居住特区にて
「えーと、反応はこっち側ですね」
「やっぱり、こっち側か……着替えてきて正解だったよ」
スリにあった翌日、私はグイルさんを連れて、小袋に対する探知のルーン魔術の反応を頼りに王都を歩いていた。
探知のルーン魔術は、前夜のうちに問題なく使えることは確認しておいたが、今も問題なく小袋があるだろう方向をきちんと示してくれている。
徐々に大通りから離れ、周りの建物が汚く、辺りの雰囲気が王都の他の場所とかけ離れたものになってきていた。
事前に言い含められたとおり、十二番隊の詰め所にグイルさんを呼びに行った私をハンスさんと私服を着たグイルさんが待っていてくれた。
今のグイルさんは、動きやすそうな上着に厚手のズボン、身体の要所だけを守るような堅い皮の部分鎧を着けている。王都へ来る途中に旅行中に見た服装と一緒で、一見すると旅の護衛か傭兵のような感じだ。
私も詰め所に用意されていた格好に着替えている。安い布製の上着とズボンを着て、擦り切れ古いローブを被って、ハンスさん曰く、貴族っぽい髪と顔を隠した。
それと私もグイルさんも、腰に剣を吊り下げている。
ルーン魔術が示す方向に動いていた結果、荒れ果てた建物にたどり着いた。
「この建物の周りを一周してみたけど、反応はこの建物のちょうどあの辺りかな」
私はグイルさんに二階の一箇所を指さして、反応のある場所を示す。
「一見廃屋のようだが、人が住んでいる気配はあるね。もっともこの辺りは、似たような建物ばっかりだけど」
「そもそも、この辺りの建物の所有者って、どうなっているの?」
ふとした疑問が浮かんだので、グイルさんに訊いてみる。
「あ~、オレも詳しくは説明できないけど、簡単に言うとね。ここら辺は『居住特区』という名称で管理されているんだ。王国内の町や村に定住する場合は、場所と家の大きさに応じた住居税を払う必要があるんだ。けれど、『居住特区』に住む場合は、その税金を払わなくていい」
「でも、そうしたら、全員、その区画に住もうとするんじゃない?」
「そうだね。だけど、その税を払わない場合は、都市の居住者としての身元の保証がされない。そうなると仕事を探したり、公的な施設を使えなかったりというデメリットを受けることになる」
「なるほど。ん? それだと、都市に定住していない旅人とか行商人はどうなるの?」
「ギルドが身分を保証する形になるね。その上で、都市内の宿泊施設に泊まる場合は、そこで身元の保証はされるし、えーと、確か宿などに泊まる場合は……そうだ。宿の代金の中に逗留税ってのが含まれてて、それが居住税の代わりになる……はず」
ああ、そういえば、商売関係の法律の中に、宿屋の項目にそんな単語があったな。宿屋に対する税かと思っていたが、名目上は宿泊者が支払う税なのか。
「あ、もしかして、昨日ハンスさんが言っていた不定民というのは?」
「そういうこと。居住特区に住んでいる住所も戸籍も不定な人々……のことだね。正規な公称じゃなくて、俗称だけど、王都の住民にならだいたい通じるよ」
どこかやるせないような感じでグイルさんがこぼした。
「さて、相手のアジトは突き止めたけど、ケイン君。どうする?」
「そうだね。とりあえず、私は小袋を返してもらいたいだけだから、普通の態度で真正面から行きましょう。逃げたとしても、小袋を持っている以上、逃げ切れませんし」
忍び足などをせず、堂々とした足取りで私は廃屋の中に入っていく。
突入する前に魔術で調べたが、建物の中には人らしき反応は小袋の近くにある一つだけだった。
多分、例のスリの少年だろう。
建物の玄関から入り、階段を上がって、目的の部屋の前までサクサクと移動する。グイルさんは、私の後ろを警戒しつつ後を付いてきてくれた。
「ん?」
「どうかした?」
部屋の前でなにか空気が変わったような気がした。
それと、誰かが呼んでいるような?
「今、なにか違和感が、私を呼ぶ声が聞こえたような……」
「このあたりは、色々騒がしいからね」
確かに、遠くから喧嘩をするような声が聞こえたけど、そうじゃないな……なんか、こう切実に訴えるような声が聞こえたような……気のせいかな。
「とりあえず、入ってみる?」
「そうですね。一応、声はかけましょう。失礼、どなたかいますか?」
コンコンと扉を叩いて、比較的落ち着いた声で丁寧に呼びかける。
私の声に反応したのか、部屋の中で誰かが動いている音が聞こえた。
しかし、しばらく待ってみるが中からの反応は返ってこない。
「どなたもいらっしゃらないなら、中に入らせてもらいますが?」
再び扉を叩いて、そう声を上げると、
「あ、あの……ポルナちゃんのお友達ですか?」
今度は扉の向こうから少女の声が聞こえてきた。
…………さて、どうしよう?
まず、ポルナちゃんというのは、誰だろうか? もしかして、例のスリの少年の名前だろうか?
「私は、ポルナ君とは友達というか、お仕事の知り合いだよ。昨日の件で、少し話したいことがあってね」
さも以前から彼の名前を知っていましたよ、という雰囲気をにじませて曖昧に答えた。
「……お仕事先の方ですか?」
「ん、まぁ、仕事先で知り合ったという感じ、かな? 今、ポルナ君は?」
「今日は朝からお買い物に行ってて、多分、お昼になるまで帰ってきません……その、えっと……」
扉の向こうで、何かためらっているような感じがした。
グイルさんが私に「どうする?」という視線を送ってきたので、軽く右手を広げて「少し待って」という合図を返す。
と、そこで少し扉が開いて、少女がその隙間からこちらを覗いてきた。
茶色の長い髪と美しい緑の目をしており、歳は私と同い年か少し年上に見える。グイルさんが見たスリの少年と容姿が部分的に一致する。多分、肉親だろうか? 姉か妹かな?
ただ、その瞳を私とは合わせようとしない。
「お初にお目にかかります、お嬢様。どうぞ、私のことはケイン、連れはグイルと呼んでください」
「よろしく」
私の挨拶に合わせ、廃屋に入ってきて初めてグイルさんが声を出す。
そこで初めて私の横に立っているグイルさんの存在に気づいたのか、少女の方がビクリと少し震えた。
「安心してください。私たちは別に貴女とポルナ君を害するつもりはありません。お嬢様のお名前をお聞きしても?」
「ペルナです。……ケインさんとグイルさん? その、ポルナちゃんが帰ってくるまで、中で待っていますか?」
いくら相手が丁寧な物腰で接してきたとしても、無用心だなぁ……ペルナちゃんの行動に、思わず心配をしてしまう。いや、私が言うことじゃないけど。
まぁ、ポルナ君とやらとは、少々お話し合いがしたいし、ここは遠慮なく中で待たせてもらおう。
そして、扉を開けて、その姿を見せたペルナちゃんは、特徴的なのは細長い耳をもっている。どうやら、種族としてはエルフのようだ。
服や顔は少々薄汚れているが、なかなかに愛らしい容姿をしている。磨けばうちのリリアに負けないくらいの美少女になりそうだね。
「どうぞ……」
「お邪魔します」
「失礼します」
グイルさんと一緒に部屋の中に入る。
部屋の外に比べて、中はいくらか整っており、人の住んでいる生活感があった。ペルナちゃんとポルナ君、その両親が暮らしているのだろうか? それにしては、ちょっと物が足りないような気がする。
「え、ええっと、そ、その辺りにお腰をお掛けください。あの、お飲み物はいかがですか? その、水しかありませんけど……」
「お構いなく……あと、無理に改まった口調じゃなくてもいいですよ。そうだ、グイルさん、しばらく待つみたいですし、飲み物を買ってきてくれません?」
「ん、了解」
私は財布から小銀貨を取り出して渡そうとしたが、「それくらいオレが出すよ」と、断られてしまった。グイルさんが出て行くと、部屋の中には私とペルナちゃんが残る。
お互いテーブルを挟んで向かい合わせに座っているのだが、先ほどから、ペルナちゃんが私の方を向いては、何かを言いかけようとして、再び顔を背ける。
「あの、ちょっと聞いていいかな?」
「は、はいっ!」
「ペルナちゃん、と呼ばせてもらうね。ペルナちゃんとポルナ君以外に、ここに住んでいるのは? ご両親もお仕事かな?」
「ポルナちゃんとわたしの二人だけ……です。その親は……いません」
やばっ、地雷を踏んじゃったかも。
「ごめんね。悪いことを聞いちゃったかな」
「ううん、いいんです。あの、わたしからも訊いていいですか?」
「いいよ、何かな?」
「ポルナちゃんは、どんな仕事をしているんですか? 何か危ない仕事をしていませんか? 本当なら、姉であるわたしがポルナちゃんの面倒を見てあげないといけないのに、その、わたしがこんなだから……」
ペルナちゃんが、自分の力足らずを悔やむような、ポルナ君を心配しつつ悲しむような表情を浮かべる。
……そう言う彼女の目は、光を映していなかった。
参ったな……というのが、正直な感想だ。
例えて言うなら、学校の帰り道に、たまたま通った公園でダンボールに入った子猫を見つけてしまった時と同じ気分だ。
無認可の愛玩動物類の放棄は条例に引っかかるから面倒だ、とか、そういう方向ではなく。おもに感情的な面で。
科学技術が進歩し文明が発展した前世の世界でも、人から情というものが無くなることはなかった。
感情操作なんていうのは、漫画や映画だけの話であって、日々を平和に暮らしている人間ならば「公園で見つけた子猫に情が移る」ことだってありえる。
結局、施設に連れて帰って皆で里親を探して、無事に新婚の若い夫婦にもらわれていくことになった……あの子猫は元気に育っただろうか。
「あの、ケインさん?」
「え?」
「急に静かになりましたけど、その、やっぱり……ポルナちゃんが危険な仕事を……」
「ああ、ごめんね。その、ちょっと、考え込んでしまいました」
うっかり前世の思い出に没頭してしまった。
ペルナちゃんは、私の沈黙を悪い意味で受け取ったらしく、ものすごく悲しそうな顔をしている。
「ポルナ君の仕事ですが……実は、私のほうも詳しくは知らないのですよ。
その、昨日初めて、彼の仕事場で会ったばかりなので」
できるだけ嘘にならない言葉で、質問をはぐらかす。
ここで「弟さんはスリをしています」とか、物事をキッパリ言えない日本人の心は、まだ私の中に元気に生き残っていた。
「そう、ですか……すみません、変なことを訊いてしまって」
「いえ、私の方こそ、ごめんなさい」
その謝罪に二重の意味を込める。
一つはポルナ君のことをよく知らないこと、もう一つは彼女の目のことだ。
ルーン魔術を使えば、ペルナちゃんの目は、治療することができるかもしれない。
けれど、その治療を施すことを、私は即断できないでいる。
寝ていれば治るただの怪我や病気ならば、何も感じずに放っておけた。
家族が失明したならば、私は迷わずにルーン魔術を使っただろう。
けれど、ペルナちゃんは違う。今さっき知り合ったばかりの友達ですらない。
第一印象としては悪くはないし、少し話しただけでも彼女のことはかなり気に入っている。
もし、私が彼女の治療をしたとしよう。彼女は、そのことを感謝するだろう。秘密にしてくれと頼めば、秘密にしてくれるかもしれない。
ただ、私は今後、彼女と同じような少女を見かけるたびに同じことができるのか? と考えるとためらってしまうのだ。
いずれも、IFが付く想像上の話になるが。
そもそも……私がここにきたのは、お母様が作ってくれた小袋を取り戻しにきただけのはずだったのに……。
「あの、また私から訊いていいかな?」
「はい……なんでしょう?」
「昨日さ、ポルナ君が小さな布の袋を持って帰ってこなかった?」
「あ、はい! お土産にって、わたしは分からないのですが、とってもキレイな色の袋だよって、教えてくれました。それがどうかしましたか?」
…………諦めるか。グイルさんが帰ってきたら、小袋のことは忘れて今日は帰ろう。
こうね、見た目は年下なエルフの美少女(幼女?)が、ちょっと大人びた雰囲気を漂わせながら、男(ただし弟)からのプレゼントに、照れくさそうな笑みを浮かべている。
そこに「その小袋は私のもので返してください」と、迫れるほど空気が読めない私じゃありません。
と、私が色々と決心をした時、部屋の扉が開いて、
「姉ちゃん、ただいまー……あれ? お客さん?」
「おかえりなさい。ポルナちゃんのお知り合いが来て待っているの」
「……昨日はどうも」
内心で小さくため息をついて、椅子から立ってポルナ君に軽く会釈をした。
「えっ……?」
私が昨日の仕事相手だったことに気づいたのか、ポルナ君の顔に動揺が走った。
どうやら記憶力は悪くないようだ……タイミングは最高に悪いが。