ザムさんへの依頼
シズマさんが手配してくれた青き狼商会の店員さんの背中を追いかけて、馬車通りを進み、途中で細い路地へと入る。
そこから二回ほど曲がり、三回目に曲がった場所に、愛想がない太い文字で『細工屋ザム』と書かれた立て看板を掲げた店があった。
確かに口頭で説明されただけでは、この店には到着できなかっただろう。
「失礼しまーす。ザムさんいらっしゃいますかー? 青き狼商会の者ですがー」
「なんじゃー?」
店員さんのノックと呼びかけに応じて、店の戸が開き、中から私よりも背が低い男性がひょっこりと顔を出してきた。
「すまんが、今日は、何かの納品の期日だったか?」
胸まで届くモジャモジャのひげ、低身長でずんぐりむっくりとした体格で、歳は五十前後くらいだろうか。
その厳しい姿に反して、口調はフランクなものだった。
この人が、ここの店主であるザムさんかな。
「いえ、商品の催促ではありません。今日はうちの副会長から、重要なお客様をザムさんの店まで案内するように申し付かってきまして……ええと、ケイン様、こちらが細工師のザムさんです」
「初めましてケインと申します」
「ザムだ。シズマ坊っちゃんの紹介か、ふぅむ?」
一切の遠慮なく、私の足の先から頭の天辺までをジロジロと眺めてくる。その視線には、何かを不思議がるようなものが混じっていた。
「それでは、私はここで失礼します」
「あ、はい、ありがとうございました。シズマさんにもよろしく言っておいてください」
私とザムさんの挨拶が終わり、顔合わせが済んだのを見届けて、店員の人は店に戻っていった。
「まぁ、外で立ち話もなんじゃし、中に入っとくれ」
ザムさんの招きに応じて、店内に入ると、中は店というよりも作業場にテーブルと椅子が置いてあると表現した方が正しい雰囲気だった。
部屋の中央にはドーンと大きいが高さのない作業台が置かれており、その上には細工に使う道具、素材らしき金属や鉱石類が転がっている。
「えーと、ここはお店……なんですか? なんか工房みたいに見えるんですが」
「うむ、ワシの作業室兼お店だから間違いではないの。作業に集中したい時は、看板を店の中にしまっとる。看板が外に置いてある時は店としても営業中じゃ、誰でも勝手に入ってきてもらっても構わん。外から呼びかけてくるやつも多いがな」
「へ~……」
壁際にはたくさんの引出しがついたタンスがずらりと並んでいる。その一部が棚になっており、そこには素材ではなく、完成している装飾品が並べてあった。商品か見本なのだろう。
見事な細工が施された指輪や腕輪といった基本的な装飾類、私の手のひらに乗るくらいの動植物を象った置物のようなものなどがある。
とくに私の目を引いたのは、一番右端に置かれた少女の像だ。多分、花の精霊をモチーフにした銀細工で、いくつかの小さな宝石で飾られている。金属とは思えない柔らかさがあり、とても繊細な作品だった。
室内に物が溢れていると乱雑な印象を受けるが、どうやら一定の整頓がされているのか、不快さよりも好奇心を刺激される。例えるなら、おもちゃ箱のような部屋だった。
店内に入ってから、そこはかとなく不思議なプレッシャーを感じていた。それは決して不愉快なものではなく、神社や寺院の境内のような神妙な場に入り込んだ時に感じるのと同じものだ。
何となくだけど、お父様の書斎の空気にも似ている?
……ああ、そうか、これはきっと仕事場の空気かな。
作業台の上に置かれた道具はどれも「ただ古い」というより「使い込まれた」という言葉がしっくり合う。部屋を見れば、その人となりが分かるというが、ザムさんは実直な職人のようだ。
「ま、普通の買い物客なんぞは、滅多に来んしの。大体どこかの店の下請けか、以前から懇意にしとる常連が来るくらいかの。あとは、嬢ちゃんみたいに誰かの紹介じゃな」
ザムさんは偏屈そうな見た目をしているが、むしろ逆にかなり柔軟な性格をしているようだ。
ドワーフとポックルの年齢は、見た目からは分からないと本に書いてあったが、まさにその通りだった。目の前にいるザムさんは、第一印象は五十歳くらいに見えたが、その言動からするともう一回りくらい若いのかもしれない。
もっとも、異種族の人から見れば、人間の方が見た目から、年齢がわからないらしいが。
ラシク王国では異種族間の婚姻も認められているため、見た目は親子ほど離れて見える夫婦であっても、じつは親に見える側の方が若い、なんてこともある。
「嬢ちゃん、良かったらこっちに座ってお茶飲みながら、話をせんか?」
「え? あ、はい、いただきます」
部屋の様子に見蕩れていた間に、お茶を淹れてくれていたらしい。
私は、ひとまず椅子に座ってお茶のコップを受け取った。
「うっ……このお茶ってラルシャの葉が入ってますか?」
「ほう、よく分かったの?」
「この独特の香りはすぐに分かります……」
ラルシャの葉は煎じると生に比べれば格段に苦味が減るが、元々の苦味がものすごいため、少し混ぜるだけでも薬みたいな味になる。肉の臭み消ししたり、味の濃い料理に薬味に使ったりする分にはすごく便利なのだが。
だが、このお茶からはラルシャの葉の香りが強烈にするんだけど……。
「身体に良いんじゃ。ほら、飲んで飲んで」
「うう~……ごく、っん……苦っ!? 甘っ!?」
なにこれ、苦くて甘いんですけど。
苦いのは覚悟していたけど、予想外の甘さに吹き出しそうになったのを慌てて飲み込んだ。
どっきり? いたずら? 嫌がらせ?
……かと思ったら、ザムさんは普通に飲んでるし……。
「なんでこんなに甘いんですか、これ?」
「うむ。そのままだと苦いからの、ハチミツと砂糖をたっぷり入れとる」
ドワーフって人間種と味覚が違うの? それとも、ザムさんが変なだけ? そこはかとなく後者な気がする。
「すみません、お水をもらえませんか?」
「ほい、どうぞ。
嬢ちゃんも苦手かの。なんで皆飲めないんじゃろ。こんなに美味いのに……」
……いやさ、お水がすでに用意してあるのって、どうよ? ザムさんはこの特製茶によって数多く犠牲者を出してきたに違いない、絶対。
「それで、嬢ちゃんが欲しいのは何じゃ? 指輪? 腕輪? それとも髪飾りかの?」
って、あれ?
「ん? 何か不思議そうな顔をしとるが、どうした?」
「えっと、なんで私が嬢ちゃんだと?」
さっきからずっと「嬢ちゃん」と呼ばれていなかったか?
あまりに自然だったからスルーしてたな。
「ああ、そんな男っぽい服装をしておろうが、変なまやかしを使っとろうが、見るもんが見れば、分かるもんじゃ」
「そうですか……ザムさんて、加護持ちなんですか?」
「ふむ? なんでじゃ? そんなもの持っとらんが?」
質問の意味が分からない、というキョトンとした顔をされてしまった。
魔術でも誤魔化しているとは言え、通じない人には通じないのかな。
フェルに続いて、ザムさんもか。
バレてばっかりだな、私の変装。いや、まぁ、まだ二人だけとも言えるけど。
何事も過信しすぎは良くないってことか。
「それで、作ってもらいたいものですが、眼鏡を作って欲しいんです」
「眼鏡? 嬢ちゃんは、目が悪いのかの?」
そう、この世界は、高価だがレンズがあるんだよね。おもに望遠鏡、観劇に使う手持ちの双眼鏡、老眼や細かい作業の補助具としても使われている。
「そうじゃなくて、えーと、伊達眼鏡って分かりますか?」
「ふむ……? 伊達眼鏡というのがよくわからんの」
「伊達眼鏡というのは、レンズの部分が歪曲してない平らな眼鏡のことです。それとレンズはガラスではなく、薄く削った軟水晶を、はめて欲しいんです」
「ガラスを使わずに軟水晶を使う理由ってあるのかの?」
私の注文に鋭い目つきで、今度はザムさんの方から質問をしてきた。
「伊達眼鏡なら、レンズのように精密な曲面が必要ではないので軟水晶でも十分ですし、その分ガラスを使うよりずっと軽い眼鏡が作れるからです。
あと軟水晶は、魔力との親和性が高いので、そこも重要なんです」
「ふ~む。パッと聞いた感じだと、普通のレンズを使うよりは安上がりじゃが、それなりの金額が掛かりそうだの。嬢ちゃん、払えるかの?」
ザムさんがちょっと考えて、私の顔を見ながら悩ましげに提案をしてきた。
私の年齢的に、親にお金を出してもらうと予想しているのだろう。子供の玩具としては、高い値段だと言っているのだ。
「ええと、いくらくらいになりますか?」
「実際に材料を集めてみないと分からんが、軟水晶をレンズ代わりにするとして……最低でも一〇万シリルから、予想だと一五万シリルは必要かの?」
うん、前世の感覚で言えば十倍以上の値段だ。けど、この世界はまだまだ、もの作りは手作業だし、技術料的なものを含めて言えば、悪くないと思う。
それに、手持ちの財布から払えなくもない。
「分かりました、ひとまず二十万シリルをお渡ししますから、お願いします」
「ほお」
小金貨を二枚取り出して、机の上、お茶のカップの横に置いた。
ザムさんに、私の本気が伝わったのか、目つきが少し変わる。うん、いいね。
用意してきた模型が無駄にならなそうだ。
針金とルーン魔術を使って前世の眼鏡に近い形のものを作ってきた。いや、最初は自前で作ろうと色々試したのだ、けれど、眼鏡っぽい何かしか作れなかったのだ。
結局、専門家に依頼をするのが一番だとなった。
「それと眼鏡のカタチに関して、こんな感じで作れますか?」
失敗作とはいえ、色々やりたいことが詰まっているので、説明するときに便利だろうと思って持ってきた。
「ここが折り曲がってしまえる感じで、鼻当ての部分をこんな感じにして……ここには緩衝材として、肌当たりの良い素材を固く固めたものをつけて……」
「ほう……ふむ……」
別に特別な仕組みではなく、鼻当ての部分に樹脂みたいなものを使ってもらい、耳に掛けて鼻当てで支えるタイプの眼鏡の構造を提案しているだけだ。
「なかなか面白い。別に突飛な発想っていうわけじゃないが、この模型は、眼鏡の仕組みとして上手くできとる」
「それで? いつぐらいにできあがりますか?」
「今から作業を始めれば、明日の今ぐらいには試作品ができそうじゃな。また明日来てもらって良いかの? それと、この模型は預かってもよいか?」
「それは大丈夫ですけど……そんなにすぐできるのですか?」
あれ、そんなにすぐできるものなの? これがプロと素人の違い?
「むふっ、この依頼に関しては、最優先で仕事するぞ。久々に面白いものが作れそうじゃ」
「あ、ありがとうございます」
なんか、ザムさんの職人魂に火がついたようだ。今すぐにでも、作業をしたそうなソワソワが伝わってくる。
「それじゃあ、悪いが、今日はもうお店を閉めるぞ。また明日の」
そう宣言するが早いか、ザムさんは、眼鏡の模型を作業台の上に置くと、店の外に出て看板を持って戻ってきた。そして、すぐさま作業台に向かって何やらごそごそと作業をし始める。
その様子を見ていたが、ものすごく作業に熱中しているらしく、ぶつぶつと素材の名前やら技法やら私のわからない独り言を言っている。私の方はひと目も見ない。
「……お邪魔しました〜〜」
一声かけるがこちらに気づいた素振りすらしなかった。そのまま、ザムさんの店から、こっそり外へ出た。