義信死せず
1565年10月駿府館
今川家の復活と当主交代、三河攻めでの大勝利もあり、同盟国の北条家、表面上は同盟国の武田家は今川義元の当主就任の祝いと三河攻めの大勝利の祝いの為の使者をたてる必要があった。
今川家が弱体化した後も親身になり今川氏真を支えてくれた北条家には親族は勿論のこと、譜代衆の元々の親氏真派の者達にとっては強い絆が生まれていた。
俺が当主になったことにより京都に向かうことになった父氏真は、土佐一条家と公家一条家のように公家今川家として手腕を振るってもらう予定であり、それについていくお早の方にも決して不自由な思いをさせぬことを俺と父の連名で北条氏康には書状を送り済みである。
家族を大事に思う気持ちが強いのと、西より東に進みたい北条氏康は今川家の復活を心から喜び祝福した。
武田信玄の暗躍による三国同盟の実質的な破綻に頭を悩ませていた北条家にとってまさに渡りに船だったのである。
祝いの使者団の代表を次期当主である北条氏政に命じて惜しみなく祝いの品を献上するくらいに今川家を重視して行動してくれた。
俺はさつまいも、硝石などの他に知識があれば実行するのは難しくない澄み酒作りを買収した酒蔵で実行しており、その酒で北条家一行をもてなすと共に返礼品として干し芋などと共に澄み酒も贈った。
澄み酒の美しさ、香り、美味さに北条氏政をはじめとする北条家一行は天にも登るような気分であった。
そしてこれ程までに貴重で価値のある品々を自分達に惜しみなく振る舞い、更に返礼品として返してくれる今川義元に関して自分達がいかに重要視されて大事に扱われているかを痛感して感銘を受けない訳がない。
北条氏政は今後もずっと今川家とは家族として手を取り合って進むことを心に誓ったのである。
同時期 甲斐の国躑躅ヶ崎館
武田信玄目線
「このたわけが!この役立たずが!」
「「お館様お許しを、平に平にご容赦を!」」
「黙れ無能どもがこのわしに口答えするか!許さんぞ許さんぞ」
ガッガッ、ドカッドカッ、ボキバキ、ドゴッ、ボコッ、ドカッあまりにも惨い人を殴打する音が広間に響き渡っている。
今川家の復活により散々暗躍した寝返り工作などを全てご破産にされた武田信玄は怒り狂いその対今川家の工作の実行役だった2名に対して、織田信長が史実において安土城での徳川家康に対する饗応の失敗の際に明智光秀に行った以上と思われる折檻を繰り広げていた。
今までは名君と呼ばれて「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方仇は敵なり」などと言われた武田信玄であるが、身体を虫喰む病魔と川中島の合戦による度重なる腹心と重臣達の討ち死に、そして後世の羽柴秀吉における羽柴秀長のような絶対的な存在であった実弟である武田典厩信繁の死により本気で意見を言える者がいなくなった結果抑えが効かなくなってしまっていたのである。
何事も信玄の思い通りになっているうちはまだ良いが、上手くいかないと父である武田信虎のようになって残虐性がまし癇癪を起こしていた。
また疑心暗鬼にもなっており、晩年の豊臣秀吉のような状態になっていた為、史実では嫡男である武田義信を謀叛の疑いをかけて捕らえて廃嫡して武田家滅亡の原因をつくったのである。
三国志の英雄である呉の孫権しかり、武田信玄しかり、長宗我部元親しかり、豊富秀吉しかりで継ぐべき者を蔑ろにして自分が好む者だけを立てようとする家は衰退する。
逆に織田信長しかり、武田信玄しかり、伊達政宗しかりなど継ぐべき嫡男が家を継いだ家は躍進している。
しかしそんな武田信玄も今世では今川家の復活と、新なる後継者である今川義元が三河侵攻による大勝利による武勇を示した為、今川家に迂闊に手出し出来なくなり史実とはあべこべに武田義信と飯富虎昌の立場は盤石となっており、信玄に味方するのは高坂弾正をはじめとするごく少数派となっており、親族衆は諏訪勝頼、武田信豊以外は皆武田義信を支持していたのである。
今回折檻されている者達は駿河方面工作担当責任者であった穴山信君と飯富昌景であったが、親族衆の穴山信君は武田信廉などに庇われたが、飯富昌景は信玄に武田家から追放を命じられた結果、密かに兄である飯富虎昌が匿ったのである。
駿河への祝いの使者として武田信廉と武田義信の傅役で筆頭家老であり赤備えの猛将飯富虎昌が出向いた。
本来三国同盟が良好な関係であれば次期当主である武田義信が行きたかったのだが、今甲斐を離れることは危険すぎるということを武田義信は誰よりも理解していたのである。
駿府館において祝いの品を献上した後に酒宴に参加した武田家一行であったが、何故か飯富虎昌だけが別室に呼び出された。
そして別室では、今川家の新当主である今川義元が笑みを浮かべながら待っていた。
「面をあげられよ虎昌殿」
「ハハッ」
「何故呼ばれたのか混乱しているようだな」
「…」
「我は武田の、いや飯富の赤備えに敬意をはらっている」
「なんと…」
「そこで相談だ、其方の弟である飯富昌景殿が武田殿に激しい折檻を受けて瀕死となり行方知れずと聞いている」
「むむむむむぅ」
「何故それをという顔をしているが我が今川家の情報網をみくびるでない」
「そのことが事実だとして今川様には関係なきことかと?」
「フフフフフ…だから我は飯富家を高くかっていると申しておろう」
「それはいかなる意味でございましょうか?」
「其方は此度の旅に弟飯富三郎兵衛昌景をどこぞやへと逃がそうと同行させておるだろう?」
「うぐうぅぅ」
「なに難しい話ではない。我は其方の主人である武田義信殿がどれだけ今川家との関係を大切に思っているか知っておる」
「なんと」
「そして武田家最強と呼ばれる飯富家の忠義と赤備えの誉もかっておる」
「ありがたきお言葉…されど」
「難しく考えなくて良いと言ったはずだ。弟三郎兵衛昌景を我に預けよ。我が保護して取り立てれば将来両家の橋渡しとなろう」
「護衛の1人のふりをして外で控えてる其方。聞こえておろう。わざと聞こえるように話したのだからな。中に入れ」
「…………」
「昌景、隠し立ては無駄のようじゃ。今川様の言葉に従え」
「ハハッ兄上」
「話は聞いていたであろう飯富昌景よ、我から申すことは、まず飯富の名を捨てよ」
「「なんと」」
「フフフフフ代わりに新しき名を我が授ける。山県…今日より山県三郎兵衛昌景を名乗るが良い」
「そして我の配下に召し抱える。山県は遥か前に甲斐国において断絶した名家の名跡である」
飯富兄弟は突然の今川義元の言葉を脳裏で色々考えたが、幼いながらも大器と畏怖を感じる目の前の御仁に対して未来への投資も兼ねてその言葉に従うことにした。
「「御意」」
こうして俺は運良く戦国最強騎馬軍団司令官山県三郎兵衛昌景を配下に加えることに成功したのであった。
赤い鳥には赤備えこそ相応しい。