんは、森の小道を抜け、裏庭へと出る。と、そこには距離をとってジリジリと睨み合っているロイズさんとハンスさんがいた。
その緊張状態を破ったのは、ハンスさん。
「はぁっ! てあっぇ!! ……はぁはぁ」
気合いとともに木剣でロイズさんに斬りかかるも、あっさりとかわされ、反撃を受ける前に大きく飛び退る。
ただ、もう、呼吸が荒く、肩で息をしているような有様だ。
「最初の勢いはどうした? だいぶ辛そうじゃないか」
「ちっ、『腕は鈍っているかもしれんが』とか言ってたのは、嘘だったんですか、隊長っ! とぁっ!」
カコン! と、ハンスさんの大振りの木剣に、ロイズさんが木剣を当てて弾く。ハンスさんが切り返して、それをロイズさんが受け止める。
ジリジリと交わった木剣越しに力比べが始まった。
模擬戦みたいなものか?
「元隊長だ。それに俺は『かもしれん』と言っただろう?
そういうお前の方は『昔の自分とは違う』と言っていたのは嘘じゃなかったようだな。腕をあげたじゃないか」
「そんな余裕の顔で言われても、凹むだけですけど、ねっ!!」
木剣を回して、ハンスさんがまた後ろへと飛び、再度ロイズさんへと向かう。
「いやいや、まだ喋れる余裕があるだけ、立派になったもんだ、ぜっ!!」
カッコーン……トサ。
ハンスさんの左上段から右下への渾身の振り下ろしを、ロイズさんが木剣を斜めにして受け止めるとみせかけて、振り下ろす力を利用して、ハンスさんの木剣を吹き飛ばした。……ということをやったと後で解説してもらった。
オレに見えたのは、二人がぶつかったと思った瞬間、ハンスさんの手から木剣が離れて、後ろで転がっていた。
ロイズさんがそのまま、ハンスさんに剣先を突きつける。勝負ありだ。
「ただまぁ、まだまだ未熟だな。拾って、続けるか?」
「いや、参りました。もう……」
「ふむ、お嬢様とシズネさんが戻ってこられたようだし。ちょうどいいから終わらせるか。おい、ハンス」
「ご指南ありがとうございました。なんですか?」
「ここに滞在中は毎日稽古をつけてやる。王都に帰るまでには俺から一本とれるようになってみろ」
その一言がトドメになったのか、ハンスさんががっくりと膝から崩れ落ち、地面に両手をついてげんなりと項垂れる。
「おかえりなさい、お嬢様、シズネさん」
「はい、ただいまもどりました!」
「そっちもお疲れ様だね」
「うう、バカンスのつもりだったのに、ちょっと隊長の鼻を明かしてやろうという軽い気持ちが」
「なぁに、俺もここ数年相手が少なくてモヤモヤしてたんだ。そんなに感謝されるようなことじゃない」
「……今のセリフのどこに、感謝の言葉がありましたか?」
ハンスさんて、がっしりとした体つきや顔はかっこいいんだけど、中身がちょっと三枚目というか。
いや、ここは、親しみやすくて好ましい人柄、とか表現しておこう。物は言い様だが。
「あの、お水を飲まれますか?」
「ありがとうございます。アイラ嬢、今の貴女は花の精霊様のようです」
「え、あ、その?」
アイラさんが、ハンスさんに手ぬぐいと木製のコップを手渡していた。
どうやら屋敷の影で、待機していたようだ。
そのアイラさんの手を握って、熱っぽい視線を向けるハンスさん。
アイラさんは、困惑しているというか、あの様子なら照れているという感じだろうか? 悪い感じではなさそうだけど。
「ほう、まだ物足りなかったか? もう一本いくか、ん?」
「十分であります、隊長!」
「その、ロイズ様もどうぞ……」
「ん、ありがとう。というか、アイラ嬢、途中からずっと見ていたが、あまり面白い見世物でもなかったろう?」
「いえ、そんなことはありません!」
「そうか? なら、いいんだが」
オレも、最後の方しか見れなかったが、初めて見た生の剣術は迫力があり、見ているだけで結構楽しかった。
素人目ながら、ハンスさんの動きも決して悪くはなかったと思う。
だが、疲れ切っているハンスさんとは逆に、ロイズさんは、まだまだ余力たっぷりの涼しい顔をしている。それだけ二人の力量に差があるということだろう。
しかし、こんな身近に剣術の使い手がいるとは。……可愛くおねだりしたら、剣術を教えてくれるかなぁ?
その日の夜、食堂での夕食が終わり、父親、ロイズさん、ハンスさんの三人は、そのまま酒盛りに突入していた。
その反対側で、母親、シズネさん、オレの女三人でお茶を楽しんでいる。
「あっはっは、それはそれは、到着早々お疲れ様でした。いや、頑張ってください、かな?」
「ケイン、他人事だと思って……」
「実際に大変なのは僕ではなくて、ハンスじゃないか」
「せっかく他のヤツらを出し抜いて、この任務を勝ち取ったっていうのに……せっかくの俺の休暇が、癒しの日々が……」
「何をいう、充実した休暇にしてやろうという俺の優しい心がわからないのか?」
「くそぅ、こうなりゃ、飯と酒だけが楽しみだ、飲むぞー!!」
「あっはっは、好きなだけ飲んでください」
父親が嬉しそうにハンスさんのコップに酌をする。父親もハンスさんもお互いの名前を呼び捨てだ。
身分を超えた友情ってヤツか?
なんだか父親の今まで見たことのない一面を知ったな。
「まったく、男ってのは、いくつになっても子供だね。バーレンシア夫人やユリアちゃんもいるっていうのに」
「ふふふ、あの人はわたしたちに気をつかって、普段はお酒をあまり口にしないのです。
軍にいた頃から仲が良いハンスさんがいらして、浮かれているのでしょう。ロイズさんが晩酌に付き合ってくださることはありますけど、そこはどうしても主従の関係になってしまいますから」
シズネさんが嘆息するのに、母親が嬉しそうな表情でフォローする。
「それに、わたしはあの人がお酒に酔って陽気になるところなんて、なかなか可愛いと思っていますの」
「あたしは、野郎の酔っ払いという時点で可愛いとは思えないけどね。ユリィちゃんは、あのお父さんを見てどう思う?」
「んっと、楽しそうなので、見ていてうれしいです!」
「はー、ほんと良くできた子だねぇ……今年で五歳だっけ?」
「はいっ!」
横で聞いていた話をまとめると、父親は母親と結婚するまで王国軍に所属していて、その当時の部隊の隊長がロイズさん、同じ部隊でもっとも気の合った同僚がハンスさんだったようだ。
ただ、父親とロイズさんは、父親が王国軍へ入隊する前からの知り合いだったようでもある。
本来、ハンスさんは、父親を呼び捨てにできるような生まれではないようだが、そこはそれ軍の中では身分よりも階級と実力がモノを言う世界らしい。父親の腕前はハンスさんと同じ程度だったということで、今でもプライベートではお互いに呼び捨てにしている仲らしい。
ロイズさんが父親の部下となった詳しい経緯についてはよくわからなかったが、父親と同時に軍をやめて部下になったようだ。
「少し薄暗くなってきましたね」
「あ、わたしが入れてきます」
食堂はランプの灯りで照らされているのだが、その光量が徐々に落ちてきていた。
ランプに“石”を継ぎ足そうとする母親を止めて、席から立つ。
ランプに近づき、その横にある皿から黒い小石を一つとって、水が張ってあるランプの中に入れる。
チャポと水音がして、水中に入った黒い石がすぐに白い光を放ち始めた。
「蓄光石」と呼ばれる、この石は土から掘り出してすぐは乳白色をしているが、太陽の光を浴びると黒く変色する。
そして、黒くなった蓄光石は、水などで濡れると発光して、徐々に元の乳白色へと戻る。
直径が大体一イルチくらいの蓄光石一個で、灯りとして十分な光量があり、二〜三時間くらいは輝き続ける。
その性質的に、ランプの構造も単純で、水が漏れない透き通って、小石が出し入れしやすい容器が本体だ。実際にはガラスのコップで代用することも可能といえる。
蓄光石は、何度も繰り返し使えると言う利点だけでなく、比較的安価で手に入りやすくランプに何かがあっても、火事になる心配はないと言ういいことづくめだ。
ロウソクや油を使ったランプもあるらしいけど、油が消耗品であることを考えると蓄光石よりもどうしても高価になってしまうので、太陽が照らない日が長く続いた時などの非常時用で、滅多に使うことはない。
「しかし、ユリアちゃんは可愛いなぁ……」
「当然でしょう。僕のマリナが産んでくれた愛しい妖精さんです。先に言っておきますが、貴方の嫁にユリアはやりません」
「ふっ、こっちだってケインをお義父さんと呼ぶのは勘弁だからな」
「それこそ安心してください。そんな事態には絶対になりませんから! というか、ユリアは嫁になんかだしません!」
「あっはっは、親バカだ! いやバカ親がいる! ケインのバカ親っぷりにかんぷぁ〜い!」
うん、いい感じに向こうはできあがってるなぁ。
ロイズさんは、まだ平気みたいだけど、父親とハンスさんは完全に酔っ払ってしまっている。
しかし、「お前に娘はやらん」を生で聞けるとは思わなかった。当事者的な意味で。
まぁ、オレは可愛いお嫁さんをもらうつもりで、お嫁さんになるつもりは…………あれ?
オレは前世では男だったけど、今の体は少女のもので性別は女。つまり、嫁はもらうほうじゃなくて、なるほうなのか?
…………これは盲点だった。
オレはベッドで横になりながら、思考のぐるぐる回る、ループに陥っていた。
原因は、今頃になって気づいてしまった事実のせいだ。
オレの記憶と嗜好の大部分は、おもに前世の大杉健太郎によるもので、つまり男のものだ。
「そして、わたしの体は、ユリア・バーレンシアという名がついた女のもの」
とても可愛らしい声が自分の口からこぼれ落ちる。
将来、オレが取りうるだろう道は三つある、
「精神的に男同士」か「肉体的な女同士」か「孤高の独身」か。
う〜ん、こればかりは前世の記憶も頼りにならない。
なぜなら、前世はそれこそ生まれてから死ぬまで恋人という存在がいた試しがないからだ。
というよりも、前世の記憶のせいで迷いが生じているわけでもあるが……。
今のオレなら、アイラさんとハンスさんのどっちかを恋人として選べと言われたら、アイラさんを選ぶだろう。だって、付き合うなら可愛い女の子のほうがいいから。
これは、前世から引き継いだ”オレ”という主観に基づく嗜好のせいだ。
しかし、この場合、世間体に問題が出てくる。
この世界の道徳観は、まだきちんとわかっていないが、前世のように十分に発展し、個を尊重できるようになった社会において、やっと性のマイノリティなどは認められる。もしくは小さいコミュニティだけの話だ。
それでさえ、あくまで法律などのルール上の話であると思う。
考えると、生涯未交際、未婚を貫くという選択肢もありえるかもしれない。
……ただ、人の温かさを知ってしまったオレは、一人だけの暮らしには戻れないと思う。
そして、オレは……
「…………のどが渇いたな」
それ以上考えることをやめた。
結婚なんて、どんなに早くても十年は先の話だ、ビバ問題の先送り。
それにオレは、前世を含めて恋すらままならぬ恋愛未経験者なのだ。
オレの恋心というやつが、精神と身体のどっちに依存するかわからないけれど、今から悩んでも仕方ない。
それに「楽しい人生を送ること」を目標にしているのだし、不鮮明な将来のことでウジウジするのは面白くない。
なるようになるさ、の気持ちでとりあえず割り切ってしまう。
「ん〜……《ダル モァート ヤッツ・ド・モア(闇を見るは猫の瞳)》」
暗視効果のあるルーン魔術を使い、暗闇の中でも問題なく見通せることを確認。のどの乾きを癒やすために、ベッドから降りて台所へと向かう。
台所の水瓶に汲んであった水を飲んで、自室に戻る途中、両親の部屋の扉が開いた。
近くの壁際に寄って隠れたまま様子を見守っていると、部屋の中からは両親ではなくシズネさんが出て来た。
その表情は硬く、扉を閉めると小さく溜め息をつく。
その様子を目撃したオレの中に、湧き立つような不安と捉えどころのない漠然とした怖れが生まれる。
こんな時間になるまで、シズネさんと両親は何を話していたのだろうか?
それは、明るい昼間や食事をしながらでは、話せないことだったのだろうか?
……何がそんなにシズネさんの顔を険しくさせていたのだろうか?
オレは、シズネさんがその場から完全に立ち去るのを確認し、急いで自室へ戻ると、そのまま毛布の中へと潜り込んだ。
そうして、ギュッと目をつぶり、眠気に身を任せて、意識がなくなるのをじっと待った……。