バーレンシア家の人々
使用人のお姉さんに連れられ、洗顔を終わらせてから食堂に到着する。
朝食の用意がされたテーブルには、いつも通りに一組の男女が席について、オレが来るのを待っていた。
「おはよう、ユリア」
「ユリィちゃん、おはよう」
「おはようございます。お父さま、お母さま」
ユリア・バーレンシア。それがオレの新しい名前だ。
端正な顔に柔らかい笑みを浮かべて、最初に挨拶をしてきた男性のほうが、ケイン・ウェステッド・バーレンシア。この世界でのオレの父親。
オレの淡いシルバーブロンドと青い瞳は彼譲りなのだろう。オレと同じ淡いシルバーブロンドにキリッとした青い瞳が似合う、甘いマスクの爽やか系イケメンである。
年は二十四歳、働き盛りの青年といったところだ。
隊長だとかご領主様と呼ばれているのを耳にしたので、どうもそれなりの地位があるらしい。
前に客人と思わしき男性から、玄関先で「ウェステッド殿」と呼ばれていた記憶が残っている。ウェステッドというのは単純なミドルネームではなく、爵位に関わる何らかの言葉なのかもしれない。
オレのことを愛称で呼んだ女性が、マリナ・バーレンシア。ふわっとした栗毛のロングに、クルミ色の瞳がおっとりとした雰囲気を醸し出している、
子供を産んだとは思えないほど若々しい。今年で二十歳になるらしいが、女子高生くらいにしか見えない母親だ。
つまりは、十六歳のときに父親とイイコトをしちゃって、十七歳でオレを出産した計算になる。前世の記憶があると相当に若い歳で子持ちとなったような気がするが、どうもこの世界の平均結婚年齢はだいぶ低いような気がする。
『グロリス・ワールド』でも、キャラクターに設定できる年齢の下限が十五歳で大人とされていた。その設定に従うと、この世界でも十五歳で社会的な成人と認められている可能性が高い。
大昔の日本でも、十代で成人とみなされた時代があったと義務教育で学んだのだから、そういうこともあるのだろう。
さて、そんな両親の愛の結晶であるオレだが、自分で言うのも何だが、かなりの美幼女だ。遺伝子がしっかりと仕事をした結果、二人の良い部分を引き継いでいる。
あと数年もすれば、立派な美少女にランクアップすること間違いなし。ナルシストっぽいが、自身の成長が楽しみだったりする。
オレは、母親の隣におかれた専用の小さな椅子によじ登るようにして座った。椅子を登っている最中に、両親から向けられる応援するような眼差しが少しくすぐったい。
椅子に座ると、使用人のお姉さんが、オレ用のコップにお茶を注いでくれる。
お姉さんの名前は、アイラさん。赤茶っぽい髪を後ろで一つまとめ、キツめの印象を受ける目をしたクールビューティーさんだ。
瞳の色は濃い茶色。外見年齢的には、母親より年上に見えるが、母親が幼い雰囲気の人であることを踏まえて、前世のオレと同い年かやや年下の十八歳くらいだろう。
この屋敷には通いで勤めていて、朝早くにやって来て、夕暮れの前に帰っていく。母親と二人で、屋敷内の家事を担っている。
ついでに、今は食堂にはいないがもう一人の使用人はロイズさんという名前の男性だ。
黒色の短髪に赤茶色の瞳をした四十代くらい。初老というには少し早いが、それなりに年齢を重ね、大人としての渋い風格を持っている人だ。
母親やアイラさんには向かない力仕事や庭仕事、馬の世話などを中心に担っている。時々、父親の書斎に呼ばれて、我が家の相談役のようなこともやっているようだ。
普段は、庭の片隅にある馬小屋の横にある、居住用の小屋で生活している。
「大地と水、太陽と風の恵みを、日々の糧として頂きますこと、精霊様に感謝いたします」
「感謝いたします」
「かんしゃいたします」
父親が精霊への祈りをささげ、母親とオレがそれに唱和して、感謝の言葉を続ける。これは、食事前に行なう挨拶だ。日本語で言うところの「いただきます」に近い。
『グロリス・ワールド』の設定では、この世界は神様や仏様ではなく、精霊様が一般的な信仰の対象になっている。いわゆる自然崇拝に近い宗教観である。
この世界の創世は、まず世界と共に一柱の神が誕生する。そして、神は最初に精霊王たちを創り、次に精霊王たちと協力して大地や海や森を創り、最後に人類の祖である〈古い民〉を創ったとされる。
その後、神は長い眠りにつき、神話で語られる創世が終わる。
つまり、今この世界を守護しているのは、神に世界を託された精霊王たちと、その各精霊王が自身の配下として生んだ精霊たちであると考えられている。
したがって、眠って動かない神様より、実際に見守ってくれている精霊に祈りを捧げるというのは、実に合理的な思考にもとづく信仰だろう。
「はむっ……もぐもぐ……」
朝食のメニューは、表面がパリパリとした硬い焼きたてのパン、ホワイトシチュー、三種類の野菜を炒めたもの、それと甘い味付けのオムレツだった。
屋敷での食事は、一日三食だ。朝は軽く、昼はもっと軽く、夜はしっかり食べるという形が基本となっている。昼はオヤツと言ったほうが正しいかもしれない。
「あむっ……もぐもぐ、ごっくん」
野菜炒めに入っていた緑色の野菜をまとめて口に入れ、噛み砕いて味わう前に、お茶で流し込んだ。
素材が新鮮なのと二人の料理の腕前がいいのだろう。毎日の食事は、どれも美味しかった。ただ、体が子供になってしまった影響か、甘味が強い料理がすごく好ましい。反面、苦味や刺激の強い食べ物は美味しくない。
食べ残したところで屋敷の人間は誰も怒ったりはしないと思うが、バランスの良い食生活の重要性は、前世の記憶でよく理解している。将来の美貌と健康のためと、我慢してでも食べるようにしている。
残念なことに、この体では、まだお酒は早いし、飲んだところで美味しさを感じることができないだろう。前世では、喫煙はしなかったが飲酒は大学に入学して覚えて、結構好きだったのだが。
食事中に、ワインを飲んでいる父親が、ちょっぴり羨ましい。
食事を終えて、勤めに行く父親を見送るため玄関ホールに移動していた。
オレの目の前で母親が、名残惜しそうに父親の体から離れる。
三分か……今日は普段より短かったか?
「それじゃあ、行ってきます」
「あなた、いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃい!」
この世界の常識は、絶賛調査中ではあるが、キスや相手の頭や背中を撫でる仕草が親愛の情を示しているところなどは、前世の世界と同じ部分が多い。
それを踏まえていうが、玄関ホールで毎朝三分以上かけてキスやらハグやらをするという、この二人の見送りの挨拶は、はたして当たり前の範囲なのだろうか? 多分、違うんだろうなぁ。
この世界の夫婦のサンプルが、両親だけなので答えは出ない……。
オレの新しい両親は、万年新婚夫婦という言葉がピッタリだった。両親の仲が円満なのは良いことで、そこに不満はない。デメリットは、見ている方のオレが羞恥で悶えてしまうことくらいだ。
ちなみに三分というのは、オレの感覚が基準だ。この時間感覚については、かなりの自信がある。
オレは「タイマーの画面を見ずに、一秒の狂いもなく十分を計れる」という特技を持っている。
『グロリス・ワールド』では、他人にかけた魔術の効果が適用時間を過ぎて、効果が切れたとしても、一見してではわからない。
そのため、使う魔術は必ず事前にテストして計って覚えておき、その時間が経過するごとに魔術の効果が途切れないように使い続ける必要がある。その結果身についた特技だ。
もっとも今の生活では、そこまで細かい時間を使うことはない。
時間といえば、この世界の一年は「地の季節、風の季節、水の季節、火の季節、森の季節、海の季節」の六つに分けられている。つまり、四季ならぬ六季となる。月齢で分けられることはない。
地の季節は、一年の始まりであり、前世の感覚で言えば大体一月から二月くらいにあたる。また一年でもっとも寒くなる季節で、四季で表すなら真冬になるだろう。逆に、火の季節が一年でもっとも気温が暑くなる季節で真夏に相当する。
『グロリス・ワールド』で得た知識になるが、この世界では『六』という数字が神聖視されて、特に好まれているらしい。
これは、神が最初に創った精霊王の数が六柱だったことに由来する。
一つの季節は十日を一巡りとする六巡り(六十日)で、一年は三百六十日となる計算だ。
それぞれ細かい日付が知りたいときは、オレが生まれた日は「水の季節三巡り目の二日」で、今日は「水の季節の四巡り目の八日」のように言っている。
さらに、一日は昼の六刻と夜の六刻に、大体の体感で分けられ、厳密な時間の区切りはない。オレの時間感覚では、一刻で大体二時間より少し短いくらいだと思う。前世の地球の一日と変わらないかもしれない。
待ち合わせに使うときは、「朝の一刻が二刻になるくらい」とか「三刻の昼ごはんを食べたあと」のように使われる。
そんな六進法が強い日時関係と違い、基本的な度量衡の単位は十進法が使われている。前世の記憶があるオレにとって、嬉しいことだ。
長さの単位は、イルチ、メルチ、キルテで、それぞれ、百倍になっている。一イルチが約一センチメートルほどだから、一キルテは百メートルほどになる。
重さはグラル、ガラル、ギロムで、こちらも百倍での単位になっている。一グラルが約十グラムほどだから、一ギロムは百キログラムほどになると思われる。
オレの今の身長を「九十五イルチ」、体重が「十五ガラル」と言っていたので、大まかにあっているだろう。
お金については、今までに使う機会がなかったため、単位も価値も分かっていない。
小さい子供がお小遣いを握りしめて、近くのコンビニまでお菓子を買いに行けるような世界ではないからだ。
……と、話を少し戻して。
オレが、この世界で知っている範囲は、この家の敷地と、裏の森に少し入ったところまでだ。
この家は、小高い丘の上に立っており、正面の坂道を下っていくと、家々が集まった集落があり、アイラさんの家もそこにあるらしい。その向こうには一面の麦畑が広がっている。
小高い丘の上といっても、十分な平地があり、家の敷地は広く、屋敷と呼ぶのにふさわしい大きさがある。
そんな屋敷の裏側にある森は、かなり広大な森になっており、何十日かけて歩いても反対側にたどり着くことができないのだそうだ。
屋敷は、ある意味で、森から村を守る位置に建っていると言えなくもない。
父親は、その眼下の村を含めた近隣のいくつかの村を治めているらしく、馬に乗って定期的に見て回っているようだ。
最近、麦の収穫が始まるとかで、帰宅が少し遅くなっている。
それでも外泊することなく、必ず帰ってきて、母親を抱きしめる愛妻家だ。本当にごちそうさまです。
裏の森には、屋敷からすぐの所を小川が流れている。
そこだけ簡単な囲いがあり、普段、母親やアイラさんが衣服の洗濯に使っている。洗濯機などはないから、もちろんすべて手洗いだ。飲み水や料理に使う水は、井戸から汲んだものを使っているので使い分けられているのだろう。
また、その小川は、暖かい季節なら、屋敷のみんなの水浴びにも使われている。
残念なことに、今の生活には「入浴」の習慣がない。多分、この世界の文化的にも入浴は珍しいのかもしれない。水浴びか、寒い季節ならば、沸かしたお湯で手ぬぐいなどを濡らして肌をふく程度だ。
お風呂が欲しい。オレは生まれ変わっても日本人の心は忘れていないのだ。いつか、自分で造るか、父親におねだりして造ってもらおうと企んでいる。
朝の父親への見送りが終わると、昼食までの時間は、リビングで母親を先生とした勉強会が始まる。
生徒はオレとアイラさんだ。
元々、アイラさんの奉公は行儀見習いのような意味を兼ねているらしく、屋敷の家事をこなしながら料理や裁縫を学んでいて、時間を作って、簡単な勉学や礼儀作法なども教わっているのだ。
最近は、母親がオレに本の読み聞かせをしている横で、アイラさんも一緒に勉強をする形になっている。今日は、刺繍を教わるようだ。
「さて、昨日はどこまで読んだかしら?」
「水の精霊王さまが、西の島で風の精霊王さまと出会ったところです」
「ということは、ここからかしら」
オレは母親の右隣にくっつくように座り、母親の膝の上に広げられた本を横から覗き込む。
オレの前世では、本の出版といえば、ほぼ電子媒体になっており、実際に印刷された本は趣味人のものになっていた。
けれど、この世界では逆に印刷技術が拙いことで、絵本は珍しく、一部の裕福な家庭が購入するようなものとなっている。
活版印刷の技術は確立されていて、ハンコのような文字が並び、版画で刷られた絵が添えられている。
母親は、そんな本の文字を、ゆっくりと一文字ずつ横を指でなぞりながら、声に出して、オレに言い聞かせることを意識して読み上げてくれる。
「一人でご本が読めるようになりたいです」
と、オレがおねだりして先日から始まった勉強だ。
おかげで、だいぶオレもこの世界の文字が読めるようになってきた。
目的は、文字を早期習得することで、父親の書斎にある本から、この世界の情報を集めることにある。
もちろん、前世では、それほど好きでもなかった勉強に対しての意欲が、この世界では高いこともある。
母親が読んでくれるのは、子供向けに簡単でかつ、基本的な言葉で書かれた、この世界の神話だった。
冒頭は世界が始まる創世記が書かれており、精霊王と呼ばれる超常者の、どこか人間くさい交流や失敗談を収録した逸話集となっている。
まず、母親が一文ずつ読んでは、それぞれ新しく出てきた単語やことわざのような言い回しの意味を教えてくれる。そうして物語のキリが良いところまで、母親が読み進める。
そのあとで絵本を受け取って、オレは読み直しながら文字を覚える。
その間に、母親はアイラさんの様子を見ながら、質問を受けたり、気づいたところを指導する。
アイラさんは、だいぶ、針の扱いに慣れてきたようで、質問をすることもなく時間いっぱい刺繍をしていることもある。
そして、読み直しが終わったところで、文字を覚えられたかどうか復習する。
「じゃあ、ユリィちゃん、最初の言葉は『月』ね」
「はい!」
母親が、今回読み進めた範囲から、いくつかの単語を選んで読み上げる。オレはそれを土板に書いて、きちんと覚えているかを確認するのだ。
ちなみに、土板というのは、高さのない枠をつけた薄い木箱に細かくしっとりとした土を敷き詰めたものだ。
細い棒を使って、土の上に文字を書くことができ、書いた文字はなぞって土を均すことで消せば、繰り返し使える。
紙はそれなりに生産されているらしいが、高価な本の材料になるか公的な文書に使われている。子供の勉強やちょっとしたメモに使えるようなものではないようだ。
その代わりに、土板なら自作することも簡単で、お金もほとんどかからない。オレが文字の勉強を始めた日に母親が用意してくれた。
基本的にユリアの能力が高いのか、覚えようと思ったことがすぐに覚えられるのが楽しい。
この世界の文字は、六個の親文字と五個の子文字と呼ばれる部位を組み合わせた三十個からできている。
その文字の読み方は、前後の並びによって、同じ文字でも複数の発音を持っている。感覚としては音読みと訓読みがある日本語の感じに近い。
例えば「よ」という文字があるとして、「しよう」なら「シヨウ」、「きよう」なら「キォウ」と発音する。「き」という文字の後ろにある場合と、「し」の後ろにある場合では、「よ」の文字の発音が変わるのだ。
文法としては、基本的に「主語」「述語」「修飾語」の順に並ぶ、どちらかといえば英語に近いだろう。
「形容詞」は必ず、それぞれの単語の後ろにつける決まりになっていて、キッチリとしたルールがあるので覚えやすくオレにとっても嬉しいルールになっている。
それから、尊敬語のような仕組みもあり、複数の単語がニュアンスの違いがあるが同じことを意味することもある。それらは、言葉の丁寧さの度合いで単語がわかれている。神話の絵本は、ほとんどがもっとも丁寧な言葉を使って書かれているため、言葉を学ぶための教材としては最適なのだそうだ。
母親が出す問題に、いくつかは正解し、いくつかの単語はわざとわからない振りをした。
大人の理解力を持っているオレならば、普通の子供よりも遥かに効率よく言葉を覚えていくことができる。が、それはあまりに異質で不自然なことではないだろうか?
なので、オレはちょっとした天才程度で済むくらいの点数だけを取ることにしている。人のいい母親たちを騙しているようで、ほんの少しだけ良心が咎める。もちろん、しょうがないことだと割り切っている。
もし、オレが転生をして、精神的には大人と同等であると知られたら、どうなるだろう?
三歳児が大人顔負けどころか、下手をすれば、この世界の文明以上の知識を持っているのだ。それは「すごさ」を通り越して、「おそれ」を招かないだろうか?
オレには「そんなことになる可能性はない」と断定できない。
拒絶されることが怖い。だから、オレは全力で子供の振りを続けている。
……この両親なら、案外、あっさりとオレの存在ごと認めてくれるかもしれない。というのは、今のところオレの願望でしかない。