岡崎決戦
ずしゃり、ぐしゃり、すさり、ある男が嬉々として敵
を斬り捨てながら進軍していく。
目と口は三日月のように笑みを浮かべて今までの鬱憤を晴らすような勢いである。
駿府館を4000の兵で立った今川軍は遠江でまた4000と合流して8000となり、降伏した三河の国衆と合流して12000の大軍となっていた。
徳川家側の豪族や物見、斥候など断続的に敵が襲いかかってきているのだが自ら志願して前線の部隊を指揮するこの男が血の雨を降らしているのである。
「おほほほほほほほほほほ。たわいない、たわいないのう。麻呂の遊戯の相手にもならんぞよ。おほほほほほほほほほほ」
そう敵兵を豆腐を斬るように斬り刻み蹴散らしていたのは今川元康の父であり前当主の今川氏真その人である。
今川氏真と言えばひ弱で武道に才能なく、性格が悪く傲慢だが臆病で戦場では逃げて回っており、徳川家康や武田信玄のかませ犬的な印象がほとんどであろう。
しかし実際は文化的なことの方が得意なものの、武芸に関しても塚原卜伝に学び免許皆伝を許された実力者であり、日の本でも10本の指に入る大剣豪である。
今川氏真は時間を惜しんで今川家の今後の為に、公家や日の本の文化的なことではなく、剣術を我が子である今川元康に教えており、転生者でチートな嫡男である元康は剣術を極めるにいたっていた。
今川家当主の座を幼き我が子に引き継ぎ、剣術の秘伝と奥義を我が子に伝授した氏真には、もはや縛るものと恐れるものはなかったのである。
桶狭間の戦いにおいて今川義元が非業の死を遂げていらい家臣団が今川氏真を当主だから、氏真様に何かあったら困るとの理由で前線は勿論、戦場に立つことも許されなかった恨みを晴らすべき時は来たとばかりの躍動だ。
人には得意、不得意があるが今川氏真は文化や武力に関しては申し分ないが人とのコミュニケーション、すなわち人心掌握術に関して他者より劣っていたために転げ落ちたのであった。
まあ父である今川義元や軍師であった太原雪斎が偉大すぎて比較された不幸もあったのではあるが。
しかししがらみから解放された彼はまるで三国志の張遼のように無双状態になったのである。
岡崎城のまわりは今川赤鳥の旗に囲まれて鼠1匹たりとも逃げられないようになっていた。
影武者徳川家康視点
「酒井忠次よ、話がちがうではないか?おらは徳川の殿様のふりをして女子を好きなだけ抱いて忠次の傀儡になれば良い暮らしをできるだけで苦労は何もないと言ったではないか」
「家康様何も問題などありませぬ。我らには織田信長公がついておられます。ここだけの話でありますがこの酒井忠次は織田信長公の直臣でありかなり前より松平…いや徳川を管理すべく間者として潜入してござる。だから何も心配はござらぬ」
「だども怖い、怖い、今川氏真が今川赤鳥が恐ろしいのじゃ。ひぃぃぃぃ」
岡崎城の守兵は2500であったが、今川軍に追い込まれた周囲の住民も城に追い込まれており、秋の収穫前に包囲されたせいで十分な兵糧はない。
影武者徳川家康は途方に暮れたが、今までの領主として手に入れた破格の待遇を簡単に捨てることなど出来るわけもなく泥沼にはまっていった。
今川家は他家に比べて金山や交易の関係により実は財政は豊かな為、戦後金銭の力でどうとでも解決出来るので岡崎城周辺の田畑を青田刈りして城内に籠城する者達に絶望を馳走した。
岡崎城の徳川家の面々は、金もなく兵糧もなく借金の目処もたたないありさまである。
金がないのはどの時代でも苦しいし、腹が減るのは自然現象であるからどうしようもない。
そしてとどめとばかりに以前人質にとっておいて処遇を見送っていた者達や新たに捕らえた城に籠る者達の一族を岡崎城を囲うように十字架を立てて磔にした。
勿論虐殺の汚名は前当主である今川家氏真に被ってもらったが、岡崎城の者達は血の涙を流して発狂した者まで出たらしい。
腹が減っては戦は出来ぬ…岡崎城の兵達は囲まれているだけで衰弱して弱体化していったが、俺があえて作っておいた逃げ道により脱走兵は相次ぎ岡崎城の兵は500までに減少していた。
もはやこれまでと皆が思うなか酒井忠次達は逃走する雑兵に紛れて岡崎城を脱出して尾張へと逃れていった。
今川氏真は岡崎城の真ん前でお茶会を開き、蹴鞠を行い挑発ながら徳川家の非道と情け無さや弱さを罵った。
「おほほほほほ、徳川の弱虫どもは公家かぶれの弱者の罵り陰口を叩いておった麻呂のことが怖くて怖くてたまらないようでおじゃる。おほほほほほ。情けなや、情けなや三河の腰抜けどもよ。今後一切武士などとかたるべからずじゃのう」
最弱と噂されていた今川氏真にここまで馬鹿にされて何も反撃できない徳川家の権威と名声は地に落ちた。
最後は今川氏真に挑発された徳川家が、あまりに酷い侮辱と罵りに堪忍袋の尾が切れて今川家氏真の提案する氏真と影武者徳川家康の一騎打ちの舞台において影武者を出場させ、その影武者がなす術もなく今川氏真に惨殺されると言う結末で幕を閉じた。
「良いか元康よ…我ら今川家の今川赤鳥は、高貴で支配する者のみに許される赤の意味もあるが、裏を返せば血の赤である!今世において源氏筆頭は我ら今川家であることを心得よ!」
父今川氏真は普段の公家言葉ではなく、武家の言葉で俺にそう告げた。
岡崎城の周りには影武者徳川家康とそれに積極的に与した者達の首が晒された。
今川氏真は蹴鞠のごとく影武者徳川家康の首を蹴飛ばして宙にうかしながら「雉も鳴かねば撃たれまい」麻呂が徹していた事を出来なかった徳川家は滅亡して酒井忠次や織田信長の傀儡であった影武者達は死に絶えた。麻呂の勝ちじゃ」
「おほほほほほほほほほほ」
血肉の匂いがいまだに残る岡崎城にて今川氏真の高笑いが響き続けるのであった。
誤字脱字自動訂正みたいなホローお願い致します。面白いことは考えますので。