村の子供達と狼の子
何事もなく三日が過ぎた。
朝起きると、両親やシズネさんの様子に特に変わったところもなく、あの夜の出来事は夢だったのでは? と思えるくらいだ。
「それじゃあ、行ってきます!」
「いってらっしゃい、あなた! ユリィちゃんも気をつけてね」
玄関で母親が盛大に手を振ってくれる。
今日は、オレが屋敷から出て、村に向かう日だった。
一巡りのうち、基本的に第五日と第十日の二日間は村に通っている。
仰々しく送り出されたものの、領内の村を馬で回る父親とは違い、オレは目と鼻の先の村の中で過ごすだけだ。
慣れなかった馬での移動も、最近はなんとなくコツが掴めてきた。と言っても、馬を操っている父親に抱きかかえられた二人乗りだし、乗っている時間もほんの数分だけだが。
最初の目的地である村長の家の前に到着すると、一人の女性が待っていてくれた。
「おはようございます。ご領主様、お嬢様」
「ライラ殿、いつも出迎えありがとう」
「おはようございます、ライラさん!」
父親に馬から降ろしてもらい、一緒にライラさんへ挨拶を返す。
俺たちを出迎えてくれたのはライラさん、女性でありながら、この村の村長を務めている女傑だ。
「いえいえ、ご領主様とお嬢様のためなら、お屋敷で迎えにでも苦にはなりませんわ」
その柔和な人柄から、多くの村人から慕われている。
元々は村長だった旦那さんが亡くなった際に、一時的にと村長の代理を請け負っていたのだが、村の人達の支えもあり、父親の任命で代理ではなく本物の村長となったらしい。
「何か問題はあるかな?」
「問題というほどではありませんが、豊穣祭の件でいくつかご領主様にご確認したいことが……」
ちなみに名前の響きが似ているとおり、アイラさんの実の母親でもある。
アイラさんを産んだにしては、若く見える人と思っていたのだが、母親という例もあるので、そんなものかなと思っていた。
アイラさんが十五歳という年齢であったら、年相応に見える女性だ。
容貌はシャープな輪郭に整った口と鼻、キツイ感じの目付きで濃い茶色の瞳。アイラさんとよく似ている。
髪の色は濃い茶色で、アイラさんの赤茶っぽい色とは違う。アイラさんの髪の毛の色は、亡くなった父親からの遺伝なのだろう。
「それじゃあ、ユリア、僕は他の村も回って来るよ。僕が帰ってくるまで、寂しい思いをさせてしまうけど、我慢しておくれ」
「だいじょうぶです! お父様、行ってらっしゃい!」
二人の相談が一段落し、父親は再び馬にまたがると、馬上からオレとの別れの挨拶をする。我慢なんてしていません。
父親を見送ると、オレはライラさんに連れられて、近くの村の広場へと移動する。
「それでは、私は家におりますので、何かあったら、すぐに声をかけてください」
「はい! わかりました」
オレの返事にうなづいて、ライラさんは家の中へと戻っていく。
ライラさんの家の横にあるちょっとした広場は、村の集会場所となっており、日中は、村の子供達が遊び回る場所でもある。
三人の子供が、近寄ってくるオレを出迎えてくれた。
「よう、今日こそは負けないぞ!」
「おはようです。ユリアちゃん」
「ゆぅちゃん、おはよぉ」
いきなり勝負をふっかけてきたガキ大将がイアン。
ツンツンした赤髪に、黄土色の瞳がヤンチャな性格を表している。歳はオレの一つ上。
少しおっとりとした雰囲気を漂わせる少女がサニャ。
艶のある黒髪から、ピョコンと猫の耳が飛び出ている。彼女は爪族と呼ばれる猫の特徴を持つ獣人の血を引くハーフだ。
澄んだ青い瞳を持つ美少女で、イアンと同い年。
最後の少し舌足らずな挨拶をした小柄な少年がクータ。赤茶色の髪に焦げ茶色の瞳。
彼の種族は、草原の妖精と呼ばれるポックルだ。オレと同い年ながら、背丈が頭一つ分以上低い。
というのも、ポックルというのは成人しても他の種族に比べて、ずっと小柄で幼く見える特徴を持っている。
クータはいつも無邪気そうにニコニコしている小犬系癒やし少年である。
「イアン、サニャちゃん、クータ君。おはようございます」
今ここにはいないが、この三人の兄貴分的な存在であるシュリという少年と、その妹のシュナちゃんを含めた五人が、今のオレの幼馴染となる友達だ。
「よし、勝負するぞ! 手を抜いたりするなよな!」
「もっちろん!」
「今日は、村外れの一本杉を回って、先に戻ってきたほうが勝ち。いつもと同じで、負けた方は勝った方の言うことを一つきく」
「おっけー」
挨拶も早々に二人で準備運動をしながら、勝負の条件を確認する。
この駆けっこ勝負は、オレがイアンと初めて会った時に、いきなりふっかけられた。新参者との格付けみたいなものだろう。
その結果は、オレが勝利したのだが、どうやらイアンは見た目通りに負けず嫌いであって、毎回の恒例行事となっている。
イアンは、大人顔負けで走ることができたので、オレに会うまでは、子供の中で一番足が早かったのだ。
初対面の相手に、自身が得意な分野で一方的に勝負を挑むのは、あまりフェアとは言えないが……
「《ウィス リァート ハンス・ド・レム(風と駆けるは馬の脚)》」
オレは、ルーンをつぶやき、走力を高める魔術を自分にかける。
まぁ、これも実力のうちってことで?
「ぜぇはぁ……くっそ、はぁはぁ……」
ふっ、結果がわかっている勝利とは虚しいモノだな。
「ゆぅちゃん、おつかれさまぁ」
木製のコップに汲んだばかりの井戸水をいれて、クータ君が渡してくれる。イアンの方にもサニャちゃんがコップを渡していた。
二人共、駆けっこ勝負の対応にも慣れたものだ。
「コクコク……ふぅ」
オレは受け取って、一気に水を飲み干す。走って火照った体に冷たい水が染み渡る。
か〜、この一杯のために頑張れる。なんて、古いお酒のCMみたいなキャッチフレーズが口から出そうになった。
「さて、それじゃあ、イアン。わたしが勝ったから、今日も楽しくお勉強ですよ?
それが終わったら、森へ木の実拾いに行きましょう」
「また勉強っ!? たまには勉強以外にないのかよっ!」
「あのあの、イアンくん、お勉強楽しいよ? それに、勝ったのはユリアちゃんだし……」
「サニャ! おれはやらないと言ってないだろ!」
初対面の時、勝負に勝ったはいいが、何をやらせればいいのか迷った末に、オレはイアンに勉強を教えることにした。
この手の子供に、勉強ほどキツイ罰ゲームはないと思ったからだ。
「おはようございます、お嬢様。ちょうどよいタイミングだったみたいですね」
「ゆーゆ」
「シュリ、シュナちゃんも、おはようございます」
そこに、赤ん坊をおぶった少年がやって来る。
少年のほうがシュリ、おぶわれている赤ん坊がシュナ。二人は兄妹で同じ茶色がかった黒髪に、濃い緑色の瞳をしている。
森林の妖精族と呼ばれるエルフの血を僅かながら引いているらしく、二人共幼いながら繊細で儚げな美しさをまとっている。
歳はシュリがオレより三つ上で、シュナが四つ下の一歳児だ。
シュリは生真面目なのか、様付けをやめるようにお願いしても「お嬢様」と呼ぶことを譲らない頑固なところがある。
ただ、それは自分だけの決まりらしく、イアンやサニャちゃんがオレのことをどう呼ぼうとも気にしていない。なので、オレのほうが先に諦めてしまった。
「お嬢様、先日教えてもらった『三ヘイホウのルール』ですが、確かにそういう答えが出るのですが、どうしてそうなるかがわかりませんでした」
「ん〜? 答えが知りたい?」
「できれば、もう少し自分で考えたいと思います」
「それじゃあ、ヒントね。以前、教えた四角形と三角形の面積の求め方を使うんだよ」
「ありがとうございます。それでは、今日は何を教えてもらえるのでしょうか?」
「ボクねぇ。ちゃんと『ひゃく』まで数えられるようになったんだよぉ」
「わたしは、詩の書き方についての続きが知りたいです」
元々イアンへの罰ゲームで始めた勉強会だが、イアン以外の三人にはすこぶる評判だった。
簡単な読み書きと算数を教えたところ、シュリとクータ君は数学に、サニャちゃんは詩歌の創作にハマっていた。
「順番にね。まずは、イアンに宿題を教えてもらおうかな」
「今度のまつりについて、話せばいいんだよな?」
「あ、発表は地面に文字で書いてもらおうかな!」
「うげっ、調べてこいって言うから、話すだけじゃダメなのかよ」
「せっかく、文字の勉強をしているんだから、ちゃんと復習もしないと、ね?」
そして、イアンはブツブツ言いながらも、手ごろな枝を拾って地面に文字を書き始めた。口調は少し悪いけど、イアンも真面目ないい子なのだ。
彼らは気づいているだろうか?
貴族の子供であるユリアが彼らに付き合わされているのは、ある種ユリアのための情操教育なのだろう。
農家にとって、五歳ともなれば十分に家の手伝いができる年齢だ。
それを一巡りに二日、五日に一度の割合で、オレの相手をさせているのだ。
両親はそこまで深く考えていないかもしれないし、ウェイステッド村の人たちからすれば、領主の令嬢を持て成すのは当たり前のことかもしれない。
……ま、もっとも彼らも家の手伝いをするより、オレと一緒に遊んでいるほうが楽しいだろうし。
オレが、彼らに勉強を教え続けているのは、ちょっとしたお礼の気持ちだった。
前世の記憶があるオレからすれば、彼らは友達であると同時に、守るべき子供、という意識があった。
知識は、諸刃の剣であるということを知っている。
知識は、毒にも薬にもなる。
知っていることで救われることも、知らなければ救われることもある。
オレの自己満足の教育によって得た知識が、いずれ彼らが自身を守る力となってくれることを願っている。
「しゅーにぃ! ゆぅちゃん! こっちきてー!」
森で木の実を拾っていると、遠くからクータ君がオレとシュリを呼ぶ声が聞こえた。
何かあったのか? その声が聞こえた瞬間、オレは走り出していた。
「クータ君! どうしたの!?」
「ゆぅちゃん、あれ……」
「ぐるぅぅるぅ……」
クータ君が指差した先に、焦げ茶色の子犬が、こっちを威嚇していた。
「あれは、ブラウンウルフの子供ですね。
お嬢様、クータ君、危ないから、それ以上は近寄らないでください」
「しゅーにぃ。あのこねぇ、けがしてるぅ」
オレのすぐ後ろから、シュリとイアン、サニャちゃんも集まってきた。
ほんのさりげなく、オレとクータ君を守るような位置に立つ男の子二人。その行動はポイントが高いな、うん。
クータ君が指摘したとおり、子犬ではなく、狼の子供は後ろ右足を出血している。
その足が地面に横倒しになった枯れ木の裂け目にハマってしまい、この場から逃げ出すことができないようだ。
「このまま、ここから石を投げつけようぜ」
「そうですね。それがいいかもしれません」
イアンとシュリの言っていることは正しい。ブラウンウルフの子供であるなら、ここで退治してしまうのが良い。
家畜も飼っている村にとって、野生の狼は害獣なのだ。
『!?』
こちらの意図を悟ったのか、ブラウンウルフの子供の目に怯えが見えた。
……あれ? よくみると、綺麗な銀色の瞳をしている?
「《モア モァール ジユル テラール(瞳が見る獣を知る)》」
シュリの背中越しに、ルーン魔術をかけ……あ、失敗した。魔術への抵抗力がかなり高いな。
これは、普通の狼ではない気がする。
今度は消費魔力を増やして、相手の抵抗力を突破するイメージを強めて……と、今度は成功した。
どれどれ……ふむ。
「……安心して、わたしたちは敵じゃないから」
「お嬢様!?」
「おい、お嬢、近寄ると危ないぞっ!」
ルーン魔術の結果を信じるなら、この子はブラウンウルフの子供ではなく。霊獣であるプラチナウルフの子供だ。
霊獣であるなら、狼の子供に見えても、人の子供と同じ程度の知性を持っているはずだ。もっとも、知性があるからといって人に対して友好的であるとは限らないが……。
「みんな、わたしに任せて……、この子は私が育てるから」
これも独善かもしれないが、知性のある相手……それも子供を殺すことに後ろめたさ罪悪感を覚えてしまった。
きちんと打算もある。
霊獣であるならば、うまく育てれば強力な使い魔、つまり魔術師にとっての片腕とも呼べる仲間にできるかもしれない。
使い魔に支援魔術をかけることで攻撃を担ってもらうこともできる。攻撃魔術が使えない分、間接的にでも防衛手段は多く持ちたい。
もっとも、この世界で霊獣を使い魔にする方法を調べなきゃだ。
『グロリス・ワールド』みたいに、ボタン一つで使い魔にすることができないだろうし。