ジルとの狩りと衝撃の朝
私の目の前、十五メルチほど先を、茶色の兎が逃げていく。
「ジルは右から先回りっ! 私が左から追い込むから!」
「がうっ!」
私の横を並走していたジルが、右の茂みの中に消える。
双子との入浴後、早めの昼食をとってから、私はジルと森へと狩りにやってきていた。
こうして、ジルと森で狩りをするのも珍しいことではなかった。
今追いかけているフォレストラビットも、ジルと一緒に何度も狩った獲物だ。
フォレストラビットの肉は、柔らかくて淡白でとても美味しい。
引っ越しの前祝いとして、夕食用のご馳走を狩りに来たのだ。
フォレストラビットは、普通の兎よりも一回り大きい。
普通の子供の足では追いつけないほどの、逃げ足の速さが特徴だ。私も、ルーン魔術なしに追いかけることはできない。
まぁ、もっと派手に強力な魔術を使えば、楽に狩ることができるが。
肉体的な訓練と、ジルとの交流を目的とした狩りだ。魔術の使用を制限している。
使っているのは、走っても疲れにくくなる魔術と、森の草や枝で肌を切ったりしないように皮膚を少し強化する魔術だけだ。
今回の引っ越しでは、イアンだけでなくジルとの別れも意味していた。
「王都にジルを連れて行くことは難しい」と言うのが、お父様とロイズさんからの忠告だった。
たとえ連れて行ったとしても、屋敷の中で引き篭もってもらうしかなくなるようだ。
……私はまだ、ジルと使い魔の契約が結べていなかった。
最初はルーン魔術でなんとかなるだろうと、色々と試したのだが、うまくいかなかった。
いくつかの魔術書を読んだのだが、使い魔との契約は魔術師として秘技の一つであり、それは魔術師ギルドで厳しく管理されているようだ。
さらに、ラシク王国の法律では、魔術師ギルドで認可を受けた魔術師しか使い魔との契約は認められてないらしい。
仮に使い魔としての契約をしていたとしても、基本的に認可を受けていない魔術師がモンスターを街の中に入れることは許されておらず、犯罪としてみなされてしまう。もちろん、その法律も、長年使われているうちにいくつかの例外ができているようだが。
魔術師ギルドに所属するには、一定以上の魔術の素養があればいいらしい。これはすぐにクリアできると思う。むしろ、手加減する必要があるかもしれない。
ただし、使い魔との契約を教えてもらうためには、魔術師ギルドが認める魔術学院に入学し、きちんと魔術を修めたあかしである卒業証明書が必要らしく、学院への入学には成人する必要と少なくない額の入学金が必要になるようだ。
金策のあてはあるものの、残念ながら成人とみなされる十五歳になるまでは、もう五年ほど必要だ。
ジルは普通の狼とは違い、霊獣である。そのため、寿命は平均的な人間のものよりも遥かに長い。
それならば、王都で窮屈な思いをさせるよりは、私が使い魔を契約ができるようになるまで、一時的に別居することにした。ウェステッド村で、のびのび自由に暮らしてほしいと思った。
もっとも、魔術で飛んでくれば、日帰りもできるだろう。ちょこちょこ様子を見に来る予定だ。
それらのことをジルにはきちんと説明した。最初のうちは、イヤそうな顔をしていたが、何度か説得することで、なんとか納得してくれたようだ。
その上で、できるだけジルと一緒に遊んだり、狩りに出たりして、今まで以上に構ってやることにしていた。
ガサっと、上の方から枝を揺さぶる音が聞こえ、白銀色の美しい毛並みをしたジルが飛び降りてくる。
フォレストラビットは、一瞬の虚を突かれ、ジルの体当たりの直撃を食らう。
「ジル、ナイスっ!」
「あぉん!」
私は、吹き飛ばされて大木にぶつかったフォレストラビットの首に、剣を鞘から抜き打ちながら一閃を放つ。剣先が私の狙い通りスッパリと首を切り裂いた。
それが致命傷になって、フォレストラビットはグッタリと動かなくなった。
『南無南無、美味しく頂きますから、成仏してください』
使い方をどこか間違えているかもしれないが、まだ覚えている日本語を使って、兎の冥福を祈る。
私の精神の根底には、まだ男性のものが残っているのと同じく、倫理観などの考え方の一部は、日本人だった時の気分が抜けてないようだ。
手早くフォレストラビットの下処理を行なって、次の獲物を探すために、探知用の結界魔術を発動させた。
それから二匹、合わせて三匹のフォレストラビットを狩った私は、意気揚々と屋敷へと戻った。
夕食分には多いけど、余ったお肉は明日のお弁当とかにすればいいだろう。
その夜、夕食に出てきたフォレストラビットのソテーとスープに満足し、私はウェステッド村で過ごす最後の一夜を深い眠りとともに過ごした。
その私のベッドの中に、こっそりと忍び込んで来たモノがいたことにも気づかずに……。
朝、フニフニと柔らかく熱を持ったモノが、私と一緒の毛布の中にあった。
特にその一部がモニュモニュしていて、前世で愛用していた、粘液状樹脂製の枕を思い出す揉み心地だ。
人肌くらいの温もりで…………ぶっちゃけよう、目の前に程よい大きさのオッパイがある。右と左できちんと二つ分。
…………モニュ?
おぅけぇ、冷静になろうか、私。
ひとまず、ベッドから出て周りを観察する。
壁紙よし、チェストよし、その上においてあるヌイグルミよし。
きちんとしっかり間違いなく私の部屋で、今まで寝ていたのも私のベッドだ。
そのベッドで、なめらかな白銀色の髪、陶器のような白い肌をした美女が、スヤスヤと寝息を立てている。
身長は一七〇イルチくらいだろうか、お父様とお母様の中間くらいで、一四〇イルチになったばかりの私よりも頭一つ分以上、背が高い。
寝転がっていてもわかる全体的に均整の取れた、とても素晴らしいプロポーションをしている。
どうやら、私が眠っているうちに毛布の中に潜り込んだと思われる。
成人男性なら泣いて喜ぶか、昨夜の記憶を必死になって思い出そうとするシチュエーションに違いない。
しかし、女湯にも入れる私は、今更、女性の生裸にうろたえたりはしない!
……でも、こんな美女の全裸寝姿はちょっとクるものが。
ひとまず、この全裸さんを起こしてみようか。
私に害意を持った人物なら、なんかもうここまで寝こけたりはしないだろう。間抜けすぎる。
「もしも〜し、朝ですよ〜」
そんな感じに声を掛けながら、ユサユサと揺さぶる。プルンプルンとすごいな……。
「うう〜ん、むにゃむにゃ…………ん?」
あ、目が覚めた。
全裸の美女が寝ぼけ眼で起き上がり、私と目があった。
「ん、ん、くあぁ〜〜!」
そしてそのまま、ベッドの上に四つん這いになり、グッとお尻を突き上げるようにして、伸びをする。
その仕草は、とても艶めかしい。これが女豹のポーズってやつか!
そうしていると目が覚めてきたのか、キョロキョロを周りを見回してから、私の姿を見つけ、にっかりと嬉しそうに笑った。
「ボス! お早うゴザいます!」
「はい? 誰がボス? あ、おはよう」
「ボスがボス?」
いまいち会話が噛み合わないが、今のセリフから推測するに、この美女さんは私のことをボスと言っているうように聞こえる。
もちろん、私には、会社や悪の組織を結成した覚えなんかない。
「ええと、貴女は何で、ここにいるの?」
「ボスとイッショにオートに行く! だからジルは人になるレンシュウした!」
「…………もう一回言ってくれる?」
あれ、聞き間違えかなぁ? でも、今気づいたんだけど、美女さんの胸元で輝く青い半貴石のペンダントは、とても見覚えがあるんだ……。
「ボスとイッショにオートに行く?」
「その次」
「ジルは人になるレンシュウした!」
聞き間違えじゃなかったー!!
美女さん……いや、ジルは「エラい? ホめて?」と言わんばかりに、立派なお胸を張って宣言する。
確かに、狼は王都につれていけないと説明した覚えがある。
なるほど、狼だからダメなら人の姿に変身すれば連れて行ってもらえると……理屈は完璧だね。それに例のモンスターを街の中に入れられない法律の例外にも当てはまりそうだ。
「ジル?」
「なにボス? 狩り行く?」
「いや、しばらくは狩りには行かないよ。ということは、やっぱり、貴女はジルなんだね」
「ジルはジルじゃないの?」
おぅけぇ、冷静になろうか、私。
って、さっきもそんな事を考えていたような。かなり動揺しているみたいだ。
「ジル、抵抗しないでね……《イド テレース ドェ・クト テラール(心が感じる其の力を知る)》」
あー、【身体強化】と【人型化】の魔導を習得しているね。
【人型化】っていうのは、成長や訓練によって後天的に習得することができるタイプの後天性魔導なんだろう。
ゲームでも、人間に変装しているという設定のドラゴンのキャラクターなどがいた。きっと、そのキャラクターもこの魔導を使っていたんだろうなとか、ふと思った。
ははは……目の前の美女がジルであることが、ほぼ確定したな。というか、変身を解いてもらえば一発でわかったか。
その日の出発の予定が、予定よりも一刻以上遅れてしまった。
結果として、王都に向かう馬車の中で、銀髪の美女が嬉しそうな笑顔を浮かべることとなった、ということを説明しておく。