家族コンプレックス
オレに残っているもっとも古い記憶は、白い雪の思い出。
漆黒に染まった夜空から、次から次へと降ってくる純白の白い結晶。
その雪の冷たさに凍え、風の冷たさに震え、逃げ出したい気持ちは、実の親に言われただろう「そこにいなさい」という言葉に抑え込まれ、小さな両腕で自身を抱きしめて、ただじっと立っていた。
今でも寒い季節が好きになれず、火を灯した暖炉の近くにいると落ち着くのは、その原体験のせいだと思う。
次に気がついたときは、病院のベッドに横たわって高熱でうなされていた。
後で児童養護施設の職員から聞いた話。
オレは、施設の建物のドアの前で死んだように倒れていたらしい。
たまたま夜中に起きた職員がいなかったら、そのまま寒さで本当に死んでしまっていた可能性が高かったと言われた。
病院に運ばれたときのオレは、それほど危険な状態だったらしい。
後遺症らしい後遺症もなく退院できたことは、幸運なことだったそうだ。
オレは、実の親の顔をよく覚えていない。それどころか、自分の本当の名前や施設に来る以前は、どこでどうやって暮らしていたかも覚えていない。
高熱を出した影響か、心理的な作用があったのか、オレの記憶の中からは雪の日より以前のことが綺麗に消えていた。
実の両親が、オレを児童養護施設の前に放置していった。
それが白い雪の日に残った、たった一つの事実だ。
警察が調査してくれたようだが、オレの住民登録は見つからず、親どころかオレの生まれたときに付けられた名前も結局わからなかった。
もしかしたら、警察の調査が足らなかっただけかもしれないが、そもそも出生届が役所に提出されておらず、生まれたときに名前が付けられていたかどうかも定かではない。
今となっては真相はわからないし、どうでも良かった。
大杉健太郎という名前は、施設の前で倒れていたオレを最初に見つけてくれた職員の人に名付けてもらった名前だ。
「健太郎」と「元雪」のどっちにするかで悩んだという。
シンプルに健やかに育つ男の子という意味で「健太郎」か、雪にも負けなかった元気な子で「元雪」。
結局、オレ本人にどっちがいいか訊いて決めたらしい。
「もとゆき」より「けんたろう」のほうが、文字が多くてかっこよく聞こえたんだろうな、幼い頃のオレ。
オレが中学生になったばかりの頃、オレと同じようにドアの近くに捨てられていた幼児を抱きかかえた職員の人が、ポツリともらした言葉を聞いてしまったことがある。
「なんで、自分の子供を捨てられるんだろうな……自分の血をわけた愛しい存在なんじゃないだろうか」
その寂しいとも悲しいとも言い表せない職員の表情と、その職員に抱かれて笑顔になっている幼児の光景は、今も楔のように心に残っている。
家族への……それも特に親というものに対するコンプレックスなしには、前世のオレは語れない。
多くの人によって構築される関係の中には、異質なものを見抜き、その者を仮想敵にすることで、自分の力を示そうとする者は少なからずいると思う。
それは子供同士の社会でも変わらない。
むしろ、子供のほうが、善悪の判断基準がまだ曖昧な分、そういった行為は無思慮にエスカレートしてしまうことをオレは身を持って知った。
率直な言葉で言えば、いじめっ子からいじめを受けていた。
前世の世界は、高度な情報社会であったがため、他人の情報がそれこそ簡単に手に入ってしまう世界だった。
特別、積極的に調べたわけではなくても、いつのまにか見たり聞いたりして「知っている」ということがよくある。
「情報社会の弊害」の一つと言われていたらしいが、詳しくは知らないし調べようとも思わなかった。
事実として、オレは「親がいない可哀想な子供」という存在で、そのことで他人から差別のようなモノを受けていた。
同年代の子供たちがオレをからかい、笑うたびに強い憎しみを覚えたし、大人からは無思慮な優しい言動を受ければ、安い同情だとひねくれた考えから、悔しさと悲しみを感じた。
今思うと、少しばかり被害妄想もあったかもしれない。
オレは高校の入学を機に、進学先は地元から遠い学校を選んだ。
そこで初めて、オレの事情を知らない友人を作ることができた。
初めてできた対等と思える友人関係は、照れくさくもくすぐったいものだった。
その頃からオレは、徐々にネットワーク、古くはインターネットと呼ばれていた電子の世界にハマりつつあった。
当時、すでにネットワークは『第二の社会』と比喩されるほどに複雑化された世界を構成していた。
そこには個人情報を自分から明かさない限り知られることはないし、誰も訊いてこないという、ネットマナーと呼ばれる暗黙の了解があった。
そして、相手が言っている実際の情報がすべて正しいと受け取る必要もなく、その場のみの関係で良かったのが、オレにはぴったりだった。
学校でできた友人とネットワークでつながった仲間。オレの灰色がかった生活は急変し、彩り鮮やかになっていた。
しかし、その頃から、オレは自分自身の情報を他人に話すことを極端に隠したがる癖ができていた。
自分の事情を知った友人や仲間が態度を変えてしまうこと、関係が変わってしまうことを恐れた。
高校の卒業とともに、児童養護施設からも出て、高校時代にバイトで貯めたお金をもとに一人暮らしを始めた。
そして、オレは『グロリス・ワールド』と出会った。
その世界では、支援魔術師として確固たる価値があるオレの姿があった。
オレはその価値をもっと確かなものにしたくて、ゲームにのめり込んだ。
求められることが嬉しかった。
自分が誰かに必要されていることを実感できたから。
困ってしまうくらいに求められることが嬉しくて、けれど、それは本当の意味で「自分」が求められているわけではないことを知って、気分が悪くなって、逃げ出して、でも逃げ切れなく——。
なんの因果か、ユリアという少女に生まれ変わった。
親の優しさというものを知った。
家族の温かさというものを知った。
失いたくないと、壊れて欲しくないと願った。
オレが自分を偽り、黙っていたのが罪だというならオレだけを罰すればいいのに。
オレのせいでユリアの両親が不幸になるというなら、オレが二人の前から消えるから。
だから、神様、お願いします……。