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永禄8年三河脱出

祖母である寿桂尼より話を聞かされた、今川義元の嫡男であり、駿河国、遠江国の2カ国の太守である今川氏真は怒りのあまり駿府館において立ち上がり扇子を投げつけていた。


よもや、自分の従姉妹であり、義兄妹となっていた瀬名姫がここまで酷い仕打ちと生活を強いられていることを今日の今まで知らなかったからである。


名門中の名門である今川家の御曹司に生まれた今川氏真にとって貧困と言う苦労は皆無だったからである。

しかも従姉妹である瀬名姫だけでなく、甥にあたる竹千代が虐げられており、しかも崇拝する偉大なる父今川義元にそっくりだと言う理由で更に立場を悪くして命まで狙われていると言う。

当然のことであるが、身内としてその行為は許すことができないことであり、三河への出兵をも考えるほどに逆上していた。

良くも悪くも、名門中の名門で御曹司として育った今川氏真は、身内に対して情に厚く人の良い人物だったのである。


今川氏真は、祖母寿桂尼と連盟で駿府館に今川家の諸将を集めてことの次第を説明した。

氏真の話を聞いた諸将は、瀬名姫と竹千代の不遇さに涙して啜り泣く者がほとんどであったが、数名だけは竹千代の話を聞き、今川家に迎え入れれば強き今川家を取り戻せる可能性があるやもしれぬと目の奥を光らせたのである。



三河の国の山中に幽閉されている俺は、本格的な命の危機を感じていた為、他国へと脱出することを決意していた。

しかしその逃亡先が大きな問題となってくるのだが、今が永禄8年「1565年」4月であることを考えれば母瀬名姫の実家である今川家は何とか駿河の国と遠江の国の支配を保っており、母瀬名姫の祖母の今川家の影の実質的支配者寿桂尼も生存しているはずである。


今川氏真に関しては、三河の国が今川家より離反した原因を作った徳川家康を恨んでいるのは当然であり、表面上はその嫡男である俺のことは良く思わないであろう。


しかし寿桂尼が存命の今であれば最悪俺がどうなったとしても、母瀬名姫の命を救うことが出来るはずだと考えたのである。


そんな決意を固めた晩に俺は天井に向かって喋りかけていた。

普通に他人がみたら貧しい生活に遂に気が触れてしまったと思うであろう。

だが俺は確信を持って話しかけており、事実天井裏に潜む話しかけられた者は仰天していたのである。

そう俺はこう話しかけたのだ。


「いつも俺と母瀬名姫を陰ながら守っていてくれてありがとう。この竹千代心からお礼をもうす。そして其方に折り入って相談があるのだ。だから俺の前に姿を現してくれ。いるのはわかっている。服部半蔵正成よ」


そう、俺は以前知らされていた俺の唯一の味方の一人は服部半蔵正成と確信していたのである。

史実において徳川家康の命で徳川信康の首を刎ねる際に涙で斬れなかったと言う説や、似たような年齢、背格好の配下の者を身代わりに仕立てて、信康を三河の国の山中に匿い生涯その命と生活を守り続けたと言う逸話があるのである。


現在史実とは状況が異なるが、主命に背いてまで徳川信康を守った服部半蔵正成が俺を見捨てるはずがないと思ったからである。


そして俺の言葉に応えて、服部半蔵が暗闇よりスッと姿を現したのであった。


服部半蔵よりなぜ自分のことを知っているのか尋ねられたので、勿論平八郎忠勝や母瀬名姫より徳川家臣団の話は聞いており、死んだ父徳川家康の真の友であった服部半蔵が俺を見捨てるはずはないと思ったと答えると、服部半蔵はその場で号泣した。


俺は服部半蔵に事情を説明して、駿河への逃亡について計画を立て、母瀬名姫と本多平八郎忠勝からの了承も得ることができた。


服部半蔵も母瀬名姫も本多平八郎忠勝もこのままでは俺達の命がなくなるのは時間の問題でありどこかへ逃げねばと考えていたらしい。


ただその逃亡先が駿河の国とは誰も思いつかなかったようである。


計画決行は梅雨の雨の夜と決まった。

まず服部半蔵とその配下の者達が荷車に乗せた母瀬名姫とさつま芋などの必要物資を持ち先行した。


俺と平八郎忠勝は時間をあけて早朝早くに駿河に向けて道を急いだのである。

俺の背には6歳児が背負うには大きすぎる宗三左文字がくくりつけられている。

最初は旅の邪魔になるので母瀬名姫に運んでもらおうと考えたのだが、何故かこの刀を自身の手元より離してはならぬ気がしたのである。


母瀬名姫達が遠江に入り、俺と平八郎忠勝がちょうど三河を脱出できるかと言うところで、世良田二郎三郎の配下の者達に俺達親子が軟禁場所にいないことに気がつかれてしまった。


俺と母瀬名姫達は別々に行動してはいるが、運悪く両方が追手に見つかってしまう。


母瀬名姫の護衛である服部半蔵とその配下の者達は、腕は立つが目立たずに逃げる為に少数精鋭の為、半蔵を合わせて配下の者が2名だけであり多勢に無勢である。


また母瀬名姫を守りながら戦っている為、忍者特有の戦い方が出来ずに苦戦しており、半蔵の配下の者が一名弓で討ち取られてしまった。


母瀬名姫はもはやこれまでと覚悟を決めた際に、急に前方の敵達が矢で射られて倒れ出したではないか。


ふと背後を振り返ると騎馬に乗った武者と兵達がこちらにむかって駆けてくる。


「瀬名姫様御無事か。ここは某が引き受けもうした。早く安全な所へ逃れられよ」

「朝比奈殿、こ、これは夢であろうか」

「夢ではござらん。ささ早く」


母瀬名姫の窮地になんと今川家家臣掛川城城主朝比奈泰朝が現れて救ったのあった。


同じく俺の方にも追っ手が来ており、平八郎忠勝が蜻蛉切りを振り回して前線しているがやはり他勢に無勢である。


しかし突如現れたアラブ馬と思われる白馬に乗り俺は今街道を駆けている。

この謎の白馬に促されて背に乗ると急に駆け出したのであった。


俺が駿河方面に向かったのを確認した平八郎忠勝は、敵の馬を奪い俺の後を追う。

この馬赤い手綱をしていることから野生の馬ではないようだが、前田慶次郎の松風以外に戦国時代にこのような巨馬がいるとは聞いたことがない。

よく見ると金で刺繍のようなものが施されており、それは今川赤鳥のようにもみえる。


まさかなと俺は考える。

白馬の背に乗って駆けていると、前より騎馬に乗った軍勢が現れた。


俺は新手の追手かと思い白馬で振り切ろうとするが、何故か前方の軍勢の前で足を止めた。

軍勢の指揮官だと思われる男が出てきて俺の顔と白馬と俺の背にある宗三左文字をみて驚き呟く。


「ま、まさかこれほどとは、うう彦五郎様」


何故か俺の顔をみて目の前の武将は泣き出し、周りの者達も目頭をおさえている。


「主亡き後、誰もその背に乗せなかった雪風が急にいなくなったので何事かと思えば、まさか新たな主人を見つけてくるとは」

「この白馬は雪風と言うのか、訳あって追っ手に追われている所をこの馬にすくわれた」

「事情はある程度察しています。あとはこの岡部元信におまかせあれ」

「皆の者、二度とあの桶狭間の時のような思いをするのはごめんじゃ。敵を打ち払うぞ」

「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」」


そして俺はこの雪風と岡部元信達の思わぬ助けにより、無事にこの窮地を切り抜けることができたのであった。


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