フェルに貴族の考え方を相談する
お母様とロイズさんが食堂に戻ってきたところで、シズネさんに別れの挨拶を、二人に就寝の挨拶をして、自分の部屋に向かった。
そして、パジャマではなく、いつもの男物の服に着替え、ベッドに大きめのクッションを二つ並べて、手紙を置いて、その上から毛布をかぶせる。
本気で偽装をするつもりなら、ルーン魔術で幻影を作れば完璧なのだが、そこまでする気にはなれない。
手紙には、ちょっと外を散歩していることを書き置きしている。毛布をめくられてしまった時の保険だ。
客観的に見れば、ずいぶんと矛盾した行動だと思うが、これは私にとっての甘えなんだろう。
この夜遊びがバレて欲しいような、欲しくないような……構ってもらいたがる子供のようだ。
精神年齢だけを見れば、今年で三〇歳なんだけどなぁ、精神はどれくらい身体に依存するのだろうか。
飛行と姿隠しのルーン魔術を使い、フェルの屋敷へと飛ぶ。
わずか五分ほどで、いつものベランダに到着をした。
「やぁ、こんばんわ、フェル」
「こんばんわ、ユーリ」
私がテーブルに座ると、フェルは蓄光石のランプで読んでいた本を閉じる。
タイトルが一部しか読み取れなかったけど、魔術書っぽい雰囲気?
「なんの本を読んでたの?」
「ん、『魔術の行使と想像力』という実践書だな。呪文を詠唱するさいに、その呪文に対して明確なイメージを持つことが魔術の効果を増幅させるという内容だ」
「あー、あの本か。フェルは、どう思った?」
「文章は分かりやすく読みやすいが、実証例として『二十人中十三人の魔術師に効果があった』とあったけど、それだと偶然と言える範囲じゃないか?
半分まで読んだが、実際に自分で試して見ないことには何とも言えないな。
その様子だとユーリも読んだことがあるんだろう? 魔術師としての意見は?」
「あー、んー……私の場合はちょっと特殊だからね。ただ、その本に書かれていることは、結果としては間違えていないと思うよ」
「ふむ、相変わらずユーリは得体が知れないな。そこが楽しいのだが」
「それって、褒めてるの? からかってるの?」
相変わらず、よくわからない感性だ。
思わず、ジト目になって追求してしまった。
「もちろん褒めているに決まっている」
まじめ顔でそう言い返されると、とくに反論もできないけど……。
「ところでさ、フェルって結婚ってどう思う?」
「また唐突な話題だな。なんだ、好きな娘でもできたのか?」
「違うから! 二重の意味で違うからね! 別に好きな人ができたわけでもない。
あととりあえず、私は女の子だって、何回言えばいいのかな!?」
そして、なぜかフェルは、私のことを女の子だと認めてくれない。いや、胸はまだまだ膨らんでないし、髪を短くした男の子っぽいところはあるけど、よくみれば声も姿も美少女だろうに。
と、自身にちょっとナルシストな感想を抱く。
「言われたのは、まだ二回目だな……ちょ、待てっ、おもむろに服を脱ごうとするな!
女の子だと言うなら、はしたないだろうがっ!!」
「ふっ、女には引けないときがあるのさ」
ここで女の子と認められないと負けたような気がするんだよね。
明確な理由は、とくにないけど。
「……で、まぁ、結婚の話だったな。ボクとしては協定の手段っていうところじゃないか?
とくに貴族の結婚なんて、おもに家と家の繋がりの強化が目的と言ってもいいだろうしな。
例外としては、恋愛感情と呼ばれる一種の精神的依存関係による結婚もあるみたいだけど……」
「ナチュラルにスルーしたか、まぁ、いいけど……
しかし、フェルは結婚とかできそうにないよね」
フェルの場合、女性嫌いというか、ほとんど人間嫌いの域だもんな。
まして結婚なんて、三階建てのビルから紐なしでバンジージャンプして怪我もせずに着地するくらいの難易度じゃないか?
人は、それをただの飛び降りって言うけど。
「そんなことはないぞ? これでも婚約者がいるからな。もちろん、親同士の契約みたいなもんだが」
「あ~、そうなんだ。相手はどんな子なの? もう二人で愛を語り合っちゃったり?」
「ふむ。侯爵家の末娘で前の季節で三歳になったはずだな。まだ一度しか会ったことはないが、ろくに言葉も喋れないのに愛は語れないだろう?」
家同士のつながりだけを見た場合の、婚約ならそういう可能性もあるのか。
しかし、末娘とはいえ侯爵の娘とはなかなか身分差のある夫婦になりそうだ。
しかし、七歳差か。
「フェルが十五歳のときに相手は八歳、ちょっと犯罪臭いな」
「ユーリ、ボクにかなり失礼な想像をしてるだろう?」
「紫の上計画だね。がんばれ、私もフェルの人間嫌い改善には協力するから!」
源氏物語は、文章を現代語に意訳され、短く編集されたやつを読んだことがある。
マザコンをこじらせて、ロリコンの代表みたいになっちゃったイケメンの話、と高校時代の国語教師が暴論を放ってくれたおかげで、興味を持って読んでみたんだよね。
当時の感想としては、人間の恋愛感情というのは千年経っても大して変わらないものなんだなと思った。複雑で魅力的で、どこかシンプルでありながら、ややこしい感じ。
「そのムラサキノウエ計画とやらは、よく分からないのだが……」
そりゃそうだ、この世界の話じゃないから。
「ん? 小さい女の子を捕まえて自分好みの女性にしちゃうよ計画、みたいな?」
「…………」
「…………」
「…………」
「ごめん、謝るから、笑顔のまま無言で見つめるのは止めてくれる?」
「わかればいい」
いや、怖いんだよ。表情は笑顔なのに、目が一切笑ってないのって……十歳児にできる顔じゃない。
「それで、いきなり結婚だなんて、どうしたんだ?」
「ん~、あ~……」
お父様の両親の話をフェルにするかどうかを悩む。
フェルは私の素性を知らないけど、私はフェルの本名や立場をシズネさんから聞いている。
話したところで、私の素性がバレるとは思わないし、フェルにならバレても問題はないと思うんだ。
出会ったばかりの相手を何でそこまで信頼しているのかと問われても、上手く言葉にはできないけど。
あ、そうか……私がフェルを気にしている原因のひとつがわかったような気がする。
前世の私が育った施設にも、フェルのような子たちがいた。
小さくして大人になることを選ばざるを得なかったような、そんな子たちだ。
だから、私はフェルのことが気になっていたのだろう。
いわゆる――昔の自分を見ているようで、ってヤツだ。
すごくしっくり来た。が、ひとまずこの思いは横においておこう。
こっちは気軽に話せる内容でもないし。
さて、フェルは結婚について小難しい言葉を並べていたが、結局のところ、仕事の契約と同じような感覚なのだろうか? それが貴族らしいってことなのか?
なんというか、理屈としては分からなくないけど。
「話してみろ。力になれそうなら力を貸すぞ。ユーリと私は友達だろう?」
「ぷっ……」
「む? ボクは何かおかしなことを言ったか?」
私が黙って静かになっていたせいで、かなり深刻な話題だと思ったようだ。気づいたら、フェルがすごく真面目な顔をしてこっちを見つめていた。
この間から思っていたけど、けっこう友達っていうのに拘るよな。ちょっと可愛いとか思ってしまう。
「そうだね……フェルに聞いてもらおうかな」
「ああ、聞くから話せ」
フェルに促されるまま、私はお父様の両親の話から弟を養子の件まで、個人名ではなく私との関係性を代名詞に、自分の価値観や考え方を交えつつ、ざっくりと説明する。
「ユーリは貴族の生まれだったのか……」
「いや、今の話を聞いての感想がまずソレって、どうよ?」
「すまない。少し意外な気がしてな。よく考えれば魔術を習うには、それだけ余裕がある家でないと無理だったか……」
「まぁ、うちは両親とも庶民的だから、その影響もあるかもね」
ルーン魔術は、家には関係なく、誰に習ったわけじゃないけど……。
そこを指摘すると色々と面倒な説明が必要になるため、あえてフェルの勘違いを否定しない。
「そうだな……ボクとしては、そのお祖父様の件とやらで、少なくとも誰かが不幸にはなったようには思えないけどな。もちろん、お父様を産んだお祖母様が、若くして亡くなったことは別として、な。
それにユーリも言っていたが……お父様とお祖父様の間で、何かがあったのか、何もなかったせいなのか、そこが分からない」
「やっぱ、そこに行き着くかぁ……」
「しかし、ユーリの髪と瞳は父親譲りなのか。ボクのとは正反対の美しい色だな」
ん?
「あのさ、変なことを訊くけど……フェルから見た私の髪と瞳の色って、何色なの?」
「は? 両方とも黒だろう? だから、ボクの白とは正反対だと……」
私がお父様から受け継いだのは、淡いシルバーブロンドにラピスラズリと同じ綺麗な青色の瞳だ。黒色では決してない。
「……それって、見間違えとかではなくて?」
「そんなハッキリした色を見間違えるわけないだろう? それとも、もっと詩的に艶めく宵闇のような色だ、とでも言えばいいのか?」
どういうことだ?
仮説として、フェルの言う黒と私が知っている黒は別物とか?
「えっと、フェルが言う黒っていうのは、こんな色?」
適当につまみ上げたクッキーを目の前にかざす。チョコレートっぽい味のやつだ。前世のチョコクッキーより真っ黒だけど。
チョコレート味のお菓子は、生まれ変わってから食べたことがなかったから、きっとこのクッキーは、お高いのでしょう。
「それ以外に黒があるのか? もちろん、同じ色でも少しの違いで呼び名が異なる事があるというのは知っているが……」
私と同じ色をフェルはきちんと黒だと認識しているようだ。
そもそも私の髪と瞳が同じ色と言った時点で変だったな。
…………と、ここで仮説が一つ生まれた。
もしかしてフェルには、前世の私の姿が重なって見えていたりしないか、これ。