永禄7年竹千代
俺は5歳児位の姿になっており、戦国時代に逆行転生したようであった。
転生時には宗三左文字と複数のくぬ植物の種、植物の苗を握りしめていたようだ。
母と思われる美しい女性が俺のことを竹千代君と呼ぶので俺はもしかしたら天下人である徳川家康に転生したのではと気がつき小躍りしたものだが、どうやら様子がおかしい。
確かにこの地は三河の国のようだが、俺も母の身なりはみすぼらしく、住んでる場所も山中にある廃寺であり、俺と母の他には身長が高く逞しい若い男が1人いるだけである。
もし俺が徳川家康であり、三河が貧しかったとしてもここまで酷い生活はしていないはずである。
そして周囲の話を整理してゆくうちに、俺は竹千代は竹千代でも徳川信康であることを知った。
それでもおかしい話であることには違いない。
俺が5歳児くらいであることを考えれば、現在西暦1564年位のはずであり、今川家から独立した徳川家康の嫡男の筈だからである。
俺は一緒に住んでいる若い男に事情を尋ねることで現在の状況を知ることができた。
俺の父である徳川家康は永禄3年に弥七郎と言う男に暗殺され既に亡くなっており、現在徳川家の当主は世良田二郎三郎元信と言う影武者がなっているらしい。
酒井忠次を筆頭に、幼い俺が家督を継げは三河のような弱小国はすぐに滅ぼされてしまうと考える者達が、先祖代々の血ではなく、徳川家の名を残すことを選択したのである。
世良田二郎三郎は、人前ではにこにこと人の良い主君を演じているが、なびかない母である瀬名姫やその息子である俺を毛嫌いし、冷酷な態度をとっていたらしい。
そして、母である瀬名姫にいつか必ず竹千代を廃嫡して殺してやると冷たく言い放ったらしい。
怒り狂った母である瀬名姫は、皆の前でこのことを訴えたらしいが、世良田二郎三郎を既に主君と認める酒井忠次らによって錯乱したと言いがかりをつけられて、この古寺に追いやれたのだ。
母瀬名姫や俺が嫌われる理由として、母は今川義元公の実の姉の子で、義元公の養女になった後に父に嫁いだ経緯もあり今川家の血が色濃いこと、俺の顔が父家康の顔ではなく、今川義元公に似ていることも原因のようだ。
三河の国は今川家の属国となっていた際に、戦の際には常に先陣を命じられ、重い税をかけられて長い間生活に困窮して来た為、今川家に対する根強い怨みがあるのである。
現在の徳川家中において、俺の味方をしてくれているのは目の前の若い男も含めて数名のみだと言う。
しかし目の前の男は胸をはって俺に言う。
「たとえ何があろうとも若君に一生ついていきますぞ。若君に仇なすものは全てこの蜻蛉切の錆にしてやりましょうぞ」
俺はありがたさと頼もしさに自然と涙が頬を伝っていた。
「恩にきるぞ、平八郎」
最初から詰んだような状況に絶望しかなかったが、俺の味方が3人いて、そのうちの1人が戦国最強本多平八郎忠勝なのならば、この逆境を打破できるかもしれないと光明が見えたのであった。
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