朝、目覚めて
眠っていた意識がゆっくりと浮上し、パチリと目を見開く。
オレは体を起こすと、這うようにしてベッドの端に向かう。
上手く体を回し、足からベッドを降りた。
もぞもぞと寝間着を脱いで、ベッド横のチェストの上に畳んである服を手に取る。慣れないうちは時間がかかったが、今では手早く着替えることができる。
着替えが終わったら、ペタペタと歩いて部屋を横断し、姿見として使える大きな鏡の前まで移動する。
鏡に向かってニコリと微笑むと、目の前に写っている愛らしい幼児が同じようにニコリと微笑み返してくれた。
『われおもう、ゆえにわれあり……』
オレの記憶に残っている、有名な哲学者の言葉を呟く。
これはオレが、今のオレであることに気づいてから、毎朝行なっている日課だった。
ただ、そろそろこの日課も止めようかと考えている。
それは自分が置かれている状況が決して夢などではなく、現実なのだと認めることでもある。
オレの名前は、大杉健太郎と言う。この名前からも分かるように、オレは黒髪黒目の純粋な日本人で、二十歳ちょうどの大学生だった。
決して、淡いシルバーブロンドにラピスラズリと同じ綺麗な青色の瞳を持った、まるで西洋人形のような三歳児ではなかった。
オレの状態を一行で説明するならば、“前世の記憶を持ったまま転生した”というのだろう。
最近になって急に前世の記憶を認識できるようになってきた。
不勉強な大学生だったが、前世の思い出した知識によれば、人間の脳というのは、生まれてから三歳になるまでの間、外部からの刺激によってニューロンが急速に増え、それにともなって脳の機能が発達するらしい。
処理能力の低いコンピュータに、大量のデータを対処させようとしても上手くいかないのと一緒で、未発達の脳には二十年分の記憶を適切に対応することが難しかった可能性がある。
のちに母親から、オレはよく寝る赤ん坊だったと聞いた。
それは、この記憶を思い出していくことが、赤ん坊の脳に対する負担となっており、脳を休ませるために身体の防衛機能のようなものが働いていたのかもしれない。
この身体に生まれ直してから、三歳児になるまで記憶の大部分が戻っておらず、おぼろげに本能のままに正しい赤ん坊ライフを送っていた。
赤ん坊は一人では食事もできないし、それどころか、立ち上がったり、自分の意志でろくに動くこともできない。
つまり、食事や下半身の世話を他の人に面倒を掛けてやってもらう必要があるということだ。
赤ん坊の食事と言えば、母乳だ。正直、母親が綺麗な女性だったのは役得だと思う。が、色々と突き詰めると乳児にして人としての道を踏み外す気がするため、深く考えないようにした。
手足が不自由な自分は、あくまで重体の患者と同じであり、排泄物の処理をしてもらうのも、医療行為に近いものだと言える。ということにして、精神の平静を保とうと思う。
大杉健太郎であった頃のオレは、神と言う存在を信じていなかった。けれど、今ならば、そう言った超常的な現象も前向きに信じることができるだろう。
人間の記憶は肉体の脳にこそ宿る、という科学的な常識を自らの実体験で覆されたのだから。
最初は、子供になった夢を見ているのだと思っていた。けれど、明晰夢だとしても、体感していることは異常なまでに精密で、オレという自意識がハッキリとしすぎていた。
世界最高技術のバーチャルリアリティであっても、ここまで感覚を再現することは不可能だろう。
三歳の誕生日が過ぎ、前世の記憶が戻り始めてきてから、オレは毎朝、自分の姿を鏡に映し、日本語で様々な言葉を発することを習慣としていた。そして、これが現実であることを再確認してきた。
この日課は、もう今日までにしよう。
オレは、この新しい人生を生きてゆく。目下、平凡でも困ることはないが、どこかつまらなかった前世を反省し、日々を楽しく生きるために力を注ごうと決めた。
現状でオレは幸運だと思えることが三つある。
一つ目は、生まれ変わって日本人ではなくなったが、正しい赤ん坊ライフを送っているうちにすでに両親や使用人が話している様子から今生に必要な言語が習得できていること。
逆に、意識してしゃべらないと日本語が出てこないくらいだ。
会話に使われている言語とオレが思考で使っている言語が一致している。
それは「アップル」と聞いて、アメリカ人はリンゴそのものを思い浮かべられるが、英会話に慣れていない日本人の場合、まず「アップル」と「リンゴ」を脳内で紐づけて、単語を変換してからリンゴを思い浮かべるかの違いだ。
オレの言語能力は、現地の言葉で思考するレベルになっている。
二つ目が、生まれた家がそれなりに裕福であること。
この世界の貧富の差はわからないが、少なくとも使用人を二人雇えるような家なら裕福だろう。
どうやら父親は、いくつかの村を治める特権階級の立場にあるらしい。
前世では一人暮らしの貧乏大学生だった生活レベルを考えれば、奇跡的な好環境と言える。
三つ目に、この世界の法則や習慣が前世の世界とあまり変わっていないだろうこと。
物を落とせば下に落ちるし、水は高きから低きに流れる。
この世界に生まれてからであった人物は、目が二つで口は一つ、手足が二本ずつに、指がそれぞれ五本。
食事は黒茶っぽい粒が交じったパンに、肉や魚や野菜を洗って焼いたり煮炊きしている。残念ながらコメはなさそうだが、どうやら香辛料も使ってるようだし、お酒もあるようだ。もちろん、オレに出されるのは水に搾った果汁を落としたものか、ヨーグルトっぽくなったミルクだが。
一年を通して寒暖の差と季節があって、太陽が昇れば昼だし、沈めば夜になる。月が大小で二つあるのはご愛嬌だろう。
さっきから「この世界」や「前世の世界」と言っているが、両親や使用人達の言葉から、ここは日本どころか、前世で生きていた地球とは、次元が異なる場所である可能性に気づいた。
端的に言えば、異世界だ。
まだ確実な情報ではないが、オレが聞いている情報の中では、この世界はオレが前世でハマっていたネットゲームの『グロリス・ワールド』の世界に酷似しているようだった。
神の眠れる世界カルチュア——
唯一の大陸、ミュージシアン大陸。
それはまさに『グロリス・ワールド』の舞台となる世界と同じ名前だった。
そうだ、これは四つ目の幸運として、数えてもいいかもしれない。
もしかすると、この世界には、美しいエルフの乙女やモフモフの獣人の子供がいるかもしれない。
古代帝国の遺跡には、まだ誰もが見つけていない財宝が眠っているかもしれない。
前人未到の秘境が残っているかもしれない。
そして、『グロリス・ワールド』最大の魅力であった、神秘的な言葉による奇跡の技——ルーン魔術が使えるかもしれない。
剣と魔法の世界、そのフレーズがオレの魂を刺激する。
ついさっきまで、現実を認める覚悟がなく、ウジウジとしていたというのに、この世界に対してワクワクし始めている自分に呆れてしまう。
ただし、忘れてはいけないことがある。
オレの体はまだ三歳児であるということだ。
いくら前世の記憶があり、精神年齢が二十歳の男のモノであっても、この世界の常識もなければ、体力も腕力も、夢を叶えるには足りな過ぎる。
あと十年くらいは、親の庇護のもと勉強をしたり、体を鍛えたりする必要があるだろう。
できれば、野外で活動するためのサバイバル技術なんかも学びたいところだ。
コンコン。
と、オレが決意を新たにしていたところで、ノックがされて、使用人のお姉さんが部屋に入ってきた。
「おはようございます。お嬢様、お着替えはお済みですね。洗顔と朝食の準備は整っております」
……あとは、淑女としての嗜みとかも覚えないと、かな?