二人の出会いをもう一度
「《ウィス リァート フィス ロァース ドレイク・ド・フェス(風を駆けるは空を舞う竜の翼)》」
私は飛行のルーン魔術を使って、ベランダから空へとその身体を浮かべ、フェルを見下ろす位置まで上昇した。
その私を黙って見上げるフェルの顔には、私が用意した眼鏡が掛けられている。
双つの月が作り出す淡く優しい光に照らされ、フェルが私を見上げ、私がフェルを見下ろす。
フェルは私の唐突な申し出をゆっくりと噛み砕いて、そして呑み込んだ。
「お初にお目にかかる、夜空を舞うお嬢さん。ボクの名はフェルネ・ザールバリン。よかったら友達になってくれないか?」
まるで淑女を踊りに誘う騎士のように、誘惑をささやく悪魔のように、果物をねだる子供のように……私を求め伸ばされる右手。
「初めまして、雪花石膏の如き真白の司殿。私の名はユリア・バーレンシア。貴方が友を望むのならば友となりましょう。誓いは大きい月の精霊の名の下に」
そして、私はベランダに降りて、差し出されたフェルの手をそっと掴む。
契約ではない友好である意味を込めて小さい月の精霊ではなく大きい月の精霊の名前を出す。貴族同士ならではの言葉遊び。
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙。
「……くっ」
「……ぷっ」
だめだ、にらめっこ遊びみたいになってしまった。
二人して同時に吹き出す。
「「あははははは……!」」
私とフェルの笑い声が重なる。
いや、本気でツボにハマった。笑いすぎでちょっと息が苦しい。
「……はーはー。何が、夜空を舞うお嬢さんだよ。心にもないことを言うね、貴族っぽい!」
「ふー、そう言うユーリだって……いや、ユリアだったか?」
「別にユーリでもいいよ。本名とそんなに違ってないし、愛称みたいなもんでしょ?」
「そうか? なら、ボクもフェルのままでいいな。ユーリにフェルネと呼ばれると思うと、少し変な感じがする」
ちょっとすっきりした顔つきになった、かな。
「しかし、何でまた……こんな恥ずかしい真似を?」
「何でも何も、私の正体が知りたいと言ったのはフェルだよ。それにずいぶんノリノリだったじゃない」
「いや、まぁ、それはそうだが……」
フェルがぶつぶつと、何かを呟いている。
「そうだね。すぐには信じられないような話だけど……」
「今更の話だな。ユーリの非常識っぷりには慣れたつもりだ。ユーリの言うことなら信じるさ」
むぅ、相変わらず十歳児らしくない言葉だ。ちょっと嬉しいけど。
「私はね、前世の記憶が残ってるんだ。そのお陰で幼い頃から魔術の修行をしてた。だから、こんな年で色々な魔術を使えるんだ。それでね」
フェルは動揺もなく、ただ続きを促すような視線を送ってくる。
「多分、フェル見えていた黒髪黒目の顔だけど、それは前世の容姿と同じだから、その影響だと考えてる」
「……思ったよりは普通だな」
「その返答は、かなり気が抜ける……、人の告白を普通の一言で済ませないでよ」
普通って、ボケ殺しな単語だよな。
いや、別に今の流れでボケるつもり、ボケたつもりもないけど……。
なんか、ほら「もっと別に反応があるだろう」みたいな気分が、ね。
そして,私は一通り、ほぼすべての事情をフェルに話していく。最初に会ったとき、フェルが心の底から、私と友達になって欲しいと、自分の能力のすべてをさらけ出したくれたことへのお返しを込めて。
「つまり、まとめると、ユーリの前世はカルチュアとは異なる世界の人間で、その世界の遊びのルールと、この世界の法則がそっくりであり、生まれた時から記憶があったために魔術の知識があった。――ということか?」
「…………まあ、正確には、三歳になってからだけどね。物心ついたときから、という意味では一緒かな」
賢いとは思っていたけど、フェルの知性に絶句する。シズマさんと同じじゃないか、これ。シズマさんの方は二十代であることを考えれば、フェルは神童と呼んで差し支えのないだろう。
もちろん、できるだけ分かりやすく簡潔に説明したつもりだけど、途中からフェルの方から質問をし始めて、私はそれに答えるだけになっていた。
「ん? どこか間違えてたか?」
「いや、あってるよ。あってるから驚いてたんじゃないか。フェルも私と一緒で、大人が転生してたりしない?」
「そうだったら面白かったな。実は聞いていても、分かってないことの方が多い。ただ演劇なんかと一緒で、そういうものだと受け入れただけだ」
その受け入れただけ、って言うのは十分すごいんだと思うけどな。
子供らしくないのか、子供だからできることなのか。
「最後に、もう一つ気になるんだが……なんでユーリはこの世界に転生してきたんだ?」
「そんなことを訊かれても、私には分からないけど……むしろ私が知りたいくらいだし……」
「いや、言い方が悪かったかな。この世界の常識として、ボクは魂の転生自体は当たり前のことだと思っている」
考え込みながら淡々と告げるような口調で、「だから」とフェルは続けた
「前世の記憶を持っているということに関しては、そういうこともあるかもしれない位にしか感じていない。けど、ユーリの前世はこの世界の人間じゃないという……が、ここまではいい」
「いいんだ……」
「ああ、ボクは能力のせいも合って人が嘘とかには敏感なほうなんだ。だから、ユーリが嘘を言っていないだろうことは、これをしていても信じている」
そう言って、かけてままでいる眼鏡のつるを叩く。
その視線と仕草が、たとえ魔導がなくても、私の言う事なら信じてくれる、と言っているようで、嬉しいながら照れくさく感じてしまう。
「その上で、ボクが気になっているのは……なんで、ユーリはこの世界のことを知っていることができた?」
「それは、たまたまこの世界とゲームの設定が似ていたからで……それこそ、偶然としか言えないんじゃない?」
私の答えに満足がいかないのか、フェルが何か悩むような難しい顔をする。
いや、転生者であることを告白した以上、私の方が精神的にはずっと年上なんだけど……なんかこう、フェルの大人っぽさは筋金入りなのか、精神的にも私と同い年ではないかと感じるときがあるからすごい。
「偶然で済ませるには、不自然さが残るんだ……」
「不自然さ?」
「ユーリ、想像してみてくれ。ボクたちが暗号遊びをしていたとしよう。例えば、お互いだけに通じるような文字を作るんだ」
「うん」
「朝起きたら、別の国でも別の世界でもいいけど、どこか知らない場所に連れ去られていた。そして、その場所では、ボクたちが使っていた暗号が当たり前に使われている文字だった。……な? 変な感じがしないか?」
「…………」
フェルに言われて、私も初めてのそのことに違和感を覚える。
いや、むしろあえて考えないようにしていたことなのかもしれない。
私がこの世界に転生したのは偶然なのか、それとも誰かしらの意図が働いているのか。
もし、誰かの意図だとしたら、私はひとまず感謝をしよう。
少なくても、この世界に生まれて大切な人たちを得ることができた。
その誰かによって、私や大切な人たちが傷つくならば、私はその誰かを許しはしない。
もちろん、私ができることなどささやかな抵抗にしかならないとしても、だ。
「とは言ったものの、そもそも何の理由も根拠もなく、ただボクの考え過ぎって可能性も高いな」
「あぅ……」
フェルが無責任なことをさらりと言い放つ。
いや、フェルは責任を負う必要なんかこれっぽっちもないんだけど。
私が決意を新たにしたところで、いきなり水を差された気分だ。
熱血しそうになってた自分がちょっと恥ずかしい。
でも、私の想いは揺らぐことはない。
世界を救う勇者になるつもりも、目の届く範囲全ての人を救う聖者になるつもりもない。
ただ、手の届く触れる範囲で大切な人を大事したいだけのこと。
「さて、今日はそろそろ帰るとするよ」
「そうか。それじゃあ、また月のきれいな晩に」
「ああ、月が綺麗な夜にね」
残っていたお茶を飲み干して、席を立つ。
「フェル、ありがとう……」
「ん? どういたしまして?」
突然の私の感謝に、フェルは、意図が分からずともその言葉を受け取ってくれる。
私はフェルへの気持ちが高ぶって、ただ「ありがとう」とだけ言葉を紡いでいた。
というか、私も何に対しての感謝だったのか、うまく説明はできない。
色々な思いを含んだ複雑で素直な「ありがとう」だった。