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平八郎の忠誠心

俺と母瀬名姫の生活は貧しいものであったが、元々家柄の良い出である母に、家事の類いができるはずもなく平八郎忠勝が家のことを行ってくれていた。


平八郎忠勝以外の俺の支援者は、現状を整理して一名はおそらくあの男であろうと前世の歴史の知識と照らし合わせることにより見当がついているが、その他は見当もつかない。


家の中にこれ以上人を増やせない理由はいくつかあり、お金や収入がないこと、住んでいる住まいがせまいこと、食料の問題や警護の問題があると思われる。


俺と母瀬名姫を陰ながら警護してくれているもう一名が平八郎忠勝が狩りなどで側を離れてある場合に目を光らせてくれているのは最近わかるようになって来たが、協力者も含めて三河武士は皆が貧乏であり、平八郎忠勝などは一族の反対を振り切って勘当同然俺と母瀬名姫についてきてくれているのだ。


平八郎忠勝は、貧しい生活の中で常日頃俺に謝るのをやめないが、自身が一番苦労しているのは誰が見ても間違いないのだ。しかし若君の、竹千代君の苦労に比べたら某の苦労などと笑って身を粉にして働いていてくれている。


今の俺に出来ることはただ、平八郎忠勝を労い感謝の言葉をかけることぐらいしか出来ない。

そして俺は決意した、母瀬名姫や平八郎忠勝達の為にも、清和源氏の血を色濃く引くこの俺が、いずれ海道一の弓取りになってみせると。


そんなある日に俺は見てはいけない物をみてしまったのだ。

平八郎忠勝が俺や母瀬名姫に優先的に食事を回して、自身は武士は食わずに高楊枝の精神で水を飲み空腹を紛らわせて我慢している姿である。


平八郎忠勝のお腹の虫の音があまりにも大きかった為、俺と母瀬名姫もそれに気がついてしまい2人で抱き合って泣いた。

すまない平八郎…許しておくれ平八郎と…


そんな俺と母瀬名姫の姿を見ていた天井裏のもう一人の協力者も涙していた。



その後になるが現在竹千代であり、徳川信康である自分の置かれた状況を理解した俺は、以前から母瀬名姫より教わっていた学問、平八郎忠勝より教わっていた武芸をより一層頑張った。


転生時に一緒に持ってきた種や苗に関しては、俺は種は安全な場所を確保できるまで手をつけないこととし、当面の生活の為にさつま芋だけを増やし始めている。


この時代においてさつま芋は切り札的存在になるものであり、最も重要な植物となりえる為、不幸な俺達にとっては唯一の救いとなりうる。


さつま芋は、痩せた土地でも育つだけでなく、増えやすく、いも焼酎など酒にも加工できるとあって神の植物といっても過言ではない。

俺が前世で死ぬ前に妻にしていた東北出身の女性は焼き芋が大好物であり、石焼き芋の販売車がくると学校で授業中に居眠りをしていてもよだれを垂らしながら目を覚ますほどの破壊力であった。


しかし後になって気が付いたことではあるが、あれだけ焼き芋をパクパク食べていたのであるから、俺の知らない場所でかなり屁をこいていたのではと考えると、背中に冷たいものがはしる。


ともあれさつま芋の栽培には成功して、贅沢な暮らしは無理ではあるが、俺や母瀬名姫、平八郎忠勝は主食には困らなくなった。


食料問題が解決したことにより、俺は次の手段を考えることにした。

徳川家の直系の嫡男であるこの俺の味方をしてくれる者はほとんどいない。

血の結束などと言われる三河武士は、世良田二郎三郎が天下をとったからこそ言われる美談であり、今の三河には営利目的のそれ以上もそれ以下の関係もなかった。


しかも酒井忠次を筆頭に譜代の家臣団は、血ではなく家の名と、実利をもたらす織田信長と同盟を結んだ世良田二郎三郎に、心底忠誠を誓っている。


世良田二郎三郎は、新田氏の血を引く源氏を自称している為、血に関してはそれも理由かもしれない。

先祖代々の譜代の家臣団が世良田二郎三郎についている上に、本多正信という知恵袋、いわゆる軍師までついているので到底俺に勝ち目はない。


今までは生活に精一杯であり、日々の生活に精一杯であったが、周りが見えるようになってきた今、平八郎忠勝やもう一人の協力者が世良田二郎三郎やその家臣団と思われる者達より俺と母の命を守ってくれていることの詳細がわかるようになってきた。

そして今はなんとか防ぎきれているが、このままでは俺と母瀬名姫の命は長くないことを悟ったのである。



俺と母の瀬名姫が苦境に立たされていた頃に、旅の僧より俺達親子の境遇を噂話として聞いたある尼僧が手をワナワナと振るわせて怒りに打ち震えていた。


尼僧はあまりに酷い話すぎた為、その噂が嘘ではないかと最初は信じなかったほどである。

しかし、その旅の僧侶の正体は太原雪斎と言う今は亡き高僧の弟子だった為、すぐに嘘ではないことに気が付いたのである。


しかも本物の徳川家康は既にこの世になく、家臣団は全て敵にまわり、自身の孫である瀬名姫と曾孫である竹千代が山奥に追いやられて軟禁状態になり、下男一名とボロを身にまとい食べるものにもほと困る生活をおくっていると言うではないか。


孫と曾孫のこの惨状に、血の繋がった家族として怒るなと言う方が無理な話である。

さらに竹千代に至っては容姿が父徳川家康に全く似ていなく、今は亡き街道一の弓取りである今川義元の若き頃にそっくりだった為、本当は瀬名姫と今川義元の子であり、徳川家康の子ではなかったと言われる始末のようである。


また、三河が今川家に組み込まれていた時の恨みを今川義元にそっくりな曾孫である竹千代に向ける者も多いとのこと。


もうおわかりだろうが、この尼僧は現在実質的な今川家の支配者であり、今川義元の母であり、瀬名姫の祖母である寿桂尼である。


太原雪斎の弟子の話によれば、元々文武両道で聡明であった竹千代であったが、ある時行方不明になることがあり、発見された際にその腕には確かに今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれた際に奪われた義元の愛刀である宗三左文字、別名義元左文字を握りしめていたとのことで、その日より更に人が変わったようにさらに聡明になったという。


瀬名姫と竹千代を監視していた者達は、今川義元の魂が竹千代に乗り移ったと噂して、それを聞いた世良田二郎三郎や重臣達よりさらに命を狙われるようになり現在も危ない状態であるという。


寿桂尼は、その話を最後まで聞いた頃には、怒りではなく涙を流していた。

涙を流しながら、太原雪斎が生前に話していたあることを寿桂尼は思い出していた。

自身が亡き後、今川家に試練が訪れるやもしれないが、もしも太守様に何かあったとしても決して狼狽えてはなりませぬ、必ずその血を色濃く受け継ぐ者が現れて今川家の窮地を救うであろうと言っていたことを。


寿桂尼は太原雪斎が言っていた今川家の血を色濃く受け継ぐ救世主は、命の残り火が消えそうな不遇な曾孫である竹千代のことに違いないと確信していた。


寿桂尼は、文化面に明るく公家の者達といてもそれを上回る教養やセンスを持っており、武芸としての剣術などにも孫である今川氏真は優れていると認めているが、この戦国時代を生き抜く戦国大名としては向いていないことを誰よりも理解していた。


そしてこのままでは、孫の今川氏真の代で今川家が終わるのも覚悟していたが、意外なところより光明が見えてきたのであった。

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