朝稽古とお風呂
「せやぁっ!!]
「ふっ……はっ!」
上半身を右に捻って、イアンが上段から放つ鋭い振り下ろしの一撃をかわし、私は返す動きで左から剣を薙ぎ払う。
それをイアンは、軽くバックステップで避ける。そのまま私は剣を勢いに任せて、剣筋を右から右上に回しての追撃。
鈍い金属音とともに、私が剣を振り下ろす力が乗りきる前にイアンの剣によって止められる。
「イアン、年下の女の子相手ににちょっとは手加減しようとか思わない?」
「うっさい! そんなもんは四年前に捨てた!! 今日こそは勝つ!」
「ふ〜ん、それ言うの何十回目だっけ?」
私の挑発に、いつも通りのってきたイアンが、競り合っている剣に力を込めてくる。
チラリとロイズさんのほうに目を向けると、苦笑いを浮かべながらも特に指摘するつもりはなさそうだ。
このまま単純な筋力の勝負では、私はイアンには敵わない。一瞬力を込めて、勝負に応じるフリをして、急激に脱力。それでバランスを崩させて……
「ふっ、いつも同じ手にかかるか、よっ!!」
ニヤリといつもの自信満々の笑みを浮かべて、バランスを崩すことなく、剣を振るってくる。それはひとまず剣で横から弾いて下がる。イアンとの間合いが少し開く。
さすがに、もうこの手は食わないか。だったら……
「あっ!」
「へ?」
一瞬だけ視線をそらして、意味ありげに大声を上げる。
その瞬間、できた隙を逃さず、剣を短く振ってイアンの左脇腹を狙う。絶妙な軌跡を描き、狙い通りの場所に的中した。
「ぐっ」
「……そこまでっ」
勝負の決着が着いたことを宣言するロイズさんの一声。
「だぁっ! 卑怯者! 最後くらい正々堂々戦えよな!」
「私は使える技を使って、全力で戦っただけだよ」
プンスカと叫ぶイアンを軽くいなす。剣術の訓練を始めた頃は拮抗していた力も、ここ一年ですっかり差がついてしまった。
普通に戦っていたならば、イアンの方が勝率が高いだろう。私は、速度と小手先の技でなんとかしのいで勝ち星を奪っているだけだ。
「ま、そうだな。今は実戦形式での試合だったんだから、相手の動きや言葉で惑わされても勝敗は変わらないな。イアンの負けだ」
「う〜っ……はい」
「ただし、ユリアお嬢様も今の技は、イアンくらいの腕の相手にしか通じないからな。あと、途中から右から入って左側からばかり攻める悪い癖が出ていたぞ。勝負が長引いたのは、そのせいで攻撃が単調になっていたからだ」
「はい」
イアンは渋々と、私はロイズさんの指摘に素直に頷く。
「さて、今日の稽古もここまで」
「「ご指導ありがとうございました!」」
イアンは今の決着について、ロイズさんに諭されたが、納得できていないようだ。まぁ、いつものことだから、明日になればケロリと忘れて……ああ、そうだった。
「ロイズ様、今まで俺に剣を教えてくれて、ありがとうございました!」
「四年か、過ぎてしまえばあっという間だな。
本当なら、まだまだ色々と教えてやりたいことがたくさんあるが……まぁ、少なくとも基礎はきちんと教えてやったつもりだ。
これからは自主的に頑張ってくれ」
「はいっ!!」
イアンがロイズさんに深々とお辞儀をして、これまでの稽古のお礼を述べる。
明日から、こうやってイアンと一緒に早朝の稽古を行うこともなくなる。
「ねぇ、イアン、お風呂沸かしてもらっているから、村の浴場じゃなくて、うちのお風呂で一緒に入って汗流していく?」
「え、あ、お、おれは訓練代わりに走るから!! 風呂は村で入るぜ!!」
練習用に刃をつぶした剣をいつもの場所に戻すと、私からまるで逃げるように走り去っていく。
うんうん、まぁ、私たちには湿っぽい別れ方は似合わないよね。別に、一生の別れというわけでもないだろうし。
「くすくす……」
走っていく様子が可愛らしくて、思わず笑ってしまう。
「……悪女かよ」
私たちのやり取りを見ていたロイズさんが、ポツリと呟いた。
……そんなことありませんよ?
湯船から桶で湯をすくい、ザパッと頭から勢いよくかける。
もう一度湯をすくって、横に置き、その中にお風呂用の手ぬぐいを沈めて濡らす。濡らした手ぬぐいで、ゴシゴシと身体を磨くようにして洗い、桶の湯ですすいで、また磨く。
前世と違い、ボディーソープなど便利な洗剤はなく、石鹸自体が貴重なため、来客があるような特別なとき以外は使わない。
こうして、肌を何度も布で磨くだけでも十分に清潔で綺麗になる。
桶の湯をさらに二度ほど取り替えて身体を洗い終わったら、さいごにまた湯を頭から浴びる。
湯船に入り、身体を湯に沈めて、手を伸ばす、湯船は、大人が三人並んで一緒に入れるくらいに広い造りになっている。
「はぁ……」
稽古で疲れた身体に、温かい湯がしみわたる。
「……んっ」
湯に浸かるだけでなく、手足の筋肉をほぐすように軽くもみながらマッサージしていく。これをやっておくと、後が楽になるのだ。そんな気分だけかもしれないけど。
この五年間で、変わったこと、判明したことは色々とある。
まず、私自身のことでいえば、あの告白で両親からの理解を得られたこと。
おかげで、自分を偽る必要が減り、また本当の自分を知っている人がいるということが精神的な負担を軽くしてくれた。
一人称の「オレ」もすっかり「私」になった。
特に意識はしていなかったが、ユリアとしても転生者としても、いわゆる自然体でいられているんだと思う。
この世界で六歳というのは一つの節目にある。
そして、六歳の誕生日に子供のお願いを両親が叶えるという、クリスマスのプレゼントのスペシャルバージョンみたいなイベントがある。
それで私はロイズさんから剣術を習うことを願ってみた。さすがに、一人旅を願うほどの無茶はしなかった。
剣術を願ったのは、自衛のため、運動のため、なによりちょっとしたロマンを感じていたからだ。
私には、十分すぎる万能な技であるルーン魔術がある。しかしルーン魔術にも欠点があって、わかりやすく言えばルーンが満足に唱えられない状況においては無力だ。それに、私は攻撃魔術が使えないという不利がある。
いざというときのために身体を鍛えておくことは、重要なことだと思っている。
剣術の稽古のおかげで、今の私は引き締まった身体を持ち、父親似の容貌も相まって、美少女というよりも、中性的な美少年といった容姿になった。稽古のじゃまにならないように、短くした髪型のせいもあるかもしれない。
十年も経てば、女の子の振りもすっかり慣れてきたが、男であった頃の意識はまだ残っている。
服装は、スカートよりもズボンの方が気楽だし、スカートを履くと女装しているという意識がどうしても抜けない。
そのうち、胸とかが育ってくれば、少なくとも外見的にはもっと女性らしくなる……と思う。
ただ、しばらくは、このままでもいいな、という気持ちが強い。難しいお年頃というやつだ。
そうそう私が剣術を習いはじめて、すぐにイアンもロイズさんから剣術の指導を受けることになった。
あえて言うならば、私とイアンはいわば兄弟弟子といえる関係だろうか?
サニャちゃんやシュリたちとも未だに定期的に会っているが、毎朝顔を合わせている分、イアンと会っている時間がダントツで長くなっただろう。
さすがに、それだけ長く一緒にいれば、イアンの私に対する幼い好意には気づけたのだが、何かが進展するわけでもなく、多少気安くおしゃべりするようになったくらい。表向きはライバル認定されたままだ。
本から様々な知識を得られるようになった。
お父様の書斎にあった本を一通り読み終わると、お父様が甘やかしてくれるのをいいことに、たくさんの書物を買ってもらった。
今では、私の部屋にある小さな本棚に五十冊ほどの本が収められている。前世の感覚でいうと少ないが、本一冊の値段がだいたい三〜五万円くらいなので、全部で二百万円相当の価値がある。この本棚一つで一財産と言える。
魔術書を始めとして、国の歴史や慣習などが記されている本、動植物の本など。神話の本もあり、子供向けの絵本のようなものではなく、教科書のような大人向けのやつだ。
乱読した結果、私の魔術としての素養が異常で、ずば抜けているということがわかった。普通は、これほど大量のルーンを知らないし、保有魔力も多くはないらしい。悪い話ではない。
他に重要な点として、私が知っている『グロリス・ワールド』の知識は、三百年以上前の大帝国時代のものらしいことがわかった。
私たちが現在住んでいて、お父様が忠誠を誓っている国の名前は、ラシク王国という。
ミュージシアン大陸の東部に位置し、穀倉地帯として豊かなキャノン草原や多様なモンスターが生息するフォニア大森林など、広い領土を持っている。勢力的には、大陸で第三位の強国でもある。
しかし、『グロリス・ワールド』でラシクといえば、草原の中にポツンとある小さな村だった。
王国の歴史書を紐解けば、約二百五十年前に、建国王の名で呼ばれる初代ラシク王は、ラシクという名前の村で生まれ育ったと書かれている。
そして、それより以前、約三百年前は大陸ほぼ全てがガンスペイル帝国と呼ばれる一つの国だったとされている。
『グロリス・ワールド』でも、ガンスペイル国という軍事国家があったが、「帝国」ではなかったと思う。
そんな強国だったにも関わらず、ある日突然、首都が消滅してしまい、中央の統制を失ってしまった帝国は崩壊の一途をたどったそうだ。
その後やってくる戦乱の時代で、多くの文化や技術が失われ文明が衰退した、と言われている。
結論として、私が知っている『グロリス・ワールド』の知識は、大雑把にガンスペイル帝国より以前のものだろうと推測したわけだ。
しかし、その三百年分の差異は、偶然なのか必然なのか、答えは出ていない。
本のお礼にというわけではないが、お父様やロイズさんと相談して、私の記憶の中にあった前世の発明をいくつか形にしてみた。
おもに農具や上水道の設置、衛生観念の布教だ。
農具については、牛鋤や千歯こきなど、きっかけさえあれば、誰かが簡単に思いつけるだろうものにした。
上水道とは言っても、粉挽きに使われている水車小屋を利用して、水路を作っただけだ。すでに、国内の大きな都市では生活用水の上下水道が導入されているらしいので、これも特別なことをやっているわけではない。
簡単とはいえ、農具の改革と上水道の運用を始めたことで、農作業の効率が良くなり、農産物の収穫量が増えたのだから上出来だろう。
衛生の基本として、村ごとに風呂小屋を造って、入浴の習慣を広めてみた。そして、普段から身体を清潔にすることによる、健康へのメリットを説いて回った。
村に風呂小屋を建てる前の試作として、屋敷の一角にお風呂を造った。
お父様やロイズさんとは、風呂を作る前提として、湯を沸かす薪をどうするかで色々と相談した。
最終的に蓄光石を使った加熱装置を用意することにした。
なんと、畜光石を容量は小さいながらもルーンストーン化できることが判明した。しかも蓄光石をルーンストーン化させると、封じ込めた文字によって、水中で光らせる代わりに様々な現象を起こさせることができることがわかったのだ。
これによって、光を当てると熱を発生させるというマジックアイテムもどきの加熱装置を作ることができた。
初期投資は、それなりに必要だが薪と違って、何も消費せずに使えるので、長期的には経済的だし、とてもエコな装置だ。
ただし、その性質上、晴れた日の昼間にしかお湯を作ることができず、長雨や曇が続くようであれば、結局薪を利用することになっている。
こちらも結果としては、例年より病気になる住民が減ったし、お酒くらいしか娯楽がなかった村人たちの間に、新しい娯楽としてお風呂ブームが巻き起こったのだから、成果も上々だろう
『おはようございます、おねえさま! リリアです! リックもいます! いっしょにはいってもいいですか!』
『……いいですか?』
ぼんやりとお湯を楽しんでいた私に、扉の向こうから愛らしい幼子たちの声が聞こえてきた、
「はい、おはようございます! いいよ、二人とも入っておいで!」
脱衣所からゴソゴソと服を脱ぐ音がして、大好きな妹と弟が入ってくる。
リックのほうが先に生まれたので兄で、リリアの方が妹だ。つまり、例の帝王切開で生まれてきた子がリリアである。
リックは病気になりがちなせいか性格が少し内気でおとなしく、リリアは逆に何事に対しても積極的で物怖じしない性格だ。そのため、リリアのほうが姉に見える。
ふたりとも、私と同じ淡いシルバーブロンドと青い瞳をしている。リックは、私よりもお母様に似て髪質がフワフワとして、垂れ目っぽい。リリアの方は、父親や私とに似ていて、スッキリとした目鼻をしている。
「ほら、目を瞑って〜」
「はい!」
「うん……」
ギューと目を閉じる二人に、頭から湯をかけてやる。
リリアは自分で、リックは私が手ぬぐいを使って身体を洗う。リリアも背中など、自分ではまだ上手に洗えないところもあるので、そこは私が洗ってやる。
その後、三人揃って湯に浸かる。
ちらりと横を見て、二人とも大きくなったなぁと感じる。
お母様が「ユリィちゃんは、本当に手間のかからない子だったのね」とボヤくくらいには、赤ん坊というのは手がかかる存在だった。それが二倍だ。
特にリックは、赤ん坊の頃から体調を崩すことが多く、熱を出したり、お腹を壊したりすることがよくあった。
いざというときだけだが、私がルーン魔術を使ったことも少なくはない。
もちろん、それ以外にもオムツやミルクなど、私ができる範囲で積極的に二人の世話を手伝った。
そんな感じで私は二人が赤ん坊の頃から、良い姉をやっている成果もあり、二人ともすっかりお姉ちゃん子になっている。
先日も、二人して「おねえさまのおよめさんになる!」「……なる」と微笑ましい事を言ってくれた。
ふっふっふ、育成の結果が現れてきて何よりだ。
その横で寂しそうしているお父様が、ちょっぴり鬱陶しかったけど。
みんなで百まで数えて、二人と一緒にお風呂場から出た。脱衣所に常備してある、柔らかな布で身体をふき、服を着る。
まだ二人共自分では、うまく帯を結んだり、ボタンを留めることができないので、それを手伝う。
「おねえさま、おーとはどんなところですか?」
「そうだねー、私も行ったことがないから詳しくはわからないけど、きっと人がいっぱいいる場所だと思うよ」
「うえすてど村より、いっぱい?」
「そうだよ。ウェステッド村よりも、ずっとず〜っといっぱいかな」
不安そうな顔をするリックに、大丈夫だと頭を撫でてやる。もう片方の手でリリアの頭を撫でることも忘れない。
お父様の都合で、私たちは一家で王都へと引っ越すことになった。
だいぶ急な話ではあったが、私自身は新しい街へ行くのも悪くないと思っているので、詳しい理由は訊いていない。
イアンたちと離れるのは、それなりに寂しいが、今の私にとっては、家族と一緒にいることのほうが大事だった。
ウェステッド村を含むバーレンシア男爵領の運営については、代官を置くことになっている。代官というは、領主の代理人として、領地を現地で直接采配する役職だ。
その代官として、お父様の従兄弟の一人が来てくれる。
私も、その人には何度か会ったことがあった。
お父様より三歳ほど年下で未婚の人だが、子供好きで気さくな人柄で、リリアやリックも懐いていた。
その点では、ウェステッド村に残る幼なじみたちの心配はしていない。
きっとイアンたちとも仲良くやってくれるだろう。