お祖父様の本音
カチャリ。
青い染料で野鳥が描かれた美しい白磁器のカップが、私の前に置かれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
使用人のお姉さんは、綺麗なお辞儀をしてパーラーから出て行った。
せっかくなので、カップを取ってお茶をすする。
ん、この前、フェルに飲ませてもらったお茶と同じ味がする……むぅ、やっぱり高いお茶なんだろうな。
高いといえば、この茶器を壊したらいくら弁償しなきゃいけないんだろう、って、私が壊しても別に賠償金を請求されたりはしないか。
うーん、まだちょっと他人の家という感じが抜けないな。
つらつらと取り留めのないことを考えていると、扉がノックをされ「失礼します」と毅然とした声と共に、アギタさんが入ってきた。その後に、お祖父様が入ってくる。
ここはお祖父様、バーレンシア侯爵家の屋敷だった。
「突然のご訪問、申し訳ありません、お祖父様」
「いや、よく来た。ケインは知っているのか?」
「ええ、家族にはお祖父様の家に行くといって参りましたから」
私は席を立って、淑女らしい挨拶と、突然訪問した無礼を詫びる。ふふふ、淑女的マナーは完璧だ。お祖父様は私の向かいのソファーに座り、私にも座るよう手振りで促す。
席につくとアギタさんがお茶が注がれたカップをお祖父様の前に置く。
あ、いまカップをテーブルに置く時に音が一切しなかった、アギタさんすげー…………緊張のあまり、ほんと、どうでもいいことに気が散ってしまう。
「それで話があると聞いたが、いったい何の話をしようというのだ?」
お祖父様は、カップにも手を付けずに、いきなり本題を切り出してきた。
ここはもう一気にいくしかないよな。
「いくつかありますが、おもな目的はお祖父様の真意を確かめに」
「真意?」
「はい、お祖父様が、どうしてリックにバーレンシア侯爵を継がせたいのか? そもそもリックはまだ五歳にもなりません。確かに良い子ですが、まだまだ両親と一緒にいたい年頃です」
「それが、将来的にリックのためになるからだ。両親ならばカイト夫妻が代わるだけだろう」
「はい、確かに伯父夫婦ならば、リックを可愛がってくれるかもしれません。けど、リックがお父様とお母様の元にいたいのに、無理に引き離そうというなら、私は反対します」
初めてお祖父様の顔に感情の色が浮かんだ。
その感情を一言で言うなら「怪訝」かな。私のことは、大人しい孫娘くらいにしか知らなかったのだろう。
少し悲しくなるが、それを変えるためにやってきたのだ。
「反対と言っても、どうするつもりだ」
その口調は疑問ではなく、問い掛けというよりも、確認というか、断定に近い。
「どうすることもできないだろう」そう言っているのと同じだ。
「成人をしたら、軍に入るよう入れ知恵をします」
「ッ!!」
お祖父様の顔に新しい感情の色が浮かんだ。わずかながらだが、明らかな動揺が見えた。
ここまでは、事前の予定どおり進んでいる。この台詞を言っても、お祖父様の態度が変わらない場合も考えていたが、今の表情を引き出せたなら成果は上々だ。
「それでもリックを、伯父夫婦の養子にしますか?」
できる限り何事でもないような笑顔を貼り付けて、お祖父様の返答を待つ。
いや、心臓はバクバク言ってるんだけどね。手とか少し汗ばんできている。
もちろん、暑さではなく緊張の汗だ。
「何が言いたい?」
「その質問はどういった意味でしょうか?」
「……昔の話を調べてきたんだろう? そもそもこの会談はケインの指示か?」
「はい、いろいろな人に昔の話を聞いてきました。けど、この会談はあくまで私の考えであり、お父様の指示ではありません」
裏で、お父様が糸を引いてると思われたようだ。これはまぁ、まだ想定内の反応だ。
「そもそも、お祖父様は、なぜ伯父様ではなくお父様に侯爵を譲ろうとされたのですか?」
「それは……」
会談が始まってから初めてお祖父様が返答を言いよどむ
「ケネアお祖母様と、いえ正確にはケネアお祖母様の生家と関係がありますか?」
「……ケネアを知っているのか? その上で彼女をお祖母様と呼んでくれると?」
「ええ、お父様を産んだ方ですから、私にとっては血のつながったお祖母様になりますよね? もちろん、ルヴィナお祖母様のことは、ただお祖母様とだけ呼びますけど」
そういえば、お母様のご両親については会ったことも話を聞いた覚えもない。
王都ではなくて、別のところに住んでいるんだろうか?
「ふぅ……そんなことまで調べてきたか。ならば、想像はついているんじゃないのか?」
深く溜め息を吐いて、お祖父様がどこか挑むような眼差しで私を見る。
そこはすでに孫を見る優しい目ではなく、対等な立場を持つ相手との相対する目だった。
本人は気づいていなかもしれないが、椅子の肘掛に置いたお祖父様の手に力が強くこもっている。
「侯爵を正当な血筋に……ケネアお祖母様の家に戻すため、ですか?」
「その通りだ……」
お祖父様の眼差しが柔らかくなり、両肩から力が抜ける。
シズネさんから教えてもらった情報によれば、お祖父様はケネアお祖母様の生家が途絶えたことにより、地位を継いだ形になる。
「侯爵を継いでしばらくは、慣れない仕事で成果は上げれず、人からのやっかみなどで心身ともに消耗しては、さらに仕事が滞る……家に帰らず仕事場に泊り込むこともままあった」
客観的には人の不幸で蜜をなめた形だ。
例えそれが不幸な事故の結果だとしても妬む人はいただろう。
「ケインをこの手に抱いたのは、ケネアが生きている間に両手に満たない程度しかない。今思えば、当時もっとも辛かったのは、家族を亡くしたばかりのケネアだったのだろう。ケインの出産と同時に、ケネアが死の気配を漂わせるようになった」
当時を思い出しているのか。お祖父様は私の方を向いているが、視線は私のことを捉えていない。
私を通して、過去を見ているのだろう。ポツリポツリとお祖父様の思いが言葉になる。
「私は侯爵としての仕事をこなす傍ら、医者や魔術師を片端からあたって少なくない礼金を払い、ケネアの治療を頼んだ。いずれも効果はなく、ケネアの死は変えようがなかった。私がそれに気づいたのは、死ぬ直前にあったケネアに、ありがとうと礼を言われた時だったよ」
「ありがとう、ですか?」
「ああ、新しい家族を授けてくれて、私を独りぼっちにしないでくれてありがとう、だ。ろくに家にも帰らず、仕事に明け暮れていた男に対して、独りじゃなかったからと……当時、ケネアと一緒にいたのは、まだ言葉も喋れない赤子だけだったのに」
目をつぶり、そして、止まらない思いのまま、お祖父様は本音を形にする。
「……ケネアを失って初めて、私はケネアのことも愛していたことに気づいた」
呟くようなお祖父様の懺悔は続く。
「……昔、ケインに声をかけたら、泣かれたことがあった」
声をかけたら? お父様が泣いた?
「その時、たまたま屋敷を訪れていたルヴィナがケインを抱きしめたら、ぴたりと泣き止んでくれて……ああ、母親を欲していたのだろうと思ったのだ」
それって、つまり、お父様が二歳とかの頃の話じゃ……。
「彼女が私と付き合っていた頃に子供を授かってたという話を聞き、その真偽を確かめるつもりだったのだが、それよりもケインを抱きしめてくれたルヴィナへ、その場でプロポーズをしていたよ。もちろん、ケネアのことは愛していた……けれど、私が恋をしたのはルヴィナだった。また、そのとき誓ったのだ。侯爵の家をあるべき元に返そうと」
フフッと自嘲するかのようにお祖父様が笑い。
「私は、ケインの良い父ではなかった。だが、せめてケネアの血筋に侯爵を戻すことだけが願いだったが、それも叶いそうにない。侯爵を継ぐ家の当主としても良い当主ではなかったということだな」
ドスドスッ、バンッ!!
荒い足音が聞こえたかと思ったら、パーラーの扉が勢いよく開け放たれる。
「ケイン……?」
「……お父様……」
パーラーに乱入してきたのは、お父様こと、ケイン・バーレンシア男爵だった。
「声をかけたら泣かれたって、いつの話ですかっ!!」
あ、ツッコムところはそこなんだ。
別室に待機していたお父様には、ルーン魔術を使って「パーラーでの私とお祖父様の会話がすべて聞こえる」ようにしてあった。
その仕込みには、アギタさんにも協力してもらった。
「……あれはもう三十年くらいは前の話になるか?」
お祖父様も律儀に指折り数えて返事をする。
いや、そういうことじゃないと思うんだけどな。
「そんな子供の頃の記憶なんて残っていませんよ!」
お父様が至極まっとうな意見を言う。
というか、今になってやっと納得したけど…………お父様とお祖父様って、やっぱ血のつながった親子なんだなぁ。こう、にじみ出る雰囲気がよく似ている。
二人が並んで言い争い(?)をしているのを見て、私はぼんやりとそんな感想を抱いた。
「旦那様、ケイン様……喉がお渇きではないでしょうか?」
そう言ってアギタさんは、蒸留酒のボトルとグラスを二つ取り出した。
ああ、つまりは、これ以上は二人とも素面じゃないほうがいいという判断か……できる執事は違うな。
「いただきましょう! 父さんも飲んでください!」
「う、うむ……」
お父様の勢いに押されて、お祖父様がうなづく。そして、お父様は、どかっと私の横のソファーに越しかえる。
アギタさんは手早く水割りを作って、お父様とお祖父様に手渡す。
「なんだか、変にうじうじしていた過去の僕に乾杯!」
「…………」
呆気にとられるお祖父様を横目に、お父様が一気にグラスの半分を煽るようにして飲む。
「父さん、話をしましょう」
「……いったい、何の話をするつもりだ?」
手元のグラスを持て余しながら、お祖父様が目の前で息巻くお父様に問い返す。
「とりあえず、すべてを……今の僕は、過去の僕を笑い飛ばしてやりたい気持ちなんです。……父さん、僕も父親になりました」
「ああ……そうだな」
「けれど、今でも父さんのことはよくわかりません。それでも、わかったことが一つだけあります」
「一つだけわかったこと?」
「父さんがいたから、今の僕がいます。もう泣くだけしかできない子供じゃありません。だから――」
呼吸を一拍。
「――三十年分の話をしましょう」
そのお父様の言葉を、お祖父様はゆっくり噛み締め、そっとグラスを口つけて、入っていた薄い琥珀色の液体で流し込む。
「長い話になるぞ……」
「構いません……今日はきっと僕と父さんにとって、変われるチャンスなんです」
本当に長い話になりそうだな……私は、良いタイミングで退出させてもらおう。不安はもうない、お互い、相手を恨んでも憎んでもいない、ただすれ違っていただけなんだから。
二人にとって、伯父様たちやリックにとって、より良い形になってくれれば、と私は願った。