虹色石の瞳を持つ少年
自由意志による単身飛行。
前世の世界で最もそれに近づけたのは、古典的ではあるがハングライダーだったのではないだろうか。
この世界は違う。魔術と言う名のルール破りの技がある。……いや、魔術がある世界で魔術を使っていることだからルールには従ってはいるのか?
ともあれ、私は地上から五〜六キルテ付近の高さを飛んでいた。
この高さを前世で例えるなら、超高層ビルと同じくらい。ヘリコプターが一般的に飛ぶ高さがこれくらいだったはずだ。
姿隠しのルーン魔術も併用しているため、普通の人には気付かれない自信がある。
この姿隠しの魔術は、過去の実験ではロイズさんの目の前を歩いても一応バレなかった。
一応とつくのは、その時は普通に忍び足で歩いていたため、足元の微かな凹みのせいでバレてしまったからだ。姿が見えていたわけではない。
夏で気温が高く、それほど速度を出していないが、寒い時やもっと高速度で飛ぶ時は、防寒や風圧対策のルーン魔術も使う。
今は少し強めの風が頬に当たるくらいなのが、また気持ちいい。
飛行の魔術を初めて使った時はかなり緊張した。
この世界にいるらしい有翼人種は例外として、普通の人は空を飛べる生き物じゃない。
最初の頃は、大丈夫だと思いながらも僅か三メルチほどをフヨフヨと浮いていただけであった。
それが、今では地上から五キルテ離れた空を飛びながら、のんびりとリラックスしている。飛行することの恐怖も、繰り返しの訓練で慣れることができた。
飛行には慣れたが、この空を飛ぶ爽快感は、何度やっても飽きないくらい気持ちがいい。
前世ではスカイダイビングのことをなんてマゾな趣味だと思っていたが、ハマる人がいる理由が今なら分かる。
しばらく飛び続けた私は、空中に止まり、浮かびながら寝転がった。
眼下に王都の夜景が広がっている。ポツポツとした明かりは民家の物だろう。
ところどころで、明かりが強く輝いている場所もある。
貴族街の明かりが集まっている場所では、夜会が行われているのだろうか?
後、二〜三年もすれば、私もデビューをはたすことになるだろう夜の宴は、面倒そうではあるが少し楽しみだ。
それから、商業区画の何ヶ所かが派手に明かりがついている。
多分……酒場とか、そういうお店が軒を連ねる盛り場だろう。
仰向けになれば、夜空に数多の星が散らばっていた。
排気ガスや工場の煙に汚されていない澄んだ空気。この世界の夜空は美しい煌きに満ちている。
空中飛行は、水中を泳ぐのと似ていると思う。
あくまで似ているだけで、空には水のような重たさはない。
水ならばプカプカと浮くが、ルーン魔術による飛行はシッカリ安定しているので、変に揺れることはない。
えーと、硬い布製のハンモックの感覚が近いかもしれない。硬い布製のハンモックが分からないなら、太陽にたっぷり干した布団に横になったような、そんな感じだ。
さて、十分気分転換になったし、そろそろ戻るか。
私はゆっくりと高度を落としていく。
私が違和感に気付いたのは、屋敷の屋根の高さまで下りてきた時だった。
二階に見覚えのないベランダがある。そもそも、家の形がちょっと変形したような?
……そんなわけはない。
つまるところ、自宅に向かっていたつもりが、見当違いの場所に下りてきてしまったようだ。
これはいわゆる迷子だな、はっはっは……しょうがない、探知の魔術を使うか。
対象は、ジルが分かりやすいかな。
「キミは、そこで何をやっているんだ?」
は? 声が聞こえてきたベランダの方を見る。
と、いつからそこにいたのか、最初からいて私が気付いていなかっただけなのか……闇からうっすらと浮かび上がるように立つ、白い影みたいな少年と目があった。
……姿隠しのルーン魔術はまだ解除していないよな?
思わず、自分の後ろを振り向くが、わたしの後ろには星以外に誰もいない。
「なるほど。姿隠しをしているのか……残念ながら、それはボクとは特に相性の悪い魔術だな」
今、なんて言った!?
もしかして、こっちの心を……
「別に心を読んだわけじゃない。キミが隠そうとすることがボクには分かるだけだ」
隠し事がバレる? おいおい、ジョニー、それは本当かい、困っちゃうよ、私は隠し事の塊じゃないか?
いや、誰だよ、ジョニーって……前世でたまに見てた古い料理番組のアシスタントだっけ?
魔術? だとすれば、私の抵抗値を突破できるほど強力な魔術の使い手?
同い年くらいに見えるが……むしろ、魔導か古代帝国のマジックアイテムを警戒した方がいいか。
マジックアイテムだとすれば、こんな子供に持たせておく可能性が低い。となると、【先天性加護】の一種? 該当するようなのあったかな。
さて、変なことがバレる前に逃げるか……。
「待ってくれ!!」
私が逃げ出す雰囲気を悟ったのか、ん?
なんで「逃げるな」じゃなくて「待ってくれ」なんだ?
少年の方を見ると、なんだか必死そうな顔なんだけど……。
「途中からキミのことが分からなくなった。キミはいったい何者なんだ?」
「別に怪しい者じゃない、って言う方が怪しいよね。えっと、…………迷子?」
「ただの迷子なのか? ボクを暗殺しに来た刺客とかではなく?」
「あ、暗殺……?」
物騒な単語が聞こえたよ。うわ、関わりたくないな。
「ふむ、面白い……キミ、ボクと友達になってみないか?」
「なんでっ!?」
いや、ほんとに、なんで?
暗殺者と仲良くなりたいお年頃だったりするの?
「うん? あえて言うなら、キミがボクのことをよく知らないみたいだからか?」
「というか、隠し事ができないとか、そんな相手と一緒にいたいと思う?」
「そのことなら、安心しろ。途中からキミが、何を隠しているかが分からなくなった。
だから、興味深い……なぜ、ボクの能力が通じなくなった? 魔術か? それとも何か特殊な技か?」
「いや、そもそも、キミの能力なんてよく知らないし……急に隠し事が分からなくなったとか、言われても判断に困るよ」
「うん、面白いほどに君の隠し事が分からないな。キミの名前は?」
「え? ユ、リ……っと」
「ユーリ? 本名なのか? 女みたいな名前だな」
「いや、本名じゃないけど。というか、私は女の子なんだけど」
「本名じゃない? つまり、偽名か……面白いな、それ。こう秘密っぽくていい。それじゃあ、ボクのことはフェルと呼んでくれ。
ちなみに、わざわざ女の子だなんて下手な嘘を付かなくてもいいぞ」
「いや、この服は男モノだけど、動きやすいからで……なんなら、脱いで見せようか?」
「え? ほんとに女の子なのか? って、脱ぐな! 分かった、信じる、信じるから!」
ふっ、勝った……って、なんで、私は見ず知らずの少年の前で服を脱ごうとしているのかな。深夜の勢いって怖い。
「キミには羞恥心というものはないのか?」
少年……フェルだっけ? が呆れたような目をしている。
いいじゃないか、別に減るもんじゃないし、脱いで困る歳でもあるまいし。
「と言うか、キミって何歳? なんだか、妙にませてるけど」
「今年で十歳になったな。というか、キミも人のことは言えないと思うが」
「え、嘘、同い年なの? 君って苦労しているでしょ? だから、そんなにませてるんだ、きっと」
二つか三つくらい年上だと思ったんだけどな。
アレか、日本人からすると西洋人の歳は分かりにくいみたいなものか?
「苦労か……まぁ、苦労しているといえばしているな。この能力のせいで、知らなくてもいいことばかり知ってしまう」
「その能力って、結局なんなの?」
「ん? ボクが教えると思うか?」
だよね~。なんか、ノリで答えてくれるかなとか思ったんだけど。
「【夢夜兎の加護】……瞳に映した相手が隠していることを知る魔導だ。
欠点は太陽の光の下では効果がないこと。それから能力は無差別に発揮されるため、同時に多くの人を見てしまうとヒドイ眩暈と吐き気を起こすこと」
「え? 答えてくれるんだ?」
【夢夜兎の加護】、聞き覚えがないけど……ドリームナイツラビットって幻獣じゃなかったっけ?
うわ、私と同じ【幻獣の加護】持ちってことか!?
「ああ、友達になった記念だと思ってくれ」
「ふ~ん……って、いつのまに友達になったのかな?」
「ボクが友達になってくれ、と言った時に断わらなかったじゃないか」
すごい自己中心的な理論が返ってきたぞ!?
「君さ……ワガママだって言われるだろう」
「今まで言われたことはないな……面と向かってはだが。
ところで、そろそろ降りてきてくれないか、この体勢で話をしているとちょっと首が疲れる」
「…………」
なんだか、警戒してたのがバカらしい気がする。私はベランダに降りて、掛けていた魔術を解除した。
フェルに近寄って気付いたが、彼は髪だけでなく瞳の色も白っぽく、オパールのように光の加減で色合いが変化している。
そして、そのまま彼に誘導されて、ベランダに備え付けられたテーブルの椅子に向かい合わせで座る。
「ところで、さっき暗殺とか言ってたけど……いいの、私みたいな怪しい人物と一緒にいて」
「構わない。暗殺というのも軽い冗談だ、もっともいつ起こってもおかしくはないと思っているがな」
うーん、なんだろう。
十歳にしては貫禄がありすぎるというか、性格が渋いというか、……ああ、枯れてる、が一番しっくりくるな。
「それで? 友達になるのはいいけど、何がしたいのかな?」
「そうだな……まずは、お互いのことについて質問するというのはどうだ? もちろん、質問に拒否をしてもいい、その場合は別の質問をする」
お見合いか、これ?
いや、お互いのことを教え合うというのは、対人関係の基本だし、お見合いに似てくるのかもしれないけど。
「それじゃあね……」
「待った。さっき、ボクの能力を教えたんだ。こちらからに先に質問をさせてくれ」
「それもそうか。何が知りたいの?」
「さっき空中浮遊といい、姿隠しといい、ユーリは魔術師なのか?」
「魔術を使えるのが魔術師と言うなら、私は魔術師だよ」
うん、ここが微妙なんだよな。ラシク王国には、職業としての魔術師がある。
分類としては「限定魔術師」と「公認魔術師」の二種類に分かれる。両方とも一定以上の魔術的な技能を有し、国に申請して、魔術が使えることを認めてもらうことが条件だ。
両者の違いは何かというと、簡単に言えば発動具の所持の有無となる。
前者は自前の発動具を持っておらず、国やギルドなどの公的な団体に所属することで、発動具を借りて業務に就く。そのため、契約をしている団体に対する強い義務や制限が色々と発生する。
逆に後者は、自前の発動具を持っており、国に申請と登録だけの魔術師だ。
必ずしも国やギルドに所属する必要はないが、所属をしている方が何かと便利らしい。わかりやすく身分や技能の証明になる。
公認魔術師でも限定魔術師のように、国やギルドと契約して業務についている場合が多くなるようだ。
ただ、限定魔術師よりも公認魔術師の方が自由度が高く、また条件も良いので、多くの魔術師は自分の発動具を手に入れることを目標とするそうだ。デメリットは自前の発動具を壊したり紛失した場合、すべてが個人の負担になってしまう点にある。
そして、私のような魔術を使えるが、申請も登録していない者は「魔術使い」と呼ばれるらしい。
魔術が使えることを申請しないのは、実は違法でもないが、国に申請していない魔術師は無法者や厄介者という目で見られがちになる。実際、申請していない魔術師にはそういう人が多いのでも事実で、「魔術使い」というのは蔑称に近い。
ちなみに、魔術を習っている身分の場合は、ただ単に「魔術師見習い」と呼ばれるようだ。
「少し含みがある言い方だな」
「じゃあ、次は私の番だね……えっと、好きな食べ物は何かな?」
「……なんだ、それは?」
「え? やっぱりここは、ご趣味は? とか聞いたほうが良かった?」
フェルからの追求を誤魔化すために、思わず適当な質問をしたが、変人を見る目をされてしまった。お約束は通じなかったか。
まぁ、なんだか、長い付き合いになりそうだし、別にいいじゃん。
「答えてくれないの? それともこの質問は拒否?」
「特に好きな食べ物はない、あえて言うなら飲み物だが香草茶が好きだ。趣味は魔術学」
と思ってたら、律儀に返答してくれた。
趣味は魔術学か。それもあって、魔術師である私に興味を持ったのか?
「次はボクからだな。ユーリの好きな食べ物と趣味は?」
「おおっ、質問返しをされた。好きな食べ物は、お肉とお菓子。フェアリーカウのステーキとかプリンが特に好きだね。
趣味は、ルーン魔術と剣術と料理を少々?」
「いや、ユーリの魔術って趣味なのか? それとプリンって?」
今の所、別にルーン魔術を使って仕事をしているわけじゃないので、趣味じゃなければなんだろう、習い事? 研究対象?
なんとなく、趣味というのがしっくりくるんだよね。
「さりげなく質問を増やしてない? 次は私の番だよね?」
「面倒になった。普通に話をしよう」
「…………まぁ、いいけど。
ルーン魔術については、それで直接お金を稼ごうとは思っていないから、そういうのを趣味って呼ぶんじゃない?
ちなみにプリンっていうのは、ミルクと卵と砂糖を混ぜて加熱したお菓子のことだよ」
フェルとは半刻ほど話したが、なんだかんだで盛り上がった。結構楽しかったかもしれない。
特にフェルのこの世界の魔術に関する知識は、大人顔負けで、ためになる。私の知識は、なんていうか、解答本を見て答えだけが分かっている状態なので、常識的な情報は重要だ。
その後、フェルの都合に合わせて二日後に再び会う約束を交わして、私は家に戻った。
ちなみに、抜け出したのはバレなかったようだ。
翌朝になっても何も言われなかった。