恋心
1566年元旦 春日山城
春日山城の主人である上杉輝虎は、越後の龍、軍神、毘沙門天の生まれ変わり、戦国最強などと呼ばれその武勇や名声は日の本中で知らぬ者がいないほどであった。
子供が悪戯や悪さをして聞き分けがない時に、悪さをすれば越後の龍がやってくると言えば泣き止むほどである。
この畏怖や恐怖の対象となっている上杉輝虎であるが、今現在赤面して顔から湯気を出している。
川中島の戦いなどどのような苦境や困難にも打ち勝つほどの精神力を持つはずの彼が産まれて初めて動揺して困惑しており、書状を持つ手が震えて力が入らなくてなり落とすほどである。
「御身城様、如何なされましたか?」
重臣である斎藤朝信が、上杉輝虎を心配して声をかける。
「のう朝信よ、我のことをどう思うか?」
「どうとは如何なことでありましょうか?某が思うに毘沙門天の生まれ変わりであり、義を重んじて、武名轟く軍神のようなお方だと思っておりますが」
「そ、そうであるか。では我の外見はどうであろうか?」
「ハッ、失礼ながら申し上げさせて頂くならば妖艶で美しいと思っております」
「そ、そうか。むむむむむ」
ことの発端は元旦に突如春日山城を訪れて貢ぎ物の数々を献上して、その使節団の主人と呼ばれる者からの書状を渡されて受け取ったことから始まる。
問題なのは正体不明の使節団の献上品や書状には清和源氏の名門の血統でなければ使用が許されない竜胆紋があしらわれていた為に、関東管領を拝命していた上杉輝虎は無下には出来ないのである。
献上品の贈り主は、本名をまだ明かすことができぬと言い、源氏の君を名乗っていた。
献上品は絹の衣、太刀、硝子の杯、清酒、干し芋、妙に純度が高く真っ白で旨味が別格な塩に、美しい珊瑚をあしらった櫛であった。
酒好きで有名な上杉輝虎にとって献上品の清酒は未知の物であったが、使者に言われた通り硝子の杯で飲んだそれは雑味がなく今まで飲んでいた酒はなんだったのだろうと思わせるほどに美味すぎた。
使者いわく清酒などこれらの品は我が主人が死なぬ限りは毎年献上すると言う。
絹の衣も天女の羽衣かと思うほどの最上級の品であり、どこで上杉輝虎の太刀好き知ったか太刀は村正の業物でありその刀身は見るものを魅了した。
上杉輝虎が村正の太刀を舞い散る雪にかざしたところ雪が真っ二つに別れた。
恐ろしい切れ味である。
上杉輝虎や斎藤朝信など家臣衆はあまりの衝撃に固まってしまったほどである。
塩に関して言えば旨味と甘味がありこれほどまでに白く純度が高い品は塩が自慢の越後でも味わったことがない。
そして何より心を掴んで離さないのは、初めて食べた南蛮由来の品と思われるさつまいもの干し芋である。
世界中の女子を魅了してやまないさつまいも、それが甘味の少ない安土桃山時代に現れたらどうかるかは言わずもがなである。
そして最後に珊瑚や夜光貝、漆、金箔をあしらった櫛は日の本一美しいと言っても過言でない一品であった。
はっきり言ってこれだけの品は、どれほどの価値があるか計り知れないものであり、国を何個か買えるレベルのものであった。
何故ならばこの時代は、名器と言われた茶器が国一国の価値があったのだから。
献上品だけでも戸惑うが、本当の問題は源氏の君が送った書状が恋文であったことである。
このような文章で口説かれたらたとえ弁財天であろうとも口説き落とされようと確信するほどの内容が書かれているのである。
そうお気づきの通り上杉輝虎の赤面の理由は源氏の君からの恋文であり、輝虎は正真正銘の女子であった。
後世で有名な上杉謙信像は江戸時代に髭を後付けされたものであり、イエズス会の宣教師は謙信を上杉景勝の叔母と言っており、月のものに関する記述もあるとおり完全なる女子であり絶世の美女なのである。
上杉輝虎は三十代にも関わらず、毘沙門天の加護なのかもしれないが肉体年齢は二十歳を保っており若く美しかったのである。
上杉輝虎が女性なのは一部の親族と重臣しか知らぬことであった為、より一層源氏の君の謎が深まったのは言うまでもない。
一つだけ言えるのは由緒正しき清和源氏であっても源氏の君の正体が武田信玄でだけは有り得ないと言うことである。
好色家で変態の武田信玄は上杉輝虎の外見に惚れて、男だと思われているにも限らず輝虎の尻の穴を狙い続けて川中島の合戦の際には生け取りを厳命したくらいの両刀使いであったのだから。
恋文の最後には数年後に必ず迎えに行くので妻になって欲しい、不犯を貫く毘沙門天に関しては我は天照大神の子孫でその神力とその血を歴代の誰よりもいろ濃く引き継いでいるので問題ないとあった。
天照大神と毘沙門天とで共に手を取り合い日の本に恒久の平和をもたらそうとの言葉がとどめとなり、上杉輝虎は完全に源氏の君に心を掴まれて落とされてしまうのであった。