ルーン魔術を使ってみよう
森の中に入って、三歳児の足で五分ほど歩いた所に、ぽっかりと木々が開かれた広場があった。
わざわざ母親を口説き落としてまで、ここに来たかったのはルーン魔術の実験がしたかったからだ。
オレは、この世界が『グロリス・ワールド』とほぼ同じであることを確認している。
なぜここまで似通っているかはわからないが、転生という不可解な経験を認めた以上、ゲームと酷似した異世界があったとしても、そしてオレがそこにいるという事実も、不思議のベールに包んで受け入れた。
そして、『グロリス・ワールド』と同じであるならば、オレはルーン魔術を使うことができるはずなのだ。
『グロリス・ワールド』の設定では、基本的にどんなキャラクターであっても魔力という不思議パワーを備えているとされていた。
人間に限らず、この世界で意思を持つモノならば、量の多い少ないなどの差はあるが、魔力を持っているはずだ。
稀に自然そのものが本能にも似た意思を得ることで、魔力を持つこともあるらしいが。
魔力とは、「可変と可能性の力」と定義される「魔法を行使するために必要な力」のことで、肉体に属する体力、魂に属する魔力と説明される。
走れば体力が減って、動かずに休めば体力が回復する。同様に、魔法を使えば魔力が減って、精神を落ち着けて休めば魔力は回復する。
その個体が持っている魔力は、保有魔力と呼ばれ、魔法を使わず魔力が減っていないときに保持している魔力の量を、最大保有魔力と呼ぶ。
この世界における魔法とは「世界の理を自らの意思で変革する能力」であり、何もない場所で水や火を生み出したり、肉体を強化したり、幻影を作り出したり、ありとあらゆるとが理論上では可能とされている。
魔法には大きく二つの種別がある。一つが魔導、もう一つが魔術だ。
魔導には基本的に何かしらの制限があり、任意に習得することができない魔法だ。おもに生まれつき備わった魔法的な才能や特殊な能力のことを指すことが多い。
たとえば、レッドドラゴンが、その巨体で空を舞い上がる【飛翔】も口から吹く高熱の【火炎の息】も魔導に分類される。
他にも精霊が持つ【属性支配】、人類が持つ可能性がある【先天性加護】、一部の種族の特性であるエルフの【魔法適性】やドワーフの【炎熱耐性】、ロングイヤーラビットが持つ【聞こえる耳】なども魔導となる。
その魔導とは逆に、後天的に習得しやすい魔法が魔術となる。
魔術は、人類によって技術化された魔法であり、技術であるならば、才能による差異はあっても習得が可能と言われる。もっとも、才能が低いと、相当な努力をしなければ、習得することはままならない。
さて、この魔術の中でもルーン魔術はその名の通り、ルーンを使った魔術だ。
このルーンは、世界の理の一片を示す言語、古い原初の文字と言われている。
正直、この辺りの設定についてはうろ覚えで、「ルーンを正しく発声すれば魔術が使える」くらいにしか覚えていない。
実際『グロリス・ワールド』におけるルーン魔術の習得は、キャラクターにルーンを覚えさせるところから始まる。
ルーン魔術を創るには、覚えたルーンの特性を考慮に入れつつ、ルーンとルーンを繋げて文にし、どのような効果を発生させるかを設定する。
このときにルーン同士の連携が上手くいき、また選択させたルーンの特性と発生させたい効果が合致すれば、魔術が発動され、新しいルーン魔術を習得したことになる。
一度習得に成功したルーン魔術は、キャラクターの習得済みのルーン魔術欄から、常備設定にしておけば、任意で再使用することができた。
もちろん、『グロリス・ワールド』にハマりまくっていたオレは、各種のルーンのデータや魔術の定形文などをばっちり覚えている。それこそ、血肉になるほど身にしみているのだ。
「すぅ……ふぅ……」
ゆっくりと緊張で強張る心を落ち着ける。今から、オレはゲームではない本当の魔術に、初めて挑戦する。
アイラさんが後ろから見張っている可能性も考え、草むらの中でしゃがんで遊んでいる振りをする。こうしていれば、すぐ近くにまで寄ってきて、耳を澄ましたりしない限り、魔術の練習をしてることはバレないだろう。
使おうと思っているルーン魔術は、手元にごく少量の飲み水を作り出すだけの、簡単なルーン魔術だ。
意を決し、オレはただ一言、ルーンを紡いだ。
「…………《ウォーラ(滴よ)》」
そして、ピチャンという水音が発生し…………なかった。
……あれ?
「《ウォーラ》……《ウォーラ》……《ウォーラ》」
試しに同じルーンを何度か唱えてみるが、手のひらに浮かぶ汗ほどの水も出てこない。
この魔術を使うために必要な魔力は、ほぼ最低値と言ってもいい。そうなるとオレには水系統のルーンの適性が皆無なのだろうか? つまり相性が悪いのか?
「《ダスーラ(石よ)》、《ジィムーラ(音よ)》、《ノアーラ(熱よ)》……」
続けて地系統、風系統、火系統に属するルーンも唱えてみるが、小石も音も熱も発生せず、一切の反応がない。
……あれれ?
うーむ、いきなり問題が発生したが、原因はなんだろう。
まず、考えられるのが「ルーン魔術のやり方を間違えている」か「ルーン魔術が使えない」の二つ。
前者ならば、まだ希望がある。
いざとなれば、この世界の魔術師に弟子入りするなり、魔術の教本などを入手すればいい。
問題は後者だ。
例えば、オレの体は三歳児であるので「今の時点では使えない」なら、これも成長するのを待てばいいだけだ。
しかし「オレにはルーン魔術の適性がない」や「実は世界は『グロリス・ワールド』とにているが、ルーン魔術は存在しない」となると最悪だ。
何をどう足掻こうが、オレにはルーン魔術が使えないことになる。
しかし、ここまで酷似した世界で、魔法という大きな要素だけが異なっている、というのもスッキリしない。世界にはルーン魔術以外の魔術しかない可能性も捨てきれないが……。ルーン魔術がないのは、ちょっと悲しくなる。
後者について考え続けても仕方がないので、ひとまず前者、「ルーン魔術のやり方を間違えている」について、少し考えてみよう。
そもそも、単純にルーンを唱えただけで、魔術が発動するという考えが安直だったのではないか?
もし、ルーンを唱えただけで魔術が発動するとなると、ルーンと似た発音の言葉を迂闊に喋れなくなってしまう。
すでにいくつか知っているだけでも、ルーンと同じような言葉が日常会話で使われていたはずで……だからこそ、オレはこの世界が『グロリス・ワールド』と同じである確信を深めたわけだし……。
あー……浮かれすぎてたろ、オレ。
少し考えただけで、これだけ思いつくのだから、事前にもっと考察していてもよかったはずだ。ルーン魔術に挑戦することばかり考えて、浮かれていなければ。
となると、「ルーン魔術を使うにはルーンを唱える」以外にも何か必要なものがあるのか?
『グロリス・ワールド』で魔術を使うときには、何が必要だったっけ……設定画面?
ゲームなら設定画面からキャラクターに魔術を覚えさせる必要があるが……現実に、そんな画面はない。
とすれば、保有魔力か?
ルーン魔術を使うには、相応の魔力を消費することが必須だ。
オレの最大保有魔力が「ゼロです」と言われるとゲームエンドって感じなんだけど……。
ん? そういえば、ルーン魔術を使う際に消費する魔力の量、つまり発動必要魔力値はどうやって決まるんだ?
『グロリス・ワールド』では、ルーン魔術を創るときに、まず目的とする効果に応じたルーンをつなげ、各ルーンとその繋がり方によって決められる発動するために使う最小魔力量を、発動必要魔力値の最低値として、逆に消費できる最大魔力量を発動限界魔力値として…………
……なんか引っかかったな?
設定画面? 保有魔力? 魔術を創る? 発動必要魔力値と発動限界魔力値?
………………?
あれ? ああっ!! そうか、オレはきちんと「魔術の設定」をしていなかったんだ!
魔法とは「世界の理を自らの意思で変革する能力」であると、さっき思い返していたばかりじゃないか。
ここでいう「魔術の設定」とは、自分が使おうとしている魔術が、「どんなことを起こしたいか」をきちんとイメージすることではないか? むしろ「こういうことを起こすぞ」という前向きなイメージでもいいかもしれない。
そうか、それなら……なんとかなりそうな気がしてきた。
オレは目を瞑って、意識を集中させ、軽く呼吸を整える。
そして、『グロリス・ワールド』で使っていた、ルーン魔術の設定画面を思い描く。
多分、オレがルーン魔術をイメージするにあたって、もっともこの記憶が役に立つはずだ。
属性は「水」、種別は「創造」、分類は「生活補助」、効果「ごく少量の飲み水の作成」、消費魔力は「発動必要魔力の一倍」で…………。
「《ウォーラ(滴よ)》」
深く息をはいたときのようなフワっとしたなにかが、オレの身体から抜けた。
そして、オレの両手の間に水滴が生まれ、ピチャピチャン、という水音が足元から聞こえた。
「《ダスーラ(石よ)》、《ジィムーラ(音よ)》、《ノアーラ(熱よ)》……」
小石が落ち、ポンッという音が鳴り、もわっとした熱気が発生した。仮にアイラさんが遠くから見張っていたとしても、どれも草が邪魔になって、何かが起きたことすらわからないくらいのささやかな効果の魔術だ。
一度コツを掴んでしまえば、あとは簡単だった。
要するに「どんな魔術か」をきちんとイメージしてから、ルーンを唱える。
ただそれだけだった。
正確には「ルーン魔術を使うことで、何を起こすか明確な意思」を持つこと。
「ルーン魔術を使うから水が出る」のではなく、「水を出すためにルーン魔術を使う」という考え方が必要だった。
両者は言葉にすると似ていて、同じような気もするが、因果関係的にはまったく違う。
例えば水が欲しいとき、「蛇口の栓をひねって水を出す」のは正しいが、「蛇口の栓をひねったら、ミカンジュースが出てくる」可能性だってある。
水が欲しいならば、ちゃんと「水が出てくる蛇口の栓をひねる」必要があるということだ。
「《ウォーラ》……《ウォーラ》……あれ?」
調子に乗ってルーンを唱え続けたら、再び何も起こらなくなった。
「《ウォーラ》、ん〜……魔力切れ、かな?」
今度の原因はすぐに予想がついた。オレの保有魔力がゼロ、つまり空っぽになったのだ。
『グロリス・ワールド』を始めたての頃は、よく「待って、mpe」とか言ってたっけ……。
「mpe」とは、「マジック・パワー・エンプティ」の略で、保有魔力がなくなった状態、意訳して「魔力切れ」を意味する。
保有魔力が尽きるとルーン魔術が使えなくなって、戦力にならないので、一緒に戦ってくれているチームメンバーの足手まといになってしまう。
したがって「待って、mpe」というのは、魔力を回復するために休憩したいので待ってほしいという挨拶みたいなものだ。
自分の残り保有魔力と使えるルーン魔術の消費魔力を把握できるようになって、一人前の『グロリス・ワールド』ユーザーといえた。すでに懐かしくなった思い出だ。
えーと、夢中になって魔術を使っていたから、きちんとカウントしてなかったが、ルーン魔術が十回分くらい使えたか? 消費が一番低い魔術で十回分が、今のオレの最大保有魔力ということになるようだ。
『グロリス・ワールド』を始めたばかりのユーザーでも、もう少し使えたと思うんだけどな。
「あ、年齢補正かも?」
『グロリス・ワールド』において、極端な年齢のキャラクターを選択した場合、すべての能力値が減少するといったペナルティが発生した。
そのペナルティを受けてでも、幼女やジジイのキャラクターで遊ぶプレーヤーも一定数いたのだから、楽しみ方は、人それぞれなのだろう。
「少し休憩したら、他のルーンも試していくか」
年齢制限は仕方ないとして、保有魔力を増やす方法がある。
それは、ルーン魔術の習熟度を上げていくことだ。
運動を繰り返すことで、体力がついていくように、ルーン魔術を繰り返し使うことで魔力への親和性や耐性がついて、最大保有魔力が上がっていく。
使える魔力が増えれば、新しいルーン魔術を使えるようになる。それが、ルーン魔術の習熟度上げだ。
こういったチマチマとした作業が苦手で、ゲームをやめてしまう新規ユーザーも少なからずいた。
それでも、世界最大の参加者をほこっていたのだから、魅力的で中毒性が高いゲームだったのだと、しみじみ思う。
「さすがにここで寝るのは、なしだよねー」
魔力は、休めば回復すると言ったが、一番効率的なのは、寝てしまうことだ。
ゲームでは、睡眠を実行するとキャラクターが動かなくなり、ぐんぐんと保有魔力が回復する。ほとんどの場合で、一時間ほどで寝れば最大保有魔力まで全快した。
確かゲーム内の時間と実時間の差は、六倍という設定だった。この世界でも、その法則が成り立つなら、一眠りすれば、回復できるだろう。
効率良く魔術のトレーニングをするなら、朝晩二回の練習と昼寝は必須になるな。
もともと、三歳児の体はまだ脆弱なのだから、無理をしてはいけない。
使ってみたいルーン魔術は、たくさんあるが、ゆっくりと、あせらずに確認していけばいいと心を落ち着かせる。
さて、今後の予定が立ったところで、屋敷に戻ろう。
初日から母親を心配させて、明日から散歩の許可をもらえなくなったら計画が狂ってしまう。
けど、このまま素直に帰るのも面白くないし。
せっかくだから、お花でも摘んで帰ったら、女の子っぽいかな?
あ、女の子っぽいで思い出したが、いつか料理もしてみたい。
前世では、それなりに自炊もしていた分、料理の知識もあって、それなりにレシピも覚えている。嬉しいことに、食材は「の様なもの」とつくが、前世の世界と変わらないものが多い。
トマトやチーズもあるので、前世で好きだったピザも焼いてみよう。串カツなんかもいいかもしれない。
そして、それを家族に振る舞うのも悪くないアイデアな気がする。