忘れられない夜の始まり
「ジルー、ご飯だよー」
「がうっ!」
結論から言えば、プラチナウルフの子供は、バーレンシア家の屋敷で飼えることになった。
あの後、オレがこっそりと魔術で、足の怪我を治してやると、それを察したのかプラチナウルフの子はとてもおとなしくなった。
帰宅の時間になり、ウェステッド村に戻ってきた父親にオレがジルを飼いたいことを伝えると、あまり良い顔はしなかった。
想定内の反応だったので、オレはすかさず《愛娘の最終必殺技》で撃沈させておいた。
親バカじゃなければ、悲しげな顔をした娘のおねだりを簡単に断れただろう。
しかし、父親は典型的な親バカです。
渋々ながら了承した父親と一緒にジルを屋敷に連れて帰った。
母親は、ジルのご飯を食べる可愛らしい姿を見て一発で賛成。
ロイズさんは、最初は顔をしかめていたが、最後には番犬代わりになるかもな、と消極的に賛成。
名前はオレが付けた。
《ジル》というのは、「銀」の意味を持つルーンから取ってみた。
それから念のために、魔術で瞳の色も毛皮と同じ焦げ茶色に変化させている。
霊獣であることは、いつかバレるかもしれないが、できるだけバレないようにしておいたほうが、良いだろうと思ったからだ。
こうして、母親の出産より先に、我が家に新しい家族が増えた。
首輪代わりの組紐を巻いて、オレが魔術の訓練で使っている広場の近くで拾った碧い石をペンダントとしてつけている。
ルーンストーンの実験に使おうと思っていたが、まあ、また拾えばいい。
「ジル、待て……、お座り……、伏せっ」
「がふっ……がうっ……」
オレの指示に従い、ご飯を前にうつ伏せの体勢になる。
ばっちりオレのことをボスとして認識しているようだ。
目がご飯に釘づけなのは、まぁしょうがないだろう。
やはり、知性が高く人の言葉を理解しているからか、「待て」などの合図を一度教えただけで覚えた。
さらにオレが魔術を使えることも理解しているようだ。
『グロリス・ワールド』において、使い魔はプレイヤーの補助をしてくれる自律型キャラクターだった。
動物や妖精などのモンスターを手なづけて、使い魔にする。
確か霊獣は、その特性として、魔力に対する感覚が鋭く、魔導を持っていることが多い。
そこでジルの能力をルーン魔術で細かくチェックしたところ、【身体強化】の魔導を持っていた。
【身体強化】とは、その名称が示すとおり、魔力を消費して自身の身体能力を強化する魔導だ。
シンプルで勝手が良い魔導と言える。
「よし」
「がうっ! はぐはぐ……」
霊獣が生まれるには、二通りのケースがある。
普通の動物同様に、番となった親から生まれるケース。
また霊獣の場合、番になるのはまったく同じ種ではなくても、似たような種となら子を生せるらしい。
例えばプラチナウルフであれば、同じようなオオカミの霊獣である「ルナティックウルフ」や魔獣に分類される「スカーレットウルフ」とも交配できるようだ。
もう一つのケースが、世界を巡る力によって生み出されるケースだ。
この世界において、霊獣と呼ばれる生き物は自然発生することがある。詳しい説明までは覚えていないが、世界を巡る力がある一定量が集まると、そこから霊獣が誕生することがあるらしい。
ジルの場合は、このケースで生まれた可能性が高い。もし番から生まれたのならば、まだ小さいジルが一匹で森をさまよっていることはなかっただろう。
それは、同種であるプラチナウルフ自体はどこかにいるが、ジル自身には血のつながった家族はいないことになる。
「ジル……お前とわたしは同じなのかもね」
「がう?」
「ううん、なんでもない」
心配そうな目でオレを見上げてくるジルの頭をなでてやる。
「ほら、わたしのことは気にしないで、しっかり食べなさい」
「がうっ……もぐもぐ……」
オレには血のつながった両親はともに揃っているが、オレはその両親を欺き嘘をついている。本当の子と言えるのかわからない。
それはしょうがないことだと理解しているし、納得し、わりきっていたつもりだった。
ジクリ……と、なぜだか胸の奥にかすかな痛みを覚えた。
ジルを思う存分に愛でてから屋敷の中に戻ると、廊下で母親が不審な挙動をしていた。まるで張り込みをしている刑事のような動きだ。
「あの? お母さま、何をしているんですか?」
「しー、ユリィちゃん、静かに」
そう言って人差し指を唇に当てる。こういう子供っぽい仕草がよく似合う人だな。
窓からこっそりと裏庭を眺めていたようだが……外からは、ロイズさんとハンスさんが稽古をする音が聞こえてくる。
二人の様子を覗き見していたのだろうか?
「ほら見て、ユリィちゃん」
そう言って母親が指さす先には、アイラさんが立っていた。
思い返してみれば、アイラさんは二人の稽古が終わる頃になると、毎日水と手ぬぐいを用意している。
まるで運動部の女子マネージャーのような甲斐甲斐しさだ。
オレが年の近い純粋な部活少年だったら思わず惚れちゃうね。青春だ。
もちろん前世では、そんな甘酸っぱいような出来事はなかったけど。帰宅部だったし……。
「あの表情と眼差し、そして毎日欠かさずに稽古を見学している理由……これは恋ね」
むちゃくちゃ楽しそうな顔をする母親。
女性の「恋愛話や噂話が大好き」という生態は、世界が変わっても変わらないようだ。
「ねぇ、ユリィちゃん、アイラお姉さんとハンスお兄さんが恋人同士になったら、とっても素敵だと思わない?」
ふむ……?
しっかり者に見えて、結構ドジっ娘な面があるアイラさん。
体育会系に見えて、結構情けないところがあるハンスさん。
……ビミョーにチグハグじゃないかな?
アイラさんにはドジっ娘なところをフォローしてくれるような気が利く男性が、ハンスさんには情けないところも笑って和ませてくれるような女性が似合うと思うんだけど。
いや、アイラさんがハンスさんに惚れているなら、オレがとやかく言える問題ではない。
むしろ、全力で応援するつもりではある。
ハンスさんは、悪い人じゃなさそうだから、良い旦那さんにはなるだろう。
それに父親から聞いたのだが、地軍は王都の防衛を担っていて、王国軍の中でも比較的エリートな部隊だそうだ。
となると、ハンスさんの給料は一般的に良い方なわけで、経済的にも……
「悪くはない、です」
「でしょでしょ?
こうなったら、ハンスさんにも豊饒祭に出てもらって、『花贈り』にも参加してもらわなきゃ!」
『花贈り』というのは、豊饒祭におけるちょっとした風習で普段の思いを花に託して贈り合うというものだ。
豊饒祭の時期になると村の近くで自生しているいくつかの花が、鮮やか花を咲かせる。
花の色によってその意味が変わり、黄色なら「感謝」、白色なら「親愛」、赤色なら「愛情」となる。
これは、先日イアンの宿題で知ったばかりの情報だ。
オレとしては、バレンタインデーのお菓子みたいだなと思った。
どうやら母親は、アイラさんがハンスさんに赤い花を贈る姿を夢見ているようだ。
「けど、ハンスさんには王都に恋人がいるとか、もしかしたら婚約者がいたりするんじゃないですか?」
「うっふっふ、大丈夫よ。その辺りは、あの人経由でバッチリ確かめてもらっているから。
軍の仕事が忙しくって、二年前に当時の恋人に振られてから、独り身でいるって聞いたわ」
この話には、すでに父親も一枚かんでいるのか……。
いや、母親に巻き込まれたっていうのが正しいと思うけど……と、いつかの酒盛りの与太話がオレの脳裏をよぎる。
まさか……、父親はハンスさんがオレに手を出さないように母親の計画に協力した、とかないよな?
「あ〜あ……アイラさんがハンスさんに赤い花を贈る光景を直接見たいけど、ちょっと無理そうよね。
ユリィちゃん、わたしの代わりに二人の愛の行く末を見届けてきてね?」
真剣な目をして、オレの両肩に両手を置く母親。
愛の行く末って、表現がオーバーすぎな気が……はい、そんなキラキラした目をされたら断れません。いつも自分が使っている技だけになっ!
「あ……ユリィちゃん、ごめん……シズネさんを探してきてくれるかな?」
「?」
「お腹が、ちょっと痛くなってきた、かも……」
「!?」
そして、オレの新しい人生において、忘れることのできない一夜が始まった。
オレが知らせた後のシズネさんの指示は素早かった。
「まず、コーズレイト殿は、馬でバーレンシア男爵を探して、できるだけ早く屋敷に戻るように伝えてください。
アイラさんは、鍋でお湯を沸かす準備をしてちょうだい。それとなにか手軽に食べれる物を用意して。
ハンスさんとユリアちゃんは、この部屋に洗いたてのシーツや手ぬぐいなど、清潔な布類を集めて……の前に、ハンスさんは自分の汗をぬぐって体を綺麗にするのが先ね」
次々と飛ばす指令は的確で頼もしく、誰もが異論を挟むことなく従う。
そうして一時間ほどで準備が整って、客室の一つが、出産のための部屋へと変わった。
部屋の準備が終わるとハンスさんは、アイラさんの手伝いに台所に向かった。
オレは、その部屋の前で、アイラさんが用意してくれた椅子に座って静かにしていた。
『バーレンシア夫人、具合はどうだい?』
『ん、今は痛みが少し収まっています』
『そうかい、まだ少しかかりそうだね……それで、…………だね?』
『はい、先日…………通りにお願いし……』
母親とシズネさんの会話が、扉越しに途切れ途切れに聞こえてきた。
聴力を上げるルーン魔術を使おうかとも思ったが、シズネさんの集中力を乱すと危ないと思って止める。
それからも、部屋の中からぼそぼそと聞こえてくる声に耳を澄ませながら、アイラさんやハンスさんが部屋の前に交互にやってくるのを見守っていた。
シズネさんもアイラさんから軽食を受け取りに出てきて、すぐ中に戻ったり、屋敷の中は慌ただしくも張り詰めた緊張感に満ちていく。
シズネさんの号令から一刻(二時間)ほど経って、表の方から馬がかける蹄の音が聞こえてきたかと思うと、豪快に玄関の扉が開く音が屋敷中に響いた。
父親がオレの近くにやってくるのと同時に、部屋の中からシズネさんが出てきた。
「今戻りました! シズネさん、マリナの様子は?」
「まだ破水は起こしてない。ただ陣痛の間隔が短くなってきている。これから一刻くらいが山場になるだろうね」
シズネさんが扉を開いた時、中から母親が浅く繰り返すような息遣いが聞こえてきた。
「そうですか……」
「……バーレンシア男爵、夫人には最後の確認はとった。だから、後は先日相談した通りに」
シズネさんの言葉に、父親が神妙な顔をしてうなづいた。
「ひとまず、台所でお湯を用意しているから、手ぬぐいで体をふいて、それが終わったら清潔な服に着替えてきておくれ」
「わかりました。ユリア、一緒に来なさい」
「はい……?」
なぜ、オレが呼ばれたのだろうか?
「僕たちは、今から体を清めて新しい服に着替える。
それが終わったら、二人でシズネさんの手伝いをするんだ」
「!?」
今、なんかとんでもないことを言われたような?
「ああ、大丈夫。ユリアに出産のことを直接手伝ってもらうわけじゃなくてね。
一緒の部屋でマリナのことを応援するだけでいいんだよ。
今回の出産に、ユリアを立ち会わせたいというのが、マリナの希望なんだ」
オレの混乱を心配と受け取ったのか、笑みを浮かべながら父親が優しく説明を補足してくれた。
「お母さまの?」
「ああ……ユリアは、女の子だから、いつか母になるために子供を産む。だから。そのときのために少しでも母としての思いを伝えたい……んだそうだ。
もちろん、ユリアが母になるには、まだまだ早すぎると、僕は思うんだけどね」
「……わかりました」
うん、セリフのアクセントの付き方が父親らしくて、不覚にも笑いそうになってしまった。
そして、母親が母であることをしっかりと再認識させられた。
いつもは天然で若い少女みたいでも、子供を生んでくれた母であるのだ。
やっぱり、母は強しってやつなんだろうか。
胸中が温かい気持ちに包まれる。
神様……、ありがとうございます。
オレを送り出してくれた前世の神様と、オレを迎え入れてくれたこの世界の神様へ。
話をしたことも、見たこともないけれど、オレをこの二人の下に連れてきてくれたことを感謝します。




