花の香りを君たちに
お父様たちとペルナちゃんたちの相談をした翌日。
私はまず『青き狼商会』に立ち寄りシズマさんと話をして、その足で例の売れない串焼き屋に向かいトルバさん(という名前であることをさっき知った)と明日の昼過ぎに待ち合わせる約束を取り付けた。
そして、屋敷に戻る途中で、気になる看板を見つけた。
看板は台形の白い木板に花とガラス瓶の絵が描かれていて、良い意味で崩された文字で『ルララルラ調香店』と書かれている。
ラシク国では、まだ義務教育などはなく、文字が読めない人が少なくない。
王都の住民には、地方の農村と比べて文字が読める人の割合が高いらしいが、それでも文字を覚えておらず読めない人が多い。
そのため、お店や施設の看板には工夫がされていた。
まず、ギルドごとに基本となる看板の形が推奨されている。
商人ギルドならば金貨を表す「円形」、職人ギルドは作業台を表す「台形」、学者ギルドは調和を表す「正六角形」、冒険者ギルドは武勇を意味する「菱形」だ。
王国関係の施設などはシンプルに「長方形」の看板が使われている。
罪人ギルドのことはよくわからないので置いておく、そもそも看板を出すような施設があるとは思えないけど。
それから、看板にはそれぞれの店名だけではなく、扱っている商品などの絵が描かれる。前世で言うところのロゴマークみたいな扱いだ。貴族家が持つ家紋よりも略された絵柄が多い。
例えば、ザムさんのお店は、台形の木板に店名の「ザムの細工店」と落書きみたいな指輪(腕輪?)と細工道具のノミが描かれている。
『青き狼商会』では、円形の金属板に「青き狼」という店名と狼の牙と金貨袋をモチーフとした看板を店の入り口の上に掲げている。金貨袋は、総合的にいろいろなものを売買している店という意味だ。
武器に関して言えば、直接製造をするなら職人ギルドの台形、販売のみなら商人ギルドの円形か、冒険者ギルドが運営している武器屋を探す場合は、菱形の看板に剣や槍、盾や鎧などが描かれた看板を探すようだ。
また露店の場合は、店と違い看板を下げる店は少なく、大体の露店は布で作ったのぼりや垂れ幕を看板の代わりにしている。
串焼き屋の屋台の場合、「○串焼き」と串焼きの絵が描かれたのぼりが掲げられている。
一番上の「○」は、商人ギルド、この場合は料理人としてギルドに所属しているというアピールであり、信用の目安になる。
もちろん、ギルドに所属していない場合は、それらのマークを乗せることはできない。所属していないのにも関わらず、不正にマークを利用していた場合は該当の組織から罰則金などを請求される。
「ん〜〜、迷ったときは、進んでみる!」
調香ってことなので、香水とかの店かなと思った。
そして、その予想はあたっていたらしく、扉を押して店内に入った途端、花のような甘い香りに包まれる。
「いらっしゃいませ~。お坊ちゃま、何をお探しでしょうか~?」
間延びした口調の店員の女性が、近寄ってきた。
なんとなく、性別がバレなかったことにホッとする。
濡れるようなオレンジ色の長い髪とパッチリとした髪と同じ色をした眼、さらに耳の辺りに熱帯魚のような美しい黄色のヒレを持ったマーマンの女性だ。
実は、マーマンはもともと海辺の民だったのだが、水運に強かったことから、今では商人になる人が多いらしい。
「女性へのプレゼントでしょうか~? 気になるあの人へ、な~んて~」
ニコニコと私の接客を始める女性の店員。
なんだろう、お母様と仲良くなれそうな感じがするよ、この人。
「えっと、通りを歩いていて、ちょっと看板が目についたのでなんのお店かな? って」
「冷やかしですか~?」
「……気に入ったものがあれば買って帰るよ。ここは香水のお店?」
「はい~。香水を中心として、ポプリや洗髪料なんかも扱っていますよ~。丁度新作の香水ができたところだったのです~。よかったら嗅いでみてくださ〜い」
そう言うと女性の店員は、青と緑のガラス瓶を二本取り出して、私に手渡した。
せっかくなので、瓶の口に鼻を近づけて嗅いでみる。
青の瓶の方は、サッパリとした感じで、爽やかな石鹸みたいな香りがする。
緑の瓶の方は、野草っぽい感じで、ウェステッド村にいた頃に摘んだ小さな花のような匂いがした。
「青い方は清潔感のある爽やかな香りだね。緑の方は野生の花に近いような感じがする」
「ふふふ~。青い方は『星空の風』という名前で大人の女性をイメージしています~。逆に緑の方は『新緑の春花』という名前で少女をイメージしたものです~」
値段を聞くと、それほど高いものでもなかったので、両方とも買うことにした。
せっかくだから、他にも何種類か買って、みんなへのお土産にしよう。
屋敷に戻って一度私室で着替えてから、ペルナちゃんとポルナちゃんの部屋へと向かった。
「ユリアだけど、ペルナちゃんかポルナちゃんはいるかな?」
「あ、お待ちくださって!」
ノックをしてそう呼びかけると、ポルナちゃんのおかしな返答があり、扉が中から開いた。
昨日よりもずっと綺麗な服を着たポルナちゃんが出てきた。あ、これ多分、私のお古だ。
「ええと、ユリア様、何かおありございましたか?」
「ふ、ふふっ。昨日も言ったけど、無理にかしこまらなくていいよ」
「ええ、でも、アイラさんから言葉遣いを直したほうがいいって……」
「まぁね。今すぐ無理な敬語を使ったりするより、最初は丁寧にしゃべることを心がけるだけで十分だよ」
「わかった、いえ、わかりました。これでいいのか?」
「そうそう、それでいいんだよ」
そこは「いいんですか?」じゃない? と突っ込めたけど、今は本人が変わろうとしている気持ちを大事にして、褒める。
まぁ、私としてはタメ口であっても、気にしないけど。使用人さんたちの目もあるし、本人が気にしているところがあるからね。
「とりあえず、立ち話もなんだから、中に入って良いかな?」
「大丈夫、です」
部屋の中に入ると、ポルナちゃんと同じく綺麗な服を着たペルナちゃんがペコリと出迎えてくれた。
「えっと、ユリア様、こんにちわ……」
「ペルナちゃん、今日はずいぶんと可愛らしい格好だね。もちろんポルナちゃんも」
「あり、ありがとうござい……ます……」
「え、えへへ……」
私の褒め言葉に二人とも顔を赤くして照れる。その様子もとっても可愛い。
「その……奥様が、用意してくれたんです。わたしはわからないけど、きれいなお洋服だって。ポルナちゃんが一生懸命説明してくれて、それに……みんなもすごく可愛い服だって言ってくれてて……ありがとうございます」
ペルナちゃんがふわりとした笑顔で、お辞儀をしてくれる。
「ユリア様、この屋敷につれてきてくれて、ありがとう! ……みんなオレにもお姉ちゃんにも、すごく優しくしてくれて……」
ポルナちゃんの方に視線をずらすと、どこか誇らしげに、そして、感謝の言葉を返してきた。
「どういたしまして。あ、二人に渡したいものが合ってね」
「わたしに渡したいもの……?」
「うん、私からのプレゼント。はい、これ」
私は緑色の瓶を取り出して、ポルナちゃんに一本渡して、もう一本をペルナちゃんの両手にしっかりと持たせる。
ペルナちゃんは、そろそろと手探りで瓶を調べる。
「ガラスの……瓶ですか? あれ? ふたが、ついてる……?」
「そう、中には液体が入ってるから、こぼさないようにゆっくりと開いてね」
私の言葉にしたがって二人共恐る恐る慎重な手つきでゆっくりと瓶の蓋を取る。
「……わっ。お花の匂いがします。なんですか、これ!?」
「香水だけど、もらうのは初めて?」
「こ、香水ですか? え、あれ、わたしがもらっちゃっていいんですか、これ!?」
今更になってプレゼントの意味を理解したのか、慌てふためくペルナちゃんが可愛くて癒される。
元気っ子なリリアも可愛いけど、ペルナちゃんみたいなゆるふわも悪くない。
「いいも何もペルナちゃんたちのために買ってきたんだから、もらってくれないと私が困るな」
「あ、ありがとうございます! ああ、ふたしないと香りがもったいないです。香りが逃げないようにしっかりふたをして、開けないようにします!!」
ペルナちゃんがわたわたと瓶の蓋を閉める。
開けないようにって、いや、香水の使い方って知ってるのかな?
あ、そうか……香水なら匂いで楽しめると思ったけど、つけるとなると目が見えてないとやり難そうだ。失敗した。
「ん~。一度私に瓶を貸してもらえる?」
「あ、はい?」
「それと両手をちょっと前に出して、少しつけるけどいいかな?」
「え? えっと、いいですけど?」
なんかちょっと理解できてないっぽいけど、まぁ、いっか。
「ポルナちゃんも見ててね。香水は、化粧品の一種なんだよ。使い方は例えば、こうやって手首とかに数滴だけ垂らして……両手首を合わせて馴染ませる」
ペルナちゃんの手を取って、香水の瓶を傾けて中身を数滴、ペルナちゃんの右手首の内側に付ける。
香水の瓶を一旦机の上に置き、ペルナちゃんの手を取ってバッテンを作るように両手首の内側を重ね合わせ、きゅっと軽く押して匂いを皮膚に馴染ませる。
「はい、こんな感じかな?」
「……あ、ありがとうございます。わっ、わたしの手からお花の香りがします!」
両手を振り回しながら、驚きと喜びを表す仕草をする。
ペルナちゃんが手を振り回すと、手首につけられた香りが部屋に拡散していく。
「次から香水を垂らすのは、ポルナちゃんに頼んでね」
「あうぅ……すみません!」
「いや、別に謝るようなことじゃないからね?」
ん~? なんだろう、二人ともちょっとギクシャクしてない?
ペルナちゃんは、身体の向きをなんだか変な方を向けているし、ポルナはそんなペルナちゃんと私を見比べてる、みたいな。
どうしたんだろ?
「えーと……ああ、ポルナちゃん、この瓶はガラスだから割れないように注意して、どこか倒れたり落ちたりしないような場所にしまってね。布にくるんでチェストの引き出しに入れておくといいかも」
「わ、分かった!」
「こんな感じ」
私からペルナちゃんの瓶を、チェストの引き出しにタオルを敷いてからしまう。
こうしてしまっておけば、簡単に瓶が壊れたりしないだろう。
「ポルナちゃん、この後、手伝ってもらいたいことがあるんだけど、大丈夫かな?」
「もちろんだよ、ユリア様!」
「じゃあ、ペルナちゃん、来て早々で悪いけど、ポルナちゃんを借りていくね? また今度時間を作るから、そしたら色々なお話をしよう」
「は、はい、お待ちしています!」
ポルナちゃんを連れて、台所へと向かう。これから、彼女には料理を覚えてもらうつもりだった。
「ねぇ、ユリア様……」
「ん? ああ、なんの手伝いをしてもらうか話をしてなかったね」
一応、事前に説明しておいた方がいいか。
「いや、それも気になるけど、それより……ユリア様、姉ちゃんのこと幸せにしてください!」
「ぶっ! い、いきなり、何を言うの?」
「姉ちゃんは綺麗で可愛いから、そのユリア様ときっとお似合いだと思うんだ!」
え~と?
なんだろう、この「うちの娘をよろしく頼む」的な雰囲気は?
「ポルナちゃん、ちょっと落ち着こうか。私も落ち着くから」
「おれは落ち着いているです!」
落ちついているか?
「……それで、なんで私がペルナちゃんを幸せにするのかな? いや、もちろん、ペルナちゃんのことを不幸にしたいってわけじゃなくてね」
「だって……さっきのプレゼントはアレだろ? アイジンへのプレゼントだろ? 私にもくれたけど、その、お姉ちゃんだって悪い気はしてないみたいだったし……おれも……」
いや、色々と突っ込みどころがある!
ペルナちゃんが悪い気はしてないって、そりゃ香水を喜んでくれていただけだろうし。
「私はペルナちゃんに喜んでもらいたかっただけで、そんな気持ちは一切ないよ!」
「姉ちゃんじゃ不満なのか、ですか? 今はまだ小さいけど、おれもお姉ちゃんも、きっとすぐにオッパイも大きくなりますから!」
「不満があるとかじゃなくて~! そもそも私たちは女の子同士だから……」
「???」
あれ? これ、わかってない? アイジンやオッパイがどうのとか言っているのに。
この子ってば、すごく知識がいびつすぎないか……?
私は、ペルナちゃんたち姉妹には性教育の授業が必要そうだ、と心のなかでメモをした。